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14.魔術仕掛けの扉と彼女の提案

 

















「ピクニックに行きませんか、ルーカスさん?」







 麦わら帽子を被ってそのつばを掴んだまま、彼女が首を傾げる。



 さらりと煌き落ちる銀髪に青く澄んだ瞳がこちらを見つめていて、何故か心臓がおかしな音を立てている。





 ガートルードは淡い青色のワンピースを着ていて、その透けるようなシフォン素材が十九歳らしい瑞々しさと可憐さを引き出していた。






(初めて。軍服以外の服装を見たなぁ・・・・・・・・)





 彼女は淡い青色のヒールの高いパンプスを履いている。




 どうしてそれを見てもやもやしているんだろう。




 その大人っぽい青い雫型のイヤリングも、胸元で光っている青い宝石のネックレスも、まぶたに乗せられたピンクのアイシャドウも、マスカラを塗った黒い睫も何もかも。




 どうしてこんなにも苛立って胸がもんやりとするのか。



 どうしてこんなにも腹立たしい気持ちになってしまうのか。





(彼女だってそりゃあ、十九歳なんだし・・・・・・オシャレぐらい、するだろ。普通)








 でも消えてはくれない、この胸のモヤモヤは。




 訳が分からないままに読んでいた本を閉じて、可愛らしい服装のガートルードを見上げる。




 目の前に立った彼女は期待に満ちた青い瞳で、こちらを見下ろしていた。







(褒めて欲しいのか? でも)






