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15. 幼馴染の襲来と彼女の誤解

 















「ガードルード? ・・・・・・お前。また、あの糞野郎に会いに行くのか?」








 呼び止められて振り返った。




 そこには不機嫌な表情の幼馴染であり、義兄にしている人物が立っていた。




 彼ことウィリアムは同じ年なのだが、彼のほうがもっとちゃんとしっかりしているのでお兄さん認定してあげている。



 そう、私はとても寛容な人間なのだ。だから呼び止められても振り返ってあげたのだ。





「糞じゃないわ、ウィリアム兄さん。彼はね、とってもか弱い詐欺師さんなの」

「そもそもの前提が間違っているだろう、ガーティ。か弱い人間は詐欺師になったりしない」





 柔らかな栗色の髪に青い瞳の彼はとても美しい男性である。



 美青年という言葉が文句なくしっくりとくるような、神話に出てくるような正統派の美青年である。




 今日の彼は仕立ての良い青いシャツとデニムを履いていて、その手足も長く、不機嫌そうな青い瞳で睨みつけてきた。





 少しだけ考えて首を傾げる。彼の言うことはある意味では正しいのだが。


 私はそう思わないのだ。






「でも、兄さん。強い人間は人を騙したりなんてしないわ。彼が弱い人間だから人を騙すの。騙すことでしか生きていけない、か弱い人なんだわ」






 その言葉にむっつりと黙り込む。




 家の広々とした吹き抜けの玄関ホールにて、二人は向かい合っていた。


 木の扉を見て彼に会いに行きたいと考える、腕時計を見ればもう十時半を過ぎている。




「それじゃあ兄さん? 彼が私に捨てられたと、そう勘違いすると困っちゃうから私は、」

「ちょっと待て、ガートルード」






 ぐいっと、おもむろに腕を引かれて困惑する。



 頑張って今日というこの日のためにせっせと、髪型を可愛くしてみたというのに。


 崩れてしまったらどうしようと不安に思って眉を顰める。



 見上げるとウィリアムがどこか焦ったような、困ったような顔でこちらを見下ろしていた。






「別に。・・・・・・そんな服装で行かなくったっていいだろ? いつもの軍服で行けばいいじゃねぇか、いつもの軍服で」

「でも、それだと」






 そこで自分の服装を見下ろす。


 今日は初夏らしく白襟に青いシャツワンピースを着て、腰には茶色い本革ベルトを巻いているのだ。



 爽やかな白いミュールを履いて、この銀髪だって可愛く巻いてシニョン風にしているのに。






「ルーカスさんが私に可愛いねって言ってくれないから。でもね、彼はね、私が何をしていても可愛いんですって。ジャムをぶちまけた時もそう言ってくれたの」

「何をしているんだよ、お前・・・・・・・牢屋で、あいつと」

「おままごともしているし、この間はそうね。一緒にハバネロゲームをしてみたわ」

「ハバネロゲーム・・・・・・」

「スコーンにね、ハバネロを入れてみたの。ルーカスさんが当たりを引いていたわ」







 そこでとうとう完全に黙り込んでしまう。


 何かと居心地が悪いからこの腕を離して欲しいのだが。


 それなのにぐっと、強く握り締められる。





「それじゃあ、俺も行く。行って、あいつとハバネロゲームをしてやる」

「えっ?」





 これはもしや危機なのかもしれないと、私は恐怖に打ち震えていた。





「どうしよう!? ルーカスさんが兄さんに取られちゃうかもしれない!!」

「おい。何でそうなるんだよ? 相変わらずおかしな思考だなぁ、お前は・・・・・・・」





 どうしよう、ルーカスさんが取られちゃうかもしれない。





(ああああああっ!! ルーカスさんが兄さんのことを好きになりませんようにっ!! 可愛いの座がっ、可愛いの座が奪われてしまうっ!! 私のっ、私の特等席がっ!!)






