1.詐欺師、未知との遭遇
「っう、くそが、大人しい顔をしてあの男は一体、俺に何をしやがったんだ……?」
低く呻いて、痛む目元を押さえていた。頭がずきずきと痛んでいる。まるで強烈な光を浴びた後みたいに吐き気がする。くらりと意識が揺らいで、手足がひんやりと冷えてゆく。
(これは強制転移か? くそっ、あいつの魔術にでも酔っているのか……)
おそらく、あのエルフのように美しい男は俺を強制的に移した。
(移して何になる? ひょっとしてここは、くだんの娘の家なのか……?)
綺麗な茶髪を揺らして、ルーカスは低く呻いて起き上がった。起き上がって、自分の体に異変が無いかどうかをくまなく調べ始める。服はいつもと同じく、白黒ボーダーの囚人服。手首に手錠も無く、縄もない。体が変に痛むこともなく、怪我もしていない。
「いや、それよりも一体、ここはどこの牢獄なんだ……?」
ルーカスはやたらと広い、病院のように明るい牢屋にてすっかり途方に暮れていた。
(あれはもしかして、バスルームへと続く扉なのか?)
牢屋だと一瞬で分かったのは、目の前に黒い鉄格子があるから。その向こうには、白い壁と薄暗い廊下が見えるだけで誰もいない。どこかの牢獄の一室だと推定が出来るこの牢屋は、真っ白なコンクリートの壁と床が広がるだけで、粗末な寝台はおろか、トイレすら見当たらない。ただ奥の壁には美しい飴色の、優美な木扉がひっそりと二つ並んでいる。
「かび臭い匂いも、海の生臭い匂いもしない、誰かの足音も、いや、何の命の存在も感じ取れないだと……?」
ひたすらしんと、この明るくて白い牢屋は静まり返っているばかりで。
「ひとまず、あの扉を開けて確かめてみるべきか……?」
ルーカスが億劫そうに立ち上がって、優美な木扉へと向かう。どちらを開けるか迷ったが適当に右側の、優美な木の扉を選んでみた。がちゃりとこれまた、優美な真鍮の取っ手を握り締めて開く。一瞬で後悔した。
「っおいおいおいおい、どこぞの高級ホテルかよ!? 何だってまた、こんなにだだっ広くて洒落たもんを!?」
そこには囚人の浴室としては贅沢すぎる、高級ホテルのような浴室が広がっていた。スタイリッシュな黒と白の大理石の床に、同じく大理石の白い壁。奥の方には白い大理石の洗面台があって、間抜けな顔の自分が鏡に映っている。入ってすぐの右手には、透明なガラスの仕切りがあって、これまた呆れるほどに大きい猫足バスタブとシャワーが設置されている。しかも、浴室の床も黒い大理石だ。
「おいおいおいおい、一体何だ? これは。俺への悪質なドッキリか!?」
入ってすぐの所にある木のラックには、真っ白なバスタオルがふんわりと並べられている。それを慎重に持ち上げてみて、鼻先を近付け、真っ白なバスタオルの匂いを嗅いでみた。
「特にかび臭い匂いも、生乾きの匂いも漂ってこない……洗濯石鹸の、良い香りがする」
警戒していたのが馬鹿らしくなって、ふんと鼻を鳴らして乱暴に戻す。手に持っていたバスタオルを戻した所で、脱衣籠の存在に気が付く。タオル棚の横には木の棚が置かれ、その棚板にはそれぞれ、四つの脱衣籠が並べられていた。
「いやいや、俺一人なんだからさ、四つも絶対にいらなかっただろう? ……それともまさか」
それともまさか、俺に恨みを持っている娘三人が。ここにやって来るとでも言いたいのか?