 褒めたくなかった、どうしてだろう。こんなにも可愛いのに。



 大人気ないとはよく理解しつつも、その服装には触れなかった。






「ピクニックって、一体どこへ? ここはお前のパパが作った牢屋なんだが?」

「そうですね。そして私と、ルーカスさんの愛の巣でもあります」

「何だよ、それ・・・・・・・」







 何を、どう言っていいのかがよく分からない。


 正体不明の苛立ちとモヤモヤに息が詰まっていた。






「そんな、格好。別にしなくてもいいだろ。見る奴は、俺しかいないんだから」






 不貞腐れたような言葉に彼女が青い瞳を瞠る。


 どうやらショックだったらしい、麦わら帽子のつばを掴んで見下ろしてきた。





「一体、どうしてそんなことを言うんですか? ルーカスさんに、褒めて欲しかったのに・・・・・・」






 その悲しそうな声に胸が痛んだ、でもよく分からない。


 ただひたすらに胸がモヤモヤとする。






「似合ってる。似合ってるよ、ガートルードちゃん。でも、お前は。何もしない方がよく似合っていて、」

「そんなの、ルーカスさんの傲慢と偏見だわ」







 彼女がむぅっとくちびるを尖らせていたものの、可愛いとは思えなかった。いつもは可愛いと、そう思うんだが。






「違うだろ。・・・・・・別に、いいんじゃないか? そんな風にオシャレしなくとも」

「何でですか? 私が可愛くなっちゃうのがそんなに嫌ですか?」

「嫌だ。・・・・・・何だかよく分からんが、嫌だ」






 彼女にはいつまでも子供でいて欲しいのか。


 それとも。






「他の女を、思い出すからな・・・・・・・・」





 と呟いたところで殺気だった彼女がスカートを摘まんで、白い足を持ち上げて、がぁんと後ろの壁を蹴り飛ばした。




 すぐ横の白い壁に、青いパンプスのヒールがめり込んでいる。



 ぱらぱらと音が聞こえてくる、俺のすぐ横で。




「他の女って。一体誰のことなんですか? ルーカスさん?」

「い、いや・・・・・・ちょっ、ちょっと待とう? 何で今俺、君に脅されているのかな?」







 怖い、普通に物凄く怖い。



 首の真横にパンプスのヒールが突き刺さっている。



 彼女が猫のように青い瞳を細めて妖艶に笑った、その微笑みに見惚れていた。





「私。ルーカスさんの元カノによく似ているんですかね?」

「い、いや・・・・・・誰にも、似ていないよ。歴代彼女の誰よりも君が可愛いかな・・・・・・」








 何故だろう、死んでしまうような気がした。




 死んでしまうような気がしたから、咄嗟にそんな甘い褒め言葉を吐き出してみる。




 彼女がにっこりと機嫌良く笑う。そのことにほっとしていたがそれと同時に俺は、首の皮一枚繫がっているような、綱渡りしているような感覚に襲われる。







「そうだな、うん。誰にも似てないよ、ガートルード。君みたいに綺麗で可愛い女の子は、」

「そんな、褒め言葉。いらないんですよ、ルーカスさん?」






 がっと青いパンプスの踵が抜けて、ぱらぱらと音が聞こえてきて、彼女が品よくスカートを直した。





(こっ、こえぇー・・・・・・なっ、なんで俺、今。こんな風にして責められてんのかな・・・・・・?)