 何としてでも、この美しい兄から可愛いの座を死守しなくては。





「彼は年上のお姉様方や、お兄様方にも人気があるもの。きっとルーカスさんだって、ぐらりときちゃって、母性本能を刺激されちゃって、私よりも兄さんを可愛いねって、そう褒め始めるんだぁ~・・・・・・・・」

「嘘だろ、ガートルード? 何で泣きそうになってんの!?」








 思わず涙が出そうになってしまう。


 いいやもう、ほんのちょっぴり出てしまっていた。


 恋する乙女は何かと情緒不安定なのだ。



























「ああ、どうしよう。もう、泣いてしまいそうだ・・・・・・・!!」






 有り得ない、有り得ない、有り得ない。


 何百何億と数えても何の意味も無かった。




 寝台でぐだぐだと寝そべって彼女が来るのを待っている。




 いつもはすぐさま着替えて顔を洗ってって出来るのに、あまりにも憂鬱すぎて辛すぎて歯磨きしか出来なかった。








「ああ。無理だ。もう無理なんだぁー・・・・・・俺は」





 タオルケットを握り締めて考える。


 赤子か何かのように体を曲げて、タオルケットを抱き枕にしていた。





「あー・・・・・・どうしよう。もう、無理だ。もう俺は無理なんだ」





 昨日、どうしてあんなことをしてしまったのか。




(好きだから、とか? いやいや、無理無理、ないない、ないない・・・・・・・!!)






 混乱している、自分でも驚くほどに。







「相手は十九歳、十九歳の女の子なんだ、十九歳の女の子・・・・・・・・!!」





 幼女趣味とかではない、俺は変態ではない。


 それなのに、あの一瞬。




「無理だ、無理無理。本当に無理だから、マジで・・・・・・・・」





 大事にしたって何の意味も無い、彼女はいずれ離れていくというのに。




「無理だろ。・・・・・・本当に」





 今更まともに生きれるとは思ってない。ずっとずっとこのまんまだ、俺は。




 それなのにどうしても消えない、青ざめるような気持ちで考える。






(俺は・・・・・・あの時。まず間違いなく、ガートルードにときめいていたのでは?)






 死にそうになる。そのことを考えると。






「いやいやいやいや、娘、娘、母性、母性っ!! そうっ! これはまごうかたなき母性っ!! 母性以外の何者でもないっ!! 何者でもないからっ!!」

「ルーカスさん・・・・・・・このまま飛び蹴りしてもいいですか?」

「うわあああああっ!? ちょっ、まっ、ガートルードちゃあん!?」






 驚きすぎて上擦った声が出る。


 言うが早いが、唐突に現れた彼女が俺の上へと思いっきり飛び込んできた。




「うっ、わっ、わっ、わあああっ!? ちょっ、待てよ、お前!? 顔とかも、まだ洗ってないし・・・・・・!!」

「あ、本当だ」






 彼女の青い瞳が間近で見える。


 息がぴたりと止まっていた、あまりにも近い距離に思考が停止して瞠目していた。




 彼女が不思議そうな青い瞳でちょっとだけ首を傾げている。





「でも、不思議ですね? 貴方はいつもいつも、身だしなみだけはきちんとしているのに・・・・・・・」





 甘い珈琲牛乳のような匂いが漂ってくる。




(あ。コーン、フレークの、匂いがする・・・・・・・・・)




 彼女の口が開いて、白い歯が見えて、昨日のキスを思い出して────────・・・・・・・。





「ガーティ。近い。距離が」

「うんむぅっ! 兄さん、あまり。邪魔をしないで欲しいもんだわ・・・・・・・・」





 ガートルードが首根っこを掴まれて、子猫のように引き剥がされる。


 はっと息を吐き出して安心していた、誰だかよく分からんが助かった。


 寝台で起き上がって、胸を押さえたままそいつを見上げる。






「だっ、誰だ? お前は・・・・・・助かったは助かったが」

「どうも、ルーカス・マクラウドさん。俺はウィリアム。こいつの義兄だそうで」

「ガートルードの、義兄・・・・・・・?」







 そこでガートルードが、じんわりと涙を浮かべてぐすぐすと泣き始める。





「わっ、わぁっ!? どうしたんだ、ガートルード!? 腹でも減ったのか!? それとも、この部屋が暑いのか!?」





 しまった。


 クーラーでもかけておくべきだったのかもしれない。


 暑くなるからと言って、彼女の父親が設置してくれたのだ。




 それを聞いて彼女は真っ先にエアコンを破壊しようとしていた。どうも彼女は何かと気性が荒い。




 その後は膝の上で「ルーカスさんはっ、私のものなんですからねっ?」とぷんすかぷんすか怒っていた、あの時の彼女もとても可愛かった。







(まだ午前中だし。俺は全然、暑くも何ともなかったんだが・・・・・・!!)






 この間は眠くて暑くて悲しいと、そうぐずって泣いていたので全て俺が悪い。


 俺の落ち度だ、どうしよう!?


