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13.彼女の怒りと波乱の置き土産

 












「ルーカスさん。ルーカスさんは一体どうしてあんな手紙を書いて寄こしたんですか?」

「いやっ、あの。ちょっと待って。一旦、落ち着こう!? ガートルードちゃん!?」

「酷いです、私。ただでさえ、風邪で落ち込んでいたのに・・・・・・・」







 ガートルードが青く澄んだ瞳を伏せて、ふぅっと物憂げな溜め息を吐く。



 ルーカスはその顔を赤くしながらも焦って焦って、何故か床へと押し倒されていた。







「ちょっと待とう? ガートルード!? 本当に本当に、俺が悪かったからさ!?」

「ルーカスさんは。本当に何が悪いか、ちっともよく分かっていないでしょう?」

「いいや!! 分かってる、分かってるから、ちゃんと・・・・・!!」






 俺の両手首をがっちりと押さえ付け、物憂げな表情で見下ろしてくる。



 ガードルードのさらりとした銀髪が当たって、猫か何かのように笑っていた。



 青く澄んだ瞳は細められ、思わず息が止まってしまうほどの妖艶な微笑みだった。




 それを見てますます焦って、ぐぐぐぐっと、押さえ付けられた手首を動かそうとしてみるものの。





(や、やばい!! これは何か、途轍もなくやばい!! 殺されそう、やばい、どうしよう!!)





 動かせない、なんて力だ。




 三日ぶりに会えたのにどうしていきなり俺は押し倒されてしまったのか、訳が分からずに顔を背けていた。



 耳と首筋が熱い、きっと今の俺は真っ赤になっている。






「ちょっ、ちょっと待とう!? ガートルードちゃん!? 頼むっ! あのっ、本当にあの手紙のことなら、俺が全部悪かったから・・・・・・!!」

「ごめんなさい、で済んだら。警察も殺人もいらないんですよ、ルーカスさん?」

「えっ・・・・・!? 流石にここで、俺を殺すのは勘弁して欲しいな!? ガートルードちゃん!?」






 考えろ考えろと焦って、その頭を目まぐるしく回転させてとうとう限界が来てしまった。




 何故ならしきりにガートルードがゆっくりと、俺の腹を圧迫してくるからだ。




 俺の腹に彼女の膝が沈み込んでいって、寒気と吐き気が込み上がってくる。





「っいやいやいや! まさか本当に俺のことを殺す気じゃないだろうな!? 本当にごめんってば、ガートルードちゃん!?」








 それでも彼女は何も答えない。




 その代わりにさらりと銀髪を揺らして、深い溜め息を吐いた。




 そして更にぐっと腹を圧迫してくる、その恐怖に慄いて思わず叫んでいた。






「っ何でも! 何でもするから許してくれよ、ガートルードちゃん!? 俺はただ、君の将来が不安になっただけだったのに!!」

「そう、ですか。それならそれで、何をして貰いましょうかね?」

「っぐ、けほっ・・・・・・何をって別に、この牢屋じゃあ、たかが知れてるけどな・・・・・・・」






 ようやく解放して貰えたので、自分の喉元を押さえて好きなだけ咳をする。



 いつものカーキ色の軍服を身に纏ったガートルードは、黙って静かに正座をしていた。






(っう。おいおい、ちょっと待ってくれよ? あの座り方って、一体どこの風習だっけな・・・・・・?)





 びくびくと怯えて彼女の座り方を真似ていた、謝れば首を跳ね飛ばされそうな気がする。



 それぐらい殺気に満ちていて、威圧感のある無表情だったのだ。





「ごっ、ごめんね? ガートルードちゃん? 俺だってそりゃあ、お前とは離れたくなかったよ? だけどな? お前はまだまだ若くて、これからもっと色んな人との出会いがあるんだから、」

