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「けーちゃんの、友人って……まさか」
「……るりちゃんのこと、ですか?」
祈が続けることを躊躇った先を、蛍自身が問いかけた。
すると、獏間は頷く。
「そんな! だって、るりちゃんは自殺だったんですよ!? アタシを恨んで、それで……!」
「たとえば四六時中、後ろから小声で悪口ばかりを囁かれ続ければ、人はどうなると思います?」
取り乱す蛍に対して、獏間はあくまで穏やかな口調で続けた。
内容は、その口調とは真逆であるため、ギャップが際立つ。
蛍には、こんな時でも微笑みを絶やさない獏間が得体の知れないモノに見えたのだろう、ひっと喉を鳴らした。
「あれ、嫌われてしまったかな? ――それじゃあ、スズ君。かわりに答えて」
獏間は、自分にむけられた恐怖心に気付いただろうに、気にとめた風もなく、教師の真似事のような口調で祈に水を向ける。
どんな時でも、獏間は変わらない。
揺らがない。
「……獏間さん、デリカシーってもんを勉強した方がいいっすよ」
「デリカシー? そんなことを気にしていたら、飯の種にありつけないよ。ほら、はやく、答えは?」
獏間は大人で、時に無邪気な子どものようだ。
それでいて、常に自分のペースを崩さない。
きっと、ある場面では頼りがいを感じるだろう。
けれど、また違う場面だと、薄情だと怒りを買ったり、気味が悪いと畏怖される――獏間自身は、なにも変わっていないのに。
(……もったいねーの)
今の蛍にだって、そうだ。
言葉の選び方さえ間違えなければ、きっと蛍は心を開いた。
獏間は蛍の幽霊話を否定することなく耳を傾け、手を差し伸べた唯一だろうから。
それなのに、獏間はたった今、培われていた信頼を台無しにした。
ためらいも頓着せず、自分自身で。
(それは、よくないよな)
とてももったいないし、残念だ。
これは、助手としてよろしくないと思う。
「探偵である獏間さんの質問に答えるのは、助手の俺じゃない。……けーちゃんだ」
「あ、アタシ?」
「この件の依頼人はけーちゃん。だから、獏間さんが助けたいのは、けーちゃんとけーちゃんの友だちなんだ」
「……アタシたちを、助ける……?」
「うん」
意外そうに、蛍は目を瞬く。
「先を聞くのは怖いかもしれないけど、でも、大丈夫。獏間さんが聞いているのは、必要なことで、ちゃんと答えれば必ず助けてくれる。――俺も、けーちゃんのこと守るから」
「……助けて、くれるの? アタシのことも?」
友達を死に追いやった無神経な自分は、助けてもらう資格があるのだろうか。
蛍の顔に浮かぶ文字に、祈はしっかり頷いた。
「依頼人を助けるのが、探偵の仕事だ。そうっすよね、獏間さん」
「……きみは、また、そうやって……驚くなぁ――まぁ、いいよ。今回は、乗せられてあげよう」
呟くと、獏間ははっきりと頷く。
「うちは、変わり種専門の探偵事務所です。――変わった事象に悩む依頼人ため、事件を解決するのが仕事であり……飯の種ですから」
笑った獏間は、先ほどより気安い――親しみがうかがえた。
人間味を感じる笑みに、蛍の表情からも強ばりが消えていく。
大丈夫だったろうと祈が笑えば、蛍はこくりと頷いて……それから、少し考えるように黙る。
やがて、意を決したように顔を上げた。
「……所長さんの、質問ですけど……そんな声が、ずっと近くで聞こえたら……アタシだったら、おかしくなると思います。だって……」
「だって?」
「それって、今のアタシの状況と、まったく同じだから……!」
「でしょうね」
蛍の訴えを、獏間はさらりと肯定する。
