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11.父親の襲来と詐欺師の焦りっぷり

 





















 思わずばっと顔を上げて、姿も見えないのに声を荒げてしまう。






「っガートルード!? お前、一体どこに行ってたんだよ!? 俺は物凄く心配してたんだからな!? いやっ、そうじゃなくてそれよりも、何よりも───────・・・・・・・」

「何だ? 君は。随分と俺の娘と親しくなったようだな?」







 そんな声と共にゆらりと、青みがかった黒髪が揺れてダークブルーの美しい瞳が現れる。




 その深海のような双眸に戸惑って息を飲み込み、青年のような彼女の父親から距離を取った。




 アレクサンダー・シャンディと、そう呼ばれている男は無表情の真顔でこちらを見つめている。




 その服装は何故か、暖かくなり始めた今の季節にそう相応しくない真っ黒なローブ姿だった。





 アレクサンダーは黒髪を緩やかに結んで鎖骨へと垂らし、黒い鉄格子の向こうで首を傾げる。






「変だな、君は」

「はっ、はい? あの。俺は別に、貴方の娘さんに手を出したりなんかしていな、」

「雰囲気が少し。変わったような気がするな、君は」






 そこでアレクサンダーはふむと、白い顎へと手を添えて考え込む。



 そのまま顎を撫でつつ、戸惑うこちらをじっくりと観察してきた。




 人外者の血でも混ざっているのかこの男は、四十代後半か五十台半ばの筈なのに三十二歳辺りの青年にしか見えない。




 青年と表現すると少しだけ違和感が残るが、この男の纏う雰囲気は若々しく年齢不詳さが漂う。







「前に見た時は。何か、もっとこう、捻くれた思春期の大人のようだったのに。なんとまぁ、随分と変わってしまったもんだな?」

「いや、あの。今いち何を言っているのか、よく分かんないっすね・・・・・・・えーっと? アレクサンダー、さん? それとも、お父様とでもお呼びしましょうか?」

「俺はその言葉に、別の響きが篭っていないことを祈る」







 アレクサンダーはそう静かに呟くと、白魚のような手をかざして扉を開く。



 音も無く静かに黒い扉が開いて、俺が「流石に義理のお父さん扱いはしていませんよ!?」と訴えたのに、そんな弁明でさえ無視をしてすたすたと歩き始める。






(っくそ! こんなマイペースで自分勝手なところも、親子でそっくりなのかよ!?)







 だから浮気されて離婚されるんだと、半分逆恨みのような気持ちでその後ろ姿を睨んでしまった。




 こちとらガートルードの安否が知りたくて堪らないというのに。






(ああ、でも。聞いてもいい雰囲気なのか? これって・・・・・・)






 俺は肩身の狭い思いで、無表情のアレクサンダーの隣に腰を下ろしていた。



 ソファーの座面を叩いて無言で座れと促されたのだ、座るしかない。選択肢は一つしかない。




 頭上ではきらきらと豪華なシャンデリアが光り輝いている。




 このお姫様部屋は俺の趣味じゃないんだとか、果たしてこの男にお茶でも勧めるべきなのかとか、どうしてソファーの座面をぽんぽんと叩いて座れと指示されてしまったのか。




 ちっともよく分からずに青白い顔で座っていると、アレクサンダーはこちらが何も言っていないのにこくりと頷いて口を開く。






「実は今日は、卒業アルバムを持ってきたんだ。あの子の」

「ちょっと待って下さいよ。えっ? いっ、一体、何の話なんですかね? って、うおっ!?」

「これはあの子が十四歳辺りの卒業アルバムなんだよ。ほら」







 アレクサンダーは黒いローブの間からずるりんと、分厚い卒業アルバムを取り出した。




 それに何故かちょっとだけ偉そうな顔をして胸を張っている。今の一連の動作に胸を張るような要素は無いと思うんだが。






「親子でそっくりですね、あんたらは・・・・・・それで? 今日ガートルードは? 一体どうしたんですか?」






 アレクサンダーは卒業アルバムを開きつつ、あっさりと教えてくれる。





「今日はあの子は、風邪を引いてしまってね。ルーカスさんのぽんぽこが空いて、しくしくと悲しがっていたら可哀想だからと言って。食事とあの子からの手紙を持ってきた」

「ちょっと待って下さい。今、何ですって? 手紙? ぽんぽこ?」

「俺が、そう言ったんじゃないぞ? あの子が、そう言っていたんだ」

「いや。まぁ、それはそうなんでしょうけど。でも・・・・・・」







 そこで卒業アルバムが気になり過ぎて、アレクサンダーの手元を覗き込んでいたら腹がぐーっと鳴ってしまった。




 無言でアレクサンダーがこちらを見つめてくる、その間も腹はぐるぐると鳴り続ける。





(はっ、恥ずかしくは無いけど、居た堪れねぇ・・・・・!! くそっ! こんなことならちゃんと食っときゃ良かった!!)







