いつか咲く君に 9
月末となり、野瀬さんが最後のサクライラストを受け取りに来た。居間に招き、ゴマすりのためにコーヒーを出す。野瀬さんがイラストをチェック。すんなりOKが出て心の中で安堵する。どうやらあいつとはかぶってなかったようで、いくらか自信が回復した。が、俺の機嫌がいいとでも思ったのか、野瀬さんがまたも気まずそうに話を切り出してきた。やれやれ、また仕事なしか。そう思ってたら事態はそんな甘いもんではなかった。
「実は……急な話なんですが、ウチの出版社、倒産になりまして、今回の仕事が最後になります。長い間お世話になりました」
肩を落とす野瀬さんを前に、軽い目眩を覚えた。いや、この業界では珍しくもないことなんだろうが、お得意様が突然なくなってしまう現実に呆然とする。
「そう……なんですか。いや、何と言っていいか……その、お疲れ、さまです」
俺が慣れない社交辞令の言葉を探してると野瀬さんは力なく笑った。
「ははは……いいんですよ。結構前からそういう兆候出てましたし、覚悟はしてましたから。いままで言いそびれちゃいましたけど」
なんでも出版不況のあおりを受け野瀬さんの会社は何度か不渡りを出し、給与の未払いまで発生していたらしい。出版雑誌も別会社に譲渡されるようなことはなく全て廃刊、すなわち俺の仕事のアテもごっそりなくなるという事だった。もしかするとこのサクラのバイトも野瀬さんの厚意だったのかもしれない。が、そこは掘り下げないでおこう。
玄関に野瀬さんを見送る。もう今後、野瀬さんが俺と会う理由もない。
「もう、私がここに来ることもありませんねえ。今までありがとうございました。なに、またどこかの出版社にでも腰を落ち着けたら依頼に来るかもしれないので、その時はまたご贔屓にお願いしますよ」
それは俺が言うセリフだろう。俺より野瀬さんの方がずっと大変なはずだ。今時分、次の就職先がおいそれと見つかるとも思えない。なぜに野瀬さんはここまで俺を買ってくれるのか。俺みたいなしがない絵描きを相手にしたってメリットなんかないだろうに。ドアを開け、退室しかけた野瀬さんを思わず呼び止めた。
「野瀬さんは、どうしてそこまで俺に肩入れしてくれるんです? 他に腕のいいやつなんていっぱいいるでしょうに」
野瀬さんはしばらく考え、少しバツが悪そうに笑った。
「人が悪いなあ。わざわざそんなこと言わせたいんですか? 江藤さんのファンだからに決まってるじゃないですか」
そう言い残し、野瀬さんは部屋を後にした。俺はしばらくその場を動けなかった。
俺みたいな奴にファンがいたのだ。しかもすぐ身近にいて、何かと便宜を図ってくれていた。そんな事実に気付きもせず、俺は今までその厚意に甘えていたかと思うととても情けなかった。やっとその事実に気付けたというのに、もう、俺と野瀬さんの接点はなくなってしまった。もうこれから先、野瀬さんが俺に仕事を依頼することはたぶんないだろう。野瀬さんが俺の元を訪ねることももう2度とないのだ。
なんて思ってたら野瀬さんが舞い戻ってきた。
「ああそうそう! 大事なこと忘れてました。これ、読者コーナーで没になった魔界彗星宛てのメッセージです。捨てるのも忍びないんで、いちおう江藤さんにお渡ししておきます。では、これで」
そう言うと野瀬さんはまた慌ただしく出て行った。やれやれ、どこまでもあの人らしい。