 青ざめるこちらを見下ろしてにっこりと笑う、彼女はもう無表情の女の子ではなかった。





「ピクニック。行きましょうか、ルーカスさん? 貴方の下らない、ご機嫌取りの甘い言葉なんて聞きたくは無いの。きちんと行動で示して欲しいものだわ。ねぇ?」

「は、はい・・・・・分かりました」







 何も分かっていないが、今許されているのは従順な「はい」という言葉だけということが。


 そんなことだけがよく分かったのだ、痛いほどに。




























 美しい魔術の数式が描かれている丸い扉の前にて、ルーカスは佇んでいた。




 目の前に彼女が座り込んで、ぼぅっと銀色の炎を丸く巡らせて、描かれた蛇やドラゴンがずるずると動き出してかちりという音が響き渡る。





「凄いな・・・・・・流石は一等級国家魔術師だ」





 俺が呟くと、彼女が嬉しそうに笑ってこちらを見上げてくる。



「私がオシャレしてるのに、どうしてルーカスさんは囚人服なの?」と聞かれてしまったので、不思議そうな表情の彼女にこと細かく出して欲しい服の特徴を伝えてみた。




 するとガートルードは奇跡的なことに、俺の欲しい服を出してくれたのだ。



 そのことを考えると涙が出そうになる。良かった、変な服を出されなくて。




 折角だから俺は彼女とお揃いにしようと思い、麦わら素材のカンカン帽を被って白いTシャツを着て、その上から淡いグリーンのジャケットを羽織って同色のスラックスを履く。




 これは流石にちょっとあれかと思ったが、イヤリングも彼女とお揃いにしてみた。



 ピアスの穴はとっくに塞がっていたのだ、それに中性的なデザインだったし。





「なぁ? ・・・・・・ガートルードちゃん?」

「一体どうしたんですか、ルーカスさん? 折角私が魔術で外に繋いであげたのに、何だか浮かない顔ですね?」







 そこで無表情の彼女がこちらへと迫ってくる。



 そのふっくらとした赤いくちびるに、昨日の親愛のキスとやらを思い出して頬が熱くなる。



 理由はやっぱり聞けなかった、考えないように考えないようにしている。



 あのキスの意味を。








「っこの。イヤリング。やっぱり外した方がいいかなって。そう思って」

「だって、仕方が無いでしょう? ピアスの穴は塞がっていたんですから」

「いや。そういう意味じゃなくってだね・・・・・・・」






「それじゃあ、どういう意味なの?」と至近距離の彼女が青い瞳を細めて笑う。




 心臓がまた、騒ぎ出すような気がした。




 彼女が確実に少女から大人に変身しているようで、まともにその顔が見れなくなって目を逸らす。





「いや、だって。お揃いとかはその、好きな男とやればいいんじゃないか?」

「あら。だっていないもの。そんな人」






 ガートルードが手を伸ばして俺の耳に触れる。




 青く澄んだ瞳を細めて、その妖艶な表情に息を飲み込んでいると、青い雫型イヤリングを手で弄んで軽く引っ張り始める。





「いいでしょう? これ。初めて見た時からきっと、ルーカスさんの髪に映えると思ったの」

「そっ、それは別にいいんだが・・・・・・・あと、近いからもうちょっとだけ離れて?」

「いつもの距離じゃない、こんなの。お膝にだって乗っているのに?」

「いや。それはそうなんだが・・・・・・・」






 どうしてだろう、今日は色々とおかしい。



 いつもの風変わりで可愛い彼女がまるで、別人のように見える。



 その煌く銀髪も青く澄んだ瞳も何もかも、こちらの胸を締め付けてくる。






「さぁ? それじゃあ、ルーカスさん?この先はとある森の小川へと繫がっているので・・・・・・・ルーカスさん?」







 気が付けば腕を伸ばして、不思議そうな彼女の白い手首を掴んでいた。






「手を。繋ぎたいとか、あー・・・・・悪い。なんもない」





 何故そんな言葉が滑り落ちたのか。





(心の中で言うだけにしとけば良かったのに。何で俺は、一体どうしてこんなことを)





 彼女がにっこりと綺麗に笑って、扉を開けようとしていたのにぎゅっと手を握り締めてくれる。



 そして俺の両手を握り締めると、下から可愛らしく見上げてきた。




(こんなの、まるで。恋人同士みたいだな・・・・・・・)





 俺が俯くと、彼女は何も無かったように無邪気に笑ってはしゃぎ出す。





「それじゃあ! ルーカスさんが転んじゃったら心配だから! こうして繋いでいましょうか! お爺さんだし、ルーカスさん!」

「誰がお爺さんなんだよ、まったく・・・・・・・」






 泥沼へと沈んでいっているような気がする。




 風邪を引いてから彼女は変わった、膝に乗る時だってこちらを見上げてくる時だって、いつもとはどこか様子が違う。




 その動物らしさが抜け落ちて、一人の美しい女性に見える。



 彼女と手を繋いで丸い扉を開けて、背中を少しだけ屈めて森へと足を踏み入れる。





 途端にふわりと、清涼な空気が漂った。




 頭上では鳥が囀って、きらきらとした陽射しが湿った地面と森の木々を照らしている。






「っはー! 久しぶりだなぁ、外に出るのも・・・・・・何か、変な感じだ。空が青い」

「もう少し進むと開けた所にでますよ。ああ、あと」






 隣の彼女がこちらを見上げて笑う、繋がれた手が少しだけ熱い。汗ばんでいる。


 柔らかな手だった、少女らしい。






「足元に気をつけてくださいね、ルーカスさん。ルーカスさんの嫌いな虫が出たら、私がじゅわっと魔術の炎で焼いてあげますからね!」

「やめろ! 山火事にでもなったら一体どうするんだよ!?」

「気にするところ、そこなんですか? ルーカスさん?」

「そこだよ、ガートルード。お前はもう少し周囲のことを気にかけなさい。いいな?」








 いつも以上に保護者ぶりたかった。こうやって手を繋いでいるのも、父親とか兄とかそんな関係性で繋いでるもんだと思っていたかった。




 それなのにガートルードがぎりっと、繋いだ手を握り潰してくる。




「っ痛いって、ガートルードちゃん!? 何でそんなに怒っているんだよ!?」

「その保護者面がやかましいです、ルーカスさん。ただちに黙ってください。ただちに」

「は、はい・・・・・分かりました。そうします・・・・・・」

「はい。それでいいの、ルーカスさんは。それで!」







 今いちよく分からない、彼女は一体何に対してこんなに怒っているんだろうか?




 よく分からないままに森を歩く。




 苔むした地面と折れた木の枝と、木々の隙間から見える青空に深く溜め息を吐いた。






(鳥の。声しかしないな・・・・・・・)







