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 以前担ぎ込まれた、苦い思い出のある病院。

 関係者以外立ち入り禁止とされている区域に足を踏み入れたものの、さらにその奥は獏間と警察関係者だけと止められたため、取り残されたロビーにて、祈は所在なげにソファに座っていた。


 ひとりなら、もっとダラダラしているだろうが――以前の件などなかったかのような態度で再度顔を合わせた皆瀬や、笹ヶ峰にまで「見ない方がいい」と言われて待機することになった祈の横には、なぜか平沢が座っている。


(俺は分かるけど……この人は、なんで?)


 どこかふて腐れた表情で、自販機から購入したカフェオレを飲んでいる平沢は、ちらりと壁に掛かっている時計に目をやった。


「……もー、おっそいなぁ~。ささみん、なーにトロトロしてんだろ~。まさか、またあの女にデレデレしてるんじゃ~」


 なんだか、言葉に棘がある。

 気のせいではなく、若干イライラしている気がする。

 平沢は本来、獏間や笹ヶ峰と一緒に皆瀬について行ける資格がある人間だ。それなのに、自分と一緒になってここに残る必要はないのではないかと、祈は彼女に声をかけた。

 

「俺はダメって言われて納得っすけど……あの、平沢さんは行かなくてよかったんすか?」

「ん? いいよ、花乃は。もう一回見たし、それにさぁ、他の人がベタベタ触った後だと余計なものが増えちゃって、さらにぐちゃぐちゃになっちゃうから~、花乃の目にはよくないし」

「あ……」


 見極めが出来ないと平沢は悔しそうに言っていたのだ。


(俺が、顔に書いてある文字が誰向けなのか判断できないのと一緒か)


 一対一で話していて、顔に「嫌い」と浮かべばそれは自分に対しての言葉だと分かる。

 だが、町を歩いていてたまたまもの凄く怒っている人を見て、その顔に「嫌い!」と書かれていても、祈には誰に対して抱いた感情かまでは分からない。


「すみません、なんか……余計なこと言って」

「全然だよ~。……それに、行きたくない理由はもう一個あるし」

「もう一個?」

「おばさんに会いたくないの~。……出しゃばりすぎでしょ、あのババァ」


 ぼそっと付け加えられた一言は、それまでの可愛らしく語尾の伸びた言葉遣いとは違い、声がワントーン低くて語尾伸ばしもなかった。


(……怖)


 顔に文字が出ない人だから、やはり閉心術が使える人なのだろう。

 それならわざわざ裏の顔を見せなくてもいいのに、ぼそっと口に出すあたり本当に腹が立っているのかもしれない。


「おばさんって……」

「まっきーも、あのドヤ顔見たでしょ? 皆瀬のおばさんだよ」

「……ドヤってたっすか?」

「ドヤってた! いい男ふたり侍らせて、鼻高々。だいたいあの人、ささみんの純情をもてあそんでるから~。デレデレするささみんも見たくないし~。あ、もちろんね~、優秀なのは分かるし、花乃も仕事ってなればちゃんとするけどね~。今回も私情優先でサボったんじゃないからね~、そこんところは、よろしくね~?」

「ソウナンデスカ」


 気まずい祈は、棒読みで返事をするしかなかった。

 そっと視線を外し、獏間たちが早く戻ってきてくれないかと期待するが、廊下の角から誰かがやってくる兆しはない。


「……平沢さんって、笹ヶ峰さんのこと、好きなんすね」

「そうだよ~。心底惚れてんの~! 男の趣味、いいでしょ~?」

「はい」


 笹ヶ峰はいい人だ。

 それを知っている祈は、得意げな平沢の言葉に素直に頷いた。すると、平沢は面食らった顔をして、顔を赤くする。


「そう素直に肯定されると……なんだろ、恥ずかしいな~……」

「でも、笹ヶ峰さん、ほんといい人だし」

「だよね? だよね~! やだ~、まっきー話がわかるぅ~! あ、お腹減らない? 併設のコンビニあるから、おねーさんが、なんでも買ってあげるよ?」


 笹ヶ峰を褒められたのが嬉しかったのか、平沢はテンションを上げてクネクネし出した。


「ここで待ってなくていいんすか?」

「だいじょーぶ! 花乃がいれば、エリア外に出たってまた入れるから! 花乃が人におごるなんて、滅多にないんだよ~。気が変わる前に、はやくはやく~」


 それが照れ隠しの賑やかしに見えた祈は、思わず笑ってしまう。


「平沢さんも、いい人っすね」

「え……! ――マジやばいわ、この子。いい子過ぎて、連れて行かれてしまうわ……!」

「平沢さん?」

「まっきー、もうちょっと警戒心を持った方がいいよ~! おねーさん、心配になってくる……!」


 そんなことを言いながら、平沢は祈の手を引く。


「じゃあ、コンビニ行こうか~。……っと」


 そのまま、歩き出そうとしていた平沢がなにかに気付いたように動きを止めた。

 促されるままに立ち上がっていた祈も、静かになった彼女の視線を辿ってそちらを向くと――。


「……珠ちゃん?」


 去年別れてそれっきりだった叔母が、白い入院着を真っ赤に染めて立っていた。

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