 汗をだらだらと掻いて自分の腹の音を聞いていると、アレクサンダーが意外そうにぽつりと呟いた。







「君が腹が弱いと言うのは、本当の話だったのか・・・・・・いい。俺に遠慮せずに、下痢でも何でもしてくるといい」

「っいや、違うからな!? えーっと、そうじゃなくってただ!! 俺は腹が空いているだけでっ」

「何だ? 晩飯を食わなかったのか? 君は」

「えっ、えーっと、まぁ。食欲が湧かなくて、そんなところです・・・・・・・」







 俺が頭を掻いて説明すると、アレクサンダーは卒業アルバムを閉じてこちらを振り向く。





「ガートルードが、俺の娘が。君があまりにも淋しくて、食事も喉に通らない状態なんじゃないかと、そう心配していた」

「いやっ、違うけど。まぁ、その、何となく食べる気がしないというだけで・・・・・・?」

「来なさい、俺が直々に食べさせてあげよう。もう一人息子を持ってみるのも悪くは無い」






 アレクサンダーはゆっくりと立ち上がると、青みがかった黒髪を揺らしてピクニックバスケットの方へと向かう。





「ちょっ、ちょっと待って下さいよ!? お父さん、じゃなくって、アレクサンダーさん!」

「長いだろう? アレクでいい。皆、親しい者はそう呼んでいるからな」






 アレクサンダーはしゃがみ込んで、その蓋を開けて何やら熱心に覗き込んでいる。



 慌てた俺もそれに続いて中を覗き込み、おそるおそる話しかけた。





「いやいや。親しい人って。それはまさか、」

「これはあくまでも、れっきとした冗談だが。君が泣いて頼み込むのなら俺の娘をやらんでもない」

「いや、あの。冗談なんでしょ? それも・・・・・・あー、アレクサンダーさん?」






 途方に暮れた声が出てしまって、アレクサンダーがふっと鼻を鳴らして笑う。



 そしてその中からココア色のシフォンケーキとパニー二を取り出して、こちらを振り返って見上げてくる。





 その得意げな無表情はガートルードそっくりだった、瞳だけは深いダークブルーだったけど。





 また彼女への愛おしさが募ってゆく、風邪だと聞いたが早くこうして会いたい。





「君はやはり随分とまぁ、変わったことだな? それとも娘の言う通り君は、最初からそんな風にして繊細な男だったのか?」

「貴方までからかうのはやめてくださいよ、アレクサンダーさん・・・・・・あー。アレクさん?」

「そうだ。それでいい。呼び名など、変えたところでどうと言うことはないがな」





 相変わらずこの親子は今いち何を言っているのかがよく分からない。





 その不思議さに戸惑いながらも床から立ち上がって、無表情のアレクサンダーからシフォンケーキとパニー二を受け取っていた。




 これはまるで店の商品のようにセロファンに包まれていて、ほよほよとした柔らかな感触に微笑んでしまう。美味しそうだ。




 もう片方のパニー二はずっしりと重たく、見たところ中には具材がぎっちりと詰まっているらしい。







「それは俺の自信作なんだ。良ければ食べて、是非ともその感想を聞かせて欲しい」

「これってあんたが作ったものだったのかよ!? って、いやいや、ちょっと待てよ? それじゃあ俺が、その、今朝食べたものってもしかして・・・・・・?」






 アレクサンダーはふるふると首を横に振ると、少しだけ残念そうに呟いた。





「いや。そちらはその、娘の手作りなんだ・・・・・とても、残念な事に。俺は焼きたての美味しいスコーンをちっとも食べさせては貰えなかったんだよ」

「あっ、ああ・・・・・それはその、俺の為にすみませんでしたね?」

「本当に。だからせめてものそれは復讐と歓迎だ。俺のその、作ったシフォンケーキとパニー二を食べて味を褒め称えるがいい」






 ぱぱーんと、何かが打ち鳴らされているかのように胸を張って白い手を添える。




 無表情でふんぞり返っているアレクサンダーを見つめて、思わず半目になってしまった。






(やっぱり似ているな、この親子は・・・・・・何を言っているのかがさっぱりよく分からん!)