 美しくひたすらに鳥が囀っている、それなのに隣を歩く彼女は悲しそうだ。



 その腕にピクニックバスケットを下げて、つい先程までは「あとでこのサンドイッチを食べましょうね、ルーカスさん!」と嬉しそうに笑っていたのに。





 堪らない気持ちになって唾を飲み込む。



 出来ることならずっと笑っていて欲しい、幸せでいて欲しい。



 彼女の手を優しく握り締めて、意識してなるべく穏やかな甘い声を出して。





「ガートルード。それ、よく似合ってるよ。さっきは、上手く言えなかったけど」

「嘘だー・・・・・・・ルーカスさんの、嘘吐き」

「何で嘘だって、そう決め付けるんだよ?」





 苦笑して言えば彼女が顔を伏せる。麦わら帽子で隠れていて、その表情がよく見えない。




 今すぐその帽子を剥いで両手を握って、足元に座り込んで慰めてやりたいような気がした。




 幼い子供にするみたいに。







「だって。微妙な顔をしてたんだもん。ルーカスさんが・・・・・・・」

「あー。あれは、その・・・・・・」





 まだ子ども扱いしていたいんだ、そんな風に急いで大人になってほしくない。




(でも、言ったら怒っちゃうかなぁ~。まぁ、怒るだろうなぁ)