「そんな。おじさん臭いことを言わないで下さいよ、ルーカスさんっ」

「おわっ!? えっ、ちょっと待って? 一体、何事なんだ・・・・・・・? これは」






 ぼすんと、いつものようにまた胸の中へ飛び込んできたガートルードを受け止める。




 酷く満たされた気持ちで、胸が締め付けられながらも彼女を強く抱き締めていた。




 三日ぶりだ、本当に。





 俺は朝昼晩と、心配した彼女の父親と一緒に飯を食っていたのだ。




 どうやらアレクサンダーもこの自分をか弱いお姫様認定してしまったらしい。




 しきりに野菜と人参を勧められすっかり参ってしまった、兎のような食生活だった。




 色んな意味でずっとずっと、会いたかったガートルードの体を好きなだけ強く抱き締める。




 俺はこの三日間ずっとずっと、彼女のことが恋しくて堪らなかった。




 それなのにどうしてだか、今の彼女は猛烈に腹を立てている。





「ごめん、ガートルード・・・・・・それでも絶対にお前を悲しませちゃったよな? あんなのは全部嘘だよ。思ってもみなかったんだ、ごめん。そこまでお前を怒らせてしまうのなら、あんな手紙はもう二度と」

「私。怒っているんじゃないです、ルーカスさん・・・・・・」







 そこで俺から離れたガートルードが、うるうると青い瞳を潤ませていた。



 そのまま彼女がぽろぽろと真珠のような涙を流して、静かに泣き始める。



 それを見て先程よりも焦って、慌てて慰めにかかる。






「ひっ、酷いです。ルーカスさん。私。風邪で、ルーカスさんに。会いたくて堪らなかったのに・・・・・」

「わーっ!? ごっ、ごめんよ!? ガートルード!? そうか。あれはお前、悲しむ時の仕草だったのか・・・・・!?」






 だから彼女は俺を押し倒したのだ。



 きっとあれは、彼女なりの表現方法に違いない。





(今度から気を付けよう。もう二度と押し倒されないように・・・・・・・・)





 頭を撫でてやると、目元を擦ったガートルードが拗ねたように頬を膨らませていた。


 それを見て胸が締め付けられる。




(不甲斐ない。こんなにも俺は彼女を遠ざけようとしているのに)





 彼女に俺は必要ない、必要ない筈なのに。




 ふと気が付けば俺は、彼女の銀髪へと手を伸ばして優しく梳かしていた。




 ガートルードが不思議そうに首を傾げ、こちらを見つめてくる。




 その表情にまた愛おしさが募った。




「ガートルード。今日は何をして遊ぼうか? そんで、その。俺にして欲しいことってのは一体何だ?」







 何をさせられるのやらと、ちょっとだけ心配に思う。




 彼女はにっこりと可愛らしく笑って、またこちらの胸へ飛び込んでくる。




 笑いながらもそれを受け止めて、その細い背中を抱き締めて彼女の肩に顔を埋める。






(・・・・・・まぁ、いいか。もう少しだけ、このままでも)







 腕の中の彼女を抱き締めつつそう考える、顔を埋めてその愛おしさに酔っていた。






(どうせ、嫌でもすぐにやって来る。俺の刑期だって、そんなに長くなかったし)







 別れの時は嫌でもやって来る。


 だからもう少しだけ彼女の傍にいたいんだ、俺は。



 もう少しだけもう少しだけ、彼女の傍にいたい。



 もう少しだけ終わりを考えずに彼女の傍にいたいんだ。



 胸の奥が苦しく詰まって、息が出来なくなる。



 それでもどうしたって、彼女の傍にいて強く抱き締めていたかった。







「・・・・・・ルーカスさん。それじゃあ、お願いです」

「ん? どうしたんだ? ガートルード?」





 その淋しそうな声にごめんねと言ってやりたくなる。






(確かにずっとずっと一生、彼女の傍にいてやると、何かと楽しいんだろうなぁ~)





 色んなことをさせてやりたい、色んなことをしてあげたい。





(休みの日には水族館とか。ああ。動物園なんかもきっと、こいつは楽しくて好きだろうな)






 そしてその頭を好きなだけ撫でてやって、ソフトクリームなんかも買ってやったりして。




 そこまでを考えると涙が出そうになった、自分を惨めにするだけの妄想と想像はいらない。




 だからひたすら黙ってただただ、彼女を強く抱き締めていた。




 それまで黙り込んでいたガートルードがぎゅうっと、俺の胸元を握り締める。



 ほんの少しだけ動物園のコアラみたいだなと思う。






「出来る限りずっとずっと、傍にいて下さい。私から離れていくなんて、私の手を離そうとするなんて・・・・・・そんな、悲しいことはやめて下さい。お願いです。ルーカスさん」

