ゲーム世界に転生した私は何が何でも生きていたい
※読み手を選びます。ご注意ください。
※ドロドロ甘いという感じではなく、淡々とした内容になっております
世界は滅亡への道を静かに歩んでいた。木々が枯れ、水は濁り、空気は淀んでいく。全ての始まりは世界を支える世界樹に病が発現した事だろう。美しく雄大な大樹にぽつんと現れた黒い染みは次第に大きく広がり、世界樹は気付けば病に侵されていた。
大陸を覆う程に広く張り巡らされた世界樹の根は、病を容赦なく広げていった。土地は世界樹の根から吸い上げた力を循環させていたせいで病まで循環させたのだ。結果としてその世界に住むモノ達も病に倒れていった。
世界には多くの種族がいる。エルフ、獣人、ドワーフ、巨人族、妖精、人間、魔族など。その世界に生きる多くの種族の者達が病に倒れたが、被害が大きかったのは女の性を持つ存在だった。
原理はわからない。しかし子を孕むことが出来る女の胎は壊され、女は次第に数を減らしていき、ついに多くの国々は女を最優先に保護することにした。幸いにして男は病に侵されても幾日もすれば回復することもあれば死を迎えることもある。
しかし、女は病に感染すれば間違いなく死んでしまう。
隔離された女たちは大切に育てられ、世界は男たちによって維持されることになった。
主人公はとある村に住んでいた。その村も世界樹の病に侵されていたが、幸いにして末端にあった為かさほど被害はなかったはずだった。
ある日、世界樹を守る神殿の神官が村を訪れ神託が下ったと告げる。この村に住む者が世界樹を救う、と。
村に住む若い者は主人公だけであった。故に、主人公は世界樹を目指し旅立つ。その中で主人公は多くの若者たちと出会い、運命に翻弄されることとなる。
『Yggdrasil』公式サイトより
Yggdrasil、つまりユグドラシル―世界樹をテーマにしたゲームはそれなりに売れたゲームだった。私はプレイしなかったけれども妹は元々そのゲームメーカーが好きで、更にイラストレーターを好んでいた。声優も新人から中堅、とあるキャラに至っては大御所を起用したということで予約をし、発売日当日には寝る時間を惜しんでプレイをしていた。有給まで取得してやりこんでいたのは、このゲームのテキスト量が尋常ではないと前もって噂されていたかららしい。
事実、妹は午前指定で配達されたそれを受け取ると、前もって準備していた飲み物と軽食を片手に部屋に引きこもり、夕飯の時間まで部屋から出てこなかった。それだけ時間がかかっているにもかかわらずまだまだストーリーは肝心なところまで進んでおらず、一体いつになったらルート分岐らしいものが出てくるんだ、と吠えていた。
私は妹と異なり手軽にできるゲームが好きだったので頑張りなよ、と笑いながら妹を応援していた。
妹は自分が好きなゲームの発売日と翌日はやり込みたいからと普段から有給を貯め込んでいるのだけど、どうやらいい感じにカレンダー通りの三連休にも合わせられたらしく、トータル5日の休みを使い込んで全てのルートを開放したらしい。全スチルも取得し、隠しキャラもちゃんと出した、ということだ。
選択肢もきちんとメモをしており、どれを選択したらどのようなルートに移動するのかなどもチェックしているが攻略サイトのような検証はしない。ただ、一度通ったルートをもう一度やらないようにするためのメモらしいけれども私はその熱量にすごいな、と感動した。
実際は四日目には終わらせており、五日目は感想を私にぶちまける日で、彼女のノートパソコンが私の部屋に持ち込まれ、妹と鑑賞会となる。
妹がするゲームに対して私はあまり興味はないけれども、イラストは確かに好みだった。攻略対象者も中々にイケメンぞろいた。しかもファンタジー世界なので種族も沢山で、それぞれの攻略対象者が持つ心の弱いところも多種多様。
『お姉ちゃんはどのキャラが好みっぽい?』
『うーん、このキャラかなぁ』
色んなルートやスチルの説明、キャラの説明とかを聞きながら私が目について指さしたキャラを見て妹はにんまりと笑う。
『だよね。だってお姉ちゃんの好きになるキャラって』
ぱちん、私は瞬きを数回して、ぼんやりとしていた意識がはっきりしたような感覚に襲われた。時間にすればほんの数秒、いや、流石にそこまで短くはない。数分は経過していたと思うけれども私は確かにぼんやりとしていた。そしてこの数分の間に私の世界は変わった。
部屋は華美ではないけれども美しく整えられている。調度品は落ち着いた色彩で統一され、窓の前を占領しているカーテンは美しい緑色。