 俺にとって彼女はやっぱりペットのような存在で。


 どんなに優しい言い方をしても、手のかかる妹のような存在で。





「だからだな、俺は・・・・・・お前に、その。そんな風に、踵の高い靴とか、まぁ、メイクとか? して欲しくないんだよなぁ」







 その言葉に黙り込む。


 手を強く握り締められて、その悲しみが伝わってきた。



 でもどうすればいいんだ、この愛おしさも母性も。


 変えようがないだろう、ただそれよりも何よりも。






「あのな? ガートルード? こういうことはもっと大きくなってから好きな男とすればいいから」

「私。十九歳だもん・・・・・・・」

「あー。まぁ。それは、そうなんだが・・・・・・・」







 どうすればいい、この空気を。


 俺はただ彼女に笑っていて欲しいだけなのに。


 こんなにも上手く行かない、彼女はまだ笑ってくれない。


 二人で黙り込んだまま森を歩く。




 初夏の森は美しく、ひんやりとした空気には緑と土の匂いが混じっている。


 ぴちちと頭上で鳥が囀った、そこで彼女がようやく口を開いた。






「私。何歳になったらいいの? 何歳になったら大人だって。その、認めてくれるの?」

「うーん・・・・・・それはそれで難しい質問だなぁ」





 いずれ俺はいなくなるのに、こうして彼女と手を繋いで歩く男も俺じゃなくなるのに。




 無駄だろうにこの感情も愛情も。それなのに彼女の笑顔が見たいと思っていた。



 馬鹿みたいに。だから頭を回転させて考え込む。



 一体彼女は自分に何を求めているんだろうと。





「別に、お前が。・・・・・・子供っぽいという訳じゃない」

「詐欺師のくせに慰めが下手くそ過ぎる、やり直し。却下」

「た、頼むから許してくれよ、ガートルードちゃん・・・・・・・」









 素直に彼女にこの気持ちを伝えてみようか。そうすればきっと、彼女も笑ってくる。




 倒木をまたいで彼女と手を繋いで、二人で初夏の森を歩いていた。



 ひんやりとした空気が心地良い。ずっとずっと、彼女とこうしていたい。






「お前に、笑っていて欲しいんだ。あー・・・・・こういうのは。上手く言えないんだが」

「上手な言葉なんていらないの。ルーカスさんの気持ちが欲しいの。分かる?」






 悲しそうに見つめられて息が止まりそうになった、何故かはよく分からない。





「何となく。・・・・・・分かる気はするよ、それは。えーっと、気遣いの気持ちとか?」

「優しい気持ちとかね。そっちの方がしっくりくるかもしれない」

「あー。そうだな。優しい、気持ち。ね・・・・・・・・」






 そんな気持ち、ろくに持ったことが無い。




 そもそもの話、深く考えて生活していなかった。



 彼女と言う、認めたくは無いが大切な存在が出来て考えるようになった。



 軽い気持ちで発した言葉は彼女を傷つけてしまうから。






「笑っていて欲しいんだ、本当に。・・・・・・上手く言えないけど、頑張ってみる」

「頑張ってみて、ルーカスさん」





 彼女が笑って俺も笑う、ああ、ようやく笑ってくれた。



 こんなことだけで泣き出してしまいそうになる。






「だから。ある意味でお前は特別な存在なんだよ、ガートルードちゃん?」

「ある意味では? ある意味ではってどういう意味? ルーカスさんっ?」






 彼女がふすふすと興奮気味に見上げてくる、可愛い。




「可愛いなぁ、ガートルードちゃんは。そうだよ、俺は。そういう顔をずっと見ていたくって、」

「ならやめます。一生、無表情の真顔でいます」

「おい。何でなんだよ・・・・・・? 俺への嫌がらせか?」







 そこでふと気が付く、彼女の無表情も可愛いということに。


 しばし考え込んでから口を開く。




「・・・・・・うん。でも、いいんじゃないか? ずっと無表情でも」

「えーっ? 何で? どうして? ルーカスさんは、私がすっと一生無表情でも、」

「そうじゃなくて。可愛いからだよ、ガートルード」





「何をしていてもお前は可愛いからな」と呟いて足元の木をまたいでいると、顔を真っ赤にした彼女がこちらを見つめてくる。




 その無防備な青い瞳に我慢が出来なくなってしまって、俺はつい。






「ほわぁっ!? るっ、ルーカスさんっ!? えっ、何!?」

「な、何でもない・・・・・・今のはそうだな、ただの風だと思っていてくれ」