「・・・・・・ガートルード」








 違うんだよ、ガートルード。


 お前が俺を置いていくんだよ、ガートルード。


 俺じゃないんだ、この手を離すのは。






(いつかはきっと、お前も、俺がどんなにろくでもない男か分かってくる)






 今はまだ十九歳でお前はよく分からないんだろうけど、でも。




 曖昧な微笑みを浮かべてガートルードからそっと離れた、こちらを見つめてくる彼女の白い頬に手を添える。




 見えやしないけど自分は今、酷い顔をしているんだろうなとふと思った。






「ごめん、ガートルード。でもきちんと考えて欲しい、俺だってさ? ずっとずっと、この牢屋にいられるわけじゃないんだからさ?」






 その言葉に彼女がぴたりと黙り込む。





(ああ、ごめん。ガートルード。でもこれが一番なんだよ。これが)






 俺だって彼女の傍にいたいと思う。



 でも彼女の父親だって母親だってそれを許さないと思う、俺に娘が出来たら、その子が大事な俺の娘だったらそんなことは絶対に許さない。





 絶対に絶対に自分の妻を騙して不倫していたような男に娘はやれないし、近付いただけで殺すと思う。








「ああ、何か。自分の人生、やり直したいと思ったのは。これが初めてかもしれないな」







 その頼りない声に彼女が驚いた表情を浮かべている。


 自分は今、一体どんな顔をしているんだろう。





(これは母性、きっと母性)






 無駄なんじゃないかと思うような呪文を何度も何度も繰り返し唱える。



 俺だって傍にいたいよ、ガートルード。


 お前の傍にいてやれたら、いつまでもその頭を撫でてやれたら。



 堂々と隣にいてやれる人間だったら良かったのにな。



 そんな俺らしくもないことを考える。



 自分は随分と感傷的な人間になってしまったらしい。



 それなので、甘えるように彼女の胸元へと額を押し付ける。






「・・・・・ごめん、ガートルード。俺、ちょっと弱ってるみたいだ」






 その謝罪に、彼女がふっと微笑んだような気がした。




 おそらくは優しい微笑みを浮かべて、俺の肩に手を置いて寄り添ってくれる。







「大丈夫ですよ、ルーカスさん。ごめんなさい。か弱いお姫様の貴方に何かと無茶を言ってしまって」

「か弱いお姫様、ね・・・・・・・」






 ずるりと、頭を動かして落ちていって力を抜いてしまった。



 ガートルードが俺の背中を優しく擦ってくれて、そのまま彼女の膝に縋っていた。



 自分の情けなさに顔が歪みそうになった。





(確かに俺は、彼女の言う通り)





 淋しがり屋でか弱くて繊細な人間なのかもしれないと、そう考えると歪んだ微笑みが浮かんでくる。






「・・・・・・・それじゃあ。ガートルード?」






 今だけは思考の全てを放棄して、彼女の傍にずっといられないだなんてそんなことは考えないようにして。




 ルーカスは綺麗な微笑みを浮かべると彼女に問いかけた。





「今日は何をして遊ぼうか? 何でもいいぞ?」






























「んーっとねぇ、それじゃあね~」






 ご機嫌な様子の彼女がくちびるを尖らせつつ、何やら大きくて白い箱を取り出した。



 それは俺の腰辺りまである箱で、一瞬だけこの中に死体でも入っているんじゃないかと思ってしまう。




 それぐらいこの箱は大きい。先程までの悲しみも吹っ飛んで、呆然と大きな箱を見つめていた。





(ひょっとして。巨大なカエルでも入っていたりして・・・・・・・?)






