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9.迷宮帰りの彼女と美味しいホットケーキ

やや気持ちが悪い描写があります、ご注意ください。

 












 ガートルード・シャンディは迷宮の最下層にいた。




(何故なら今日は、彼がホットケーキを焼いてくれる日だから!! ふんっ!!)






 ガートルードは逸る気持ちを迷宮の魔生物たちにぶつけようと思ったのだ。




 それなので動きやすい服の上から、黒いローブのようなものを羽織って軍靴を履いていた。





「うーん。バターって、牛のミルクから出来るものよね? この蝙蝠アゲハからのミルクからもバターって一体、出来るものなのかしら?」






 ガートルードは鋭く輝く宝石のような美しい翼を持った蝙蝠アゲハをぶら下げ、ぐるりと目を剝いて気絶しているそれを眺めていた。





 これは山羊のような乳房がある、まるでアゲハ蝶のように美しい翼を持つ黒い蝙蝠で、そのサーベルタイガーのような太い両牙とだらりんと垂れ下がった、黒い乳房は中々にグロテスクな代物だ。





 しかし、これも搾り取れば甘いミルクとなる。





 今はちょうど子育てシーズンの真っ最中で、家から水筒を持ってくるのを忘れた時によく、この蝙蝠アゲハを魔術で気絶させて乳房から直接甘いミルクをちゅうちゅうと飲んでいたものだ。




 そんなことでよく、蝙蝠のくせにみゃうみゃうと鳴く赤ちゃん蝙蝠から、ママのお乳を返してと淋しく鳴かれたものである。




 ガートルードとしては平和の愛好家なので、魔生物虐待に手を染める気も魔生物を根絶やしにしてやろうと、そう考えることも無かった。




 それなので、自分の喉の渇きが癒されたらきちんと戻してやっていたのだ。




 そんな時にも勿論。




 みゃうみゃうと鳴き始めている小さなふわふわの蝙蝠を抱きかかえて、その黒い毛皮を暫し嗅いで堪能した後、気絶させておいた母親の乳房へそっと吸い付かせてやることも忘れない。




 ガートルードは愛に溢れた、とても崇高な使命を負った人間なのだ。




 目下の庇護対象はあの気弱で繊細で病弱でか弱くって、神経質で敏感肌でヒステリックな詐欺師のルーカスである。





 彼はこの、ガートルード・シャンディがいなければ生きていくことが出来ないのだ。




 ガートルードが彼曰く「ぺったんこの胸」を偉そうに張って、そう述べると彼も若干草臥れた顔でそうだと言っていた。




 可哀想に、彼は。




 いつ私に見捨てられるかと、毎日そう心配しているようなのだ。





「これは、あれね!? 彼に、高級食材のキノコでも買って持っていくべきかしら!?」





 ただ、彼を養ったという事実は手元に残しておきたいので。





(ううん、そうよね! ルーカスさんのぽんぽこお腹を満たすのは、いつだって私でありたいもの!)






 哀れな詐欺師のルーカスには私がそこらへんで獲ってきたキノコだと、そう説明しておこう。



 彼とて詐欺師なのだからきっと、こちらの嘘も容易く見抜けるに違いない。






「と、なると! スーパーで買ってきたキノコを、山の土か何かで汚しておいてっと・・・・・・・あっ、この木の枝が丁度良いわ! ルーカスさんにプレゼントしてあげようっと」







 ガートルードは嬉々として狭い石造りの通路にて、素敵な枝ぶりの木の枝を拾ってみると、それが実は木の枝ではなく何らかの動物の骨だということに気が付いた。






「・・・・・・まぁ、いっか。ルーカスさんもそろそろ、レース以外のものが見たいって、そう言っていたし」







 これで彼と騎士ごっこをして遊んでみても楽しいかもしれない。


 あの牢屋でこの動物の骨を打ち付けて、彼と遊んでみるのだ。






「そうとなれば、また、別の骨が必要よね! 待ってて、ルーカスさんっ! 今っ、この私が貴方の手にぴったりと合う、そんなうっとりするような素敵な骨を見つけて・・・・・・わぁっ!?」