 慌てて慰めにかかると、寝台の上に座ってまたぐすぐすと泣き出す。






「うっ、うわあああん、だって、だってルーカスさんが、自己紹介したぁ~・・・・・・・・」

「いやっ、まだしてないからな!?」





 そのぽろぽろと零れ落ちている、彼女の涙を拭い取ってやる。



 青く潤んだ瞳で見上げられて、その可愛さに思わず頬が緩んでしまった。



 俺は多分今、締まりの無い顔をしている。





「大丈夫だよ、ガートルード。別にお前を差し置いて兄さんと仲良くなったりしないさ」

「ほっ、ほんとうに? 私だけを、可愛いって、そう言ってくれる? 兄さんを可愛がったりしない?」

「しない、しない。大丈夫だよ、ガートルード。お前より仲良くなったりなんかしないからな?」







 ガートルードがぼすんと抱きついてくる。


 思わず笑って、泣いている彼女を大事にそっと抱き締めてやる。







(ああ。これだけでもう、何か、幸せだなぁ・・・・・・・)





 雨の日にホットケーキを焼くような、よく晴れた夏の日に汗だくで冷たいサイダーを飲み干すような、そんな安らかで幸せな感情がここにある。






「ガートルード・・・・・・本当に、大丈夫だよ。お前が不安に思うことなんて何もないんだから」








 彼女の銀髪のつむじにそっとキスをしてやる。こうしているとやっぱり母性だなと思う。




 胸元の熱い塊に酔っていた、慈しんで守って手をかけるのはこんなにも甘くて優しい。





「はーん・・・・・・・あんた、幼女趣味か。気持ち悪っ」

(この、糞ガキがっ・・・・・・・・!!)






 しかし何とかぐっと堪える。堪えて彼女を引き剥がすと、とても悲しそうに眉を下げていた。




 これだけでもう気分は重罪人だ。俺が悪かったと、そう謝ってしまいたくなる。






「ルーカスさん・・・・・・兄さんのことなんか気にしないで? 私を、抱き締めて欲しいな?」






 彼女が両腕を広げて、悲しそうにこてんと首を傾げる。


 思考が吹っ飛んで彼女を抱き締めてやろうとしたその瞬間。




「何をねだっているんだ? ガーティ。やめろ。今すぐにやめろ」

「あいたっ!?」

「わっ、わあああああっ!?」





 ばしんと、義兄が何とガードルードの頭をはたいた。





(信じられない。そんな、そんな・・・・・・!! 可愛いガートルードに向かって!!)