 手元のシフォンケーキを見つめてじっと黙り込んでいると、アレクサンダーが二の腕を組んで満足げに頷き始める。






「とりあえずはそれを食え、ルーカス。それを食ってその美味しさに咽び泣くといい。分かったな?」

「いや。分かったな? って。そう言われましても」

「今のは半分、本気のジョークだ。いいからそれをさっさと食え。腹が減っているんだろう?」

「いや。ピクニックバスケットに皿が入っている筈だから、それを全部出して席についてから食べたいんで俺は・・・・・・」






 その言葉にアレクサンダーが変な顔をする。





「君は意外と、几帳面な性格なんだな? いいからさっさと食ってしまえ、さっさと」

「いや。急かさないで欲しいですけど。アレクサンダーさん・・・・・・?」

「俺は早く、君に卒業アルバムと手紙を見せたいんだ。さっさと食え、さっさと」






 そう言って強引にぐいぐいと、こちらのシフォンケーキとパニー二を奪い取ろうとしてきたので焦ってしまう。こういう所は本当にガードルードそっくりだ。






「いやっ、あのっ、俺。実は立ったままで食べると、喉に詰まらせやすいんですよー! それに折角作って持ってきて貰ったものだし、そのっ、きちんと味わって食べようかと! そう思ってですね!? お父さん!?」





 ぴたりとアレクサンダーの動きが止まる。そして満足げな無表情で頷くと、ようやくこちらから手を放してくれた。






「そうか。それならそれで、俺もゆっくりと待つことにしよう。何分かかる? 三分か?」

「いや。あの。それって、ゆっくり待つ気ゼロですよね・・・・・・!?」

「いいや。ゆっくり待つ気はあるとも。早く食べなさい。食べろ」

「いやっ、あの、本当に落ち着いて下さいよ!? あんた一体いくつなんですか!?」

「忘れた。先々月に確か、四十三歳の誕生日を迎えた筈だ」

「しっかり覚えているじゃないですか、まったくもー・・・・・・・」








 そんな訳で渋々と諦めて、風変わりな彼女の父親とテーブルに座って食事を摂ることにした。






(もっ、物凄く見てくるな? 非常に食べにくい・・・・・・!!)







 早くも胃が痛い。両手の指を組んだアレクサンダーがじっと、こちらを凝視してくる。



 深いダークブルーの瞳に見つめられ、折角のパニー二が台無しだ。味がよく分からない。



 しかし勿体無いのでよく味わって噛み締めていると、もっちりとした塩気のある生地からマヨネーズとオリーブオイルがじゅわっと染み出してきて頬が緩んでしまう。




 これはからりと揚げた小海老のフライを、酸味のあるクリームチーズとアボカドと新鮮な玉葱で挟んで、刻んだコールスローの上から香りの良いバジルソースをたっぷりとかけたパニー二のサンドイッチである。




 意外な組み合わせだったが中々にうまい、中々にうまいのだが。






「あの。さっきから何十回も言っているんですけど。凄く美味しいですよ? アレクサンダーさん・・・・・・」

「俺も何度も言うがアレクでいい。君が呼びにくいのなら、別にそれでも構わないが」

「はははは・・・・・・そうっすね。ちょっとだけ呼びにくいっすね・・・・・・・・」





 一体自分はどうすればいいのか、パニー二の断面を見つめて考え込んでいた。




 今いちよく分からないまま、アレクサンダーからの不躾な視線に胃を痛める。




 俺は元詐欺師の男で、相手は騙した女の元夫なのに。こうして一緒に座っている、何が何だかよく分からない。






(あっ。そうだ、これ。毒とか入ってないよな? 実はこの視線も、俺の顔色を気にしているだけだったりして・・・・・・? ははは、どうしよう。どうすればいいんだ、これ。本当に)






 おそるおそる見上げてみると、吸い寄せられるようなダークブルーの瞳には何の感情も浮かんでいない。






(表情、読みづらっ!! この親子は揃いも揃って、俺の胃を痛めてくる天才だな、まったくもう・・・・・・!!)







 こちとら今日もガートルードがやって来ると、そう期待していたのに。






(糞かよ。この男も、ガートルードも・・・・・・そうだ、そうだった)







 あまりの事態についていけてなかったが、彼女は風邪なのだ。



 途端にガートルードのことが気になって、パニー二から口を離して聞いてみる。




「あの、ガートルードさんは? 今日は風邪だと、そう伺いましたが・・・・・・・?」

「ああ。風邪なんだ、本当に」

(いや。それ以外の情報をくれよ、本当にマジで・・・・・・・)





 熱は何度あるのかとか、感染経路はどこからなのかとか、今はプリンやゼリーでも食べて大人しく寝ているだとか、義理の母親が付き添って眠っているだとかもう少し他に何かあるだろうに。




 それなのにこの男はその回答で十分だと思っているらしく、手を組み直してこちらを静かに見つめてくる。






(おっ、落ち着くかねぇ~・・・・・!! こいつ本当に一体、俺に何を求めているんだよ!?)






