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 分かってしまえば……見えてしまえば、後はどこまでも薄っぺらい。

 くっと祈は唇を歪ませる。


「まっきー……!」


 平沢の心配そうな声が聞こえるが、大丈夫だ。自分がすることは、分かっている。


(助けてって……なぁ……)

 

 祈は自分の頭を持ち上げると、勢いよく振って目の前でよだれを垂らすモノへ頭突きした。


「誰だよ、お前! 助けて助けてってなぁ、お前の助けては自分に食われろってことだろうが! 釣られてたまるかよ、バーカ!」

 

 寒くて苦しい、力が出ない。

 だから――助けて。

 自分の血肉になり、助けてくれというわけだ。

 冗談ではない。


 珠緒の体を取って代わったなにか。

 その下から這いだした祈は、起き上がった平沢の元へ駆け寄る。


「つーか、人の叔母の体になにしてんだよクソ! さっさと出てけよ!!」

「あが、あががが、だず、げ」


 見れば見るほど、腹が立つ。

 祈にとって、珠緒はある種の弱点。そして、触れることを忌避している爆弾だ。

 

 記憶こそないが、母親が死ぬ原因は珠緒だった。

 そのうえ、過去の記憶がなくなったのも珠緒のせいだ。

 理由が、横恋慕の成れの果てなんて、くだらない。

 ――それでもまだ飽き足らず、祈を都合よく誰かのかわりにしようとしていた。

 人間をやめてまで、歪んだ妄想を実現しようとしていた。

 歪んだ執着を持ち、己の望みを実現するために手段を選ばず、聖母のような顔で祈を育て、守り、縛った。

 

 そう。あの化け物染みた叔母は、確かに己の意志があった。身勝手極まりないが、全ては錫蒔 珠緒の意志だった。


(でも、これは違う)


 これは、珠緒ではない。今回の事件は、錫蒔 珠緒の意志ではない。

 祈の目は、ブツブツと浮かび上がる薄っぺらい言葉の下に透けて見える、なにかの欲望を見透かしていた。


 〝――食べたい〟


 震えて歓喜している、文字。


 〝食べたい食べたい食べたい食べたいもっと食べたいはやく食べたいもっとはやく食べたい〟


 混在する文字が意味することは、つまり己の叔母は……。


「お前、食ったんだろう……!」

「ま、まっきー……? ちょ、落ち着いて……っ、きみ、目が……」

「珠ちゃんのことも、お前が食ったんだろ!」

「だず、たす、たず――」

「断る!」


 ありったけの怒声で言い返せば、珠緒の姿をしたなにかはぐりんと海老反りして突進してきた。

 人体の関節がどうなると関係ない、まったく無視した動き。それはただひたすら気味悪く、醜悪だ。

 

『ねぇ、祈。甘いカレー作ったよ。祈の大好物だもんね』


 忘れたいのに、忘れられない。

 戻りたくないけれど、懐かしい。

 あの頃の叔母の笑顔と、決まり文句が祈の脳裏に浮かぶ。すると、今の……もう得体の知れないなにかに全てを奪われ酷使されている姿は余計痛ましく思え、祈は顔をしかめて言い捨てた。


「……嫌いだよ。カレーもお前も……大っ嫌いだ」


 ――祈、大丈夫。これから思い出をたくさん作っていけばいいんだから。

 そんな優しい言葉もまた、あの人の本心だったと知っているから。今の意志のない姿は、珠緒の形だけ奪ったコレは……。


「大っ嫌いだ……!」

 

 あの頃、一度も叔母には向けたことがない言葉を、祈は今吐き出した。

 珠緒の姿をした別のなにかに向けて。

 お前なんか嫌いだと。お前なんか否定すると。すると、それは動きを止めて、ぐぎごきと奇妙なダンスを踊るかのように体のあちこちをねじり出す。


「……なにこれ、苦しんでる?」


 平沢は、祈を庇いつつそれを見下ろしていたが――。

 ――ゴッ!!


「ぎぐっ!」


 鈍い音と短い悲鳴。

 それの脳天に警棒が振り下ろされた。


「おい、新人じゃあるまいし。ぼーっと見てんじゃねぇぞ、平沢」


 足蹴にして、ピクピク痙攣するそれに小瓶の液体を振りかけている――眼鏡をかけた顔だけ温和。


「げっ! 鏑さん……!」


 平沢が嫌そうな声を上げた。

 鏑の片眉が跳ねる。


「無力化拘束、基本だろうが」

「……すみません~。ああ、それより、まっきー! きみ、目は? 目、大丈夫!?」

「は……?」


 鏑に謝罪しつつも、平沢は慌てた様子で祈の方を向いた。

 ぐいぐいと近づいてくると、祈の前髪をすくい上げて顔をのぞき込んでくる。


「平沢さん、なんなんすか!?」

「だって、きみ、あんな……! 本当に平気? 実は目が光ってたりしない?」

「そんな、ゲーミング仕様じゃあるまいし……ねぇっすよ」

「視力とか変わってない? 花乃の顔、ちゃんと見えてる?」


 自分が目にまつわる能力をもつせいか、平沢はやけに心配してくれた。


「問題ないっす」

「……うーん……。今のところ平気なら、まずはいいけど」

「いいわけあるか。――おい、お前……ついて来い」

「…………」

「返事くらいしろよ、クソガキ」

「生憎、今年成人だよ、おっさん」

「おっ……――だったら、なおのこと一般常識だ。口の利き方にも注意しろ。不本意だが、あの化け物にお前のことを頼まれたからな」


 え――と祈が声を漏らす。


「綴喜さんが? アンタに? なんで?」

「……捜査中の案件だ、部外者には話せない」

「部外者って、俺はあの人の助手で――」

「その助手を、置いてったんだ。つまり、この案件にお前は必要ない……部外者ってことだろうが。それくらい分かれよ、クソガキ」


 吐き捨てるように言われて、祈は黙った。


「というわけだから、お前の身柄はしばらく俺達預かりだ。コレのことに関しても、聞きたいことがあるからな」

「……聞きたいことって……」

「お前の叔母だろ」

「……もう違う」

「あ?」

「……もう、中身が違う。そいつは、珠ちゃんじゃない」


 それだけ言って、祈は唇を噛んだ。


「平沢」

「は、はい~」


 鏑が鋭い声を飛ばせば、平沢は珠緒の体に近づきじっと凝視していたが……。


「混ざってない……でも、これ――もう、人じゃない。まっきーの言うとおりだよ。オムレツに鉄パイプ突き立てたはずが、いつの間にかオムレツが分解されちゃったみたいな……――あ」


 平沢はそこで何かに気付いたように、口元を覆った。


「これが、探偵の言ってた変質……――人間の体だけ残って、中身が変わる……」

「問題は、なんでコイツが、それを分かったかだ」

「…………」

「……だんまりか。まぁ、いい。探偵が帰ってくるまで時間がある。せいぜい、有意義な時間を過ごそうぜ、助手くん? ――それまで、泣きべそはぬぐっておけよ」


 嫌味だ。

 嫌味以外なにものでもない。

 祈は鏑を睨みつけて、言い捨てた。


「余計なお世話だ、おっさん」

「――……チッ」


 流れる空気は、ピリピリしており、挟まれた平沢がいたたまれなさそうなのが、唯一祈が申し訳ないと思ったことだった。

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