3
『錫蒔くん、困るんだよ。きみがいると、騒動ばかり起こる。他のお客様の目もあるし、悪いけどさ……』
目を覚ました祈が痛む頬もそのままに店長の所へいくと、店長は愛想笑いを浮かべて部屋の中へと迎え入れた。
そして表面上は申し訳なさそうに辞めてほしいと告げられた。
祈に驚きはなかった。
店長がどれだけ愛想よく振る舞おうと、申し訳なさそうな声と表情を作ろうと、ドアを開けた時から顔に浮かんでいる文字が店長の本音なのだと分かっていたから――きっとまた、こうなるなと予想出来ていた。
祈のどこかしらけた心境など知るはずもなく、店長はなおも言い分を並べていた。
いわく、祈が出る日はアタリが多すぎる。祈がシフトに入っている時に限って、こういった問題が起きるのは異常ではないか――もしかして、祈に原因があるのではと問題視する者が増えているのだと。
『きみはそんなことしないと、私は思っているけどね。だけど、今回こんな騒動になっちゃったから……他のパートアルバイトさんたちの手前もあるし……なにより、常連さんもね……』
いつぞやは、釣り銭泥棒で同じ時期に入ったバイトが警察の世話になり、その前は金があるのに万引きした老人、初犯を騙った常習の学生など……祈が採用になってから、祈がいるときに限り、問題が多発する。
それを、お客さんや従業員が「彼がなにか工作しているのでは?」と噂しているというのだ。
ただの、バカバカしい噂話だ。祈はそう言ったのだが。
『うちは、長く勤めてくれてるパートさんや、地域のお客様に支えられてやっていけてるんだよ。だからね、分かるだろう? 正直、変な噂が立つのは、さぁ? ほら、お互いに、嫌だろう?』
諭すような口ぶりで語り、祈の肩に手を置いた店長。
その顔には、大きく〝うざったいガキ〟と書いてあった。
結局、ソレが本音なのだ。なるほどと腑に落ちて、やっぱりなと納得して、それから、祈は諦めた。
――万引きに困っていた店長だが、万引き犯を捕まえて騒ぎを起こされるほうが、もっと嫌だったのだ。 そう察した祈は、食い下がることはしなかった。
『そうですか……分かりました。どうも、お世話になりました』
〝あ~、やっと勘違い正義感クンが消えてくれる!〟
望む一言を引き出せただろう店長は、目一杯申し訳なさそうな表情を作りながらも心の声は誤魔化せない。
顔に浮かぶ文字は軽やかで躍るように揺れている。
いなくなるのが、本当に嬉しいようだ。嫌われすぎだろうと苦笑いしたくなった祈だが――どこへ行ってもこういうことの繰り返しだったので、もう乾いた笑いも出そうになかった。
+++ +++ +++
本当に、この世は生き辛い。
見えなくてもいいものが、多すぎる。
(今度こそ、大人しく過ごそうと思ってたのに、俺って馬鹿じゃん……)
クビ確定の状態で、祈はトボトボとスーパーを出る。
(家は頼りたくないし……貯金には手をつけたくないし……さっさと次を見つけないと……)
アパートで一人暮らしの祈は家賃や食費など諸々の金額を頭の中で計算しつつ大きなため息を吐いた。備えあれば憂いなし、やはり早急にバイトを探さなければと思いながら数歩ほど行ったところで、ふと人影に気付いて足を止める。
「やっ、勤労青年」
祈の行く手を遮るように立っていたのは、スーパーで起こした騒ぎの中、仲裁に入ってくれたスーツ姿の客だった。
「きみに話があるから、ちょうど店に行くところだったんだ。今帰り? 行き違いにならなくてよかったよ」
朗らかに笑う相手に対し、祈はぎこちない愛想笑いで答える。
「えっと、俺に話ですか? さっきのパンの件だったら、店長に……」
「ああ、そっちはどうでもいい」
笑顔がすっと消えて、欠片も興味がなさそうに言い放つ相手に、祈は戸惑いを覚える。
(なんだろう、この人、妙にやりにくい……つーか、パン泥棒の件じゃなかったら、一体なんの用だ?)
訝しむ祈だが、相手はお構いなしで、ぐいぐいと距離をつめてきた。
「言っただろう、僕はきみに用事があるんだ。仕事が終わったのなら、少し時間をとれないかい?」
その言葉に、祈は皮肉っぽい気持ちになる。
「仕事終わりって言うか、クビですけどね」
「は?」
相手がポカンと口を開けた。
(あー……しまった。これは八つ当たりだ)
ましてや、相手は窮地に追い込まれた自分を助けてくれた人だ。
こんな失礼な態度はないだろう。
「すみません、完全な八つ当たりでした」
すぐさま、祈は頭を下げたのだが――相手の反応は、怒るでも受け流すでもなく……。
「それは好都合!」
なぜか、大喜びだった。
「は? いてっ! ちょ、なんっすか!?」
満面の笑顔で遠慮なしにバシバシと祈の背中を叩いてくる。
「いやぁ~めでたい! 実に好都合だよ、勤労青年! この正直者め!」
「人がクビになったのに、なにがめでたいんっすか! こっちは次のバイト探さなきゃいけなくてウンザリしてんのに……!」
「それなら、ウチで働きなよ」
「――は?」
なんなんだ、この人――祈は、若干苛立った。
背中を叩く無遠慮な手から逃れつつも、今しがた自分の耳が拾った言葉が信じられず、剣呑な声を上げる。
「……胡散臭い勧誘とか、お断りなんっすけど」
「うん? ああ、そうかそうか、うんうん」
それでも、相手は気を悪くした様子もなくニコニコと人好きのする笑顔を浮かべたまま、ごそごそと懐を探る。
「申し遅れました。僕、こういう者です」
そして、差し出された名刺には――。
「え……えーと……探偵? 探偵さんっすか?」
なんて読むのだろう。
答えに窮する字面のなかで、かろうじて拾ったのが探偵事務所という文字。
祈が思わず口に出すとスーツ客、改め胡散臭い探偵は、ますます楽しげに笑みを深めて頷いた。
「そう。変わり種専門のね――どうだい? きみ向きじゃないかい?」
それは一体、どういう意味だ。
そんな風に言い返すことも忘れて、祈は初めて見る業種の人間を見つめた。
だいたいの人は、つり目の祈がじっと見るとにらまれていると思うのか不快感をあらわにする。
だからこそ、祈も不躾に見つめたことに気づいて「しまった」と思ったのだが、スーツ青年はなにひとつ表情が変わっていない。
(……なんだ、この人)
変化がない。まるで凪いだ水面だ。
微動だにせず微笑んでいる相手が、祈には宇宙人かなにかのように思えた。