 この男はガートルードの頭を叩いた。今世紀で一番衝撃的だった。



 眩暈がするような気持ちで、慌てて泣き出してしまったガートルードを慰めにかかる。





「るっ、ルーカスさぁん・・・・・・!! 頭を叩かれちゃったの~」

「あああああああっ! なんて可哀想に、ガートルード!! おいっ、お前っ!? それでもこいつの兄貴なのか!? 頭がっ、頭がどうかしているんじゃないのか!?」





 彼女を抱き締めて、この腕にしっかりと抱えて睨みつける。



 栗色の髪に青い瞳の生意気そうな少年が馬鹿にしたようにはんと笑う。




「あんたはいちいち、大袈裟なんだよ。こんなのかるーく頭を叩いただけだろ?」

「いっ、痛かったの~。ルーカスさん、とっても痛かったの~、頭蓋骨骨折するかと思ったの~」

「あああああっ! 可哀想に。大丈夫か? どれ。見せてみろ、頭を」






 ああ、なんて可哀想に。胸がズキズキと痛んだ。




「こんなに可愛くて、か弱くて、いたいけなガートルードちゃんに。そんなことをする人間がいるだなんて本当に信じられないな・・・・・・・」

「批判なら。俺の目を見て言ってくれるか? なぁ?」

「るっ、ルーカスさぁん・・・・・・・!!」





 そこでぐりぐりと、ガートルードが俺に頭を押し付けてくる。


 可愛い。可愛いが破裂しそうになっている。


 思わず涙ぐんで彼女を抱き締めていた。




「可哀想に、ガートルード・・・・・・!! 大丈夫だよ。あとでクッキーでも何でも焼いてやるからな?」

「甘すぎやしないか? あとそいつ、一等級国家魔術師だから」






 そこでルーカスはぴたりと黙り込んだ。腕の中のガートルードも黙り込んでいた。


 そんな二人を無視して、ウィリアムが無表情で続ける。




「戦争になったら真っ先に駆り出されるから。世界条約でも一等級国家魔術師の戦場投入は五人までって定められてるぐらい、強いから。人間兵器だからそいつ」





 そこでぐいっと、乱暴に彼女を引き剥がす。


 首根っこを掴まれたガートルードが涙を滲ませて「けほっ」と咳をする。


 あんまりにも可哀想で焦って、腕を伸ばした。





「やめろよっ、そんな、乱暴な扱いはっ! ガートルード、ガートルード・・・・・・!!」

「るっ、ルーカスさぁん・・・・・・!!」





 思わず奪い取って、彼女を守るように抱き締めて強く睨みつけた。


 彼女がぐすぐすと泣いて顔を押し付けてくる。


 それなのに義兄のウィリアムは呆れたように溜め息を吐いて、信用出来ないことを口にし始める。





「あのな? それ。嘘泣きだから。俺、そんなに乱暴に引っ張ってないし」

「は? そんな訳無いだろう。ガートルードが嘘泣きなんてするはずない」





 そこでまた、はーっと深く溜め息を吐いて両目を閉じる。


 柔らかな栗色の頭を鬱陶しそうに掻いていた。




「ガートルード。お前。一体いつ、そんな技を身につけたんだ? 泣いてはいるが嘘泣きだろ。それ」

「ちっ、違うもん・・・・・・!! 嘘泣きなんかじゃないもんっ!」

「ガートルードちゃん・・・・・・?」






 流石に違和感を感じて、問いかけてみると。


 彼女がぎくりとしたように体を強張らせてから、涙の浮かんだ青い瞳で見上げてくる。





「るっ、ルーカスさぁん・・・・・・頭がね、痛いの。さっきね、叩かれちゃったの。ウィリアム兄さんに」





 胸がぎしりと鈍く痛む。これが嘘泣きであるはずがない。


 先程の苦しそうな表情で首根っこを掴まれていた彼女を思い出す。





「ああ。可哀想に、ガートルード・・・・・・可哀想に。痛かっただろう?」

「そうなの。とっても痛かったの~!」

「可哀想に・・・・・・!!」

「何で俺。こんな下手な芝居を見せられてんの?」






 下手な芝居だと? ぴくりとこめかみに力が入る。




(彼女がこんなにも痛がっているというのに・・・・・・!! この男は糞か? 糞なのか!?)




 可哀想に、何て可哀想なんだ。




「ひょっとして。虐待とかされてないよな? 大丈夫だよな? 兄さんに何もされてないよな?」

「おい・・・・・・何でだよ? アホかよ、お前。それでも元結婚詐欺師なのか?」

「ううん、ルーカスさん・・・・・・・」





 そこで彼女がふるふると首を横に振る。


 可愛い、凄く可愛い。





「でもねっ? ルーカスさんっ? さっき叩かれちゃった頭がとっても痛いの。だからこのままずっとハグしていてくれる?」

「かっ、可愛い・・・・・・!!」





「もちろんするよ、ガートルード!!」と叫んで、彼女を抱き締めようと思った瞬間。



 すかっと両腕が空を切って見上げてみると、不機嫌そうな顔のウィリアムが戸惑うガートルードの両肩を掴んで引き寄せていた。





「駄目だ。こいつに触るな、ルーカス・マクラウド。お前は何かと信用が出来ない」

「大丈夫よ、兄さん。ルーカスさんは私の言うこと何でも聞いてくれるから。ねっ?」

「いや、そんな。真っ直ぐな瞳で聞かれましても・・・・・・・・」






 そこで困惑して義兄とやらを見上げてみると、そいつも微妙な顔をしてからぎゅっとガートルードを抱き締める。




 後ろからハグをされて彼女が嬉しそうにしていた、それを見て裏切られたような気持ちになったのは一体どうしてだろうか。




 胸の奥が焼けるように痛い、喉が重たくひりひりとしている。



 ガートルードが腕を添えて、ウィリアムが平然と彼女を抱き締めていた。




「とりあえず。あんたは顔を洗って、歯でも磨いてこい。酷い顔してるぞ?」





























 ごぼごぼと流れてゆく水を眺めている、白い洗面台の排水口を眺めている。




 彼女が旅行先で買ってきたという、陶器製の排水溝カバーを眺めている。


 赤と青のレトロな花柄にほんの少しだけ心が和んだ。




 顎から水を滴り落として、あのハグの意味を考えている。





(兄妹。と言っていた。でも義理の兄妹だ。それも、数年前になったばかりの)