 そう興奮した弾みで、迷宮のトラップに引っ掛かってしまったらしく。



 床の石畳がぱかりと開いてしまう。



 しかし、こんなことで動揺する私では無かった。




 すぐさま太もものベルトからさっと素早く二本のナイフを抜き取ると、がりがりと嫌な音を立てつつ、落下してゆく石壁へと擦り付けて、何とかスピードを落としてみせる。





 そこで暫くの間余裕が出来たので。




 体に羽を生やすような術語を組み立てて、意識を集中させては魔力を放出し、胸の内で素早く唱える。





 一等級国家魔術師たるもの、常に冷静でいなくてはならない。




 たとえどこぞの穴へと落っこちても、常にその冷静さを保っていなければ術語も思い出せないし、自分の魔力も放出することが出来ない。




 そんな訳でガートルードは黒い背中から、白い羽根をもりもりと生やして、真っ暗闇の中でばさりと羽ばたいてみせる。








「・・・・・・やぁ。これはこれは。驚いたなぁ。まさかこんな所で、天使と出会うだなんて」

「むっ? どなたでしょう、貴方は?」






 ガートルードが空中でホバリングしていると、姿も見えぬ彼がそう声をかけてくる。



 すわ人外者かと思ったが、どうも違うらしい。







「俺? 俺はただの、平穏に生きて行きたいだけの人間だよ・・・・・・・」

「わぁ。また何か、変な人と出会ってしまった・・・・・・」

「背中から羽根を生やしているような、女の子にそうは言われたくないもんだね。はーあ」







 そんな彼は真っ暗闇の中でばきばきと、何やら奇妙な唸り声を上げているものを腕に抱えているらしい。






「この子はどうやら、俺の首を噛み千切ろうとしていたらしい。よって、こうして罰を与えている最中なんだよ」

「はぁ。それで一体・・・・・・はっ! そうだった、骨だった!!」

「何だ? いきなり」

「骨を下さい、骨を。ルーカスさんにあげるんです」

「ルーカスさんって一体、誰のことなんだろうな・・・・・・?」






 彼はそう言いながらも、羽をたたんで地面へと降り立った私におそらく、血塗れの骨を手渡してくれた。






「はい、どうぞ。今抜き取ったばかりだから、おそらくは肋骨部分に相当する骨だろう。恋人へと渡すものにしては、随分と相応しくないものだが」

「いいんです、恋人じゃないんで」

「それなら、頭蓋骨の方にでもしておくか? その方が意外性があって、中々に面白いかもしれない」

「・・・・・・いいですね、それは!!」

「だろう? ちょっと待ってろ。今からこいつの、息の根を完全に止めてしまうから・・・・・・・」







 そんな二人の様子を今は可愛い彼女の為にと、苺を煮詰めてホットケーキのジャムを作っているルーカスが見たら。





「混ぜるな、危険!! あとそんなに不審な男と二人きりで話すなよ!?」とかんかんに怒ってしまいそうな光景だったが、そんなルーカスは可愛いガートルードの為に苺ジャムをかき混ぜている最中である。







