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悪ジキ〜その探偵は悪を喰い助手は悪を識る〜  作者: 真山空
弐 幼なじみを狙うモノ
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 つらい記憶を思い出したのだろう、蛍は目を伏せた。

 親友とも呼べるほど仲良くなった彼女とは、お互いの家に遊びに行くこともあった。

 ある日、彼女の家に遊びに行った時、偶然知り合ったのが幼なじみ――他校に通う同い年の男子だった。

 最初は、あいさつ程度だった。

 だけど親同士が仲がよく、家も隣同士のためか――蛍が遊びに行けばその男子と会う機会が増えていった。話しかけられる機会も多くなって……蛍は、自意識過剰だと思われようと嫌な予感がして、彼女の家には行かなくなった。

 けれど、ある日学校帰りに声をかけられ……告白されてすぐに断った。このことを、蛍は親友に言い出せなかった。友人関係に異性が入ってきて関係が壊れたことは、蛍にとってある種のトラウマになっており蛍自身臆病になっていた。


『ねぇ、蛍。アイツの告白を断ったって本当?』

『……なんで、それ……』

『断ったのって、私のため? 私とアイツが幼なじみだからって遠慮したの?』

『ち、ちが……』


 話を切り出したのは親友だった。幼なじみから聞いたと言われ、蛍はしどろもどろに言い訳したが親友はそんな蛍を笑い飛ばした。


『蛍、焦りすぎ。……私に変な遠慮して、断ったんじゃないんだね?』

『違うよ……! アタシ、好きな人がいるし! それに、あの人は親友と仲いい幼なじみだから失礼なことしないようにって接してただけで……恋愛対象じゃないし!』


 思ったことを、蛍はそのまま口にした。

 前のグループにいた時は、裏切り者だと罵られたが……親友はやっぱりねと納得したように笑った。


『そうだよね、蛍は私に前から好きな人がいるって教えてくれたもんね』

『信じてくれるの?』

『当たり前でしょ。友だちだもん』


 蛍は予想外の反応に戸惑って……それから泣いてしまった。友だちでいられなくなることが怖かったと言えば、彼女はやっぱり笑っていた。


『友だちだよ。蛍が好きなものに一途なのはよく知ってるもん。だから、ほら、泣かないでよ。あと、アイツにはよく言っておくから、これまで通り家にも遊びに来てよ』


 思ったことを、はっきりと告げたおかげで親友に誤解されることも、彼女と仲違いすることもなかった。だから、蛍は元通りだと思っていたのに――親友は死んだ。


「遺書が、残っていて……好きを汚されるくらいなら、死ぬって……走り書きで』


 その遺書の内容が知られた時、誰もが口を揃えてこう言った。


『――やっぱり』

『彼女の好きな人も、やっぱ大路さんになびいちゃったんだ』


 自分たちの都合のいいように解釈して、好き勝手に言った。

 お葬式の時、親友の母親が泣きながら蛍を詰った光景が決め手になった。

 思った通りだと誰かが声を上げ、自分の悪評にどんどん尾ひれがついて広がっていく。

 かつて属していたグループのリーダー格の女子……蛍を目の敵にした女子が、特に声高に噂した。


『あの男好き。また男を取ったんだって! それで、今度は人を殺してるの!』


 事実無根だと、蛍は相手にしなかった。

 でも、心ない噂は決して消えなかった。

 そして、今度は手を差し伸べてくれる子は現れなかった。


『――誰だってさぁ、友だち面して男盗っていく女になんか近づきたくないよね』


 もう誰も、蛍に近づく人はいなかった。

 ただ、嫌な笑い声だけが、ずっと蛍に付きまとい続けた。


 顔を上げて、前だけ見て。

 なんてことないふりをして。

 そうやって残りの高校生活を終えたけれど、もうダメだった。

 

 これまでは、どんな噂を言いふらされようと、ありもしないことだと堂々としていられた。

 けれど親友に関する噂は、嘘だとわかっていてもダメだった。耐えられなかった。

 蛍は気づいてしまったから。


「だって……アタシ、聞いてなかったから……」


 蛍は、親友に自分の思っていたことをはっきりと伝えた。彼女はソレを受け止めて笑ってくれた。

 だけど、彼女の思いは?

 蛍はなにひとつ聞いていないのだ。あの子が幼なじみの彼をどう思っていたかすらも。


 ――もしかして、親友は本当は幼なじみを好きだったのではないか。

 ――親友こそが、自分に遠慮して思いを押し殺し黙っていたのではないか?

 ――だとすれば、あの時思いのままに語った自分の言葉は……意図せずともあの子を傷つけたのではないか?


 優しいあの子は、それでも自分が泣いていたから、気持ちを押し殺して笑っていたのでは?