(少なくともあの男は、自分の娘と言っただけで、何人かとは言っていなかったな)
そんな血祭り展開は、流石の俺としても勘弁して貰いたい。私のお母さんを騙したでしょうと、怒り狂って問い詰められた所で、何も覚えてなんかいない。
(騙した女の顔なんか、いちいち覚えている訳がないだろう? まったく。これはまた、厄介な展開になってきたもんだなぁ……)
ルーカスは心の中で悪態を吐きながらも、木の扉を開いて浴室を後にした。
「もう一つの扉も、念の為に調べてみるか……」
少々背筋がぞっとしつつも、思い切ってその扉を開けてみる。
「っいや、たかだか用を足すぐらいで、こんな広さはどう考えても必要が無いだろう!?」
流石のルーカスも呆気に取られてしまった。浴室と同じく、白い大理石の床にベージュ色の壁紙。かなり離れた奥の方にはちんまりと、美しいトイレが設置されている。
「そんで、この鏡も絶対に必要が無いやつだろ、これ……」
先程見ていた鏡よりもはるかに大きい鏡が、トイレの壁に貼り付けられていて、まじまじと自分の顔を眺めてみる。その鏡の下には随分と大きい、白い大理石造りの洗面台が設置されていた。
「悪夢のようだなぁ~、これは」
海外旅行にでも行った先で、こんな豪華なトイレと浴室を眺めているのならまだしも。俺は囚われの身である。
「それも俺は、王子様の助けを待っているお姫様でも何でもなく、ただの結婚詐欺師!! いや、金持ちの女どもを騙して、マルチ商法から高額なエステ用品だの何だの、下らないものを売り捌いていた男なんだからな!」
半ば自暴自棄となって叫びつつ、乱暴にトイレの扉を開いて脱出する。幸いにも自分の膀胱と腸は静まり返っていた。さてこれから一体、どんな娘がやって来るのかと、そう考えただけで気が滅入ってしまう。
「俺はまだ死にたくないし、ケツの青い小娘の恨み言やらを、聞きたい偽善者でも何でもねぇんだよ、まったく……はーあ」
ここに煙草があれば、気を静める為に吸っていたところだ。苛立って舌打ちをして、真っ白な牢屋で佇む。それにもやがては飽きて、不貞腐れたように座り込んだ。尊大に片膝を立てて、ルーカスはいつもの美しい茶髪を掻き毟っていた。そうして数分が経った後、かつんかつんと、誰かの足音が響いてくる。
(これは女の足音だな? 男にしては軽く、やけに品が良い。一定の歩幅に、真っ直ぐ几帳面に歩いていることからやっぱり、くだんの娘なのか……?)
年齢は思っていたよりも上なのか。
(十五、六の娘にしては足音が落ち着いている、緊張した様子も特に見当たらない、あの男とよく似て、几帳面で真面目な歩き方だなぁ)
人間とは足音にも性格と年齢が出るもので。この足音は若い娘によるものだと、一瞬で当たりをつけ、すぐさま身だしなみを整える。
(第一印象は大切だからな。余裕が無い所を見せないようにして、誠心誠意謝って、何とかこの場をやり過ごすか……)
若い女が相手なら楽勝だ。
(適当に謝って、上手く丸め込んで、ひょっとしたら、この刑務所からも出られるかもしれないな)
ここがあの刑務所だと、そう断言出来る訳ではないが。一応はそういうことにしておこう。どんな女が現れても篭絡してやる自信があった。それはある意味で、非常に正しかった。この時の俺はまだ、何も知らなかった。まさかこの時に現れる少女に恋をして、これから毎日散々に振り回されて、自分も楽しく彼女と一緒に遊んでその末に、彼女との未来に思いを馳せることになるとは────……。
かつんと、品の良い靴音が響き渡って止まる。彼女は美しい銀髪を揺らして、母親譲りなのか、サンタマリア・アクアマリンのように澄んだ青い瞳でこちらを見下ろしていた。そしてカーキ色の軍服を着て軍帽をかぶり、すらりと長い足には、黒い編み上げブーツを履いている。それなのに手には、木で編み込まれたピクニックバスケットを提げていた。