「・・・・・・はい、どうぞ。頭蓋骨を。中々に腐りやすそうだから、目玉や脳みそを、その男と食べるつもりなら、本日中に食べたほうが良いと思うんだ、この俺は」

「いやぁ、ルーカスさんって実は、好き嫌いが多い人なんですよ~」

「そうか。それは困ったもんだな」

「でしょう? でもこの脳みそって、果たして美味しいんですか?」

「俺は美味しく感じる。少なくとも俺は」






 私はおそらく若いであろう男性と、何らかの動物の骨や内臓を踏みしめてお喋りをしていた。




 美味しいと聞いて食欲が俄然湧いてきたので、それを食べてみることにする。







「よし! それじゃあ、ちょっと食べてみますね!」

「おい、ちょっと待て。流石の俺としても、生はお薦めしないんだぞ?」

「えっ? 今のって、そういう話じゃなかったんですか? まぁ、いいや。頂きますね!」

「あっ、あ~・・・・・・」






 目の前の男は虚ろな声を上げて、私が脳みそを口に含むのをぼんやりと眺めていた。




 ここにルーカスがいたら即座に、ガードルードの頭を叩き飛ばして「生で魔生物の脳みそを食ってはいけません!!」と叱り飛ばしていたことだろう。




 しかし目の前の男にそんな気力は無かったし、ここにルーカスはいなかった。






「うん! 何か、キャラメリゼしたプリンみたいな味がする!! そこに、鉄臭いソースをかけて、ぐっつぐつに、煮詰めたみたいな感じ!」

「ああ。それは多分、きっと、こいつの血の味わいだろうなぁ・・・・・・はーあ」







 そこで見知らぬ男は深い深い、溜め息を吐くと。


 ぽつりと、何だか訳の分からないことを言い出した。







「ああ。平穏に、生きて行きたい・・・・・・・・」

「でも、ついさっき。魔生物の首を絞めて、抱き殺していたでしょう? 貴方は?」

「そうなんだよ・・・・・・俺の相棒からもよく、そう言われてしまうんだよ・・・・・・・」







 男は亡霊のような声を出すと、また先程よりも意味の分からないことを言い出してきた。






「ところで君は、いくつなんだろう?」

「私ですか? 十九歳です」

「そうか。それじゃあ、後で俺と連絡先を交換してみないか?」

「いえ、それはちょっと。帰って、ルーカスさんとホットケーキを食べなくちゃいけないので」

「そうか。それは、非常に残念なことだなぁ・・・・・・・」








 こんな血塗れの迷宮の中でナンパをされたのは流石の私としても初めてである。





(っよし! 帰ったらルーカスさんに相談して、沢山心配して貰おうっと!)







 ガートルードは勇ましく前を向いて、姿の見えない男にとあるおねだりをすることにした。






「よし! それじゃあルーカスさんに、こいつの背骨をプレゼントしたいのでそれを全部下さい!!」

「こいつは、一応、俺の獲物なんだが・・・・・・? まぁ、いいや。あげるよ、全部。はいどうぞ}

「わーいっ、ありがとうございまーすっ! ルーカスさんならここで、私の頭を撫でてくれるのになぁ!」

「そうか・・・・・そうか。ルーカスさんとは、一体誰のことなんだろうな?」

「私のお母さんを騙して、たぶらかした結婚詐欺師のことです! よいせっと」







 素早く魔術で内臓と骨をかき集めてしまうと、背負っていたリュックサックの中へと詰め込んで、そのずっしりと重たいリュックサックを背負った。






「ああ。それなら。ただの復讐かぁ~・・・・・・」

「いいえ? これは、好意の贈り物です!ルーカスさんはか弱いお姫様だから、私がお部屋で拉致監禁、保護しているんです! あとそれから、敏感肌なの。囚人服しか着れないの」

「そうか。それは、全くよく分からないが、気の毒なことだなぁ・・・・・・」

「でしょう? だから、私がとっても大事にしてあげるんですよ? さーってっと! ルーカスさん、喜んでくれるかなぁ?」








 羽根を生やして戻ろうかどうしようかと考えている時に、目の前の男が早くも別れの挨拶を告げてくる。






「さようなら、天使のお嬢さん。お気をつけて」

「ありがとう! 貴方も早く、平穏に生きれるようになるといいね!」

「ありがとう。俺も、そう願ってやまないよ・・・・・・はーあ」







 物凄く変わっていて変な男に別れを告げる。




 もう少し話していたい所だったが、か弱いお姫様である彼が騎士であるこのガートルードの帰りを待ち侘びている最中なのだ。




 早々に帰って彼の淋しさを癒してやらねばならない。




 それなので私は両手に鋭い爪を生やして、真っ暗闇の石壁をがりがりと登ってみる。



 背中のリュックサックからは血がぽたぽたと滴り落ち、ガードルードの青い瞳はきらきらと無邪気に光り輝いていた。







「待ってて、ルーカスさん! 今私が、貴方の下へ帰ってあげますからねー!」










































「・・・・・何だろう? 今、ちょっとだけ、背筋がぞくりとしたような気がする」






 ルーカスはぐつぐつに美味しく煮えた苺ジャムを皿へと移し変えている最中だった。




 白いゴムベラで丁寧に苺ジャムを隅々までこそぎ取ってしまうと、そのゴムベラに付いていた苺ジャムを舐めて満足そうに頷く。






「よし。これでいいだろう。中々の出来だ。ガートルードは今頃、何をしている頃なんだろうなぁ~・・・・・・」








 彼女が持ってきた優美な白磁の皿にきつね色のホットケーキを重ね、小さな硝子の器にはたっぷりの赤い苺ジャムを盛って、更には黄色いバナナとバニラアイスと、チョコソースとたっぷりのスライスアーモンドを用意してみた。





