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『鏑貴久』

 その事件の資料を見ようと思ったのは、ただの気まぐれだ。

 地方派遣されていた笹ヶ峰が、なにを思ったか情報を欲しがっていた田舎での事故。


 いつもならば気にとめない――だが、病院であの悪食の化け物にチクチクと嫌味を言われ「なにも知らない」と決めつけられたのが腹立たしかった。

 あの化け物と自分たちは違うと、引いた線をしっかりと守っていた笹ヶ峰が妙に化け物に気安くなっているのも気になった。


 ただ、それだけで――深い意味などなかったのだが、読んでしまえば無関心ではいられなくなるようなことが書いてあった。


 無理心中。

 

 当時の記録を読み、気に入らないという感情がわく。

 苛立ちのままに、鏑は目を通していた資料をデスクに放った。


「あっれ~、鏑さんまだ帰らないの~?」


 パンクファッションに身を包んだ女が、ギャップのあるのんびりとした口調で話しながら室内に入ってきた。

 

「新しい事件……じゃないね、十年前の? あれ、しかもこれ普通案件じゃん、どったの?」


 目敏くのぞき込んでくる女を、鏑は鬱陶しそうに追い払った。


「どうもしない。邪魔だ」

「あん、もう秘密主義~」

「もう帰れ。やかましい」

「言われなくても帰るよ~。だから、ささみん探してるの~」


 飲みに行こうと思ってと猫のような目を細めて笑う女に、鏑は「知らん」と短い一言を返した。


「ちぇっ、今回も逃げられちゃったかぁ~。なにもしない、飲むだけだって言ってるのに~、ガードかた~い」

「お前、本当にやかましいから帰れよ」

「鏑さんはコーハイの愚痴も聞いてくれない鬼畜だし~! もう、ここの職場環境最悪~! ささみんがいなきゃ、とっくに辞めてたからね~」


 鏑がもう反応しないでいると、諦めたのか――猫目の後輩は「じゃあ、お先です~」と間延びした挨拶をして出て行った。


 静かさを取り戻した室内で、鏑は親の仇を見るような表情で、自分が放った資料をにらみつける。

 気に入らない。

 そこに死亡者として記録されている人間と旧知だった鏑は思う。少なくとも、自分が知る彼女は、そんな女性ではなかったと。

 

 だが、起きたことも過去の記録も、もはや変えようがない。そんなことはとっくに分かっている鏑だから、資料を片付けると大きなため息をついた。イスの背もたれにもたれかかると、ぎしっと僅かにきしむ音がする。

 ひとりきりの室内で疲れたように目を閉じた鏑は、誰にともなく語りかけるように呟いた。


「なぁ、知ってたか? 美琴に息子がいたって……」


 ――地方紙にしか載らない事件だったから、鏑は把握していなかった。

 だが……と、彼はある人物を思い浮かべる。


「兄貴は、知ってたのか?」


 答えがあるはずもない。

 ふたりの関係は鏑が知る限りではずっと前に終わっていた。

 だが、実際に本人たちの口から伝えられたわけでもないので『万が一』を考えてしまう。


 ――タイミングが合いすぎているのだ。


 鏑の兄は、現在行方不明になっている。

 十年前から、ずっと。

 兄が消えたのは、奇しくも旧知の女性が無理心中事件を起こしたのと同じ日付だった。

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