「初めまして、ルーカス・マクラウドさん。私は今日から貴方の看守を務める、ガートルードです。ガートルード・シャンディ」
こちらが自己紹介をすると、牢屋の中の男は不敵に笑った。不敵に笑って、茶色い瞳を妖艶に細める。そして、こちらを弄ぶかのように、とびっきりの甘い声で歌うように告げた。
「やぁ。これはこれは……どこぞのむさ苦しい中年男が来るかと思いきや、とんだ可愛らしいお嬢さんじゃないか」
とんでもなく甘い声に眉を顰める。私が来ることはとっくの昔に把握していただろうに。男は立ち上がりもせずに平然とただ、片膝を立てて座っていた。その態度だけは評価してやろう。
(年齢は二十九歳だと聞いていたけれど、それよりもっと老けて、いえ、落ち着いて見えるわね……)
いかにも胡散臭い、詐欺師のような色気に甘く整った顔立ち。美しい茶髪はミルクチョコレートのようで、こちらを見上げてくる茶色い瞳も、大抵の女性ならばうっとりするぐらい綺麗な形を描いている。
(ふむ。とりあえずこの人は、あの時私が見ていた人で間違いが無いはず)
先程から黙り込んでいるガートルードに嫌気が差したのか、男が苛立ったように声をかけてくる。
「それで? 俺は君に死刑宣告でもされてしまうのかな? ひょっとして、その手にはぺティナイフでも握っている?」
「いいえ。私は人間を切るよりも、果物を切る方が好きです。だって、その方が汚れにくいでしょう?」
我ながら、軽快なジョークを発することが出来た。それなのに、目の前のルーカスは何故だか引き攣ったような笑顔を浮かべている。
「ルーカスさん。今のは軽いジョークなので、笑って頂けると幸いです」
「いや、そんな真顔で言われても……それに、今の俺はこんな状況だし?」
「牢屋からは出しませんよ、ルーカスさん。それじゃあちょっと失礼して、」
「えっ!? いやっ、君は何の鍵も持っていないって、えっ!? あいっ、空いた? 手をかざしただけで!?」
困惑する男を無視して、牢屋の鉄格子を開けて足を踏み入れる。牢屋の中心でルーカスが身の危険を感じたのか、ほんの僅かにたじろいでいた。
(ここは一つ、彼の緊張を解しておかねば!)
そう決意してなるべく、床に座っているルーカスを怖がらせないように、真顔で両手を上げてじりじりと近寄ってみる。それなのに何故か、ルーカスはさっと青ざめて、怯えたように後退った。
「おっ、おいおい、ちょっと待ってくれよ!? お前は一体、何がしたいんだよ!?」
「私はただ、ルーカスさんの緊張を解そうと、そう思ってですね……」
「意味が分からない!! 余計に緊張するだけなんだが!? というか一体、ここへは何をしに来たんだよ!?」
ルーカスはざざっと、怯えたように後退ると、素早く立ち上がって、こちらに近寄るなとでも言いたげにしっしっと手を振って睨みつけてくる。
(ああ、私は。また失敗してしまったのね……)
どうにも人とは上手く話せない。友好的な態度で接したつもりが、すっかり警戒されてしまっている。私はただ、刃物なんて握っていないよと伝える為に、この両手を広げただけなのに。
「怖くないですよ、ルーカスさん。何もしないから、こっちへおいで?」
ピクニックバスケットを腕に提げて、ゆらゆらと揺らしつつ、両手を広げて伝えてみたのだが。どうやら彼はとても繊細な人らしい。怯えたように後退って、何か色々と喚き散らしていた。
「っだから、余計に怖いって言ってるだろ!? それっ、完璧に変態の発言だからな!?」
「でも私、ルーカスさんを孕ませる気はありませんよ?」
「はらませっ、いやっ、俺は男だからなっ!?」
「私のパパに頼めば、貴方も魔術で立派な妊婦さんに、」
「絶対にやめろ!! というか、やめて下さい!本当にお願いします!!」
彼が必死に謝ってくるので何だか、とても悲しくなってしまう。
「今のはこの場を和ませる、ただのジョークだったのに……」
