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「お邪魔しまーす」
「失礼します」
おかしい。
祈は祖父母の家の玄関で靴を脱ぎ揃えながら、考えた。
(ファミレスじゃなかったのか?)
電話に出たのは珠緒だった。
祖父か祖母にかわってほしいと頼むと――ふたりは今、いないという。
それなら後で電話すると切ろうとしたら、獏間がなにやらメモ用紙に書いて見せてきた。
――家に行こう。
プラン変更の指示だった。祈は首を振ったが獏間は引かず、祖父母が帰るまで待たせてもらっていいかと聞くと珠緒は快諾した。
そして、こうしてやってきたわけだが。
「なんじゃ祈。帰ってくるなら、連絡くらいせい」
「……はい」
祖父も祖母も、普通に家にいた。追い返される様子もない。
それどころか、獏間と笹ヶ峰は珠緒が行方不明になった時、世話になった探偵と刑事だと知ると「孫が勝手をして申し訳なかった」と頭を下げつつ、友好的な態度だ。
獏間はそんな祖父母と握手までしている。
だが、祈は姿の見えない珠緒を気にした。祖父母はいたのに、いないなんて嘘をついた珠緒はどこでどうしているのか。
「珠ちゃんは?」
「……珠緒なら、出かけていておらん」
「そっか……ならいい」
「? なんだ、なにかあったのか」
「――母さんのことが知りたい」
客間に通され、各自が腰を下ろしたのを確認し、祈が口を開いた。
祖父とお茶を持ってきた祖母は揃って驚きの声を上げる。
「美琴の……?」
「俺は、母さんに捨てられたって聞いた。いらないから、この家に押しつけていこうとしたけど、ふたりに拒否られて、それでキレて出て行って、俺だけ殺すつもりで事故を起こしたって――」
ばん、と祖父が座卓を叩いた。
「一体、誰がそんなとんでもない嘘を言ったんだ!」
「……だから、ふたりは俺を嫌ってるんじゃねーの?」
「そんな……! 祈、そんなことあるわけないでしょ? お前がよそよそしかったのは、誰かにそう言われたからなの?」
祖母の顔が悲しそうに歪む。
祈が答えられないでいると、肯定にとったらしい祖父が声を荒らげる。
「くだらん! そんな馬鹿げた話があるか!」
「……だって……」
祈の前で、祖父母は本気で腹を立てて悲しんでいるようだった。
浮かぶ文字と、態度は矛盾していない。
「祈、どうしてそんなことを……」
祖母の悲しそうな声に、祈はうろたえた。
そして、力なく呟く。
「だって、珠ちゃんが、そうだって……」
途端、祖父母の表情が引きつる。
〝やっぱり〟
ふたりの顔に浮かぶのは、同じ文字。
「……近すぎると見えないって、こういうことっすか、獏間さん」
「一部ではあるね。……その眼で見えるモノだけが全てと思い、きみは表面だけをなぞってきた。見たモノが誰にむけられた言葉なのかと意識することはなかったんじゃないかい、大路さんの時まで」
その通りだ。
「まぁ、混乱していたきみに対し、周囲の状況はこうだと思い込ませたあちら側が上手なのかもしれないけれど……」
獏間はマイペースに、けれど正座して綺麗な姿勢で部屋に集まった全員の顔を見渡した。
「今なら気付くはずだよ。近しいモノの本当の形に」
祖父母の表情も、その顔に浮かんだ文字も、決して祈を嫌悪してはいなかった。孫に対する心配だけがある。だが――あと少しだけ届かない、腑に落ちない影がある。
祈の目のことなど知らないだろう祖父母は、解決した事件に関わったふたりが揃って現れたことに不可解そうで、獏間たちに関心をむけている。
「それで、あんた方は一体なんの用で?」
「ああ、僕は変わり種専門の探偵、そしてこちらが変わり種専門の捜査官。そして、スズ君は僕の助手。だたいま、捜査協力中でしてね」