 仕方が無いのでまた、このパニー二を褒めることにする。







「あー。うまいっすよ、これ。本当に作ってくださって、誠にありがとうございます・・・・・・・」

「そうか。そうだろうとは思った。良かった。君が美味しく食べてくれて」








 いや本当に、この空間は何なんだと混乱してまたパニー二へと齧り付く。




 こうなったら無心で食べるしかない、自分はこいつの元妻を騙くらかした詐欺師の筈なんだが。




 一体どうして俺はこいつの手作りパニー二を食べているんだろう。





(ちっともよく分からねぇな・・・・・!! あと水欲しい。水くださいって、言えるような状況じゃないけど)






 立ち上がって汲んでこようかと思ったが、どうもそんなことも言い出せないような雰囲気である。






(無理だ、これ・・・・・・本当にこれ、一体どうしたらいいの? 俺?)






 ただやはり、こちらの頭を占めるのは彼女のことだけで。





(本当に無事なのか、ガートルードは? 昨日までは元気なんだって、そう、思っていたんだがなぁ)






 こうして一人でぐだぐだと悩んでいても解決しないだろう、腹をくくって聞いてみる。





「・・・・・あの、娘さんのことなんですけどね? ちょっといいですかね? いくつか聞きたいことがあって」

「持ってきた卒業アルバムなら、中学生の時のだ。海に行った時の写真もある」

「いや。まぁ。それも滅茶苦茶気になりはするんですけどね!? 俺が言いたいことはそうじゃなくって、」

「気になりはするのか、お前は?」

「いきなり殺気立つのはちょっと、勘弁して貰いたいとこなんですけどね~。お父さん?」







 ぼやいて自分の両手を上げてみると、向かいに座ったアレクサンダーは不愉快そうに眉を顰めていた。



 父親らしい殺気が滲んだダークブルーの瞳に、彼女が愛されているのだと知って落ち着いてしまう。




 自分も親に愛されたかっただなんて、そんな惨めな呟きが胸の底でじくじくとうごめいているくせに。




 それでも彼女が愛おしかった、あの淋しい少女が愛されていると知ってほっとしてしまった。



 酷く厄介なことに自分の中で執着と庇護欲が生まれつつある、近い内に何とかしなくては。







「娘さんは。ガートルードの容態はどうですか? 落ち着いてる?」

「心配するのは結構なことだが。流石にそれは、心配しすぎと言うものだろう?」






 アレクサンダーが少しだけ戸惑った表情で聞き返してきて、そのことに苛立ってしまう。



 心配して何が悪いんだ、何が。






「熱は何度あるんですか? 病院には? 連れて行きましたか? ああ。それと今、看病は誰がして」

「いい。いいからちょっと落ち着きたまえ、君は・・・・・・」





 アレクサンダーが参ったように白い額を押さえて、制するように片手を上げる。





(いいじゃないか、別に。それぐらいさっさと教えてくれても)





 思わず舌打ちをしたくなったが、すんでのところで抑えて足を組み直す。



 後はデザートのシフォンケーキが残っていたが、あまり食べる気はしなかった。後が怖いので残す気はさらさら無いが。






(会いたいな、ガートルード。まぁ風邪だから、あと四、五日は会えないかもしれんが)






 それでも会いたいと、そう思っていた。


 最近の自分は彼女の事を考えてばかりだと、そう思っていた所でアレクサンダーが話しかけてくる。






「熱は微熱で三十七度二分。三十六度八分から行ったりきたりで、きちんと食欲もある。病院はあの子が嫌がったので行っていない。それで看病は、」

「何で行っていないんですか、病院!? そこは連れて行きましょうよ!?」

「・・・・・・君にそういったことは言われたくない。うちの教育方針に口を出さないで貰えるか?」






 そう言われてぐっと口を閉じる。一理あるが絶対に連れて行った方がいいだろうに。






「まっ、まぁ。食欲もあって微熱だけなら確かに病院までは・・・・・・でも。ほんの少しでも熱が上がったり吐いたり下したりしたら、」

「ない! それからそれは君の領分じゃないんだ」





 そこでアレクサンダーが酷く疲れたように目元を押さえつつ、深い溜め息を吐く。





(何だよ、別に。俺だってここまで口うるさく言いたい訳じゃないってのに! ったく)