世界樹が世界を滅亡させようとしているけれども、その世界樹を愛する人々によって整えられた部屋はまるで世界樹に内包されているような造りだ。
壁も床も天井も全て樹の板で覆われ、調度品も木製。ベッドもだ。シーツは落ち着いたモスグリーン。今までは何も考えずに生活していたけれども、今の私は少しだけ違う感想を抱いている。
世界樹の病は、すでに木材になってしまった樹には影響はないのかな、ということ。
ここは女性の為の隔離施設で、女たちは隔離施設を管理している国が決めた男性の元に嫁ぐための準備をしている。私の順番はまだだけれども、基本的に女が守られる世界なので変なところに行くことはない。
世界樹が病に侵されたのがいつなのかは分からない。けれどもそれなりの年数は経過している。貴重になった女は子供を産むための胎になり、新たに女が生まれたら各地にある隔離施設に送られることになる。そして病の手から逃れて生きていくことになる。
そして不思議な事なのだけれども、一度でも子供を産むと女が病に感染する確率が減少する。だから相手が見つかったら早急に妊娠することが求められるし、男性側も病に感染しないように慎重にならざるを得ない。
この隔離施設に男の介入は許されない。例外として宦官だけが入ることを許されている。全ては女性しかいないこの場所で過ちを犯さないようにするためだ。
本当ならば一人の女に複数の男を番わせればいいのかもしれない。しかし一夫一妻でなければならない種族もいる。そこは厳しく管理され調整されている。
エルフや狼人は番を大事にしているので間違えて複数の夫を宛がってはならない。それに対して虎人などは一人の女性に対して複数の男性は許されるので、複数人を選別するのに時間がかかる。
では人間は、と言えば個人の資質による。複数人の子供を産むことを受け入れる女性もいれば一人でなければ嫌だと嘆く者もいる。そういう個々に合わせようとすれば時間がかかるので中々嫁ぎ先が定まらなくなってしまうのだろう。
私はどちらでもいい派だった。だが、今の私は出来れば一人がいい。それはこの不意に思い出した記憶のせいかもしれない。
私はこの世界がゲーム『Yggdrasil』をベースにしたものだとすんなりと受け入れている。勿論ゲームが見せていた世界がすべてだとは思わない。だってあのゲームには隔離された女たちがどのように過ごしているかなんて描かれていなかったから。
あのゲームの世界は主人公の視点で主人公の為に誂えられたもの。その範囲外にいる私達と別なのだ。
何より、この『Yggdrasil』というゲームはそこまで女に主軸を置いていない。
だって、『Yggdrasil』はいわゆるBLゲームなのだから。
そう、主人公は男の子。妹はBLゲームが大好きで、私の好みではなかった。だから私はプレイしないけれども妹が楽しそうに話をするのを見るのが好きだったから、割と色んなBLゲームは知っている。まあ、詳細は知らないけれども。
主人公は今頃どうしているのだろうか。旅に出たのだろうか。でも生まれているのは間違いない。だって、私の目の前に彼の攻略対象の一人がいるのだから。
アレグリオ=カレンティス。私の婚姻相手として国から勧められた男で現在見合い中である。人間の彼は騎士団に所属しており珍しい体質を有している。それは世界樹の病に感染しないというもの。正確には感染しても浄化するらしい。そしてその浄化能力は少人数ながらも他者にまで範囲を及ぼす。
長い赤髪は緩やかな三つ編みを施され背中に垂れている。意志の強そうな緑色の目は少しばかり吊り目っぽい。体格が良くきっと強いのだと分かる、まさに騎士。
彼のことは施設管理者から渡された資料と前世の妹からの情報くらいしか分からないけれども、そこらへんは放置して私は向かいに座る彼に笑みを浮かべて口を開いた。
「アレグリオ様は、このご縁を喜んでます? それとも断りたいと思っています?」
「は? それはどういう意味だ?」
「いえ。断りたいのであれば私から言えばすぐですから。男性が嫌でも女性が望めば希望は大体通ります。逆に女性が嫌がれば男性が望んでも縁は絶たれます。私、どうせなら望まれて嫁ぎ子を産みたいので、アレグリオ様の希望をまずは聞きたいと思って」
お見合い用に用意されている室内は本来であれば病気の持ち込み予防に透明な板で仕切られているのだけれども、アレグリオの体質から病を疑うことはないということでその板は撤去されている。