 彼女が真っ赤な顔で自分の額を押さえてる。腕に下げたピクニックバスケットが重たそうだ。





 俺が持つと言ってみたんだが「ルーカスさんが筋肉痛になったら困るから!」と言われてしまい、俺は「そうか・・・・・」としか呟けなかった。




 手を繋いだまま顔を背ける。どうでもいいことばかりを考えて気を逸らす。





「えーっ!? でもっ、今っ、私のっ、額にキスしたでしょう!? ちゅって! ちゅって!!」

「あーっ、もうっ、うるせえなぁ! お前はいちいち、いちいち!!」

「だって、ルーカスさんがしたんでしょう? その、私にキスを・・・・・・」





 気まずく黙り込む。


 這い出てきた感情にがっちりと蓋をしていた。





「そうだな、これは。父親的な愛情であって・・・・・・・」

「パパだってしないもん、そんなこと。私、もう十九歳だから。それに」





 彼女がぐいぐいと繋いだ手を引っ張ってくる。その可愛い仕草に頬が緩みそうになった、可愛い。






「ルーカスさんは血も何も繫がっていない、赤の他人でしょ! 男性でしょ!!」

「いいから、もう・・・・・・・そういうのは」

「よくありません! ねぇ、ルーカスさん? 一体どうして今キスをしたんですか? ねぇねぇ?」

「知らん・・・・・・俺でもよく分からん」







 よく分からない感情に支配されている、どうかこのまま気が付きませんように。






「あっ! ルーカスさん! 見てください、湖ですよ!」

「川って言ってなかったっけ? お前?」

「川も湖も一緒でぇーすっ、てえええいっ!」

「待て待て、飛び込むなよ!? 落ちるぞ!? 待ちなさい、ガートルード!!」







 駆け出した彼女に慌ててしまう。事故にでも遭ったらとか溺れてしまったらどうしようだとかそんな怖い想像ばかりが駆け巡って、必死に腕を伸ばして捕まえる。






「っは! ようやく、捕まえた・・・・・・!!」

「んんーっ! 離して下さい、ルーカスさんっ! 水遊びがしたいですっ、私っ!」






 ばたばたと彼女が手足を動かしていた。



 すぐ目の前には湖があって、岸のぎりぎりで捕まえることが出来てほっとする。



 だがこれでは誘拐犯にしか見えない。渋々と彼女を持ち上げてひょいっと担ぐ。





「わぁっ!? お姫様だっこがいいです、お姫様だっこが!」

「うるさい。大人しく肩に担がれておけ。まったく・・・・・・」






 不満そうな彼女を抱えて、失わなかったことに酷くほっとする。



 もうこの前みたいな気持ちは味わいたくない、二度と心配なんてしたくないんだ。





「あーっ、もう。森なんかに、来るんじゃなかったなぁ~」

「えーっ? どうして? 私とお出かけしたくないの?」

「したいよ。でも、目を離した隙に。お前が、その。どこかに行ってしまいそうで怖いんだ・・・・・・」






 彼女のことだから、目を離した隙に大怪我をするかもしれない。



 それが一番怖かった、彼女を失うことが何よりも怖かった。





 それまでじたばたと暴れていたガートルードがぴたりと動きを止めて、頑張って腕を伸ばして俺の頭をよしよしと撫でてくれる。





「大丈夫よ。ルーカスさん。私。怪我もしないし貴方の下にちゃんと帰ってくるから」

「それこそ嘘くさいな、分からないじゃないか。後悔してからじゃ遅いのに?」






 彼女に頭をわしゃわしゃと撫でられる、その温度に口の端が緩んだ。




「俺は。とにかく俺はお前を見張ることにした。何をしでかすか分からんからな、お前はな」

「しないもーんっ、そんなこと何も・・・・・・私はいつだって常識的だもーんっ」

「何だ? 今の間は。はーあ、まったく・・・・・・・」






 笑って彼女を運ぶ。手足をばたばたとさせて「これもこれで悪くは無いわね!」と笑って、俺の肩の上を満喫していた。




 穏やかな湖がよく見えてなおかつ座り心地が良さそうな場所を発見して、二人でシートを持ち上げる。






「もう少し端を持ってくれ、ガートルード。何でそんな、指先だけで摘まんでいるんだ?」

「ピクニックシート、触るのが初めてで・・・・・!!」

「マジか、お前。今まで学校とかではどうしていたんだ?」

「クラスメイトにやって貰っていた。終わり」

「終わるな! 今度からは自分でちゃんとしなさい。いいな?」

「ぶー・・・・・・」







 そんな会話をしながらも腰を下ろす。うきうきとした様子の彼女がささっと、俺の膝に乗ってきた。







(ああ、何だかんだで)





