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「珠ちゃん……」

「どうしたの、変な顔して」

「今の話……」


 今の話を聞いていたはずだ。

 けれど珠緒は変わらない。


(ここにいるのは、珠ちゃん? それとも……)

 

 それとも、別のなにかか。

 祈には分からない。


 なぜなら、出会ったときから――病室で初めて見たときから今日まで、珠緒には変化がない。

 いつまでも、いつでも、かわらず優しい親代わりなのだから。


「錫蒔 珠緒さん。錫蒔 美琴さんの件で少しお話を聞かせていただきたいのですが」


 笹ヶ峰が手帳を見せて声をかける。

 けれど、珠緒の視線は動かない。

 祈から外れない。


 ――変わらない。

 それは、つまり……。


「甘いカレー、祈好きでしょう」

「違う」


 甘いカレーは祈の好物ではない。


「あ、大好きなヨーグルトも買ってきたよ。フルーツたっぷりいれて食べられるように! カレーのお供には、これがないとねって祈いつも言ってるものね」

「違うって……」


 そんなこと、一度も口にしたことがない。

 珠緒がなぜそんな風に思い込んでいるのか、祈には分からない。


「ふふ、私は祈のことなら、なんでも分かるのよ」

「――っ」


 珠緒の顔に浮かぶのは綺麗な笑顔と、綺麗な文字。


 祈がお腹がすいていないかとか、好きな物を作ってあげようとか、思いやりに満ちた……綺麗すぎる言葉。


 だが、深く探ればそれは全部、珠緒の思い込みだ。

 祈の意志など聞いていない、介入すら認めない、強固なまでの思い込み――それは善意という名をかりた、悪意だ。


「いや、全然分かってないじゃないか。それは一体、誰の好物だい? 少なくとも、スズ君が好む物ではないなぁ」


 獏間が否定すると、初めて珠緒が自分たち以外の存在を認識したように目を瞬いて、たちまち眉尻を下げる。


「は? ……ねぇ、祈。この失礼な人は、なに? どうして、勝手に家の中に入ってるのかしら。おいで、そんな人の近くにいたら、祈がダメになってしまうわ」


 珠緒は悲しそうな顔をして、手招きする。

 以前の祈なら、そういう表情を見てこれ以上息苦しい思いをしたくないからと、従っただろうが……。


「行かない」

「祈?」

「ふたりは、俺が頼んで協力してもらってる。珠ちゃんこそ、失礼なこと言わないでほしい」

「祈、なにか困ったことがあるの? それなら、私が相談に乗るわ。ひとりで抱え込まなくても大丈夫よ」


 優しい言葉だ。

 これだけ聞けば、思いやりに満ちた人のように思える。


 だが、所々におかしな点がある。

 祈は別にひとりで抱え込んでなどいない。

 こうして獏間や笹ヶ峰の手を借りているのだ、ひとりと表現するのは無理がある。


 けれど、珠緒にはそれがまるで見えていないかのようで、さも祈が孤独な人間のような口ぶりだ。


 そもそも――会話が成立しているようで、成り立っていない。

 きっと、なにを言ってもダメだ。

 珠緒は聞きたい言葉しか聞かない。

 そして都合がいいように解釈するだけだ。


 これまでは、それでもよかった。


 子どもの頃のハロウィン。

 あの時、初めて珠緒の意に反した時――怖い顔をしていた珠緒が、祈が意見を引っ込めたときに見せた笑顔。

 きっと、アレに縛られてきた。

 祈自身、無意識のうち珠緒の言いなりになることで平和を保っていた。


 だが、もう無理だ。

 元来、見て見ぬ振りが出来ない性質である自分が、目をそらしていたという事実に気付いてしまえばもう――この先は、見て見ぬ振りなど決して出来ない。


「珠ちゃん」

「なぁに、祈」

「俺の母さんは、俺を捨てたりなんてしなかった。俺を連れて、東京に行くはずだったんだ。珠ちゃんは、一体誰に俺を捨てたなんて吹き込まれた?」

「祈、姉さんは祈を捨てたのよ。置いていったの。もういらないって。だから、私が貴方を守ってあげなくちゃって思ったのよ」


 珠緒の現実。珠緒の真実。珠緒の世界。

 それは全て、珠緒だけが正しいで成り立つ、歪なモノだから……。


「そっか。それじゃあ……俺はもう、守ってもらわなくても大丈夫だから」

「――……え?」


 珠緒の顔から、初めて表情が抜け落ちた。

 そして。


「祈。祈は私がいないとダメでしょう? そうじゃないと、祈はひとりぼっちよ? だって、みんな祈を嫌うじゃない。そうでしょう?」


 駄々っ子を諭すような口調で語りかけてきた。


「俺は、ひとりじゃないから」


 信じられないと、珠緒が唇を戦慄かせた。

 その様子を眺めていた獏間は立ち上がると、ぽんと祈の肩を叩く。


「悪いな、錫蒔 珠緒。この子は、よく見えるいい眼を持っているし、性根もお前の所にいたにしては真っ直ぐだ。……だからこそ、お前みたいな小物に食わせるには惜しい存在だ。――僕が、もらっていくよ」

「は?」


 獏間の言葉を聞いて不機嫌な声を上げた珠緒の顔に、ぴしりとヒビが入る。

 少なくとも、祈の目にはそう映った。


 ヒビはどんどん広がり、やがてパリンと割れてしまう。

 そして中からのぞいたのは……。


「……っ、珠ちゃん?」


 真っ黒に塗りつぶされた、顔。

 その黒はよくよく見れば、節足動物の足のように顔から生えており、祈の声に反応するようにウゾウゾと蠢く。


「おいおい……ここまでとか、完全に人を外れてるだろう」


 静観していた笹ヶ峰が立ち上がる。

 そして、祖父母が悲鳴を上げた。


「これ、みんなに見えてる?」

「ああ。擬態を解いた、錫蒔 珠緒の本性だ。これを、貴方たちは知っていて隠していた、そうでしょう」


 祖父母は壁の隅で寄り添い震えている。


「仕方ないだろう! 娘がこんな化け物になったなんて、誰が信じる! 誰が助けてくれる!」

「いや。機会はあったはずだ。現にスズ君の母親は、一度は脱出に成功している。あなたたちが、我が身の負担を恐れて娘親子を売らなければ、彼女は今頃息子と平和な暮らしを謳歌していただろうな」

「……売った?」

「そうだよ、スズ君。親にだけは最後の情けで別れを告げに来た姉を、このふたりは許さなかった。だから、化け物になりかけている妹に教えた――姉が東京に逃げる気だと」


 それは、祈が見えなかった事実だ。

 なぜ獏間が知っているのかといえば……おそらくあの時……家に上がって祖父母と握手した時にふたりの記憶を見たのだ。現に、嘘ではないということを真っ青の祖父母が示している。


「だって家族なのよ? 姉が妹を見捨てるなんて……! それに、()()()()()()()()優しくて普通の女の子みたいに見えたから……!」

「こうって……じゃあ、記憶をなくす前の俺は――」

「僕の見たところだと、甥っ子には警戒されていたし、錫蒔 珠緒も懐かない甥っ子を嫌っていたようだね」


 だけど祈が全部忘れて、ゼロになった時。祈を心配しながらも、祖父母は夢を見てしまった。

 普通に戻れるかもしれないと。

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