おかげで私と彼はローテーブルを挟んでそれぞれソファに腰かけている状態だ。
アレグリオは騎士の制服なのだろう、黒を基調として金で縁どられた服を着ている。
。それに対して私は生成りのシンプルなワンピースだ。私のシルバーアッシュの髪の毛と濃い紫の目という色彩とは反発しない地味な色合いだけれども、これが私のこの隔離施設における日常の服。実家からは差し入れとして多くの衣服が送られてくるけれどもそれを着ることは殆どない。動きにくいし、あまり部屋から出ないから。それよりも送られてくる多くの本が私の心を慰めてくれるし楽しませてくれる。
ゲームでは女の扱いはどうでも良さそうでも、実際に女は大事に大事に保護されている。なので女がいる場所では女性が最優先されている。私はアレグリオに対して無茶ぶりはしたくない。
『だってお姉ちゃんの好きになるキャラって、アレグリオみたいな体格のいい赤髪長髪男だもんね』
前世の妹の声がよみがえる。そう、私はアレグリオのような外見の男性が好きだ。だから大体どのゲームでもそういう男を好きになる。騎士とか本当に大好物。でもね、望まれてないのに私の我儘を通すのは間違えてると思うの。
実際に彼はしばらくしたら旅に出なければならない。神殿が神託を授けに遠くの村まで赴いたら彼もまた世界樹を浄化するため、主人公が病に侵されないように守りに行かなければならない。だから私と結婚してもすぐに離ればなれになる。もしも主人公がアレグリオを選んだら私はこの施設に逆戻りになる。
何せ国が結んだ縁を捨ててまで主人公を選ぶから、アレグリオは騎士の身分を剥奪され主人公と二人で彼の村に戻るのだ。
最終的に世界樹は浄化されたとしても土地が回復するのには時間がかかる。結局しばらくの間、女は大事に隔離されなければならない。土地が完全に浄化されて初めて女は今の生活を辞めて男性と同じように生きることが出来るようになるのだろう。
大体それに二十年から三十年はかかるわけで、私は人間なので子供を産める時間は短く、アレグリオに捨てられたら、ここに戻ってきて再び別の男性の元に嫁ぎ子を産まなければならない。
だから、しぶしぶ娶るつもりなら拒絶する機会を提供したかった。そうすれば私は諦めて別の男性の元に嫁ぐつもりだ。
私の選択の提供にアレグリオは驚いているようだ。選択の権利が自分に与えられているとは思ってもいなかったという表情。本来の私だったら彼を見て一目で気に入ったからと言って結婚を強要した。
妹が『アレグリオは国に命じられて妻を娶ったけど、その妻が自分を束縛することに耐えられなかったんだって。だから旅に出るという名目で離れられて嬉しいし、主人公と結ばれると騎士の身分を捨ててでも自由になれることを喜ぶんだよ』と言っていた。
私は私。前世の記憶もあるけれど、これまで生きてきた記憶もある。本来の私は隔離されて生まれた時からここにいるとは言えど、生まれのお陰で何不自由なく生きてきた。そして実家からの支援でそれなりに我儘に育ったと思う。本質は変わり様がない。生まれながらに遺伝子に刻まれた本質。
私の父は国王で、私は王女。この国の最高の位を持つ女性である母の次に尊ばれている存在の私は偉いと思っていた。だけど、私が前世の記憶を思い出した時に不意に思ったのだ。結局女は子供を産むまで病から隔離されていなければならない弱い存在なのだ。そこに地位も何もない。だってそれを誇示する場所はこの狭い空間だけしかないのだから。それほどまでに女は過保護に保護され隔離され、そして社会から孤立している。
何もかもがどうでもよくなった途端、私は王女の立場などどうでもよくなった。ただ、一度だけでも好みだと思ったアレグリオに会えたらそれで良くて、こうして会えたから、それでいい。
私の本質が彼を束縛したい、彼と一緒に居たいと叫んでいるけれども、私自身がそれを許せない。別にこの世界で主人公が幸せになる為に私が我慢する必要もないし遠慮する必要もない。ただ、みっともない姿をさらしたくないだけ。それだけ。
私は背筋を伸ばし誇り高い王女らしく微笑みながらアレグリオを見つめる。
愛したいし愛されたい。だけどこの世界はそれだけで済まされるほど優しくはない。世界樹は病に侵されているし、土地もそう。主人公が旅に出て多くの人と出会い、この根源を探らない限り終わりは見えない。