 ルーカスは顎に手を添えて、真剣な茶色い瞳で呟く。





「分かったぞ? これは魔術のびっくり箱なんだろう? なぁ?」

「違いますよぅ、ルーカスさんってば、も~」







 ガートルードは心外だと言わんばかりに、ぷーっと自分の頬を膨らませる。



 危うく「可愛い」と言いかけて、ぐっとその言葉を飲み込んだ。




 自分はいつか彼女と離れるのだからなるべくこの距離を縮めない方がいい。




 目の前に得体の知れない箱があるというのに、この頭はしきりに彼女のことばかりを考える。



 我ながら何て有様だと呆れて、胸が引きちぎれるような思いで話しかけた。




「あー、ガートルードちゃん? ちょっと。その、いいかな?」

「何ですか? ルーカスさん? 手紙のお詫びに後で、ホットケーキでも焼いてくれるんですか?」






 それは予想と言うよりも要求だろう。





「そうかそうか。ガートルードは俺にホットケーキを焼いて欲しいんだな?」と笑って言ってしまいそうになって、頭をぶんぶんと振って慌ててその言葉を飲み込んだ。危なかった。





 しかしきょとんと不思議そうな顔をしている彼女を見ると、何故か俺は何も言えなくなってしまって。





 もう、線引きとか将来とかどうでもいいんじゃないか?




 このまま彼女と一緒に楽しく遊んで、何も考えずに過ごしたらだとかそんな下らない考えがこちらの頭をぐるぐると回ってゆく────────・・・・・・・。






(いいや、しかし!!)






 線引きは必要だ、絶対に。




 ずきずきと胸が痛んだ、それでも声を振り絞って告げる。





「これからはもう、俺のお膝の上でお昼寝するのも。そのっ、手を繋いで踊ったりするのもお前にクッキーを焼いてやったり、ジャムを塗ってやったり、紅茶を淹れたりするのも、その。今日を限りにやめようと思ってだな・・・・・・!!」






 彼女が悲痛な表情でこちらを眺めている。






(ああっ、ごめん、ガートルード!! そうだよな!? 俺だってお前がお腹を空かせてるのも可哀想だし、紅茶だって人肌に冷まして渡してあげたいし、バターだって自分で塗れないんだもんな!?)







 彼女はとことん不器用である。


 だからこそ一人でバターも塗れないし、この間は苺ジャムをクッキーに挟むのだって苦戦していたのだ。






(ああ、可哀想に。ガートルード・・・・・・!! もう全部嘘だよって言ってしまいたい! 謝ってしまいたい!!)







 発言を取り消そうかどうか、そう悩んでいる間にも。



 彼女はかなりのショックを受けてしまったらしく、じんわりと熱い涙が浮かんでいた。






「るっ、ルーカスさんが、私のことをいじめる~・・・・・・・!!」

「わっ、わぁっ!? ごっ、ごめん、ガートルード!! 確かに俺が無茶を言いすぎた!! ごめん! ごめんねっ、ガートルードちゃん!?」







 めそめそと泣き出した彼女を慌てて抱き寄せて、そのまま強く抱き締める。



 愛おしく彼女を抱き締めながらも、己の不甲斐なさに歯を噛み締めていた。





(俺の馬鹿野郎!! なーにが将来のことを考えてだよ!? 無理だ、もう。何もかも無理だろ。こんなのもう・・・・・・)







 こんなにも可愛くて愛おしい、自分でもまさか。






「いや~・・・・・俺が。まさか。こんなに、母性に目覚めるとはなぁ~」

「・・・・・・母性?」





 ガートルードが物騒な声で繰り返す。




 その声を聞いた途端、背筋にぞっと悪寒が走ってただちに先程の発言を訂正するべきだと思った。




 何故かはよく分からないが、俺の詐欺師としての勘がそう告げている。





「っいや。何かほら、年齢的に言っても、そんな感じかなって・・・・・・いやっ、でも。うん。不自然だったかもしれないな?」






 ガートルードがすっと離れて、やたらと懐かしく感じる無表情を浮かべていた。



 何故だかそれを見ると、頭の中でサイレンと警報が鳴り響く。





(なっ、何だ? やたらと、何らかの無言の圧力を感じるぞ・・・・・・・?)