「お前は正しい世間話が出来ない、中年スケベ親父かよ!? いいからとりあえずそこに座れっ! そこに座って、一体何の目的でここへやって来たのか、最初っから最後まで全部くまなく丁寧に、俺に説明してくれよ!? 本当に頼むからさぁ!」
それならそうと、早く言ってくれれば良かったのに。ガートルードはルーカスを胃が弱い、繊細な人なんだなぁと。早くも勝手に決め付け、ピクニックバスケットを床に下ろすと、きちんと軍帽を脱いで白い床へと座った。ついでに鬱陶しいのでぽいぽいっと、黒い編み上げブーツも脱ぐ。それを見て、詐欺師の男がはしたないとでも言うかのように眉を顰める。
「なっ、何だ? やけに素直じゃないか……あとそれから、その、もう少し靴は気を付けて脱ぐように! いいな?」
「ヒステリックな人を、落ち着かせるにはこれが一番かなぁと思って」
「誰がヒステリックなんだよ、まったく。変なガキだなぁ……」
その言葉に膝を抱え、体育座りをしたガートルードが眉を顰める。男は何も気にせずに、離れた所で腰を下ろした。どうやら私は警戒されているようだ。
「ガキじゃありません、私は次で二十歳になるんです」
その言葉を受けてかなり離れた所から────正確にはガートルードの向かいで────詐欺師の男がひょいっと眉毛を持ち上げて、二の腕を組んだ。
「と言うことは、今は十九歳か? へぇ? まぁ、俺からしてみたら立派なガキなんだけどなぁ~」
「私に喧嘩を売るとご飯、あげませんよ? ここで野垂れ死にしたいんですか?」
「今のはその、どっちだ? お前の言う、この場を和ませる為のジョークなのか?」
「いえ、本気です」
「本気なのかよ……」
ルーカスは茶髪頭を掻き毟って、不貞腐れたように呟く。先程から目が合わない。初対面から思いっきり、避けられているような気がして。体育座りをしたまま、しょんぼりと落ち込んでいた。これならば一等級国家魔術師のパパに頼んで、この男を魔術的な閉鎖空間に押し込めるべきではなかった。そこまでを考えてからふと、この男に説明しなくてはと思い立つ。
「私、遊び相手が欲しいんです」
「一体何の話なんだよ!? まさか、俺の体を弄ぶ気か!?」
「流石は結婚詐欺師、発想が不潔ですね……」
ルーカスがばっと、自分の逞しい筋肉質の体を隠していた。確かにそそられはするが、そこまで非人道的な性格ではない。
「言っておくが、お前の発言が大体の原因だからな!?」
「いっ、一体どうしてでしょうか!? こんなにも私は貴方に対して、そのっ、友好的な態度なのに!?」
「一体全体、どこがだよ!? 友好的っつう、言葉を辞書で調べてみろって! なぁ!?」
そう言われて、ぎゅっと膝を抱える。膝を抱えて悲しく落ち込んでいた。そんな様子を見て、それまで喚き散らしていたルーカスが戸惑って問いかけてくる。
「おっ、おい? 一体どうしたんだよ? どっかその、腹でも痛いのか……?」
「いいえ、違います。私はたった今、ルーカスさんの発言にいたく傷付いている最中です……」
「はっ? いっ、今の俺の発言でか?」
「そうです。それなので、真摯に謝って下さい」
ルーカスが茶色い瞳を瞠って、途方に暮れたような顔をする。そうしていると、尻尾を踏まれた子犬のような顔に見えて愉快に思った。
「ごめん。……だが、その、お前もお前で、かなり変わっているというかその、」
「この真っ白な牢屋はですね、私のパパが作ったものなんですよ」
「本当に今お前、俺に謝って欲しかったの? なぁ?」
「謝って欲しかったです。それで、許す気も特にありません」
「特に無いのかよ……それはあれか? あー、あれ。つまり、お前の母親が原因なのか?」
母親を散々に騙くらかして、大金と貴金属を巻き上げて、売り払った俺が憎くはないのかと、そう聞いているのだろうか? 憎くもないし、恨んでいるかと言えば特に恨んではいない。どうせあの女のことだ。この男が現れなくとも、どっか適当にそこら辺で他の男を漁って見つけて、浮気していたことだろう。どの道、私の両親は離婚していた。ちょっと考え込んでから、ゆるゆると首を横に振った。