まあ、妹のネタバレによると世界樹の病の原因は魔族とも異なる悪魔と呼ばれる存在が苗床にしたせいなんだけど。その悪魔を排除すればいいだけの話で、浄化も何もない。悪魔が世界樹へ核を埋め込みそれを床にして世界から栄養を吸い上げ、その代わりに悪魔が持つ穢れが世界樹を汚染して大地に広がっていく。
本当は私がその存在を指摘できればいいんだけど、神託は女には下ろされない非常に男性優位のBLゲームの世界らしい問題点。だから私は黙って主人公が現れるのを見守るしかない。
ちなみにこの悪魔のエンディングもある。正規ルートのヒーロー的な立場のトゥルーエンドと対のようなバッドエンドがこのゲームには存在している。トゥルーエンドであり正しく悪魔を排除するためのヒーローは超大手声優の声帯を持つイケメン冒険者。彼は悪魔を殺すことの出来る力を持っている。彼の攻略に失敗するとバッドエンドとして悪魔が孵化して主人公以外は死んでしまい、悪魔に取り込まれた主人公は永遠の狂気に陥る。
彼に神託を告げに行く神官も攻略対象者で、神官は悪魔も封じることが出来る結界を張ることが出来る。その彼の対は魔族のはみ出し者で、その魔族が神官の親兄弟を殺した事があるという過去がある。
そしてアレグリオは浄化の力を持ち、彼の対になるのが堕ちた精霊の王。浄化の力を持つアレグリオは実はこの精霊の力を継いでいる。精霊王は彼の最愛の精霊をこの世界樹の病で喪っており、静かに狂ってしまっていた。そして精霊の血を持ち浄化の性質を持つアレグリオの体を乗っ取ろうとしている。
バッドエンドになるとアレグリオの体は精霊王に乗っ取られてしまう。
それらも全て主人公との濃密なあれこれになるわけだけど、実に、誠に、心の奥底から冗談ではない。死にたくない。勿論、この世界の命運を一人の男性にゆだねていること自体おかしい話だけれども、それを導いたのは神で、他に何人かの神託を下せばいいだけの話。
それどころか、原因をさっさと神託で伝えればいいだけの話ではなかったのか。女性は感染すると高確率で死ぬ所為で世界樹に辿り着く前に死ぬかもしれないから迂闊に外に出られない。もどかしくて仕方ない。
私は目の前で悩んでいるアレグリオを見つめる。彼は別に同性愛者でなかったはずだ。旅の最中で彼が主人公に心惹かれて驚愕し、しかし他の男性を好ましいと思うわけでもないから主人公だけが特別なんだよ、と妹が力説していた記憶が浮かんでくる。
だから別に彼は女性と子作り出来るはずだ。きっと、多分。
「マルグリット王女」
「ええ」
「俺と結婚していただけますか」
「まあ……いいの? 私で」
「はい。貴方となら、大丈夫な気がする」
「光栄だわ。では、そのように手続きいたしますね」
お見合いなので私が王女であることは当然伝えられているわけで、彼は私を王女と呼んだ。結婚すれば王族の籍を抜け、アレグリオの妻になるけれども、まあ、元々王家で王族として育ったわけではないし。それに家族だって実はよくわからない。頻繁に差し入れがされているけれども一度もあったことがない父と兄達、弟達。母だけは何度か面会に来たけれども、母とだって透明な板越しでなければ会話が出来ず抱擁をしたこともない。母は私以外の女の子を産めなかったようだ。
アレグリオが私と結婚してもいいと思った理由は分からないけれども、彼が決断したのならばそれを受け入れよう。あらかじめ用意されている契約書をお互いの中間に置き、それぞれ不備がないかを確認する。
お見合いの前に妊娠が出来る体かどうかの検査はされていて、私は妊娠可能なのでこうして場が設けられている。最低何人の子供が欲しいか、生活環境に関しての説明なども盛り込まれている契約書に納得が出来ればサインをする。私の方に不備はないので勿論サインをするつもりだけれどもアレグリオはどうなのかと顔を見れば、真剣な表情で読み込んでいる。予め受け取って読んでいただろうに。
それからしばらくしてアレグリオも了承をしたので二人でサインを入れる。更にそこから婚姻誓約書にサインをして、これは施設管理者に。諸々の手続き書類にサインをして漸く私はアレグリオの正式な妻になる。なお、最初から立会人がいるので二人きりではない。
この立会人が一連の作業を見守ることで二人の婚姻成立を証明する。
「それでは三日後に迎えに参ります」
「ええ、お待ちしています」
この三日間で私は生まれてからずっと生活していた部屋を出ることになる。王女という立場から優遇されていたそれなりに広い部屋。家族から送られてきた多くの衣服は、着れないものはこの施設にいる他の女性に譲り渡し、どうしても持っていきたいものだけを纏める。本は出来れば全部持ってきたいけれどもかなりの量があるので稀覯本を最優先に、何度も読み込んだ本などを選び、後はやはりこの施設に置いていく。