 自分でも何がそんなにショックだったのか。




(自分だけが、慈しんでいるとでも思ったのか? ・・・・・・馬鹿馬鹿しい)





 彼女は誰からも愛されるような人間なのに、かつての俺もそのことに嫉妬していただろうに。




 洗面台に両手を突いて、物思いにふける。






「もし。・・・・・・・例えばの話で。あいつらが、付き合っていたとしたら?」





 昨日のキスは一体何だったのか。


 自分のくちびるに手を添えて、弄ばれていたような気分になる。





「はっ。馬鹿馬鹿しい・・・・・・馬鹿馬鹿しいにも程がある。何だよ、その考えは」






 歪んだ笑みが思わず浮かんでしまう。


 口元を歪ませて、胸の奥で詰まっている重たい塊に目を向けた。




 苦しい、鉛を詰め込まれたみたいで。


 鳩尾(みぞおち)が痛く、先程から息が出来ない。




 すうっと無理矢理息を吸い込んで、鏡に向かって笑いかける。




「好きだって、言われた訳でも何でもないのに? なぁ? 馬鹿馬鹿しいだろ、そんな考え」





 自分で自分の言葉に傷付いてしまった。


 そうだ、俺は。





(好きだなんて。言われたことない・・・・・・キスだってあれだって、ただの気紛れだろ)





 大人の真似事をしたかっただけだ、彼女は。


 それを良く理解している筈なのに、こんなにも胸が痛い。



 息が詰まって上手く吐き出せない。



 タオルを乱暴に取って、ごしごしと両手で顔を拭き始める。


 まるで何かを誤魔化すように。




 自分の目がちょっと赤いような気がした、気付いても意味がないことだから気にしないようにする。





(好きだってのは、昨日。軽い調子で言われたんだけどなぁ・・・・・・・)






 タオルに顔を埋めて、その情けない思考に蓋をする。





「さぁっ! もうそろそろ行くとするか。ここで悩んでいても仕方が無い・・・・・・・」




 タオルを洗濯機へと放り投げる。


 少しずつ家電も増やして貰って、ここはもうすっかり自分の家になっていた。




(いや正確に言えば。彼女と自分の家、か? ほぼ毎日のようにあいつ、入り浸ってるもんな~・・・・・・・)





 彼女が昨日「俺との愛の巣」だとか、そんなことを言っていたなと思い出して笑えてくる。





「愛の巣、ね・・・・・・・はー、やれやれ。あんな調子で他の男のことも口説いていそうだなぁ」



























 洗面所から出てくると、ガードルードとウィリアムが取っ組み合いの喧嘩をしていた。



 しかもガートルードが優勢である。



 そいつを床に押し倒して、胸ぐらを掴んで白い拳を振り上げている。




「ちょっと待とう!? ガードルードちゃんっ!? 何でそんなことになってんの!? 俺がただ、顔を洗っている間に!?」

「もーっ! 止めないでくださいよ、ルーカスさんっ! こいつの鼻血が出るまで叩き折りますっ!!」

「それって鼻の骨をってこと!? 駄目だ、駄目だっ、絶対に駄目だから!!」






 必死にガートルードの拳を掴んで、青ざめているウィリアムから引き剥がして一息つく。


 しかし、ガートルードはそんなことでは諦めなかった。





「っよし! もう一発、殴りに行きますっ!!」

「殴るには殴ったんだな!? 一発!? やめろっ、やめなさい、ガートルード!!」





 もう一度勇ましく、その拳を振り上げたガートルードを慌てて止めて、何か良い案はないかと考える。






(あっ、そうだ!! 確か昨日。無心で作ったパウンドケーキがあるはず・・・・・・!!)






 何せやることがないので、彼女の父親お手製のキッチンでレシピ本を眺めつつちまちまと作っている。





「ほらっ、ガートルードちゃんっ? オレンジピールとココアの、美味しいパウンドケーキがあるぞっ? お前の好きなカシューナッツと胡桃も沢山入れてやったから・・・・・・!!」