 この体勢が落ち着くなと思って彼女を抱き締めていると、ふわりと甘い薔薇のような香りが漂ってくる。






「ルーカスさん・・・・・・」

「どうしたんだ? ガートルード?」






 彼女が俺の腕に手を添えて、目の前の湖を眺めていた。おそらくはそうだろう、後ろから抱き締めているため顔が見えない。




 青い湖面が静かに揺れて、午後の光をきらきらと反射していた。






「幸せですね。二人でこうやっているの」

「・・・・・・・ああ。そうだな」






 顔と耳が熱くなった、鼻血が出る前みたいに。




 悲しいのか苦しいのかよく分からなくなってそのまま、彼女の肩に顔を埋めていた。





「そうだな。ガートルード。・・・・・・これも、いつかは終わるんだろうけど」





 返事は無かった。彼女が静かに泣いているような気がした。



 やがて沈黙に耐え切れなくなって顔を上げ、無理に明るく笑って話しかけてみる。





「っそんじゃあ、ガートルードちゃん? 俺と、一緒にお昼ご飯でも食べようか?」
























「んぐんぐ、もう、もーっ、ももっ、んわっ、んぐっ! むっ?」

「いいから! きちんと全部食べ終わってから話しなさい!」

「んむんむ、むーっ、むーっ、むーっ、むーっ」

「何を言っているかよく分からんが、俺への文句だな?」







 白い頬をぱんぱんに膨らませた彼女が笑う。



 俺もつられて笑って彼女の毛先についたパン屑を取ってやる。



 目の前に座った彼女がようやくそれを飲み干して、青い瞳に涙を滲ませていた。




「ぷはっ! ルーカスさん、それください!海老のフライだけ欲しいです!」

「何でフライだけ? 野菜は?」

「いらないです!!」

「だと思った。却下だ」

「えーっ!? ルーカスさんのけちーっ! えーっ!?」

「自分のもあるだろ、自分のも・・・・・・」






 それでも彼女に弱い俺は、フォークとスプーンで海老フライを持ち上げて移し替えてやる。




「やっぱり。タルタルソースが溢れてきたな・・・・・・皿の上でして正解だった」

「ルーカスさんの神経質~。ぷー・・・・・・・」






 不満そうにむくれる彼女を見て笑う、可愛くて仕方が無かった。


 いつかは離れてしまうのに、彼女に俺は必要ないのに。



 皿によそってやって、フォークと共に手渡す。




「ほい。ガードルードちゃん。お望みのフライだぞ?」

「レタスも欲しい! あっ、あと、パンも欲しい!」

「丸ごとじゃねぇか、それは! ったく。それならそれで早く言えよ?」






 自分が食べていたサンドイッチを丸ごと手渡してやる。



 白い紙に包まれたそれを彼女が変な顔で受け取った。




「これ。海老フライが入ってない・・・・・・」

「お前に渡すために抜き取ったからな? こっから食いなさい、こっから」






 海老フライが乗った皿をずりずりと押して渡すと、にっこりと可愛いらしく笑う。


 喉が詰まりそうになった。






「ありがとう、ルーカスさん! ルーカスさんって何だかんだ言っても私に甘いよね! 好き!」

「お前な~・・・・・・・はーあ」






 その単純な「好き」の言葉に引っ掛かっていた。






(いや。まさか、そんな、な・・・・・・・・)





 動揺している。たかだかあんな単純な言葉で。




(だってどうせ。深く考えていないだろ、こいつも)




 ガートルードは目の前で、俺から奪ったサンドイッチを貪り食っている。




 ピクニックバスケットの中には彼女の義母が詰め込んだ、海老フライのタルタルソースサンドイッチにコーンクリームスープ、素朴な味わいの蜂蜜スコーンに、焼いた豚肉とレタスのサンドイッチが入っていた。






 彼女に奪われてしまったので、渋々と豚肉のサンドイッチを頬張る。



 それはもっちりとしたパニー二生地で、口に入れた瞬間甘辛い豚肉のタレが広がってゆく。



 濃厚なコーンクリームスープを飲み、ほんのりと甘い蜂蜜のスコーンも楽しんで食後に冷たい紅茶を飲んでいると、わくわくとした表情の彼女がとあるものを出してきた。






「わー・・・・・・うまそうだが、これは」

「毒なんて入ってませんよ、ルーカスさん」

「それは分かってるって、流石に」







 苦笑して彼女を見上げる。俺の手の中には、艶々の苺が沢山乗ったカスタードクリームタルトがあった。




 それは手のひらサイズの小さなタルトで、目の前に座る彼女が誇らしげに胸を張っている。






(頑張った。んだろう、な・・・・・・・多分)






 フォークを握り締めて、甘酸っぱい幸福に酔いしれていた。



 誰かが自分を喜ばせるために作ってくれたんだと、そう考えるだけで胸が狭くなった。






「ありがとう。・・・・・・ガートルード。うまそうだ。頂くよ」

「はいっ! そんでっ、いっぱい褒めてください! あっ、ああ、あと」






 そこでガートルードが照れ臭そうに顔を伏せる。






「さっきみたいに、その。おでこでいいから、キスして欲しいです!」

「駄目だ、それは却下だ」

「えーっ? 何で? どうしてーっ?」

「駄目なものは駄目だ、まったく・・・・・・・」






 さっくりとフォークで慎重にタルトを崩す。彼女が俺を見てるのが分かって、少しだけ緊張する。





(この子を、喜ばせるためにも)





 早々に食べてしまって褒めよう。



 口へ運ぶと、しっとりとした甘いタルト生地が崩れ落ちて、甘酸っぱい苺とカスタードクリームの優しい甘みがじんわりと広がってゆく。







「・・・・・・うん、うまい。ありがとう、作ってくれて。ガートルード」






 胸がいっぱいでそんなことしか言えない。





(こんなに不器用な人間だったっけ? 俺って)