完全に場の空気を支配した獏間が、軽妙に語る。
「――事件を調べています。ウチのスズ君にも関わる事件です。十年前、彼の母親である美琴さんが車で事故を起こし、亡くなっていますね」
「それは……」
「我々は、その件を調べ直しているんです」
瞬間、祖父母の顔が青ざめた。
「錫蒔 美琴さん、彼女は――殺された。つまり、十年前の事故は殺人事件とにらんでいます。娘さんを亡くされた無念はいかほどか……心中お察ししますよ。今こそ、無念を晴らす時です――ご協力、いただけますよね」
獏間が笑みを消す。
ひたりと静かな面持ちで祖父母を見る。
祈も、年老いたふたりを見て「あ」と呟いた。
腑に落ちない影。
届かない、あと少し。
それが今、獏間の言葉で動揺したふたりから、垣間見えた。
〝――なぜ、今さら! これまで誰にも気付かれなかったのに!〟
〝――どうして! 隠し通せたはずなのに!〟
決して喜ばしいモノではなかったけれど、これまでを考えれば納得がいく言葉だ。
「……あぁ、なんだ、そうか」
「坊主?」
笹ヶ峰が怪訝そうな、けれどもどこか心配するような声で呼びかけてきた。大丈夫だと答えながら、祈は立ち上がる。
「……知ってたんだ、ふたりとも。……最初から、知ってたんだな」
孫を心配する祖父母。
その気持ちに、嘘はないけれど――ふたりは親でもある。
娘を思う気持ちだって切り離せるものではない。
だけど、その気持ちは一方向に偏っていた。
だからだ。
この家の、居心地の悪さ。誤解だったはずの行き違いが何時までも解消されなかったわけ……この老夫婦は最初から、全てを知っていたから。
「珠ちゃんがやったんだ」
「違う! お前はなにを言っている、祈!」
「やれやれだなぁ。娘が、自分の手元から逃げていこうとした姉親子を許せなくて殺そうとした。目論見通り姉は死んだけど、その息子は助かってしまった。正直に警察に言うかどうか迷ったけれど、病室にはすでに娘がいて孫に優しくしていた――幸い孫も記憶をなくしていたから……どうにか隠し通して、この先も何食わぬ顔で生きていけると思った。子どもを生贄にして、人生の安泰を願う。素晴らしいね、まさしくソレは蜜の味だろうな」
獏間がしれっとした顔でお茶を飲みながら言うと、祖母が泣きそうな顔で叫んだ。
「あなたに、なにが分かるの! わたしたちが、どれだけのものをなくして、どれだけのものに耐えたか! 孫は大事よ、当たり前じゃない! でも、わたしたちになにかあったら、あの子は……娘はどうなるの!」
「孫か、あの子か。その前は、娘ふたりのどちらか。――選ぶ勇気もないくせに両天秤にかけるから、どうにもならない。そうやって中途半端に手をかけるから、生まれてしまったんじゃないか……化け物が」
「化け物……?」
呟いたのは祖父か祖母か。
それとも、祈自身だったか。
視線の先にいる獏間は、こくりと頷く。
「そう。この町に化け物痕跡があった。……放って置いたら県も飲み込むほど成長しそうでマズいな~ってレベルだったから、偉い人の判断で僕や笹ヶ峰刑事が来たんだよ。……でも、不思議なことにいくら探しても見つからなくてね。なんかもう飽きていたところで、きみに会ったんだよ、スズ君。妙なモノを貼り付けた、風変わりな人間。それでちょっとくっ付いていたら――はは、そりゃ見つからないはずだよね」
獏間はニタリと笑った。
「まさか、これだけの悪意をため込んで、悪いモノと完全同化出来る人間がいたなんて――そうだろう、錫蒔 珠緒」
かたりと物音がする。
障子の向こうの廊下に、笑顔を浮かべた珠緒が立っていた。
「おかえり、祈! 今日は祈の好きな、カレーだよ!」
いつも通り、変わらぬ様子で。