 湧き上がった疑念を、蛍は打ち消すことができなかった。

 死んでしまったあの子には、もう真実を聞けない。

 大路 蛍は親友の好きな人を盗った挙げ句、親友を傷つけ死に追い込んだ――酷い噂話だ、デタラメだ、そう言って否定するだけの材料を蛍は持っていなかった。


 だから蛍は逃げた。


 昔住んでいた地方の大学を選んだのは、あの場所を離れたかったからだ。

 他の県でもよかったけれど、なぜかここがいいと蛍は思った。

 原点でやり直したいと無意識に考えたのかもしれない。

 そして大学生になり新しい生活を始め、頑張っていこうと思っていた矢先。


 ――自分を追いかけてくる、足音が聞こえるようになった。


 四月からずっと、気のせいと思いながらなんとか過ごしてきたが、とうとう姿の見えない誰かに、手首を掴まれた。


 痣が残るほど強い力だ。

 心霊現象だろうかと考え、これほどまでに自分を恨んでいる人なんて……頭に浮かんだのはひとりだけ。自分が無神経な言葉で傷つけてしまっただろう、亡き親友だけだった。


「ノリマキにも、昔酷いこと言って……なのに、また同じこと繰り返して……。バカだよ。後悔しても、謝っても、もうどうにもならない……。だから、あの子も怒ってる」

「……それは、けーちゃんの思い込みじゃないか」

「――え」


 涙に濡れた蛍。その眼差しが、驚いた様子で祈を捉えた。


「いや、説明しづらいんだけど……けーちゃん、その友達のことで自分を責めすぎてないか?」

「そんなことない! だって……!」

「全部、悪いのは自分だから?」

「どうして……?」


 どうして分かるのか。

 それは、見たからだ。

 蛍の背中に浮かんだ文字が、自身を傷つけるようにグサグサと体に刺さっていく痛々しい様子を、祈はこの目で見てしまったから。


 それから、もう一つ、見てしまったモノがある。


「……けーちゃん、一つ確認したい」

「な、なに?」

「今の話に出てきた、けーちゃんとトラブった女子ってさ……もしかしたら、同じ大学にいないか?」


 蛍の顔から、さっと血の気が引いた。


 ――蛍をグループから追い出し、事実無根の噂を流していた女子。

 男好きだのなんだのと、ずいぶんと酷い噂を流したようだが、祈は大学の構内で似通った内容の文字を目にしていた。


 人の流れの中でも、はっきりと確認できた鮮明な文字。

 あれは……それだけ強く根深いモノだからなのではないか。


 蛍の話を聞いていて、ふと祈は思ったのだ。

 自分の言葉で自分を傷つけている蛍のように、相手にも、それだけの悪意が心に巣くっていたら?


「いるんだな?」

「な、んで、それ知って……もしかして、あの時、見たの? アタシが波柴はしばさんに言われてるところ……!」


 蛍の言うあの時が、何時を指しているのかは、顔を見ればすぐに分かった。

 祈が講義終わりに教室に迎えに行った時、悪意の文字を目にした、あの時で間違いない。


「そっか。じゃあ、俺が教室に迎えに行った時、急に様子がおかしくなったのは、その……ハシバさん? その人が、すれ違い様になんか言ったからか」


 人の流れの中で、足を止めることなく自然に――楽しそうな蛍とすれ違う時に、ぼそりと耳打ちしたのだろう。


「なんで俺に言わなかった?」

「だって、ノリマキたちにお願いしたのは、幽霊のストーカーのほうで……助けてほしいのは、アタシじゃなくてあの子だから……!」

「……そういうことか」


 蛍は自分のストーカーは幽霊になってしまった親友だと思い、自分のせいで成仏できない彼女を助けてほしいと持って獏間を頼った。つまり、最初から自分のことは二の次だったのだ。


 だが――。


「俺は、その親友が犯人だとは思わない」

「ノリマキ?」

「だって、その子はけーちゃんを友だちだって言ったんだろ……だったら、幽霊になろうが怖がらせたりしないだろ」


 蛍のことを強いと評し、蛍からもまた強いと賞賛された親友だ。

 本音を隠して諾々と蛍に追従していただけとは考えられない。

 

「だって、けーちゃんの友だちだろ? それなら、絶対にいい奴に決まってる」


 祈りが断言すれば、蛍は呆けたような顔をする。そして、獏間はやれやれと肩をすくめた。


「きみはお子様だな、スズ君」

「は? だって、嫌がらせってのは嫌いな奴にするもんでしょ?」

「ははは、うちの助手君は単純明快でいいなぁ――だが」


 なぜ笑われたか分からない祈だったが、獏間の雰囲気から真面目な話になると見て取り口を噤む。


「僕としても、今回の一件はスズ君の意見に同意です」

「……あの子じゃないってことですか?」

「はい」

「じゃあ、一体あれは、なんなんですか? アタシ、ここに来るまでも、誰かにずっと追いかけられて……」

「念でしょうね」

「「ねん?」」


 さらりと告げた獏間の言葉に、祈と蛍の声がハモる。


「信念、執念、怨念……念とはつまり、人が抱く思いです。かみ砕いて言うと、貴方に対してかなりの悪意を抱いている人がいます。この人の悪意が、体内蓄積量をオーバーしました。結果、あふれ出ちゃった悪意が集まって、対象である貴方にやたらめったら攻撃しに来ている、といった感じです」


 蛍は絶句し、祈は恐る恐る口を開く。


「蓄積量、とかあるんすか?」

「うん。許容範囲ともいうね。なにごとも、やりすぎはよくない」

「――じゃあ、その悪意垂れ流し状態の人をなんとかしないと、けーちゃんは……」

「ずっと、目には見えないモノに追われ続けることになる。それこそ、死ぬまで」


 にこりと獏間は綺麗な笑顔でえげつない言葉を吐いた。


「大路さんのご友人が、そうだったようにね」

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