 分からない。分からないが上手く言えない。


 喉も胸の奥も詰まっている。





「えーっ? それだけじゃあ、つまんなーいっ! ルーカスさん褒めるの、ど下手くそーっ」

「っぐ・・・・・!! お前はなぁ、ガートルード」






 ぷんぷんと頬をふくらませて、不満そうにこちらを見上げてくる。




 それを見て悪戯心が沸き上がって、先程彼女が言っていた言葉を思い出す。



 静かにフォークと皿を置いて、口元に付いていたカスタードクリームをぺろりと舐め取った。






「なぁ? ・・・・・・・ガートルードちゃん?」

「はいっ? なぁに、ルーカスさん?」

「さっきお礼なら。キスでいいって、そう言っていたよな?」







 その言葉に彼女がぼっと顔を赤くさせる。




 意外な反応に体が疼いてしまった、身を乗り出して彼女の白い手を掴んで握り締める。




 驚いたことに彼女は嫌がらなかった。




 むしろ顔を赤くさせて、嬉しそうにそっと青く澄んだ瞳を閉じる。




 首筋がひりひりとしている、まさか受け入れられるとは。



 キスをねだられているとは。



 にわかには信じがたかったが今更もう、止まることが出来なかった。



 自分でも混乱した思考のままごくりと唾を飲み込んで近付く。







「・・・・・・額でいいのか、本当に?」





 彼女の手を握って顔を寄せて、耳元で甘く囁いてみる。


 俺がしたくなったからだ、額以外にキスを。





「それじゃあ。その。くちびるが、いいです・・・・・・・ファーストキスがまだなので」

「よし、やめよう。それじゃあ俺はこれで・・・・・・!!」

「待って下さい。それはなしですよ、ルーカスさん?」







 あっさりと怖気付いてやめてしまう。



 俺はまだ生きていたいんだ、彼女の父親に殺されたくは無い。



 それなのにガードルードが妖艶に笑って、俺の手を握り締めてくる。





(だ。誰も見てないから。いいか・・・・・・・?)





 そんな言い訳を自分にして、彼女が青い瞳をまた閉じて。



 覚悟を決めて触れるようなキスをしてみると、彼女が不満そうにぷーっとむくれていた。





「足りません、ルーカスさんっ! もっとこう、ディープキスが欲しいですっ!!」

「おっまえな~・・・・・!! 何でそうもあっさりと、そんなことが言えるんだよ!?」

「だって、ルーカスさんにして欲しいから! ほらっ!?」

「おわっ!?ガートルード・・・・・・!!」






 彼女にぐいっと引き寄せられて、強引に舌を捻じ込まれる。



 その柔らかな甘い舌に酔って、ストロベリーとカスタードクリームの味わいが広がって夢中でキスをしていた。



 彼女の頭を抱えて舌を絡め取って、その歯茎を丁寧になぞってやると震えていた。



 そのことに興奮してもっともっと深くキスをしていると、やがて彼女が俺から離れて笑う。






「っは、ルーカスさん・・・・・やれば、出来るじゃないですか。キス」

「お前はなぁ・・・・・・・!! 本当に、んんっ」





 彼女がまた、獣のように襲い掛かってくる。



 彼女の背に手を回して応えていた、舌を貪り食われてぞくぞくとした甘い震えが腰に走る。




 翻弄されっ放しだった、最初から最後まで。


 出会ったあの時から今の今まで。


 俺は本当に風変わりな彼女に敵わない。






(ああ。でも。彼女の爪先にならキスが出来る・・・・・・・)






 忠誠を誓うキスが出来るような気がする。


 何だって与えてやりたいし、彼女の言う事なら何だって聞ける。




(だから、これも)




 その一環だとして気にしないようにした。



 這い出てきた感情に蓋をしてねだられたのだから仕方が無いと言い訳をして、そのまま暫くの間楽しんでいた。



 苦しくなるだけの恋心は封じて殺してしまいたかったんだ。



 どうしようもなく。
















「水遊び・・・・・・・」

「駄目。絶対駄目。危ないから、駄目だ。危険だ」

「みっ、水遊び・・・・・・!!」

「悪いが、それだけは無理だ。溺れでもしたら、一体どうするんだ?俺は泳げないのに!」

「泳げないんですか、ルーカスさん?」

「・・・・・・・」

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