「いいえ? 私とあの女性は、今や何の関係もない他人ですから」
「何の関係もない、他人か……」
「産みの親に対して、ちょっと失礼でしたかね?」
ルーカスは穏やかに笑って、首を横に振ってくれた。
「いいや? まさか。産みの親であろうと屑は屑だからなぁ……その辺りの感覚は、俺にもよく分かるものさ」
この人もこの人で、両親のことで苦労してきたのだろうか? そこまでを初対面で聞くのは、流石にマナー違反なので他の話題に切り替える。
「そんな訳で私は、パパに頼んでこの牢屋を作って貰ったんです」
「ちょっと待て。よく分からん! まったく話が見えないから、一から全部丁寧に説明して貰えないか?」
「私、パパに頼んだ、ルーカスさん、真夜中に浚われて、その存在を抹消された……」
「ちょっと待て。かなり意味が分からない!! あと一体どうして片言なんだよ!? 丁寧の意味を履き違えているだろう、お前は!」
ルーカスは低く呻いて、頭を抱えていた。それに、また駄目出しをされてしまった……。
「それから、その、非常に不穏な単語が聞こえてきたんだが……?」
「今のルーカスさんは、その存在が無かったことにされています。つまり一等級国家魔術師である私のパパが、ルーカスさんを浚って、看守さんや周囲の人たちの記憶を書き換えて、ここの牢屋を作ってここに閉じ込めたという訳です」
「やれば出来るじゃないか、丁寧な説明が……いや、ちょっと待てよ? お前は今、何かとんでもないことを口にしなかったか!?」
その言葉にふすんと、鼻を鳴らしてみる。
「私のパパって、私に負い目があるからか、何でも私の言うことを聞いてくれるんですよね」
「あの男もあの男で、自分の娘に甘すぎるだろう……!!」
ルーカスは先程よりも低く呻いて、茶色い頭を抱えていた。
(ええっと、私、そんなに衝撃的なことを果たして、言ってしまったのだろうか……?)
それとも、彼が人一倍繊細な人なのか。
(そうね、多分。きっとそうなんだわ!)
ガートルードは勝手にルーカスを人一倍繊細な人だと、そう決め付けた。そう決め付けた所で、この男に会うのが楽しみで何も食べていないからか、お腹がぎゅるるるると、まるで怪物の唸り声のような音を立てる。その音を聞いて、ルーカスが驚いたようにばっと顔を上げた。
「ほれ、みろ。お前はやっぱり、腹の調子が悪いんじゃないか……」
「ルーカスさんはよっぽど、私のママになりたいようですね?」
「言葉の意味はよく分からんが、不穏なものだけはびしばし感じている。そんな訳で今のは俺が悪かったよ、お嬢さん」
やれやれとでも言いたげに、詐欺師の色男は両手を上げていた。それが降参のポーズそっくりだったので、ただちに敵意を引っ込め、ルーカスを許してやることにした。
「いいですよ、ルーカスさん。この私が貴方を許してあげましょうとも!」
「何なの? さっきからの、その、お前のテンションは……?」
「私がルーカスさんの命を握っているからですね。あ~、お腹が空いた。そろそろママのサンドイッチでも食べよっかなぁ~」
「っおいおいおいおい、ちょっと待てよ!? 何気に説明不足だし、お前は一体全体どうして、そんなことをパパに頼んだんだよ!?」
そんなものはこの、ピクニックバスケットの中に入った、美味しいハニーマスタードチキンサンドの前では些細な問題である。よって無視して、首元からネックレスを取り出した。
「……まさか、お前のそれって、魔術道具なのか?」
「はい。実はそうなんです。私もパパと同じく一等級国家魔術師ですから、」
「はぁっ!? おっ、お前がか!? いっ、一等級国家魔術師ぃ!?」
「なんですか、その。私の合格を聞いた時の、従兄弟のような反応は……」
「っいや、だってまさか、ええっ? でも、だってお前って、十九歳なんだよな?」
まさかこの男は、誰もが知る一般常識を把握していないのだろうか?