「食べる。パウンドケーキ、食べる!」

「よしよし! お利口だ!! お利口だなぁ、ガートルードちゃんはっ!!」






 全力で頭を撫でてやって、彼女がむふんといたく満足げな溜め息を吐き出す。




 その間に呆然としているウィリアムを急いで床から立ち上がらせて、なるべく遠い所にと考えてソファーに座らせる。



 そしていつもの癖で腰に手を当てて、呆然と座り込んだウィリアムの頭を撫でてしまった。




「食欲はあるか? お前にもケーキを持ってきてやろうか? 甘いのが無理なら。昨日焼いてみたチキンポットパイがあるが、」

「殺す。やっぱり殺す。ウィリアムは殺す」

「っおいおい、何でだよ!? 嫉妬深いにも程があるだろうが、お前はっ!?」






 慌てて振り返ってみると、ガートルードがぼすんと抱き付いてくる。


 そこでようやく今更なことに気が付いた。




「そういや、お前。いつもの・・・・・・・その。軍服姿じゃないんだな?」

「ルーカスさんに。可愛いって。そう、褒めて貰いたくってですね・・・・・・・」





 可愛い。凄く可愛い。




(思わず胸がきゅんとしちゃったな、今の発言で・・・・・・・!!)





 胸元に手を添えて両目を閉じる。可愛い、とても可愛い。


 そんな様子の俺達を見て、ソファーに座ったウィリアムが呟く。




「俺。・・・・・・やっぱりここに、来ない方が良かったかもしれないな?」

「兄さんは邪魔なのよ。最初から最後まで。ルーカスさんのチキンポットパイを取ろうとするし!」

「お前の分もちゃんとあるから、ガートルード・・・・・・・」







 彼女が縄張りを主張するみたいに、ぎゅうぎゅうと俺のことを強く抱き締めてくる。



 無性に笑いが込み上げてきて、彼女の腕に手を添えて宣言する。





「さっ。そんじゃあ三人でパウンドケーキでも食べてみるか?」

































「こいつが悪いんだ。俺はごくごく真っ当な指摘をしただけだったのに」






 ウィリアムが食べながら不機嫌そうに話す。


 口いっぱいにパウンドケーキを詰め込んで、フォークを片手にガートルードを睨みつけていた。




 そうしていると美しいとは言えどもごくごく普通の少年である。十九歳なのでそこまで幼くはないが。




 ガートルードもふんと鼻を鳴らして、ココアのパウンドケーキをお上品に食べ進める。



 白い角襟に青いシャツワンピースが避暑地のお嬢様風でとても似合っていた。



 俺は中々にうまく出来たパウンドケーキを立って食べつつ、向かいのソファーに座っている二人を見つめる。






「そんで? 結局二人は何であそこまで揉めていたんだ? 怪我するぐらいにさぁ~」

「・・・・・・」





 その言葉に二人とも黙り込む。




(何だ? 二人で仲良く俺に隠し事か?)




 ウィリアムはまだいい、今日会ったばかりの他人だ。


 が、しかし。




「ガートルード? なぁ? お前。簡単にそう、人を殴っちゃ駄目だろう?」

「治癒魔術で。・・・・・・治したもん」

「そういう問題じゃない。暴力は最後の最後まで取っておけ。絶対に殴るな」





 ここでしっかりと言い聞かせておかないとまた殴り始める。



 どうやらウィリアムは、普通に殴り飛ばされたようで頬が赤く腫れていた。ついでに口の端も切れている。



 不満そうなガートルードがこいつの怪我を治したがそれでも。





「あのな? 一発殴って、骨でも折れていたら一体。どうする気だったんだ?」

「治癒魔術で治す。ごめんなさいをする」

「いや、だから、そういうことじゃなくってだな・・・・・・!!」





 思わず額を押さえて低く呻く。彼女はどうも精神年齢が低い。





(一人で迷宮に潜っているからか? 一人前に稼いでいるようだが、それはそれ、これはこれ・・・・・・・)





 一般の企業にでも就職させた方がいいのか。




(そこで人との関わりも学んで、そんで、そこで出会った男と・・・・・・・・)




 結婚すればいいと思った。


 途端に力が抜けて、無言でパウンドケーキを切り分ける。


 何の意味もなく悲しかった、ひたすらに。





「ルーカスさん。・・・・・・・私に、嫌気が差しちゃいましたか?」





 彼女がフォークを片手に、泣き出しそうな顔をしていた。


 顔を上げて、そんな表情を見つめて力なく笑いかける。




「いいや? こんなことでお前を嫌いになったりなんかしないさ」

「本当に? ルーカスさん? ここから逃げ出したりしない?」

「しないとも、ガートルード。随分前にも言っただろう?」






 そこでかたんとフォークと皿を置いて、ガードルードの方へと向かう。


 物言いたげなウィリアムは無視して、ガートルードの前に立って頭を優しく撫でてやった。


 するとガートルードは、にっこりと嬉しそうな笑顔を浮かべる。




(ああ、可愛いな。やっぱり、恋愛感情じゃないのかもしれないなぁ・・・・・・・)