 焦りが募ってゆく。



 自分で制御出来ない焦りに苛立って、ひとまずはシフォンケーキを食べることにした。



 甘いものでも食べればこの気持ちも少しは落ち着くだろう。



 木製のスプーンで紙皿に置いてあったシフォンケーキを突き刺し、そのしゅわっとした食感を楽しむ。






「どうだ? 旨いか?」

「んぐっ、んん、まら、食ってる最中っす・・・・・・!!」

「そうか。君は、意外と食べるのが遅いんだな・・・・・・?」

(意外とって、一体何・・・・・・? せっかちすぎやしないか、この男は?)






 ひと悶着ありながらも、ふわふわとした甘いココア生地を噛み締める。



 ふわりと漂うココアの香りとラム酒の香りが何とも心地良くて絶品だった、少しだけ穏やかな気持ちになれる。






「旨いです。ありがとうございます。それで? 彼女の容態は? 一体誰が看病しているんですか?」

「君はそればっかりか? ・・・・・・何も心配はいらない。彼女が、俺の妻が見てくれているから」

「そう、ですか・・・・・・それならそれで別にいいんですけどね?」






 物思いに耽っていると、こちら観察するような表情でぼそりと呟く。





「まるで君は。自分が看病したかったみたいに言うんだな? そんなにジゼルが羨ましいか?」

「はっ、はぁっ!? んな訳ないでしょう!? あーあ、馬鹿らしい! 俺は別にあんな奴のことはどうだって、」

「何か言ったか? あんな奴だって?」

「いえ。貴方の娘さんは、世界で一番可愛いと思います・・・・・・」

「それもそれで非常に気に食わんな・・・・・・ちっ」

(俺に一体どうしろというんだよ、こいつは!?)






 自暴自棄となって、残っていたシフォンケーキを一気食いをしてしまった。




 すぐに苛立ってしまうのは自分の悪い癖だったが、この場合はアレクサンダーが悪いと思う。




 誰だって話の通じない変人に遭遇すると、苛立ってうんざりとしてしまうものだ。




 俺が明らかに不機嫌そうな顔でやけ食いしていると、向かいに座ったアレクサンダーが意外そうに瞳を瞠ってまた訳の分からないことを言い出す。






「そうか。君はそれ程までに、うちの娘の卒業アルバムが見たかったのか・・・・・・」

(違うと、そう言えたら。どんなに楽なことなのか・・・・・・)







 今はとても残念な事に口が塞がっているのだ。




 ルーカスは虚ろな茶色い瞳でもごもごと、ふわふわ食感のシフォンケーキを食べていた。




 どれもこれも全部ひとえに彼女のせいだ。




 その感情に淋しい何かが混ざっているような気がしたが、気にしないようにしていた。































 そんな訳で俺は彼女の父親と一緒にソファーへと座って、卒業アルバムを見ることになった。






「いや。よく分からないんですけど、本当に・・・・・・一体どうしてあんたはこれをもって来たんですか?」







 その分厚い卒業アルバムをすぐさま奪い取って、隅から隅まで心ゆくまでじっくりと堪能したい気分だったが何とか耐えていた。




 隣に座ってガードルードの写真を探していると、つい先程黒いローブをぽいっと脱ぎ捨てて白いシャツと黒いズボン姿になったアレクサンダーが鼻を鳴らす。






「君が読みたいかと思って。ガートルードの走り書きもあるぞ? 見たいだろう?」

「うっ。いや、あのですね~・・・・・・・俺が言いたいのは。どうしてそんなわざわざ、くっそ重たいもんを持ってきたのかということで、」

「君が読みたいと思って。ただそれだけだ」







 思わず天井を仰いで、舌打ちをしたくなった。





(くそっ!! ずっと同じことしか言わないのかよ、こいつは!? 壊れた機械並みにいらつく奴だな、まったく!!)







