第5章
ラッシュフォードが何故レディアにそれほど固執したのかというと、彼女が初めて彼を理解し受け入れてくれたからだ。
幼い頃から両親や祖父母、姉達も皆ラッシュフォードを可愛がってくれた。彼はアソート公爵家の待望の跡取りだったからだ。
しかもラッシュフォードは天才だった。一歳になって歩き始めると同時に話し始め、三歳の頃には既に読み書き計算ができるようになった。公爵家は大喜びだった。
ところが周りの者達は誰も気付かなかった。確かに頭脳的には天才だったが、精神面というか感情面はそれに伴っていなかったということを。
いや、寧ろ平均的な子供よりも情緒が乏しく、しかも自分の感情を表現することがとても苦手な子供だったということを。
彼は自分の感情を上手く口に出すことができずに、絶えずイライラしていた。
放っておいてくれれば、いや、ただ見守ってくれてさえいたなら、彼は彼のスピードで考え、自分の気持ちも表せただろう。
しかしなまじ天才的頭脳を持っていたために、即感想や意見や答えを求められた。焦らされるとラッシュフォードはパニックを起こしてわけがわからなくなった。
そんな彼をやがてみんなは、我儘で癇癪持ちで面倒な子供だと決め付けたのだった。
そして五歳になった頃、彼の状況がさらに悪化した。家族だけでなく、伯父である国王夫妻や父方の祖父母である前国王夫妻まで、ラッシュフォードを見るとオドオドと怯えた目をして、まるで腫れ物でも触れるように接するようになったのだ。
誰も彼を叱らなくなった。
誰も彼に逆らわなくなった。
誰もが彼の望みを叶えてくれた。
誰も優しい言葉をかけてくれた。
だけど……
誰一人として心がこもっていなかった。
誰も心から彼を愛してくれなかった。
誰も彼を本気で心配していなかった。
以前酷い癇癪を起こした時、ラッシュフォードは護衛の男に無理やりに水薬を飲まされたことがあった。
その後、今まで味わったことがないくらいに気持ちが悪くなった。目眩がして頭の中がぐるぐると回り、吐き気をもよおし、苦い胃液が出るほど何度も吐き続けた。
数人の護衛達に体を押さえ付けられ、ラッシュフォードは泣きながら暴れまくった。
するとガタガタと物凄い地震があって、居間の棚の上の装飾品や置き物が床に落ちて壊れる音がした。
書籍棚から本が飛び出して辺りに散らばった。
壁にヒビが入り、床が割れた。母親や姉の悲鳴が上がった。
それ以降家族や家の者達はそれまで以上にラッシュフォードの顔色をうかがい、彼を恐れるようになった。
「鎮痛剤だと医師に言われて飲ませたのに、お前に合わなかったようだ。悪かったね」
と父親から謝罪をされたが、あれは毒に違いない。護衛に命じて無理矢理に飲ませようとしたくらいだから、まともな薬ではないだろう。ラッシュフォードは幼心にもそう思った。
その時ラッシュフォードの中にわずかに残っていた肉親への情は跡形なく消え去り、彼は一層孤独になった。
そしてそれから一年後、ラッシュフォードはレディアと初めて出逢ったのだ。
『ミカモン魔術公国から来ただと? つまりこの子は魔法使いだってことか?
俺の家庭教師だと言っていが、まさか魔法で子供に化けているのか? 俺と親しくなるために?
でも本当に魔法使いなら、この王宮の嫌な奴らを痛めつけて欲しいんだけどな……』
「それならこちらの公爵家に来る前に、少しやっつけておきましたよ」
「えっ?」
まるでラッシュフォードの心の声が聞こえたかのようにレディアはこう言うと、ニッコリと笑った。
その悪戯をしてやった!というような無邪気な笑顔に彼はハートを貫かれた。
それまで彼は、作られた嘘の笑顔しか見たことがなかったからだ。
それからラッシュフォードとレディアは、寝る時とお風呂と身支度を整える時以外はいつも一緒にいた。
彼女はラッシュフォードのような天才ではなかったが、とても優秀だった。その上彼女は彼の心を読むことができたので、いつも彼の感情に寄り添ってくれた。
他の者達のように返事や答えを急かすこともなく、いつまでもニコニコと待ってくれていた。
そして他人に対しても彼の気持ちを察して上手くあしらってくれたので、彼は人と接する時もずっと楽になった。
「ねぇ、ミカモン魔術公国の魔法使いって、みんな魔法を使って人の心が読めるのかい?」
「まさか! そんなことはありませんよ。第一私が人の心を読めるのは魔法を使っているからではありません。
私特有の特殊能力です。誰でも何か一つ特殊能力を持っているでしょう?
見た物を全て記憶できるとか、人の声を聞き分けられるとか、植物を枯らさずに育てられるとか、一度食べれば同じ味を再現できるとか……
ラッシュフォード様にもありますよね。文字を読むことなく見ただけで内容を理解できる能力をお持ちでしょ? 暗算も瞬時にできますよね? 発想力も素晴らしいし。
貴方は一つだけではなくてたくさんの素晴らしいものを持っておられますよね。
ああ……それから、魔王様と感情をシンクロできるという特殊能力も。
あっ、そんな能力なんていらない!って今思われましたね?
確かにたとえ人に羨ましいと思われる能力だったとしても、本人にとっては有り難くないことも多いのでしょうね」
「その口振りだと、君もその能力が嫌いなの? とても素晴らしい能力だと思うのに。だって誰が自分をどう思っているのかが判れば、危険を回避できるし、嫌な思いをしなくても済むだろう?」
「いいえ。人の裏の顔ばかり知るのは辛いことですよ。確かに疑心暗鬼にはならなくて済むのでしょうが。
それに全ての人の心が同時にわかるわけではないんですよ。だって大勢の人の心が一斉に入り込んできたら心も頭の中もパニックに陥りますもの。
集中して一人に絞らなければ正確に人の心の中は読めませんわ。
それはそうと、魔法使いという言葉は古いです。魔術師と呼んで下さいね、ラッシュフォード様」
ラッシュフォードは、最後につけ足されたレディアの苦情など聞いてはいなかった。
集中して一人に絞って心を見る……
『つまりそれは、レディアがいつも自分のことを最優先して考えてくれているということだ。だってそうでなければ、こんなにも俺の気持ちを察してくれるはずがないもの』
ラッシュフォードはそのことに気付いて嬉しくて仕方なくなった。今まで自分を一番に考えてくれる人なんて誰もいなかったのだから。
するとそんな彼の考えは正解ですとでもいうように、レディアは優しく微笑んでくれた。
その天使のような笑顔を見た時、ラッシュフォードはレディアと結婚してずっと一緒にいたいと思ったのだ。彼女を誰にも取られたくない。だからすぐに婚約したいと。
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