 これは勿論、全てガートルードが買って来たものである。




 買い忘れないようにとメモを作成して渡してみたのだが、それを受け取ったガードルードは「ホットケーキなるものはこんな材料で練成されるのか」と不思議そうな表情で呟いていた。






(自分も自分で、パウンドケーキとか作ってるくせになぁ~・・・・・そんなことも、分からないのか。あいつはなぁ~)






 思わず呆れたような笑みが浮かんできて、ふつふつと柔らかな愛情が染み出してくる。




 いつの間にか自分にとって、彼女が途方も無く大事な存在となっていて。






「・・・・・・いやいや。俺一人が彼女を大事にしたところで、何かが変わる訳じゃないし」








 むしろこれは不要な感情だろう、いつかは絶対に彼女と別れる日がやってくるのだから。




 そこまでをふと、考えたところで。







(この先が無い、だなんて。考えたくも無いな、そんなことは)








 彼女に甘い父親とて、いつかは俺を全力で引き剥がしに来るだろう。



 俺は彼女が思うようなか弱い人間ではないし、ここから出て一人で十分生きて行けるような人間だから。







「あー、そっか。ここ、出たら何をして働くかなぁ・・・・・・・・」






 前科があっても雇ってくれるような場所か、それを隠してさらっと働くか。






(まぁ、後者の方が良いだろうなぁ~。どっか昔みたいに酒扱ってる店で働いて、そんでどっか適当にそこらへんの女を捕まえてまた)







 そうやって自分はまた、詐欺を働く気なのか。





(いや。もう詐欺はこりごりだしなぁ。また、捕まっても敵わないしなぁ・・・・・・それならそれで、また、適当に遊んで飲んで、騒いでってか?)






 何故だか急に自分の人生が虚しくなってしまった。



 どうしてだろうか、前はそんな風には感じなかったのに。




(結婚だとか、子供のことだとかな~。まぁ、ぼちぼち。いつかは、考えなきゃならないんだろうが・・・・・・)






 そこでふと、ガートルードの嬉しそうな笑顔が思い浮かぶ。



 何故だかそんなことでこの胸は締め付けられてしまう。





「何の意味も無く。生きるのならもう、いっそのこと・・・・・・・・」







 彼女の、傍に一生いたい。





 そんな自分でも馬鹿馬鹿しいと、呆れ返って鼻で笑ってしまうような考えが頭を過ぎって自嘲的な笑みが浮かぶ。



 彼女と離れたら淋しいだなんて、そんな。まさかこの俺が?






「っは、馬鹿馬鹿しい。俺みたいな溝鼠からすると、彼女なんてもんは、高嶺の花もいいところで、」

「何が、高嶺の花なんですか? もしかして、私のことっ?」

「おわっ!? ってお前、どこからって、あああああああっ!?」








 突如現れたその声に振り返って叫んでしまう。




 背後に立っていた彼女は黒いローブのようなものを羽織っていて、大きなリュックサックを背負い、折角綺麗に敷き詰めた無垢材のフローリングに真っ赤な血をぽたぽたと滴り落としていたからだ。