 この辺りは可愛い彼女と違って全く理解出来ない、早くも彼女が恋しい。


 ただ、しかし。






「ああ~・・・・・・可愛い~。何だ、これ? セーラー服が最強に似合ってる、超可愛い~」

「君はさっきから、それしか言わないんだな・・・・・・・?」

「いや、可愛いでしょう? だって。うわ~、可愛い~・・・・・ガートルード、可愛い~」

「それしか言わないんだな。本当に、君は・・・・・・」

「いや、可愛いでしょう? だって」

「まぁ。そうだな。それは、そうなんだが・・・・・・」






 どの写真も集合写真も彼女だけが光り輝いていて、あっという間に見つけることが出来る。




 同級生らしき少女と並んでテーブルの前でピースサインをしているガードルード、何故だかゾウの着ぐるみを着ているガードルードに、学芸会らしき舞台で黒いローブを羽織っている彼女。だが。




 何故かどの写真も無表情で、その表情はどこか淋しげに見える。






「あの、お父さん?」

「何だ? 君からそう言われるのも腹立たしい限りだが」

「まぁ、それは置いておいて。はい。彼女は、学校生活が楽しくなかったんですかね・・・・・・?」






 その言葉にアレクサンダーがきゅっと眉を顰めていた。



 しかしそんなことはどうでも良かった、指先で淋しそうな無表情の彼女をなぞる。






(いつもならもうちょっと、明るい表情をしているんだけどなぁ~。どれもこれも全部、笑っていない・・・・・・)








 彼女はよく笑うようになった。



 ふとしたことでころころと、機嫌良く笑ってはこちらを嬉しそうな表情で見上げてくる。





『ねぇねぇ、ルーカスさん? これを見てくれる? あのね、これはね──────・・・・・・・』






 会いたいと、素直にそう思った。



 よく分からない感情が降り積もって、ただただひたすらにあの銀髪を梳かしてやって、この腕に抱き締めて見上げて笑っていて欲しいような。




 胸が強く締め付けられる。






「はー・・・・・・会いたいな、ガートルードに」

「まだそんなに離れていないだろうが、君はさっきから癪に障ることばかりを言いやがって」

「えっ!? 今、俺っ、何て言ってました!? 可愛い以外に何か言ってましたか!?」

「言ってた。会いたいって、そう言ってた」

「マジかよ、俺・・・・・・!! はーあ、まったくもう」






 自分の額を押さえつつ、その感情から目を逸らして卒業アルバムを眺めた。






「そうそう。言い忘れてたんですけどね? 彼女は淋しい時によくこうして、眉毛を二ミリぐらい下げて、両方の親指をこう、合わせるようにして立つ癖があって」

「何だか。気持ちが悪いな、君は・・・・・・」

「いっ、いや。そのっ、観察の賜物ですよ。それはまぁ、どうでもいいんで、ほっといてくれませんか?」

「ほう? 父親であるこの俺に対して、良い度胸だな・・・・・・?」

「すっ、すみませんでした・・・・・・そんで、あの。話を元に戻すんですけど」





 そこでふう、とアレクサンダーが深い溜め息を吐いて卒業アルバムを閉じる。





(あっ!? こいつ!! 俺はもうちょっと見ていたかったのに!! というかまだ、彼女の水着姿も見れていないのに!?)






 修学旅行なら流石にそこまで派手な露出はしていないだろうが。





(いや。でもやっぱりガートルードは可愛いから、先生引率でも他の男からのナンパにあってたりして・・・・・・?)






 非常に心配になったので、彼女の風邪が良くなって会えたら聞いてみよう。






(いや。でもあいつのことだから普段でも水着姿で歩いていそう・・・・・・!! くそっ! 今度また、しっかりと注意しておかなくては)







 不安になりつつも、いきなり卒業アルバムを閉じてしまったアレクサンダーの言葉を待っていた。



 しかしそわそわと落ち着かない気分となって、何度も手を組み直してしまう。







「あの子はあまり、この学校に馴染めなかったようだ」

「いじめ問題ですか? 今すぐそいつらを訴えましょう、そうしましょう。全員今すぐにでも」

「いいから少しは落ち着きたまえ・・・・・そういうの、何て言うか知っているか?」

「知りません。過保護ですか?」

「モンスターペアレントだ、君はいささか反応し過ぎている」

「・・・・・・そうでもないと思いますけど?」

「今一瞬黙っただろう? つまりはそういうことだ」

「・・・・・・・」







 俺は今度こそ何も言えなくなった。





(この俺がモンスターペアレントだって? 馬鹿げている。これはもっともっと)