刺繍か本くらいしか娯楽のない施設だから本はきっと喜ばれることだろう。
そうして三日かけて取捨選択し、選び抜いた荷物は宦官たちの手により纏められ施設の出入り口への転送装置でさっさと送られる。かなり厳選してもそこそこの量があるのだけれども大丈夫だろうかと不安になったけれども、迎えに来たアレグリオは私と彼が乗る馬車の他に荷物を乗せる馬車も用意していた。
すべての荷物が積み込まれるとアレグリオは私の手を取り、何かを呟く。ふっと体が軽くなって思わず見上げると、浄化です、と何とも言えない表情をしていた。
一応この隔離施設は世界樹の根を避けた上でかなり厳重な結界を張っているので病に侵された土地ではないけれども、これから先の外の世界はそうではない。
馬車の中も彼に浄化されていて、私は安心しながら彼の用意した屋敷まで向かうことになる。
窓の外はまだ私が施設から見ていた景色と同じ。だけど時間が進むごとに、場所が移動するごとの世界の歪さが容赦なく現れてきた。どこか薄暗く重く苦しい空気が地面にあるような。
「御者や馬は、大丈夫なの?」
「定期的に休憩の度に浄化はしているし、病はすぐに感染するものではないんだ。少しずつ積み重なり溜め込まれて気付けば病が発症している、という感じなんだよ」
「なるほど。じゃあ、もしも私が病に侵されても直ぐに発症するわけじゃないのね」
「ああ。予兆がいくつかあって、まずは肌に出てくる。うっすらと黒い痣が出てきたら初期段階。そこから次第に目、髪と変化していき、最終的に末期症状になる」
「では、初期の段階で対処すればどうにかなるという感じね」
「もっとも有効な薬はない。俺は幸い浄化の力があるし、他者にも少数だが使える。けれど土地全域を浄化は出来ない。あまり役には立たない性質だな」
「それでも近くにいる人を助けることが出来る。それって大事な事よ。だって人は一人で生きてるわけじゃない。だけど全員を救おうなんて無理な話。近くにいる人を救うだけで精いっぱいよ」
「そう、か」
「そうよ。ちっぽけな存在でしかないの。だから役に立たないって言わないで。私は貴方がいるから外に出るのが怖くないし、御者だって従者だって馬だって、アレグリオ様、貴方がいるだけで安心できるのよ」
馬車の中は居心地よく出来ている。きっと彼が私を迎える為に整えてくれたのだろう。柔らかい座席、体を預けられるクッション。振動が出来るだけ少ないようにしているのはそういう仕組みをこの馬車に組み込んでいるから。
向かい合わせの席でアレグリオは気まずそうな顔をしている。きっと彼は色んな人に何度も言われたのだろう。自分と少人数しか浄化できないことを。土地を浄化して欲しいと何度も言われたのだろう。でもそんなの無理だ。だってどれだけ浄化しても世界樹が汚染されている時点で再発するのだから。
アレグリオを慰めたつもりはない。ただ事実だけを言ったつもりだ。
その私の言葉にアレグリオは少しずつ顔を赤くしていく。あら、やだ。可愛い。
「マルグリット王女」
「貴方の妻になった時点でもう王女じゃないわ。だから、マルグリットと呼んで」
「いや、まあ、そうだな。マルグリット」
「はい」
「ありがとう。あなたの言葉は他の誰の言葉よりも俺に届いた」
「それならよかったわ」
アレグリオはわずかに逡巡した後、私の隣に移動していいかと聞いてきたので頷く。だって夫になったんだから。気にしなくていいのに。そして私の手を取るとアレグリオは私の顔をじっと見つめ、しっかりと言ってくれた。
「改めて、俺の妻になってくれ」
「書類では婚姻しているけれど?」
「せめて言葉にしたかったんだ」
「ふふ。嬉しい。ぜひよろしくね、旦那様」
「ああ。必ず幸せにする」
あら、まあ。
BLゲームの攻略対象者がその役割を放棄することになってしまう。いいのかしら。まあ、きっと彼の力は必要なので旅に出るのだろう。でも私はアレグリオを束縛しようと思わないし、彼の好意があるうちは逃げられることはないでしょう。
私は前世の妹が言う通り、そして私も自覚している通りアレグリオの外見が好みだったけど、実直で真っ直ぐな彼の性格も割と好き。だからこの理不尽な世界で少しでも長生きして、彼の子供を産んで幸せに生きていく為に沢山足掻いていこうと思う。
■一度は書いてみたかった女主人公がBLゲームに転生したら、の話。