 しかし、どうすればいいのかよく分からない。


 こちらが青ざめて固まっていると、ガートルードが得体の知れない微笑みを綺麗に浮かべた。






「ルーカスさんって。まだ。たったの二十九歳ですよね?」

「えっ? はっ、はい。そうだと思います・・・・・・・俺はまだ、たったの、その、二十九歳だと思います・・・・・・」








 何故自分はきちんと両手を揃えて、彼女の話を聞いているのか。



 ガートルードはその言葉に美しい微笑みを浮かべる。





「なら、そこはせめて。妹とかにして欲しかったものだわ、ねぇ? ルーカスさん?」

「えっ? はっ、はい。すみませんでした。俺が、本当に悪かったと思います・・・・・・・」







 どうしてだろう、彼女から殺気を感じる。




 何か悪いことを言ってしまったのだろうかと考えてみるものの、心当たりが一切無い。




 ひとまず怖い微笑みを浮かべている彼女から目を逸らして、白い箱へと向き直る。






「あっ、ああ。ほらっ? ガートルードちゃん? この箱には一体、何が詰まっているのかなー?」

「・・・・・・魔術のお城です。砂遊びセットです」

「すっ、砂遊びセット・・・・・? 一体何だろう、それは?」







 そこでようやく深い溜め息を吐いて、白い箱へと向き直る。






「とりあえず。口で説明するよりも、見せた方が分かりやすいと思います。はい」

「おっ、おぉ~・・・・・これは。結構、高いんじゃないのか?」





 ガートルードが指を振ると、ぱっと白い箱が開いて消えてしまった。



 そこには灰色がかったほんのりと青い城がそびえ立っていて、その細工の見事さに息を飲み込む。





「えっ、え~? これが、あの、やや小さい箱の中に全部収まっていたのか・・・・・?」

「魔術で縮めてみたんですよ、それ。さーってっと。お城造りセットはっと~」





 彼女が足元に突然出現した白い箱から、何やら黄色いペンキ缶と新品の刷毛を取り出して。



 そしてやたらと凛々しい顔つきで、床に座って宣言をする。





「それではっ! 今から私はこのお城をまっきっきーに塗りたくるのでちょっと、」

「待とう待とう、ガートルード!? ちょっと待とう!? これっ、綺麗な青色だしっ!? 既に綺麗な青色なんだし、お前は不器用なんだからそんなことはしちゃいけません!! 風呂場直行になるだろう!?」






 慌てて未開封のペンキ缶と刷毛を取り上げて「えーっ?」とつまらなさそうな声を上げている彼女の頭を撫でてやってから、ふうっと深い溜め息を吐く。




 まったく、彼女と言う人間は目を離すと何をしでかすかまったくよく分からない。





(これだから世話が焼けるんだよなぁ~、はーあ。まったく)





 一方のガートルードは疲れた様子のルーカスを見つめて、不満そうにむくれていた。






(やっぱり。ルーカスさんからしたら、私ってまだまだ、ほんの小さいお子様なのよね・・・・・・・)







 そこまでを難しく考えると、くるるるるーっとお腹が鳴ってしまった。



 それまで突っ立っていたルーカスがこちらを見下ろして、ぐっとその口を閉じる。







(あれはもしや。可愛いと、そう言いかけたのでは・・・・・・・!?)