 恋愛感情に近しいもので、とは続けられなかった。



 どうしても認めたくない部分が何度でも何度でも性懲りも無く浮かび上がってきて、こちらの胸の奥をぎりぎりと締め付けてくる。




 気が付いた所でどうにもなりはしないと、なるべく考えないように考えないようにしていく。






「いじめ問題は無かった。本人も無かったと、そう言っている」

「いや。でも、親に遠慮して言えなかったという場合もありますよ? 知っていますか? 大抵の虐められている子は親に心配をかけたくないとそう言って黙り込んで、」

「よし。分かった。一旦君が黙っていてくれ。俺の脳みそだって、そう器用に出来ている訳じゃないからな・・・・・・?」





 そこでアレクサンダーが虚ろな瞳で、自分の額を押さえて溜め息を吐く。





「あの子は。君の前でだとよく笑うんだな?」

「えっ? 滅茶苦茶よく笑いますけど? もしかしてお家では彼女、そんなに笑わないんですか?」

「・・・・・・・何で君に今、それを言う必要があるんだ?」




 その苛立った言葉を聞いて嬉しくなって、思わずべらべらと喋ってしまう。



 そうか、彼女がよく笑うのは俺の前でだけなのか。





「え~? もしかしてガートルードちゃんはお家ではあんまり笑わないんですか~? いやぁ、本当に残念だなぁ~! 俺がいっつも見ている彼女は最初の方こそ全然笑わなかったんですけど、今となっては体感時間で十二秒に一回ほど、」

「よし。君はここでちょっと、俺に土下座をしてみてくれないか? よろしく頼んだ」

「いや。ちっとも意味が分からないんですけど、それって・・・・・・・」





 だがしかし、俺はまだまだ卒業アルバムを見ていたいのだ。



 そんな訳で随分前に撮った彼女の写真を出してきて(極めて健全なものを選んだ)、卒業アルバムと交換してくれないかと持ちかけたところ、なんと気前よく一週間も貸してくれるらしい。






「うわぁ~! 滅茶苦茶楽しみっ! 楽しみが過ぎるっ!! ありがとうございます、お父さん!!」

「いいか? 俺は絶対に、君の義理の父親になど、絶対になってはやらないからな!? 娘の笑顔を独り占めしやがって・・・・・・!!」

「えっ。あっ、そっちなんだ・・・・・・? 嫉妬系なんだ?」







 その神々しい卒業アルバムを掲げて、うっかり微笑んでしまう。






(ああ。これでようやく、一人でゆっくりと見れるんだ・・・・・・!!)





 そんな風に感動していると、無表情のアレクサンダーがおもむろに一通の封筒を手渡してきた。




 渋々と卒業アルバムを脇に抱えて受け取ってみると、花柄の美しい封筒には“淋しがり屋のルーカスさんへ”と書いてあった。








「淋しがり屋のルーカスさん。ね・・・・・・・」






 思わず口元に優しい笑みが浮かんでしまう。




 その歪んだ黒い文字を大事になぞりたくなって、その衝動を押さえ込んでアレクサンダーを見上げる。





 アレクサンダーはふっと冷たい瞳を和らげて、囁くような声で告げてきた。






「君が一人で見たいと思って。もうかなり遅い時間だからな」






 そこで黒いローブの袖をめくって腕時計を確認すると、可愛いガードルードそっくりの笑顔を無邪気に浮かべる。





「俺の娘を、可愛いと言ってくれてありがとう。何かと楽しい時間だった」

「えっ? それって、本心・・・・・? ジョーク? どっちなの・・・・・・?」

「君はつくづく失礼な男だな? 勿論、本心に決まっているだろう?」






 あの時間のどこに楽しいと思う要素があったのか?





(ずっとずっと俺に、殺意を向けまくりだったよな・・・・・・・?)






 やはり彼女とその父親はとても変わっている、変わり過ぎていて何かとついていけない。





 ただ俺も、そう言われて嬉しいのは事実だった。






「あー。まぁ。そんじゃあ、また。娘さんと一緒に来たら、その、どうですか?」

「それは駄目なんだ。ルーカスさんを取らないでと、娘からそう言われて嫉妬されているんだ」

「はぁ。まぁ、そうですか・・・・・・・・」







 それ以外の言葉が見つからなかった。




 聞くところによると彼女は真っ赤な顔で熱を出しながらも、父親の袖を引っ張って「私のルーカスさんをいじめないでよ、パパ?」と言っていたらしく。




 そんな彼女の様子がありありと目に浮かんでくるかのようでまた、口元がだらしなく緩んでしまう。





(ああ。可愛いなぁ・・・・・・早く、元気になるといいなぁ。ガートルード)






 彼女はこれに一体、どんな内容を書き記してくれたんだろう?