「なっ、何でお前っ!? そんなに血腥いんだよ!? それにっ、うっ、うわっ!? どっ、どこか怪我でもしているのか!?」






 その赤黒い液体はローブをべったりと重たく濡らしており、こちらをきらきらとした青い瞳で見つめてくるガードルードの白い頬にも赤茶色の血がこびりついていて。




 ざっと、全身から血の気が引いてしまった。




 彼女は平気そうな振りをしているが大怪我をしているのか、それとも他にもどこか何か重傷でも負ってしまったのか。




 思わず駆け寄って彼女の両肩を掴んで、死にそうな思いで顔を覗き込む。







「っああ! 止めれば良かった、こんなっ、こんな、迷宮に行くだなんて馬鹿げた行為は・・・・・・!!」

「ルーカスさん? 私、どこも怪我なんかしたりしていませんよ?」

「うるさい!! こんなっ、こんな、血塗れでよく言うよな!? お前っ、本当に何も、何も隠してはいないよな!? 怪我は!? 骨を折ったりとかは!?」





 がくがくと肩を揺さぶっていると、ガードルードが戸惑った表情でこちらを見つめてくるので、その健康的な青い瞳にほっと胸を撫で下ろす。





「骨なら持っていますよ、ルーカスさん? 貴方が欲しがると思って! 好意のお土産です!!」

「ああ、もう、いい。そんなの・・・・・・お前が、無事で本当に良かった」

「ルーカスさん? あのう? 私、血塗れなんですけど?」

「いい。どうでも、そんな・・・・・・」







 死にそうな思いで彼女を強く抱き締め、その拍子にぷぅんと血の匂いが漂ってくる。



 自分の手のひらにもぬるりとした血が纏わりついてきたが、そんなのは全部どうでも良かった。




 彼女が何か、命に関わる怪我をしているんじゃないかと思った。




 彼女が俺の手の届かない場所で怪我をして泣いていて、心細く膝を抱えているかと思うと。




 そうやって、自分の名前を何度も何度も呼んで助けを求めているかと思うと。



 どうしようもなく怖くなって、叫び出したくなってしまう。







(ああ、馬鹿馬鹿しいにも程がある。まだ、俺と彼女は、出会って一月も経っていないというのに?)








 それなのにこんなにも大事な存在となってしまった。





 無表情だった彼女がきらきらと青く澄んだ瞳を輝かせて、ほんわりと無邪気に笑って怒ってむくれて、その白い頬を膨らませて地団太を踏んで。




 満腹になった後はこちらに頭をぐりぐりと押し付けて甘えてくるのも何もかも、どうしようもなく愛おしくて涙が浮かんできてしまう。




 彼女の傍に少しでも長くいてやりたい。



 少しでも長く、この彼女の傍にいてやりたい。




 そうやって彼女を慈しむ為だけに生きていけたらそれはどんなに、どんなにやりがいがあって、幸福な人生なんだろう?




 そんなこと考えるだけ馬鹿馬鹿しいけど、いくらどんなに願っても俺なんかでは到底手に出来ない幸福だけど。





 彼女は俺が傍にいなくとも、十分生きて行ける人なのだから。









「ああ。俺はきっと、多分。お前から、早急に離れたほうがいいんだろうなぁ・・・・・・・・」

「えーっ!? どうしてなんですか!? ルーカスさんはっ、私がいなかったら淋しくて生きて行けないでしょう?」








 ああ、多分。


 きっとその通りだ、それでもそんな言葉は口にしない。




 いつかはこの変わり者の彼女が俺に飽きて、俺のことをいらないと言い出すまで。




 俺はここに囚われたまんまだし、きっと、この心も彼女に一生囚われたままのような気がする。






 下らない人生を生きて、適当にそこらへんで飯を食って寝て、そんで安い酒でも飲んで俺は。




 彼女と過ごしたこの牢屋の日々を懐かしく思ったりするのだろう。




 そして彼女は結婚して幸せに暮らしているのかなだとか、すっかり人間らしくなった彼女が自分の子供をその腕に抱いて、想像もつかない、育ちが良くて真面目で誠実な男と屋敷で暮らしているんだろうなぁとか考えるのだ。





 そこまでを考えるとふいに、泣き出したいような虚脱感とやるせなさに襲われる。




 いくらどんなに彼女を慈しんでも俺にとっては毒になるだけ、いつかはこの手から全てが滑り落ちてゆくだけ。




 それなのにまた俺は。







「あだっ!? いっ、痛いってば! ルーカスさんっ? またっ、また私をデコピンの刑に処しましたね!?」

「ばーか。お前は、自意識過剰もいいところなんだよ? ほらっ。俺の服を貸してやるから、さっさと風呂でも何でも浴びて来い」





 そのひりひりとする額を押さえて、心底不満そうな表情の彼女に背を向けて。


 俺は早歩きで洗面台へと向かって、その扉を開けてそして。







「あーあ。酷い顔、しているな。本当に・・・・・・たかだか、そんなことで感傷的になるなよ。なぁ?」






 洗面台の鏡には泣き出したいような、笑い出したいような、そんな表情で顔を歪めている自分の姿が映っていた。





 そんな鏡からぱっと目を逸らして、近くの棚から白いバスタオルを取って、ひとまずは彼女の銀髪頭を拭くことにする。





 髪にもべったりと汚れと血がついていたのだ、そしておそらくあの白い鼻の頭にも。




 そこでようやくふっと笑みを浮かべることが出来て、暗い思考を一旦閉じる。






(考えるのは、やめよう。考えたってきっと、どうすることも出来ないから・・・・・・・・)






