「一本のガランス」
隆盛は美術室までついてきたけれど、美術部の前で不知火先輩に会釈すると「じゃぁ、また帰りに・・・・。」と、私に告げて武道館へ去っていった。
「川瀬も必死だな。
まぁ、僕も同じだけど。」
いつもは隆盛がこういうことをしたら注意する不知火先輩も、同じ境遇なので見逃してくれた。
”僕も同じだけど ”このセリフからわかるけど、きっと二人とも今、一番、私の心を掴んでいるのはお兄ちゃんだって気が付いている。
あ、気が付いてるも何も、元々、一度それを理由に私は二人を断っているんだった。あれから2か月近く時間は過ぎたけど、決定的なポイントを取っているとはいいがたい事を二人ともわかってて焦っているんだろう。
いや、正直。言い寄ってきたのが一人だけなら、私はとっくに受け入れている。全てを捧げたいとか奪ってほしいとか、そんな気持ちになっているぐらいだから、私にとっては3人とも既に恋人同然の関係になっている。でも、3人同時にそういう関係になってしまったから、ややこし事になっている。
ああ・・・・。選ぶ側も辛いけど、選ばれる側はもっと辛いんだから、私はしっかりしないと。
そう思ってはいるものの、心は早々簡単に制御できない物。私は海を漂う難破船のように恋の荒波に巻かれて成す術もない。
それでも不知火先輩は前に進むし、芸術にも嘘はつかない。
「おはよう。明。今日も一緒に絵を描こうね。」
そう言って優しく微笑んでくれる。
「はい。先輩っ!!」
私は勤めて元気よく挨拶して、笑顔を振りまく。隆盛同様、最高に可愛い私を不知火先輩には見せてあげたいから・・・。
私は部室に入ってカバンを置くと、準備室からイーゼルと描きかけの絵を出して絵を描く用意をする。
でも、不知火先輩は、今日から別の絵も描くと言い出した。
先輩の手には10月の花火大会のポスターが乗っていた。
「・・・・あ。花火大会のポスターって近隣の美術部員が描いた物でしたよね。」
「うん。皆で出し合って、最優秀作品がポスターとして採用される。去年は僕の作品が採用されたけど、今年も出してみようかと思うんだ。」
うわっ・・・・。サラッと言ったな。今言われるまで知らなかったけど、去年、一年生の不知火先輩のポスターが採用されたんだ。やっぱり、天性の才能だわ。
不知火先輩は「締め切りが夏休みが終わるまでだから、25日までには仕上げたいよね。その間に明も描いてあげないといけないし、今日のうちに構想、下書きまでは終わらせていたいよね。」
それ、そんなペースで描きあがるものなんですか?
私が驚愕して尋ねると、不知火先輩は「勿論。花火大会と言えば恋人同士のイベントでもある。僕と明を描くつもりさ。だからすぐに終わる。」といった。
「僕の頭には、君の浴衣姿がくっきりと残っている。目を瞑っていても、描けるよ。だから、君の着物姿もね・・・・。」
不知火先輩は椅子に座ると机に向かって座り、しばらく目を瞑っていた。そしてそのまま30分近くみじり動き一つもしなかった。
「これだ・・・。」
不知火先輩はイメージが固まったのか、おもむろに鉛筆を取って、動きは静かだけどダイナミック。なのに繊細な線を引く。機械でも使っているのだろうかと、この作業を見ない人は思ってしまうだろう綺麗な線を描き進めていく。そうして、あっという間に下描きが完成する。
「凄い集中力ですね・・・・。」
不知火先輩の描いた絵には、下書きだというのに遊んでいる線は一本もない。アタリと呼ばれる絵を描くための基準となる線も取らずに、正確に背景も花火も人も書き込んでいく・・・・。
そして、その花火の絵には、私と不知火先輩が描かれていた。
花火がメインになるはずのポスターなのに描かれているの恋人同士のような私達が見つめあい、バックに花火が打ちあがっている。私の頬が赤いのは、紅潮しているのか、それとも打ちあがった花火の反射か・・・。いずれにしても、これは花火のポスターとしては酷く邪道ではないかと、首をかしげる。
どうせ,これを選考するのは、近隣の美術の先生たち。頭の固い先生たちが、この恋愛模様を描いた絵を採用するとは思えない。
私の不安を不知火先輩も感じ取っていた。それでも「僕はやってみせるよ。」と、断言する。
「見ていてくれ。この絵に僕は命を注ぐ。
誰が見ても反対できないような生き生きとした絵を描いて見せる。」
そう言った。
でも、そんな感情を頭の固い先生たちが許すだろうか?