 その考えに安心して深く息を吸い込んでいると、ガートルードがふいに俺の服の端を握り締める。



 幼い子供のような仕草に笑みがこぼれた。




「お前の気が済むまで。お前の傍にいてやるって。この牢屋にいてやるって、そう約束しただろう?」

「それが長く続かないことを祈るな、俺は」






 ふてぶてしい態度でウィリアムが呟く。


 優雅に足を組んで、フォークを手に持って俺の作ったパウンドケーキを食べている。


 熱心に食べるその姿を見てまぁ許してやらんこともないと、そんな気持ちが芽生えていた。






「そんな偉そうな態度を取るのなら。後でチキンポットパイを二つちょうだい?」

「何でだよ。別にいけどさぁ、別に」

「ガートルード。お前の分もちゃんとあるから・・・・・・それに食いすぎだ。太るぞ? お前」





 その言葉にさっと青ざめて、呆然とガートルードが見上げてくる。


 ウィリアムもそれを見て、不愉快そうにこちらを見上げてくる。


 二つの視線に戸惑って、たじろいで後退った。





「なっ、何なんだよ? 二人してその視線はさぁ・・・・・・・・」





 居心地悪く皿を持ち上げて、そっぽを向いてパウンドケーキを食べ始める。


 暫くの間そうして黙って、三人は食べ続けていた。




















「そんじゃあ、もう。帰るから、俺」

「逆に聞くが、何で来たんだ・・・・・・・?」

「私っ、帰る前に手と顔を洗ってくるーっ」





 ぱたぱたと、汚れた手を持ち上げながらガートルードが走ってゆく。



 俺が作ってやったチキンポットパイとコールスローのサラダを彼女は手づかみで食べてしまったので、両手と顔が汚れていた。



 先程彼女の口元と手を拭ってやりつつ話を聞いてみると「ウィリアムに取られそうになったから!!」と、真っ直ぐな瞳で嘘を吐いていた。




 完全な濡れ衣である。彼女も彼女で縄張り意識が強いかもしれない。




 ばたんと洗面所の扉が閉まった後で二人の男は黙り込み、そのままじっと佇んでいた。





「なぁ? ・・・・・・ルーカスさん。だっけ?」





 最初に切り出したのはウィリアムの方だった。


 ルーカスは腕を組んで眉を顰めながらも、隣に立った相手を振り返る。




「そうだが? ついさっきも自己紹介したよな? ついさっきも」

「おっさんのくせに大人気ないとは思わないの?」

「口の聞き方には気を付けろよ、少年。おっさんじゃなくて二十九歳だ」

「若い俺らからしたら、ぎりおっさんだよ。三十二も二十九もそこまで変わんないから」





 その言葉にむっつりと黙り込む。彼女もそう思っていなければいいが。





「好きなのか? ガートルードのことが」





 その言葉に一瞬、息が止まりそうになった。



 しかし呆れたように深く溜め息を吐いて、うんざりとした表情を作って顔を振ってみる。





「いいや? 確かに可愛いは可愛いが、たったそれだけだ」

「ふぅーん? 本当かなぁ? さっきもべたべたしてたじゃん? 随分とさーあ?」





 糞生意気な少年がじろじろとこちらを見つめてくる。



 その生意気な態度をはんと鼻で笑って、思いっきりそいつの肩に手を回してよりかかった。




「はっ。何だ? そんなにガートルードと俺のことが気になるのか? ん?」

「別に。・・・・・・そういう訳じゃないけど。ただの好奇心だよ、ただの」






 分かりやすい。分かりやすい上に御しやすい。


 あえてとっておきの甘い微笑みを浮かべて、馬鹿にするようにこいつの頭をわしゃわしゃと撫でてやる。






「そう心配すんなって! 別に。お前の可愛い可愛い、ガートルードちゃんを取ったりなんかしねぇよ?」





 鋭く舌打ちをして、不機嫌そうなウィリアムがこちらの手を振り払う。


 あえて余裕たっぷりの態度で「おー、痛いなぁ」だなんて、わざとらしく呟いてやる。





(そういや。ガートルード以外の人間に対しては。ずっとずっと、こんな感じだったよなぁ~・・・・・・・俺)





 ただし彼女の父親は除く。あれは何かと特殊なケースだから。



 懲りずにまたウィリアムの肩に手を回して、嫌がるウィリアムの耳元で甘く囁きかけてやる。





「でも、そんなに気になるのなら。教えてやろうか? 俺達が二人きりで何をしているかを」

「っガートルードは、おままごととか。ハバネロゲームをしてるって言ってた」





 そう、残念ながらそれが正解だ。




(俺の生きる現実の虚しさよ・・・・・・・!!)