 去ろうとするアレクサンダーの背中を追いかけつつも、瑞々しい花柄の封筒に目を奪われていた。






(あー、もう。早く帰ってくれねぇかな、こいつも)






 早く手紙を読みたい、彼女からの手紙を早く読みたい。





 がちゃんと閉まった黒い鉄格子の向こうで、アレクサンダーが白い手を振っている。



 先程までの笑顔はどこへ行ったのやら、もうすっかり無表情の真顔だった。





「それじゃあな? ルーカス君よ。娘が許せばまた、君に会いに来ようかと思う」

「ああ。まぁ。許さないんじゃないんですかね? 彼女は」

「奇遇だな、俺もそう思う」

「ははは。意外と気が合いますね、俺達」

「そうだな? 女の趣味もどうやら、一緒だったようだしな?」

「すっ、すみませんって、それは、本当に・・・・・・」






 そこで随分と迷ったが、とうとう決心をして深々と頭を下げる。





「本当にすみませんでした。貴方の、奥さんを騙したりなんかして・・・・・・ただ」

「ただ?」

「罪の意識があるかと言えば別の話で、その、顔すら覚えていないんですけど」







 何故そこまで素直に言ってしまったのか。




 でもこの本心を言わないと偽の謝罪になってしまいそうで、そればかりは嫌だったので恨まれるのを覚悟して話を続ける。






「俺は正直。今でも反省とか罪の意識はありません。騙された方が悪いんだろう的な、そんな考えを持っていて」

「ほう。・・・・・・続けてくれ」






 アレクサンダーの声はいつもと同じ調子だった。



 出会った頃と同じように清涼な声で、そのことに少しだけ安心していた。






「でも。ガートルードを見て初めて、何か自分が悪いことをしたんじゃないかって。そう思えたんです」

「気付くのが遅すぎるな、それは」

「俺は何度でも言いますが、今でも。罪の意識とかはありません。ただ」

「ただ?」






 一旦そこで顔を上げてみると。アレクサンダーが愉快そうな表情でこちらを見つめていた。




 意外と好意的な態度にほっとしている自分がいる。





「ただ。貴方の娘さんを、ガートルードを傷付けくはなくて。だからえーっと」

「俺の娘の為だけに、俺に、その心の無い謝罪をしたと? 君が言いたいのはそういうことだろう?」






 その愉快そうな言葉に、ぱつの悪い思いで頭を掻き毟ってそっぽを向く。図星だった。





「だって。そうでもしないとガートルードは、いつまでもあんたのことを気にするだろう? 彼女が、ガートルードが気にしていたのは、その、父親の幸福っぷりだったんで」

「俺の、幸福っぷりたったんで・・・・・・?」

「あの。復唱すんのやめて貰えませんか!? あーっ、とにかくもまぁ」







 こういったやり取りは不得意だ、居心地が悪くてしょうがない。





「あんたが幸せだったら、ガートルードも笑っていてくれる。だから謝った。そんだけ! 以上!」




 アレクサンダーが戸惑った表情を浮かべている、黒い鉄格子の向こうで。



 その戸惑った様子を見て彼女を思い出していた、早く会えるといいんだが。





「そうか。・・・・・そうか。それでは頑張って、俺は幸福であらないとな?」

「ええ。でも今は素敵な奥さんが傍にいるんでしょう? それだけで十分じゃないですか?」





 そのふてぶてしい態度にまた、アレクサンダーがふっと幼い少年のような笑顔を見せる。




「ああ。それもそうだな? ではまた、来るとしよう。ああ、そうだ」

「はい? まだ他にも何かあるんで? アレクサンダーさん?」

「謝ってくれて、勇気を出してくれてありがとう。その気持ちがとても、有難かったよ。それじゃあな?」







 どうしてそんなことをこの俺に言えるのか?



 そんな疑問を読み取ったかのように、アレクサンダーがまた困ったように微笑む。





「俺と彼女は元々、あまり気が合わなくてね。・・・・・いつかはこうなるという気がしていたんだ。俺が、あまりにもつまらない男だったから」

「いや、逆でしょう? その女がつまらない性格の人間だったんですよ。貴方は何も、悪くなんて無い」

「俺の元妻を騙したくせに、随分とまぁ、良心的な態度なんだな?」

「・・・・・・そうですかね? そうはあんまり思えないんですけどね」

「そうだな。君にはあまり、嬉しいことでは無いのかもしれないが」






 アレクサンダーがくるりと背を向けて、ようやく立ち去って行く。




 俺は早く彼女からの手紙を読みたいんだ、さっさと家にでも何にでも帰ってくれ。




 こつこつと靴音が遠ざかってゆく、早く立ち去れ早く立ち去れと強く願っていた。





 完全に靴音が消えた後、ようやく深い溜め息を吐く。






「はー・・・・・・。何かと、今日は疲れる一日だったなぁ」





 さぁ一刻も早く、彼女からの手紙でも読もうか。



 ルーカスは機嫌良く微笑むと、大事な封筒を握り締めてソファーへと向かった。



















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