いつか咲く君に (全13話)
参考書籍
若冲 澤田瞳子 氏著
絵金、闇を塗る 木下昌輝 氏著
フェルメールの仮面 小林英樹 氏著
あくまでもフィクションです。
「江藤さん。また例のバイト、お願いしたいんですが……」
俺の担当、野瀬さんが気まずそうな笑顔を作って切り出した。こちらとしても日頃の付き合いがあるので無下にはできない。俺は少々気乗りしないような素振りをしつつ引き受けた。まあ社交辞令のようなもんだ。そういう類のお仕事だ。犯罪ではないけど、人には言えないような仕事なんて世の中にいくらでもあるだろう。そのひとつに過ぎないと割り切ればいい。野瀬さんが周到に用意していたらしいスケジュールを確認する。端から断られるとも思ってないのだろう。そのテの暗黙の了解も世の中ではさほど珍しいものでもない。もう仕事にも、家庭にも人生にも夢も持てなさそうな、いかにもな窓際族の風貌をした野瀬さんに頼まれては断れないという弱みもあるが。
「助かります。ええっと……うちの出版社で出してる美少女ゲーム誌の5月、7月、9月、10月。この辺でお願いできないでしょうか」
「3回は隔月で、最後は連チャンですか……なんか意味あるんですか?」
「いえ、特には……強いて言うならフェイントですかね。ほら、几帳面に定期的だと怪しむ読者もいるでしょうし……やっぱり2ヶ月連続ではスケジュール的に厳しいですか?」
「いえ、全然。どうせイラスト1枚だけですし。片手間でやれますよ。しかし、野瀬さんも大変ですね」
「ははは……なにしろ下から数えた方が早い弱小雑誌ですからね。特にウチのは他誌に比べて読者コーナーが過疎ってますから。でも、私としても思い入れのある雑誌なんで、潰したくないんですよ」
そのあたりの事情は以前聞いたことがある。野瀬さんが業界に入って立ち上げに関わった唯一の雑誌らしい。その愛着は分からなくもない。
そちらの話がつき、俺は発注分のイラストを入れた封筒を野瀬さんに渡す。野瀬さんはそれを取り出し全てに目を通す。まあ、雑誌の端を飾る程度のイラスト、リテイク出る方が稀なのだが。ただ、ついうっかり的に権利に抵触するようなものを描き込むことはあるので形骸とはいえチェックしないわけにもいかない。
「はい、OKです。いつも期限を守ってくれて助かります。江藤さんみたいな締め切り順守の絵描きさんは今時珍しい。あ、そうそう。江藤さんのイラスト、読者の反響もいいんですよ」
見え透いたお世辞ではある。誌面の端に掲載されるイラストに読者の反響などあるとは思えない。が、そんなお世辞も言わねばならない向こうの事情も分からなくもないし悪い気もしない。俺が適当な相槌を打ち、次の仕事に繋げるべく通り一遍の茶飲み話などをして野瀬さんは俺の自宅兼仕事場を後にした。自宅といっても3LDKの安アパートだが。
一人となって煙草に火を点ける。俺はいちおうイラストレーターという肩書を持ってるが、そう華やかな仕事でもない。パズル誌とかトラベル誌、あるいは地方のタウン誌等で使う小さなイラストを描いて報酬を貰っている。素人に毛が生えた程度の画力しかないし、仕事と呼ぶのも憚られる不安定な仕事。それが今の俺の現実。一点あたり数千円の絵を描いて生活の足しにして、生計の柱はコンビニバイト。売れる技能があるだけマシって程度でしかない。
こんな俺にとって野瀬さんが持ってくるバイトは結構オイシイ。マイナーサブカル誌の読者コーナーにサクラとしてイラストを仕上げる。あとは編集部任せ。それでも一点あたり普通の絵の仕事と変わらないバイト料が出るのでバカにならない。
読者コーナーにカネを使うのなんてアホらしいと最初は思ったが、出版業界ではよくあることらしい。そもそも読者コーナーにネタなりイラストなり、素人でも書いて投稿するってことは、そいつらは出版社にとっては安定購読が見込める読者だ。立ち読みで済ませる素性の分からない読者よりよほど身元がしっかりしている。そういう読者を囲い込み、育てるのは結構重要らしい。が、俺が仕事をもらってるような弱小雑誌は誌面を彩れるほど投稿者が確保できない。そこで俺のようなセミプロとも言えないような奴に依頼し、読者コーナーが充実してるように見せかけるって寸法だ。
特に桜が咲く頃ってのは今まで育てた常連が去りゆく季節でもある。レベルの高い常連がいなくなるだけで芋づる式に過疎化が進み、読者の分母自体も減ってゆく。そうなると素人よりはちょっとレベルの高い絵が描ける、俺のようなマイナー絵描きを素人として登場させ、残った読者を繋ぎ止めるという苦肉の策でも講じざるを得なくなるわけだ。