「まぁ、最悪選ばれなくても構わないさ。
僕は今は学生だ。自分の描きたい絵だけ描いてていい身分だ。だから、これを描くのさ・・・・。」
流石、不知火先輩。コンテストよりも自分の絵を大事にするのね・・・・。
そう思って見ると、この絵は・・・・。
そう思った瞬間、私の口は自然と動いていた。
「ためらふな、恥ぢるな
まっすぐにゆけ
汝のガランスのチューブをとつて
汝のパレットに直角に突き出し
まっすぐにしぼれ
生のみに活々と濡れ
一本のガランスをつくせよ」
「それは村山槐多の一本のガランスだね。」※ガランス=赤い絵の具
先輩の絵を見て、つい口に出てしまった大正時代の画家・村山槐多の「一本のガランス」と言う詩。
自分の感情や信念に恥じることなく、生き生きと描こうとする芸術家の苦悩ともとれる詩。貧しい自分でも絵で成功してやるという意気込みにもとれる詩ではあるけれども、私はそれだけには思えない。世間の流行やニーズに逆らって自分の絵を描くというのは、勇気がいる。それを鼓舞する歌に聞こえる。だから、この歌の前半部分が特に好きで・・・。
「ステキな詩だよね。僕も大好きさ・・・・。」
不知火先輩は、そう呟いてから「うん。そうだよね・・・・。これは村山槐多にも通じる僕の信念を描くポスターになるだろうさ・・・・。」と、嬉しそうに笑った・・・・。
「さ、君もいつまでも僕の絵を見てないで、自分の作品を・・・・一本のガランスをつくせよ。」
「はいっ!!」
心震える詩。それが私の感情を昂らせ、作品にも力が入るというもの。気がつけば、あっという間にお昼になっていた。
「今日はここまでだね。」
文化部の活動時間は半日。今日はここまでだけれども。私の絵はほぼ完成されていた。
絵はメンタルが大きく影響する。筆の進み具合に違いが出る。勿論、それが悪い方向に出ることも・・・。
「気持ちが端折りすぎだな。ここはもっと、丁寧に塗るべきだ。ダイナミックだけが活き活きと塗ることじゃないよ。」
と、不知火先輩は、感情に任せて荒く塗っている部分を見抜いて正確に指摘する・・・・。
そして、
「この絵を見れば、わかるよ・・・。
明、君は最後に僕を選ぶはずだってね・・・・。だって、この絵の中の僕は、僕を美しく描こうとしているのではなくて、慈しんで描いているって印象を受ける・・・。君は、男女の枠を超えた領域で僕を愛している。昨日も言った芸術で僕たちが繋がっている証拠さ・・・。」
不知火先輩は私の絵の中に描かれた不知火先輩をそう評価した。そして、それは私の狙い通りだった。私は、美しく描こうとしたのは最初だけ、今日は、慈しむような思いで描いたのだから・・・・。
そう、生のみに活き活きと塗ったの。それが一瞥しただけで伝わるのは、それだけ私と不知火先輩の付き合いの深さがあっての事・・・・・。不知火先輩の言う通り、私と不知火先輩は心の奥底で繋がっているのでした・・・。
私達が部活の道具を片付けていると隆盛が「終わったか?」と言って顔を出す。
「川瀬。空手部の指導は?」
二人っきりの時間を邪魔された不知火先輩はムスッとした表情で露骨に不快感をあらわにするけど、不知火先輩の芸術性の高さを認めている隆盛は、嫌な顔もせずに「先輩。八月の運動部員をそんなにフルで動かせたら、全員熱中症で死んでしまいますよ。がっつりやる練習は、2時間が限界です。それ以上の練習は、効率が悪すぎるし、何よりオーバーワークなんです。プロの選手でも一日2時間が限界なんですよ?」と、理づめで説明する。こうなると文化部の先輩には口出しできない。
「じゃぁ、しょうがない。君も一緒に帰るか?」
と、唇を尖らせながらも隆盛を誘った。
「勿論っ!! 帰りにファミレスに行きましょう。
いいだろ? 明?」
そう言って見せる隆盛のさわやかな笑顔が眩しい。
さっきまで不知火先輩に引っ張られていたというのに・・・・。あ、でも不知火先輩も一緒に行くなら、公平かな?
「し、不知火先輩はどうします?」
私が様子を伺うように尋ねると、「一緒に帰る。って言っただろ?」と、言いながら私の頭をポンポンと撫でる。
も~~っ!! 子ども扱いしてぇ~~っ!!