 私は何せ三日も寝込んでいたので、彼からの「可愛い」攻撃に飢えているのだ。



 これはもうおねだりしてみるしかない、囚人服の裾をぐいぐいと引っ張ってみる。





「ねぇねぇ、ルーカスさん? 私のことをその、ちゃんと可愛いって、そう言ってくれませんか?」

「なっ・・・・・!? いやっ、別に。俺はお前のことなんて、」

「泣きますよ、ルーカスさん。泣いて、ルーカスさんの頭をバリカンで剃りますよ?」

「ごめん。それだけはちょっと勘弁して欲しいな、ガートルード・・・・・・・・」







 そこで彼が深い溜め息を吐いた。


 言って貰えないのかなと、そう落ち込んでいると。





「可愛いよ、可愛い。あー、可愛い。お前は世界で一番可愛いよ~」

「目が合ってない!! ルーカスさんは思春期男子ですか? ねぇねぇ?」

「うっさい、誰が思春期男子だよ? そんなことよりも腹が減ったんだろう?」






 彼がピクニックバスケットの方を向いて立ち去ろうとしている。




 でも、それでは意味が無いのだ。




 もう一度服の裾を引っ張って引き止めてみると、彼が驚いたように振り返って茶色い瞳を瞠っていた。






「ルーカスさんの作ったものしか食べたくありません。嫌です・・・・・・・」

「何だよ? 嫌って。ああ、もう。しょうがないなぁ、もう」






 その割にはやけに嬉しそうに笑う。




 きっとルーカスさんは気が付いていない。自分がどんなに優しい顔をしているか。




 その度に何だか心臓がもぞもぞと動くような気がする。




 そうやって服を握り締めて座って、深く考え込んでいると。



「ちょっと待ってろ」と言って、私の頭をぽんぽんと撫でてキッチンへと向かう。




 これは見覚えが無いので、パパとルーカスさんがイチャイチャしながら設置したものだろう。






(あれだけ、もう。遊びに行かないでって。パパにもそう言ったのに・・・・・・・・)







 それなのにパパは寝込んでいる私をママに預けて放置をして、ルーカスさんと毎日楽しく一緒に過ごしていたのだ。




 仕事中だってわざわざ、魔術で身代わりを立てて抜け出して会いに行っていたのだ。




 そんなことを無表情で自慢されてしまった、腹立たしい。







(ルーカスさんは。私の好きな人なのに。どうしてパパが私よりも、ルーカスさんに会いに行くのかしら・・・・・・)







 そこでルーカスさんが戻ってきた。


 その手には何故か、兎さんカットにした林檎の白いお皿と銀色のフォークが握られている。








「お待たせ。ガートルード。飯だぞ?」

「・・・・・・いらない、そんなの」





 今いちよく伝わっていなかった、とても悲しい。





「私が。食べたいのはそんなものじゃないの。剝いた林檎とかじゃなくて、ルーカスさんが焼いてくれたクッキーが食べたい・・・・・・・」







 そこでルーカスが戸惑ったように自分の手元を見下ろす。




 そして消え入りそうな声でぼそりと呟いた。





「でも、俺は。これをお前に。食べさせて、やりたかったんだよなぁ・・・・・・・」







 それは。






(それは風邪を引いている、私に。ということかしら・・・・・・?)







 それなら食べたい、何故だかそんなことで一気に明るくなれる。




 胸がよく分からない嬉しさでいっぱいになって、満面の笑みを浮かべて見上げてみると。





 何故だか途方に暮れたような顔をしていた。




 そしてぐしゃりと顔を歪めると、床に座り込んでいる私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれる。



 その手はいつもより愛情深かった、それとも私がそう思いたいだけなのだろうか。






「・・・・・・もう。いいから。もう食えよ、ガートルード。もう、いいから」

「何も言ってないわ、ルーカスさん。私」

「言おうとしてただろ? だから、もうそれだけで十分だ。それ以上の言葉は聞きたくない」







 ねぇ。


 淋しいって、そう思っていてくれた?


 私に会えなくて淋しいって。


 そんなことを聞こうとしてやっぱりやめた。


 ルーカスさんの茶色い目の端に涙が浮かんでいたからだ。



 自分の両目を閉じて深く考え込んだ、同じ淋しさを持っていたとしたら。






「・・・・・・うん。私も淋しかったよ、ルーカスさん。私も、とっても淋しかったよ?」

「なんも。言うなって、つったじゃん、ガートルード・・・・・・!!」

「ふふふっ。また泣いてしまうのね? ルーカスさん?」

「別に、泣いてない。たかだか三日ぐらいでお前は大袈裟なんだよ」






 そこでふいっと、顔を背けてしまったルーカスに笑ってしまう。





「でも。だって、ルーカスさん? 手紙の端に付いていたじゃない、貴方の涙が!」

「うるせぇなぁ~、も~。んなもん、ついていない。付けた覚えもなし!!」

「ルーカスさんの嘘吐き。今日の晩ご飯、抜きにしますよ? それでもいいんですか?」






 ルーカスが疲れたように笑って、銀色のフォークで林檎の兎さんを突き刺す。




 きっとこれは私にくれる予定なんだろうなと考えると、くすぐったい気持ちでいっぱいになった。





「それは無いだろう、お前? この話の流れでさ~。ほい。口を開けろ」






 そう言われて口を開けると、几帳面に優しく赤い林檎を突っ込まれる。


 しゃくしゃくしゃくと噛み締めてみると、彼もまた優しく笑ってくれた。






(ずっと、見ていたいな。ルーカスさんが許してくれるのなら、ずっとずっと)






