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どこでも見かけるありふれたワゴン車が、メイン道路を法定速度遵守で緩やかに走行していた。
その車内では――。
「錫蒔 美琴、当時の年齢は二十九歳。車で大橋から落下、ブレーキ痕もなかったことから、無理心中って判断されたようだな」
運転席には笹ヶ峰。そして助手席には獏間。
祈は後部座席にてタブレットを放られ、そこに記載されている内容を、笹ヶ峰の解説を受けつつ読んでいた。
「無理心中……?」
「ああ。近隣住民が、当日実家に帰ってきた錫蒔 美琴……つまり、坊主のお袋さんを目撃している。そして、言い争うような大声を聞いたともな。その後、怒った様子で実家を後にするお袋さんを見たって言うから……シングルマザーが実家を頼ったが拒絶され、わが子を道連れに無理心中を図ったっていう推論だ」
「……やっぱり、そうなんすか」
「やっぱり?」
「いや、叔母が……俺の母親は、俺を捨てたがってたって。実家に置いていこうとしたけど祖父母に断られて、事故を装って俺を殺そうとしたんだって……」
ハンドルを握る笹ヶ峰は、ミラー越しに祈を見て顔を歪めた。
「おい、待て。それ、お前がいくつの時に叔母さん言ったんだ」
「いくつって……」
問われて祈は考える。
あれは目を覚まして少し後、退院する前だった。
だから……。
「九歳っす」
「……おい、悪食。どうなってる。どう見ても黒だぞ、なんで野放しにしてんだ」
助手席の獏間は、うるさそうに顔をしかめた。
「笹ヶ峰刑事、僕は別に法の代行者ではないんだよ。秩序的な存在でもない。ただ、飯の種にありつけるから、君たちに協力しているだけだ。それに当時、僕はこの町に来ていないよ」
「ああ、そうだな。クソッ」
なにやら、険悪だ。
祈が戸惑っていると、笹ヶ峰は慌てて咳払いした。
「まぁ、あれだな、坊主。……お前の叔母の言うことは、いささか行き過ぎかもしれん。当事者目線だから、色眼鏡が加わってる、とかな」
「……嘘をついたってことっすか」
「いや、嘘っつーかな」
「それとも……それが、珠ちゃんの中では正しいことだったって意味っすか?」
「っ」
笹ヶ峰は黙り、獏間は口笛を吹くと手を叩いた。
「分かってきたじゃないか、スズ君。いや……ようやく、閉じていた眼を開く気になったのかな。よしよし、いいことだ」
「おい、獏間……!」
「笹ヶ峰刑事、ウチの助手のスズ君は僕が見込んだ存在だ。――きみたち同様、柔じゃないんだよ」
真剣な口調で獏間が言うと、笹ヶ峰の表情も引き締まる。
祈も、そこまで自分を買っていてくれたのかと驚いたが。
(あ、まて、これ、絶対アレだ……)
その後に続く言葉を、祈はなんとなく想像できた。
「獏間さん、持ち上げといてどうせ、後でこう言うっすよね? そうだったらいいなーと思ってるーとか」
助手席から身を乗り出し振り返った獏間は、祈を見て笑った。
「はは、大正解! 花丸をあげようか、スズ君」
いつも通りの彼に、祈も釣られて笑ってしまう。
「いらねーって……と思ったけど、まぁ、今日はありがたくもらっときます。アンタの期待に、添えたらいいなーってことで」
獏間はその返事に目を丸くし、運転中の笹ヶ峰に「聞いたか」と尋ねる。
「良い子だろう? ウチの助手、良い子だろう?」
「うざったい、やめろ! お前はいつから孫に目がないじーさん化した!」
「いや、僕も自分にこんな一面があるなんて、初めて知ったよ」
「……俺も、悪食野郎にこんな情緒豊かな面があるなんて、初めて知ったよ。……すげーな坊主」
感心される要素が、まるで分からない。
どちらかというと、なんだかんだ言いつつ付き合いのいい獏間こそ「すげー」と思う祈なのだが。
「というわけだ、笹ヶ峰刑事。僕に新感覚を教えてくれた、こんな良い子が巻き込まれた事件だ。普通であると思うかい?」
「……なるほどな。子どものほうが、引き寄せやすかった……か。……まぁ、それなら洗い直す価値はある一件だな。だが、いいのか」
「え?」
笹ヶ峰は、ミラー越しにしっかりと祈を見すえていた。
「過去の事件を洗い直すってことは、一度フタしたモノを暴くってことだ。――しんどいぞ、覚悟はあるか?」
「…………」
「ないなら、坊主は家で大人しく待ってろ。この悪食野郎なら、数日以内に解決するだろう」
「それじゃあ、意味がないっす」
「あん?」
そう。獏間に頼っては、今までとなにも変わらない。
――変われない。
「俺は……ちゃんとしたい」
「ちゃんとしたいって……坊主、それは」
見るべきものを正しく捉えたい。
そして……楽に息がしたい。
「俺は、自分の呪いを解きたいんす。それに過去の事件が関わるのなら、ちゃんと向き合いたい」
だから、頼みますと祈は獏間と笹ヶ峰に頭を下げた。
「チッ……分かったよ。それじゃあ、手始めに当時の関係者を当たるぞ」
「ありがとうございます……!」
「礼は言うな。――どうしたって、お前さんはこれからしんどい思いをするんだからな」
そう言って、笹ヶ峰はハンドルを切った。