 ひとまずは彼女の頭を拭いてやって、熱い風呂に入れねば。







「あー。服、どうしよう? 絶対、サイズ合わないよなー」

「大丈夫ですよ? こんなこともあろうかと私、ちゃんとパジャマ一式を持ってきたので!」

「何でパジャマ一式なの、お前? って、あああああっ!? もしかしてその状態で、お前はここまでやって来たのかよ!?」

「えっ、駄目でした?」

「駄目に決まっているだろう!? ああっ、もう、絨毯と床が血塗れになってるよ、絶対・・・・・・!!」








 慌ててガートルードの腕を引っ張って、その背中からリュックサックを下ろしてやり、面倒臭がる彼女を説き伏せて黒いローブとブーツを脱がせた。




 そしてずっしりと重たいリュックサックと汚れてしまったブーツはひとまず隅の方へと追いやって、不満そうな表情の彼女に向かって「そのままじっとしていろよ!? いいなー、いいなー?」と言い聞かつつ、風呂場へ行ってボタンを押して湯を溜める。




 下は白いTシャツに黒い短パンだった彼女に驚きつつも、自分が使っている(とは言っても彼女が買って来たものだが)石鹸とシャンプーを渡して一息ついた。





 そしてようやく何やら嫌な予感しかしてこない、足元の黒いリュックへと目を移す。





 俺の気のせいでなければ、これは底の方から血が滲んできて床へと広がっている。最悪だ。







「なぁ、お前・・・・・・・? ガートルードちゃん? これは一体、何がこんなに詰まっているのかな?」

「んー。魔生物のお肉と骨と、高級キノコかな?」

「可愛らしく言って、何でも済まそうとするなよ!? あと他には一体何が入っているんだよ!?」

「知らない男の人から貰った肋骨と脳みそ! あと、頭蓋骨!」

「よし、分かった。俺の理解の範疇を超えている」







 俺は伊達に長く、彼女と一緒にいる訳では無いのだ。






(とは言えどもまだ、半月? いや、もうすぐで一ヶ月か?)





 ひとまず他愛も無い考え事をして自分の気を静めようとした。




 そしてみっちりと生の脳みそや頭蓋骨が入っているという、重たいリュックサックから何とか意識を逸らそうとしていた。





 彼女は本当に俺が喜ぶと思ってやっているのだ。



 それなので。






「おい、お前? 何でまた、そんな風にぐずぐずと、泣き出そうになっているんだよ・・・・・・?」

「だっ、だって。ルーカスさんが喜んでくれるかと、てっきり、そう思っていたのにぃ~・・・・・・」






 そう言って大きく口を開けてうわあああん、と泣き出し始めた彼女に俺も泣き出したくなる。




 何故だか自分が、どうしようもない程の悪人だという気がしてきて。




 この胸が強く締め付けられもう一度、泣き出した彼女をぎゅっと抱き締めた。




 今着ている囚人服が汚れてしまうが構わなかった、ガードルードも条件反射でよろよろと手を回してきて、コアラの赤子のようにしがみついてくる。






(ああ。たかだかこんな動作で、満ち足りた気持ちになるだなんて・・・・・・)