 彼女にせがまれて、白い紙にお花とアヒルさんを描いてやる時もある。


 その時の俺は大抵虚ろな目をしている。


 しかしそのことをわざわざこいつに教えてやることは無い。


 だって、おそらく。




「お前。ガートルードのことが好きなんだろ?」

「・・・・・・だから何? 関係あんの、あんたに?」




 否定、しないか。




「そこは戸惑ってくれたほうが、可愛くて嬉しかったんだけどなぁ~? うりゃうりゃ」

「ちょっ!? やめろっ!? 気持ち悪い、気持ち悪いって!!」





 わざと顎の下をくすぐってやると、嫌そうに体を揺すって逃げようとしていた。


 苛立ちが最高潮に達していた、こいつの何もかもが気に食わない。


 しかしにこやかな笑顔で話を続ける。




「そうだなぁ~、分かるよ。君のような少年がさ? 好きな女の子と俺が密室で何をしているかってのを。気になっちゃう理由もよく分かるんだけどなぁ~?」

「いざとなったら、父さんに言いつけるからな?」





 ぴしりとそこで固まる。




(こっ、ここは。ほのめかすだけにしておこう、そうしよう・・・・・・!!)





 動揺を隠して綺麗に笑って、更にぐいっと抱き寄せる。


 先程からちらちらと洗面所を気にしているのでされるがままだ。



 まるで女を口説くかのように甘い微笑みを浮かべ、嫌がるウィリアムの耳にそっとある言葉を囁きかけてやった。






「でも。そんなに気になるのなら彼女に()()()()()聞くといい・・・・・・・恥ずかしがって、何も教えてはくれないかもしれんがな?」






 そこでがちゃりと洗面所の扉が開いた。



 何故か全身水浸しのガートルードがぼたぼたと水滴を落としつつ、 呆然とした表情で俺達を眺めている。





「あ、ガートルード・・・・・・・」

「おい、待て。何でお前、そんなに水浸しになっているんだよ!? 水道管でも破裂したのか!?」




 そこでがっくりと、彼女が膝から崩れ落ちた。



 慌てて駆け寄ってみると、床に水溜まりを作ったまま両手を突いている。




「おっ、おい!? ガートルード、お前、どこか怪我でも・・・・・・?」

「そっ、そんな、まさか・・・・・・・」





 震える声で彼女が呟いた。


 自分の手のひらを見つめていてこちらを見ようともしない。


 嫌な予感がしつつも、その背中を擦ってやる。





「私が洗面所に行って。顔と手を洗っている隙に。二人がそんな、そんな、いかがわしい関係になっていただなんてっ・・・・・・!!」

「ちょっと待って、誤解。誤解だから、それ。ただの」





 そこで悔しそうに彼女がだぁんと、拳を強く打ちつけた。





「私だって昨日!! ようやくっ! ルーカスさんとっ、キス出来たばっかりだったのにぃーっ!!」

「待って、ガートルードちゃんっ!? 俺のっ、俺の首が飛んじゃうからさっ!? 物理的にっ!」

「キス。キスしたんだ。やっぱり、したんだ。二人は、そんな関係で・・・・・・」

「ああっ、もうっ! 泥沼だなぁ、これっ、もうっ!?」

















<その後のルーカスとガードルード>


「なぁ?どうして一体お前は、こんなに水浸しになったんだよ?」

「顔を洗ってたらね、虫が出てきたような気がしたの。でもね、幻だったの」

「そんなので普通、水浸しになるか・・・・・・?」

「おい、おっさん。俺がガートルードの頭を拭くから、お前は・・・・・・」

「絶対にやだっ!!ルーカスさんに頭を拭いて貰うのっ、優しくっ!!」

「・・・・・・」

「しょうがないなぁ、ガートルードは。も~、可愛いなぁ~」



今回ガーティと呼んでいますが。(こっちが本来の愛称)


義母が「ルールーちゃん」と呼んでいる理由はアレクサンダーと再婚後に「そう言えばガートルードは。小さい頃は何故か自分の事をルールーちゃんと呼んでいた」と言い出して。


それを聞いて「なんて可愛いの!!」と感激して、ルールーちゃんと呼び始めました。

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