瞳
土曜日、私は不知火先輩と電車に乗って市内の動物園に向かう。
この動物園は、隆盛と初めて会った場所だった。校内の写生大会で他の子がキリンやペンギンを描く中、私だけがタヌキを描いているのを見て隆盛が感心して、それから私を親友として扱ってくれるようになった場所だ。
その話を思い出すと、前回デートの時、隆盛が私をバックハグしてきたことをつい思い出してしまう。
あの時の高揚感と隆盛のぬくもりを私は覚えている。あの温もりと隆盛の香り。つい自分の全てを差し出したくなってしまったあの時の感情を思い出してしまうだけで、私は赤面してしまう。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、不知火先輩は黙々と動物や風景や人々を見て、自分の画の素材を探している。その真剣な姿に私は自分が何をしに来たのか思い出して、景色や動物に集中しようと思った。
でも、やっぱり私はつい最近、テーマパーク内の動物園で隆盛にハグされた時の記憶に邪魔されてしまって集中できない。
そうなってしまうことは仕方がない事と、私自身、よくわかっている。あの時感じた気持ちは本物だった。私は、もう隆盛のことを男友達として見れなくなってしまったのだから・・・・・
それほどの思い出をそう簡単に振り払えるはずもなかった。
しかし、今日は不知火先輩が私とのデートをつぶしてまでも作ってくれた時間だから、集中しなくてはいけない。
でも、どうしたらいいの?
私は、自分の胸の内に湧き上がってくる隆盛の思い出に意識を持っていかれてしまっていて全く、集中できないでいた。
・・・・タヌキの前にくるまでは・・・・・・。
タヌキ・・・・・
私はタヌキの小屋の前に来て立ち止まる。その愛らしい姿。私が好きな動物。それを見た時にかつて自分が隆盛に語った言葉を思い出した。
「簡単だよっ!!タヌキを好きになればいいんだっ!!ほら、タヌキってこんなに可愛いじゃん。」
あの時、私はそう言ったのだ。
その言葉に私はかつての自分の気持ちを思い出す。そうだ、私は集中できないのではない。画の素材となる対象に向き合っていないんだ・・・・・。
その事に気が付かせてくれたタヌキを私は見つめる。そして、ベンチに座ってその愛らしい姿をしっかりと目に焼き付けながら鉛筆を握ってスケッチを始める。
そうして、どれくらい時間が経ったのだろうか?
何枚も何枚もタヌキを描いていた私が我に返った時、私のすぐそばに不知火先輩が座っていることに気が付いた。
「わっ!!せ、先輩。い、いつの間にとなりに・・・・?」
「さっきから。やっと集中できたみたいだね・・・・明。」
私の知らぬ間に隣に座る不知火先輩に私は驚いたけど、先輩は当たり前のように私のスケッチする様子をみていたらしい。
「素材はタヌキにするの?」
不知火先輩に言われて、私は自分の書いたタヌキを見て、じっくり考える。
いや、これは題材ではない。私を思い出させてくれた存在でしかない・・・。そういう意味で描いた絵じゃない。だから、私はこのスケッチを元に絵をイメージすることは出来なかった。
「・・・いいえ。私は多分、もっと他の物を描くべきです・・・。」
私は熟考の末、きっぱりと否定した。その言葉を聞いて不知火先輩は、「ふむ・・・。」と頷くとベンチから立ち上がってまた、絵の素材を探して歩き始めた。
私も立ち上がると、不知火先輩の後を追って歩き始める。
知らぬ先輩はしばらく歩いては何かを見つけて、スケッチする。時折、ブツブツ何かを呟いた後、また歩き出してはスケッチをとった。私は、その姿を見て、憧れずにはいられない。
どうしたら、ここまで絵に自分を捧げることが出来るのだろう? どうすれば不知火先輩のように芸術に集中出来るのだろう?