(国家魔術師試験を受けるのに学歴、経験は共に不要、それどころか、年齢でさえも不問なのに……)
今や誰もが一等級国家魔術師を目指せる時代だ。なれるかどうかは別として、毎年かなりの人数が受けては容赦なく落とされている。そんな厳しい国家魔術師試験だが、その中で最も取得が難しいと言われている、一等級国家魔術師資格とは取得するのに十年はかかるのだ。
「生憎と私、天才なんですよね……」
「お前、絶対に友達がいないだろう?」
痛い所を突かれた、と思ってかなり落ち込んだ。それなのでそっと、悲しげに顔を伏せる。
「もう、ルーカスさんはこのまま、餓死コースでもいいのでは……?」
「ごっ、ごめん、それは流石に勘弁してくれよ、もう二度と言わないからさ?」
「冗談ですよ、ルーカスさん。これからは毎日、私が美味しいご飯を届けてあげますからね? それでそれを、私と一緒に毎日食べましょうか!」
その言葉を受けて、ルーカスが茶色い瞳を瞠る。ガートルードが決して友好的ではない、無表情の真顔だったからか、若干怯えた様子で尋ねてきた。
「おい、その、それはあれか? それには毒物が入っていて、どれが神経毒入りのサンドイッチでしょう? 的なゲームを毎日開催する予定なのか……?」
「一体、どうしてそうなったのでしょう? ルーカスさん。私は貴方を殺す気なんて、どこにも存在しないのに? それに」
一旦そこで区切ってから、これでもう食べていいだろうと勝手に判断をして、ピクニックバスケットを引き寄せる。それに手を添えて古い鍵穴に鍵を差し込み、がちゃんと鍵を回して、その封印を解く。これは食べ物を保存する為の魔術道具で、温かいものではなく、冷たいジュースやアイスなども入れることが出来る。入れた時の状態のまま、三ヶ月間程保存が出来るのだ。
「それに、私が貴方を殺したいのならば、毒物なんて入れずに、刃物でその綺麗な首をすぱぁん! と切り裂いてやります。流石の私もこれから殺してやる人間に、この美味しいハニーマスタードチキンをあげるつもりは微塵もありません。そんな訳で、この美味しいサンドイッチをどうぞ? ルーカスさん」
ピクニックバスケットの中から、サンドイッチを取り出して差し出してみる。茶色い紙に包まれた、まるでお店のように美味しそうなサンドイッチを見て、ルーカスがごくりと喉を鳴らした。これは香ばしい全粒粉の食パンに、蜂蜜の甘い香りが漂う、ほんのり辛いマスタードチキンをのせて、しゃきしゃきの甘い玉葱とレタスをたっぷりと挟んだものである。ピクニックバスケットの向こう側にいる、詐欺師の色男に手渡してみると、渋々といった様子で受け取る。
そして彼は丁寧に、サンドイッチを包んでいる紙を剥がすと。あぐっと、意外にも優雅な所作でそのサンドイッチへ齧り付いた。それを見て、詐欺師の餌付けに成功した! と自身の脳内でファンファーレとラッパを鳴らしてみる。
「っあー……確かに変な味もしないな? 普通に、いや、かなり旨いサンドイッチだな、これ」
「世の中には無味無臭の毒物もありますけどね、ルーカスさん? 実はそれには八時間四十五分かけてじっくりと、体内を巡って皮下組織を壊死させる毒物が混ざっていて、」
「うええっ!? ほんっ、ええっ!?嘘だろう!? 嘘だと言ってくれよ!? 頼むからさぁ!?」
「ええ、嘘です。今のはこの場を和ませる為の、れっきとしたほんわかジョークです!」
それなのに、物覚えの悪いルーカスは仰天して聞き返してくる。
「いや、どっち!? 本当にどっちなの!?」
「ですから、嘘ですって……」
「っいや、そうじゃなくってさ!? どっちが嘘なんだよ!? 本当にこれ、何も入っていないよな!? なっ!?」
あまりにもしつこく確認してくるので、やれやれと呆れた気持ちで深い溜め息を吐く。