 その優しくて温かい笑顔をずっと見ていたいけど。


 でも彼にとって、私はまだほんの子供で。






「ルーカスさんがそう言えば。私のことを貧乳の極み女子って言った・・・・・・!!」

「言ってねぇからな!? お前はなぁ、ガートルード!? そうやって俺にあらぬ疑いをかけるんじゃない!!」







 自分のぺったんこの胸を両手で押さえて見上げると、彼が戸惑って体を揺らしていた。



 そして彼の胸元に目が行く、彼もぺったんこの貧乳だった。





「そうですよね。私。・・・・・・・ルーカスさんと。そう、変わりませんよね・・・・・・?」

「そういうことを、気にしない男を探して結婚しなさい。胸の大きさで結婚を決めるような男はただの屑だからな?」







 まるで母のように両腕を組んで、厳しく仁王立ちしている。


 ガートルードは物事を深く考えないタイプだったので、きわどい質問をしてみた。





「それじゃあ、ルーカスさんは。気にするタイプですか、お胸の脂肪を?」

「そりゃあ、俺だって。ある程度は気にして・・・・・・・・」






 そこでぴたりとルーカスが黙り込む。



 私は何故だか世界中に分布している巨乳女子の豊かな乳房を削り取って毟り取って、焚き火にでもくべて、槍をぶんぶんと振り回しながらどんどこ踊ってやりたい気持ちとなった。




 これは死ぬほど腹が立つ、そして惨めな気持ちになる。






「もう一個だけ林檎を下さい。ルーカスさん。それから後で綿飴とクッキーを作ってください」

「綿飴は無理だが、クッキーぐらいは作ってやる。この前のメープルバタークッキーでいいか?」

「それでいいです! 美味しく食べたいです!!」



























 向かいに座ったガートルードが俺の作ったクッキーを食べている。




 その白い口の端に付いてしまった、クッキーの欠片を取ってやりたい衝動に駆られつつ目を逸らす。






 いくらどんなに俺が彼女を大事にしていても意味が無いんだ、何も。





「あー、次は。城壁に兵士でも設置してみるか?」

「しません、ここは永世中立国です。いざとなれば皆で死にます」

「いや・・・・・・永世中立国ってのは、そういう意味じゃなくってだなぁ~」






 何だか疲れて反論するのをやめてしまう。自分でもずっと、いつか来てしまう別れの時を考えている。






(無駄だろう? そんなこと。考えたって何も始まりはしない・・・・・・)






 ぐだぐだと考えるのが面倒になって、自分で作ったメープルクッキーを食べ始める。




 さくさくほろりと、芳醇なバター生地が崩れ落ちてメープルの甘みがじんわりと広がってゆく。




 自分でも中々に上手く出来た。




 彼女のためにと作っていたら、随分とお菓子の腕が上がったような気がする。






「ルーカスさん? ここっ、ここはっ、一体どうしたらいいと思いますか?」

「何だ? ・・・・・・あー。これが本当のお姫様部屋か」





 彼女に手招きをされて、メープルクッキーを片手に後ろから覗き込む。




 その城の中には紫色の寝台と紫色の絨毯が敷き詰められた、だたっ広くて豪華な部屋があった。





 それを見て、流石の俺も黙ってしまう。






「・・・・・・なぁ? 一体どうして、紫色一色にしたんだよ?」

「素敵かと思って。高貴な色でしょう? 紫色って。血筋が良い人の大好きな色!」

「そこだけを聞くと。何かちょっとあれだよなぁ~・・・・・・・はーあ」







 背後から腕を伸ばしてみて、その悪趣味な寝台を持ち上げる。



 先程もう少し品のある淡い薔薇柄と白いレースの寝台を見かけたから、それを設置してみよう。




 それなのにガートルードが焦ったようにこちらを振り向いて、思ったよりも近い距離に焦って動きを止めて、青く澄んだ瞳を見つめていた。







(あ・・・・・・)





 自分でも時が止まるのが分かった。



 そのまま柔らかいくちびるへと吸い付きたいような気持ちとなったがしかし、何とかぐっと堪える。






(下手に、好意でも抱かれたら面倒だ。一生離してもらえないような気がする)