いつしか、私は不知火先輩だけを目で追っていた。集中して絵を描く先輩の顔は、怖くなるほど美しい。だからこそ、私は憧れずにはいられないのだ。私は追い求めてやまない領域にある不知火先輩を思って、いつしかスマホに不知火先輩の姿を撮り映していた・・・・。
カシャという音に不知火先輩が我に返った時、私は自分が不知火先輩を写真に撮っていたことを自覚する。
「・・・あ?・・・・」
私が自分でも驚いた声を上げた時、先輩は「・・・・なんだい? 明。隠し撮りはいけないなぁ・・・。」と、冗談交じりに言うのだった。
「・・・・・描いてみたいものが決まりました。」
熱い思いを込めて不知火先輩を私は見つめる。不知火先輩は私の視線を真っすぐに受け止めてから小さく頷いた。
「今日の目的果たしたようだ。」
不知火先輩は納得したようにそう言うと、今日のデートを終えて帰ろうと言った。
少し寂しい気もするけれど、私も帰ってから描きたいものが色々とあった。だから、丁度いいのかもしれない。
でも、帰りの電車の中で私たちはお互いの絵に対する思いを大いに語り合った。
それは他の男子とでは得られない思い出になる。私と先輩は、そういう一番深い部分で繋がっているのかもしれない・・・。
そう思うと少し、嬉しくなってしまうのです。
家に帰ると私はスマホで撮った先輩の姿を見ながらコピー用紙にガシガシイメージを描いていく。
何枚も何枚も書いていくけど、どうにも最終的に私の絵がこれだ!というところに安定しない。
・・・先輩を描きたいと思っているのに、どうして、バシッとイメージが決まらないんだろう?
あれやこれやと悩んでいると、見かねたお姉様がヒントをくれた。
「神としてお前の絵に力添えするわけにはいかぬが、お前の主として、一つだけヒントをやろう。
お前のその絵はの。上手に描こう、上手に描こう、と思い過ぎておるのじゃよ。
お前は不知火の何を描きたいんじゃ?
どこを表現したいんじゃ?
その不知火の目は生きておるのか?
絵に大切なものはそこではないのか?」
そういわれて、私はハッッとした・・・・。確かに、私はお姉様の言う通り、形に嵌めようと考えていた。芸術として意味を込めようとしていた。表現方法を駆使して、良い絵にしようとしていた。それを目指していた・・・・・。
私は改めて、自分の描いた不知火先輩を見る。その何と無機質な姿か・・・。私は、「絵」にしようとして、「思い」を込めていなかった。
私の描いた不知火先輩は生きているのか? 私が感じた不知火先輩への思いは、こういうものじゃなかったはずだ・・・・・。
私は目をつむって深呼吸しながら、今日のデートを思い出す。そしてあの時、私が不知火先輩を思って抱いた甘酸っぱい気持ちを再び呼び起こす。
胸の奥がキュンとする。
そして、そうなった時、私は再び鉛筆を執って一息に不知火先輩を描く。デッサンも構図も何もない・・・ただ、思い描いた。私が大好きな不知火先輩を思い描いて鉛筆を走らせる。
出来上がった不知火先輩は、とても美しく、そして生き生きとした目をしていた。
自分でも意外だったのは、不知火先輩の生きた瞳をかけたのだけれども、その眼はスケッチに集中していた時の不知火先輩の瞳ではなくて、私を優しく見つめているときの不知火先輩の瞳だった・・・・。
ああ・・・・・。
なんてことなの・・・・。私は、私はこんなにも不知火先輩に愛情のこもった瞳を注いでほしがっていたんだ、と自分の描いた絵を見て思い知らされる・・・・・。
だから、私は決めた。この絵には、やはり猫を描こう、と。
前回の絵が「猫と美少女」ならば、今回は「猫と美少年」・・・・。そしてその猫は、不知火先輩に愛される猫にしよう・・・・・。その猫は私なんだ。そうしよう・・・・。
そう思うと頭の中にいろいろなイメージが湧き上がってきて、私はたまらなくなってしまう。
スマホに映る不知火先輩の画像を見ながら、私はその熱い思いに身を焦がして、倒れ込んでしまう・・・。
その姿のまま先輩に抱きしめられて、愛される私の姿を想像しながら、私は心の中で何度も何度も・・・・・好きと言っていた・・・。