「人の話を聞いていなかったんですか、ルーカスさん? 私は貴方を殺すのならば刃物を使うと、そう宣言していた筈ですが? あっ、そうだ。衛生用品が必要ですよね? 鋭い剃刀と滑りを良くする為の石鹸と、」
「待って、待って、お嬢さん? それはつまり、その、俺の首に石鹸の泡を塗りたくって、髭剃り用の剃刀ですっぱり切って、殺すとでも言いたいのかな? 君は?」
「まぁ! なんて物騒な……」
「ねぇ、今のって俺が本当に悪いの? ねぇ? なんでそんなに非難がましい、目で君に見つめられなきゃいけないんだろうか? 俺は……」
とても草臥れた様子でルーカスが、ふぅっと色っぽい溜め息を吐く。自分の額を押さえて、黙り込んでいるので彼は病弱なのだろう。とても手がかかりそうだ。困る。このサンドイッチを食べるのにも、異様なほど警戒してみせるし。ほんのちょっぴり私と喋っただけで、彼は息が上がってしまうようだ。
「うーん、これこそまさに、深窓の姫君ですね……」
「えっ? ちょっと待って、一体何の話なのかな? お嬢さん、君はまたしてもその、俺に対してあらぬ疑いをかけているんじゃあ……?」
あらぬ疑いも何も、ただの事実だろう。私は一等級国家魔術師なので、一人で銀等級ダンジョンの最下層に潜って。素手で魔生物のドラゴンもどきをひねり潰したこともあるがきっと、彼はドラゴンもどきの鋭い牙を見ただけで、くらりと儚く気絶してしまうに違いない。もしも魔生物のドラゴンもどきが襲いかかってきたら、真っ先に彼の目元を塞いでやらねば。そう思って「いつかしなくてはいけないリスト」に彼の名前と、その事実を書き記しておく。
「それじゃあ、明日は牢屋のDIYをしましょうかね、ルーカスさん? 私はこの牢屋を貴方にぴったりなお姫様部屋にしたいので明日は、ショッピングモールで魔術カタログでも貰ってきますね」
それを聞いて、ルーカスがあんぐりと口を開けていた。そんな表情をしていてもやはり、美しい人は美しい。彼が詐欺師だという事もよく納得が出来る色男っぷりだ。
「はっ、はぁっ!? お前っ、俺にぴったりのお姫様部屋って、えっ!? 一体何の話なんだよ!?」
「ですから、お姫様部屋はお姫様部屋ですよ、ルーカス・マクラウドさん? 貴方が好みそうなたっぷり繊細なレースとか、まぁ、フリルとか? あるといいですね、魔術カタログに」
「ちょっと待ってお前、その、かなり面倒臭いって顔を何でしてんの? 俺がいつお前に、お姫様部屋で寝起きしたいって、そう言ったんだよ!?」
「いや、まぁ、そうは言っていないけど何か、感覚的に……?」
そこまでを聞くと、ルーカスは向かいでぱったりと倒れこんでしまった。どうやら彼は、先程渡したサンドイッチで満腹になってしまい、眠たいらしい。しくしくと、床に倒れこんだまま、自分の顔を覆って泣き始める。
「もう嫌だ、俺。頼むから、元の牢屋に戻して欲しい……!!」
「がーんばっ、ルーカスさん! あ、もう一つサンドイッチ食べます? そもそもの話、お腹減ってます?」
「ああ、もう、理解が出来ない、未知との遭遇感が酷い、あの男もあの男で、とんだ娘を送り込んできてくれたもんだなぁ……」
ガートルードはそんな風に泣いている、詐欺師の色男を興味深く見つめていた。やはり彼はとても繊細な人らしい。
「私のパパって、何でも私の言うことを聞いてくれるんですよね! さっ、それじゃあここに、明日の朝の分を作り置きして、たっぷりと詰め込んでありますからね? それじぁあ、また明日からよろしくお願いしますね、ルーカス・マクラウドさん!」
そんな言葉を聞いてルーカスが、それまで覆っていた顔から両手を離して、非常に嫌そうな顔で見上げてくる。彼と私の楽しい牢屋生活はまだ、始まったばかりである。