 慌ててふいっと顔を背けて、悪趣味な紫色の寝台を握り締めて立ち上がった。





「あー。俺。こいつとちょっと、他の何かを交換してきて・・・・・・・・」

「待って下さい、ルーカスさん」






 ぎゅうっと、服の裾を握り締められて振り返る。




 彼女がほんのりと赤い顔で、こちらの服の裾を握り締めていた。




 それを目にした途端、心臓がおかしな音を立て始める。



 よく分からない感情が渦巻いてそれに支配されて、思考が停止する。




 ガートルードが恥ずかしそうに俯いて、そっと服の裾から手を放す。





「何でも。何でもありませんでした、ルーカスさん・・・・・・・」

「あっ、ああ? そんなら、それで。別に。いいんだが・・・・・・」






 何かが変わろうとしていた、自分の中で。






(おかしいな。風邪を引いたからか? ガートルードの様子が、いつもとは違うような気が)






 それとも、俺と彼女の関係性が変わろうとしているのか。


 答えは出ずに、ガートルードがこの牢屋を後にする。






「それじゃあ、また明日。明日は朝の四時半に来ようかと思います」

「絶対にやめろ、それは!! 俺はまだ眠くて寝てる時間だっつの! 分かったか?」

「え~? つまんなーいっ、早朝からルーカスさんのお腹に、びょえんって飛び乗りた~い!」

「俺が死ぬから、本当にやめて・・・・・・?」








 彼女が持ってきた白いショルダーバッグを手渡してやると、こちらを物言いたげな瞳で見上げてくる。




 その切羽詰まった表情を見つめてまた、違和感が俺の中で募ってゆく。






「明日も。また、その。来ても、いいですか・・・・・・?」






 俯いてぼそぼぞと呟いた彼女に胸が狭くなって、思わずぐっと抱き寄せていた。




 恋人同士のような距離に一瞬だけひやりとしたが、そのまま彼女を強く抱き締める。





 何も制御が出来ない、不思議な愛おしさに支配されている。




 ガートルードがふすんと鼻を鳴らして、強く強く、子供みたいに抱き締め返してくる。




 そして予想外の質問をされた。






「ルーカスさんは、その。好きな人だったり・・・・・・・誰か、付き合っている人はいますか?」

「はっ、はぁっ!? 付き合っている、人? 別に、いないけど・・・・・・?」






 その返答を聞いて「それならそれでいいんです」と、彼女がやたらと満足げな表情で頷いて。


 ぐいっとこちらの胸元を掴んで引き寄せて、突然のことに体勢を崩してしまう。







「うわっ!? ちょっ、ガートルード!? お前は一体、何をして・・・・・・・?」






 自分の頬に、ふにっと何か柔らかいものが触れる。




 驚いていると、目の前に立ったガートルードが照れ臭そうな微笑みを浮かべていた。




 一瞬だけ彼女がとても綺麗な女性に見えて、心臓がばくんと脈打った。





「親愛の、キスです。それじゃあ、ルーカスさん。また明日」

「・・・・・・あっ、ああ。また、明日な・・・・・・?」






 がしゃんと黒い鉄格子の扉が閉まる。


 その靴音が遠ざかっても暫くの間、ぼんやりとそこで突っ立っていた。




 自分の頬へと触れて、先程の柔らかな感触を思い返して。




 キスしたのだ、彼女はこの頬へと。







「えっ?・・・・・・いや。一体。どうして、俺にキスなんかを・・・・・・?」







 したんだと続けようとして続けられなかった、ひたすらに頭の中が真っ白だった。





 そして、時間差で。





 顔が熱くなってきて突っ立っていた、どうして彼女はあんなことをしたんだろうと考え込んでいた。





「いや・・・・・・本当に。えっ? あっ、ああ」






 そこでようやく事態が飲み込めて、意味も無く俯く。





「聞けば、良かったな。理由を・・・・・・・」





 聞いたところで何が起きるというのか。



 気が付きたくない認めたくない、何かが芽生えてきている。



 必死にそれらに蓋をして考えないようにする。



 認めたくないからだ、どうしても。



 どうしても。






























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