「貴方はご友人の無念がそうさせているのだと思い、罪悪感から耐えようとした。……けれど、次第に実害も出てきた。ご友人が幽霊となり自分を害し……その後は、無関係な人たちを巻き込むような悪霊の類になり、この世をさ迷い続けるのでないかと思い――この手のことに詳しい大人に相談したんでしょう」
蛍が、目を見開きポカンと口を開けた。
おそらく、ほぼ正解に等しい指摘だったのだろう。
「それが、笹ヶ峰刑事」
「え、あの刑事さん? けーちゃん、あの人と知り合いだったのか?」
「あ、うん、前に足を引っ張られて転んだところを助けてもらって……それで、怪奇現象で悩んでるなら、命が危うくなる前にここを頼れって……」
「……え、笹ヶ峰さんって、事務所の宣伝してくれてるんすか?」
「いや、あの男は世話好きなだけだ」
獏間がそう締めくくれば、蛍は納得したように頷いた。
「そっか、アタシのこと刑事さんに聞いてたんですか……だから、詳しかったんですね。よかった……心でも読まれたのかと思って、ちょっと怖かったから」
安心したとばかりに笑う蛍。
祈は後者が正解だと思ったが、大きく頷いておいた。
「だ、大丈夫! この通り、獏間さんもとっても面倒見がいい人だから! あ、安心しろよ!」
「ん、ありがとう、ノリマキ……」
蛍からは純粋に感謝されつつも。
「ははは、面倒見がいい僕からしたら、なんでスズ君の声が裏返っているか不思議だな」
「い、いやぁ、知ってる刑事さんの名前が出てきたことにびっくりして! 俺ってほら、バイトだから! 獏間さんの交友関係はよく知らないし、あっ、刑事さんのことは、知ってたけど、怖そうな人だなーって思ってたから、意外でさぁ」
「笹ヶ峰さん、顔怖いけどいい人だよ」
「そっか~」
蛍のフォローに頷きつつ、祈は余計なことを言わないでくれと獏間を見る。
「……嘘がつけない子だな、スズ君は」
「あ、そうですね、ノリマキは昔から正直でした」
同意する蛍に、獏間はにこやかに頷く。
蛍の獏間に対する恐怖心が払拭されたところで、蛍が抱える本当の事情を獏間が語り出す。
それは、蛍も知らない裏事情だった。
「大路さんの友人は、今大路さんが陥っている状況と同じ事態に追い込まれ……そして、極限状態に追い込まれるまで抗ったが敵わず、命を落とした」
「そんな……でも、遺書は? るりちゃんの遺書は、たしかに本人の字でした」
親御さんが泣きながら見せてきたと、蛍は声を落として呟く。
「状況的には、取り憑かれたと言えばいいかな。ご友人は、誰もいないのに聞こえる声に悩まされ……おそらく、貴方にもこんなことで頼れないと思ったのでしょうね……ひとり立ち向かおうとして、悪意に呑み込まれた」
「待って! ……待ってください、それじゃあ、まるで――」
殺されたも同然じゃない。
蛍の呆然とした呟きに、祈も全くの同意だった。
そして、それは獏間の見解でもあった。
「そうです、大路さん。貴方のご友人は、貴方を強く恨む誰かの悪意によって、心を食い殺されたんです。後に残った体は悪意に操られるまま――普通の人には決して見破られない偽装工作をして、肉体も破壊した。あなたが、より多くの人に恨まれるように。より酷く傷つくように」
それが誰なのか。
身に覚えがあるだろうと獏間は問いかける。
ずっと蛍を恨んでいる人。
当時から現在に至るまで嫌い抜いているというのに、必ず視界に入る人。
「ま、さか……」
どんどん、話が繋がっていく。
「波柴、さん?」
蛍に嫉妬し、グループから追い出した女子。
事実無根の噂を流し、蛍を孤立させようとしていた相手。
高校を卒業しても、まだ――同じ大学に進学しており、蛍に悪態を吐き続けている、執念深い存在。
波柴――それが、蛍が死んだ友人の恨みから始まったと思っていた、幽霊ストーカーの正体だった。