 俺も俺で馬鹿で単純な男だ、こんなことで笑みが浮かんでくる。




 彼女の銀髪頭に顎を乗せて、両目を閉じていると血の匂いが漂ってきた。




 それなのにどうしてだかちっとも気にならなかった。



 むしろ「ああ、仕方が無いなぁ」って笑えるような、そんな微笑ましくて呆れた気持ちが湧いてくる。



 彼女といると俺はまるで別人のようになって、ふと穏やかな笑みが零れ落ちてしまう。





「お前が、ガートルード。俺のために獲ってきてくれたことは、本当に嬉しく思うよ。でもな?」

「うっ、嘘だー・・・・・・すっごく、迷惑そうな顔してたんだもん、ルーカスさん・・・・・・・」

「そりゃあな? ガートルード? 俺はお前が無理をしてまで、そんなことはして欲しくないんだからな?」





 そこまでを口に出したところでふと気が付く。






「いいや、違うな。そんな訳の分からん迷宮に行ってないで、俺の傍に。ここにいてくれたらそれでいいんだよ。俺の言いたいこと、お前にはよく分かるよな?」





 ぐずっ、ぐすっと、彼女が自分の腕の中で鼻を鳴らしている。




 その熱く湿った吐息が何かの動物のようで、そんなことだけで俺は可笑しくなってしまって。




 気が抜けたようにただひたすら笑っていた、たとえ彼女がよく分からない魔生物の血や肉片に塗れていても気にはならなかった。何も。






「わかっ、分かる。ルーカスさんはとっても淋しがりやだから、私がいなかったら、さみっ、淋しくて仕方が無いんでしょう?」

「・・・・・・うん、まぁ。もう、それでいいよ」






 何もかもが面倒になって俺は、腕の中の彼女を抱き締める。




 どうかこの時間がもう少しだけ、俺の人生の中で続いていきますようにと。




 そんな柄でもないことを願っていた、それは馬鹿みたいに真っ直ぐに。







「お前が、無茶をして怪我をしなかったらもういい。もう、それだけでいいんだよ、ガートルード・・・・・・」






 そこで深く息を吸い込む、先程の恐怖がまだ残っている。






「俺はあの時、確実に何年か寿命が縮んでた。正真正銘、お前のせいだよ、お嬢さん?」

「ふふっ、ルーカスさん・・・・・・ごめんなさい! そんなに、心配をかけてしまって!」

「何でそんなに、お前は嬉しそうなんだよ?・・・・・・はーあ。もう、まったく。お前ときたら本当に」







 そう微笑みながらも彼女から離れる。



 そろそろ風呂の湯も溜まったことだろうし、この血塗れのガードルードが自分の体をせっせと洗っている間に俺は追加でホットケーキを焼きたいんだ。







「さっ。そんじゃ、風呂に入って来い。ガートルード?」

「はぁーいっ! ホットケーキ、ホットケーキ!!」

「おいおい、ちょっと待て待て、まだ、俺がいるからな!? 脱ぐのはその後にしなさい、ガートルードちゃん!?」




















 そんな訳で綺麗になったガートルードは、ルーカスがとろりんと垂らしている黄色いホットケーキの液体を見つめて、まだかまだかとその鼻をすんすんと鳴らして待っていた。






「まだですかっ!? ねぇっ、まだですかっ!?」

「まだだよ。今、入れたばかりだろう? 流石に一瞬で焼けるほど、この魔鉱石プレートは高温じゃないさ」







 彼が作ってくれたホットケーキを三枚平らげたのだが、今日は沢山運動してきたのでまだお腹がぐるぐると鳴っている。決して消化音ではないのだ。





 一枚目はバナナを一本丸ごと載せてチョコソースをたっぷりと回しかけて食べた、二枚目は彼が手ずから作ってくれた苺ジャムをたっぷりと載せて食べた。




 そして、貴重なる最後の三枚目は。




 ふかふかの玉子色の生地へと黄色いバターを滑らせて溶かして、その上からオレンジの蜂蜜をじゅんわりと染み込ませて、発酵バターの塩気とオレンジの爽やかな香りを堪能して食べた。




 まだお皿にホットケーキが残っていたので、それを幸福な気持ちで噛み締めていると向かいに座ったルーカスが優しい微笑みで見つめてくる。







「・・・・・・旨いか? そんなに?」

「おいっ、おいひいれふ! ルーカスさんのホットケーキは、この世で二番目くらいに美味しいれふ!」






 ルーカスが頬杖を突いたまま、優しく苦笑いを浮かべた。



 細長いテーブルの上には魔鉱石の黒いホットプレートとお皿、そして白い陶器製のカトラリーと苺ジャムとバナナとアイスなどが並んでいる。






「何だよ? そこは、俺のが一番じゃないのかよ?」

「んふふっ、ジゼルひゃんが、ママが作ってくれたホットケーキが世界一らから!」

「そっか。それじゃあ今度また、そのことをママに伝えてやれよ?」

「言った。んぐっ」

「どうだった?」

「泣いて、喜んでた。びっくりした」

「そっか。・・・・・・・そっか、良かったな?」

「うんっ! お代わり! もう一枚くらはいっ」

「残念ながらまだ焼けてないんだよ、お嬢さん?」

「えーっ、そんなぁっ」






 不満そうな声を上げるとルーカスが苦笑して、その茶色い瞳を優しく細めて頭を撫でてくれた。



 その温度に胸の端っこがもしょもしょと緩んで、何だか嬉しくなって弾んでしまう。






「・・・・・・ほら。もうそろそろ、焼けたと思う。皿貸せ、皿」

「私のホットケーキですよ、これはっ?」

「アホ抜かせ。その皿は空っぽだろうが? それに、追加してやろうと言うんだぞ?」

「あっ、そっか! まぁ、それならそれで。渡してあげなくもないかな・・・・・・」

「まったく。お前はいちいち謎だなぁ、本当に・・・・・・・」







 向かいに座ったルーカスがその顔を伏せて、慈しみ深く笑う。



 いつの頃からか彼は酷く優しい目をするようになった。



 そんな表情を見ていると私も嬉しい、そして。






「最近のわらひは、んぐっ、るっとるっと、ルーカスひゃんのことを考えれふ気がしまっふ」

「そっか。多分、俺もだな。それは」






 頬杖を突いているルーカスがあっさりと言い放って、ふつふつと黄色い泡が生まれてはへこんでゆくホットケーキを見つめていた。



 頭上には豪華なシャンデリアが光り輝き、二人の頭を照らしている。





「んぐっ、ルーカスひゃん? 本当れふか? 今、さらっと、凄いことを言ったような気が・・・・・・?」

「気のせいだろ。ほい、焼けたぞ? お嬢さん?」

「んぐっ、欲しいれーふっ!」

「元よりそのつもりだよ、ほい」






 ルーカスが困ったように笑ってホットケーキをよそってくれる。



 そんな美味しい焼き立てのホットケーキにバターを塗り広げて、今度はメープルシロップを染み込ませてふかふかと噛み締める。







「・・・・・・なぁ? ガートルード?」

「なんっ、なんれふか? ルーカスひゃん?」

「お前。いつまで、こんなことを続けるつもりなんだよ?」

「こんなことって、んぐっ、どんなこと?」

「決まってるだろ? 俺との、二人の時間をだよ」

「今度、パパとママでも連れてきましょうか?」

「違う!! そう言うことじゃない、あと、絶対にそれだけはやめろ!!」






 彼女はその言葉にちょっとだけ首を傾げて考え込む。



 その口元にはホットケーキのかすが沢山付いていて、それを取ってあげたい衝動に駆られてしまう。



 しかしそんな厄介な衝動は押さえ込んで、なるべく見ないようにしてそっぽを向く。



 そうしていると彼女がぽつりと、心底淋しそうな声で呟いた。






「また。ちょっと、考えてみますね? ルーカスさん?」

「・・・・・・・・ああ。じゃあ、それで」






 まさか、彼女からそんな常識的な回答が返ってくるとは。




 てっきり「ルーカスさんはここで一生飼ってあげますね!」だとか、そんな珍回答が返ってくるかと思っていたのに。




 思った以上にショックを受けて黙り込んでいた。





(彼女に見捨てられたくないと、飽きられたくないと、そう。自分は考えている)






 もしかすると俺が今まで騙してきた女たちもそんな気持ちでいたのだろうか?


 いいや、それよりも何よりも。






「・・・・・・ガートルード?」

「ふぁい? どうかしましたか、ルーカスひゃん?」





 彼女がきょとんと、俺の向かいで不思議そうに首を傾げている。



 何故か俺は動揺してそのまま、全く違うことを聞いていた。







「いや。何でもない・・・・・・お代わり、いるか?」

「流石にもう、お腹がいっぱいなので。いらないです」

「・・・・・・そう、そっか。そうか」








 この先を、考えないようにしている自分がいる。


 気が付けば彼女との牢屋生活も一ヶ月を迎えようとしていた。
























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