9-10.海辺の街からの帰路
魔力機関搭載漁船の試験航行を行なった翌日、マコたちはマンションへと帰ることになった。
「ありがとうございました。これで漁の目処が立ちそうです」
何人かの見送りに出てくれた住民たちの前で、代表がマコに深々と頭を下げた。
「どういたしまして。くれぐれも海竜には気をつけてください。美味しいお魚を獲れることを期待してます。
次は一週間後に、九日後ですね、来ますので」
「それまでには追加のエンジン、魔力機関か、造っておくから、よろしく頼むわ」
技師が言った。
漁船を使えるようになったからと言って、漁船が一艘だけでは漁港として機能できない。そのため、このコミュニティにある材料で魔力機関の構造部分を製造し、時折マコが訪れて魔力を込めて完成させる、と話し合っていた。
「それじゃ、失礼します」
マコが別れを告げ、他の皆も挨拶をして、帰路に向けて歩き出そうと踏み出した時、漁師たちの集まっていた一角から声が掛けられた。
「本条さんっ」
足を止めたマコが振り返ると、改造した漁船の持ち主の漁師が、仲間たちから抜けてマコに駆け寄って来た。
「本条さん」
「はい、何でしょう?」
マコは彼に向き直って聞いた。
マコは気付いていなかったが、漁師仲間たちはにやにやと意味ありげな視線を向け、互いに耳打ちをしたりしている。そしてマコの後ろでは、マモルが漁師に鋭い眼光を向けている。
若い漁師──集まっている漁師たちの中にはもっと若い者もいたが──は、マコの前に立つと、真っ直ぐに彼女の目を見据えた。マコは若干戸惑いながらも、笑みで受け止める。以前の彼女であれば、怖気付くような状況だ。しかし今は、彼女の対人スキルも充分上がっている。
漁師はそのマコを前にして、生唾を呑み込み唇を湿らせてから、口を開いた。
「本条さん、その、本条さんの力は今、ここに必要です。是非にも、ここに残ってください」
マコに対して初めて敬語を使った彼は、深々と頭を下げた。
「え……」
マコは、すぐには言葉を出せなかった。そんなことを言われるとは思ってもいなかったことが一つ。それに、言われるとしても、代表ではなくどうして一漁師が?という思いが一つ。けれど、答の決まっている問なのだから、疑問を解く必要はない。
「すみません、あたしの生活の場はここじゃなくて、母のいる家なんです。だから、帰ります」
マコははっきりと断り、丁寧に頭を下げると改めて立ち去ろうとした。
「ま、待ってくれっ」
更なる漁師の言葉に、マコは背を向ける途中で再び足を止めた。漁師は一歩足を踏み出してマコに近寄ると、彼女を前にして深く頭を下げた。
「すみませんっ、正直に言いますっ。初めて見た時から惚れましたっ。どうかここに残って、俺と一緒になって下さいっ」
漁師たちから小さな歓声が上がる。フミコも面白そうに成り行きを見守っている。
しかし。
「ごめんなさいっ」
即答だった。
漁師たちの期待や好奇の笑いが、揶揄や同情のそれへと変わる。
「ど、どうしても、駄目ですか?」
身体をやや起こして、マコを下から見上げるようにしながら漁師は聞いた。
「すみません、もう好きな人がいるので」
ごく自然に言ったつもりのマコだったが、頬は染まっていたし、彼女の視線がちらりとマモルに向けられたことは、海辺の住民たちの目にしっかりと捉えられた。
「またここには来ますので、その時にお話したりは構いませんけれど、お付き合いする事は出来ません。ごめんなさい」
マコは深々と頭を下げた。
「あ、ああ、いえ、本条さんは、悪くありませんので、謝らないで、ください……無理言って、すみません、でした」
漁師は軽く頭を下げると、ぎこちない動きで仲間たちの元へと戻って行った。
それを見送って、マコたちは今度こそ、帰路についた。
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「それにしてもマコちゃん、容赦なかったわね」
マンションへの帰途についてしばらくして、フミコが笑いながら言った。マコが漁師を一刀両断に振ったことを言っているのだろう。と言うより、それ以外のことで、こんなことを言う要素はない。
「はっきり言わないと、有耶無耶の内に付き合うことになったりしそうですし」
マコは、その時の自分の態度を思い出してまた赤くなった。以前なら、それこそ何と言っていいか判らず、曖昧な態度に終始した挙句、すぐとは言わなくても将来は海辺のコミュニティへ引っ越すよう約束させられていたかも知れない。たとえ心に想い人がいようとも。
「あの漁師さん、凄く落ち込んでたわね」
本人がいないのをいいことに、フミコは面白そうに言った。
「それに、マコちゃんも好きな人がいるって他の人もいる前で宣言しちゃって、大胆よね」
「そんなこと言っても、あの人の目がなんか真剣だったから。強く断らなきゃ、と思ったら自然に」
そう答えつつ、マコは前を歩くマモルを窺った。背中しか見えないから彼がどんな表情を浮かべているのか、窺い知ることはできない。視覚的には。
しかし、海辺での一週間の間、マモルにずっと魔力を纏わせ、今も彼を包んでいるマコには判る。仕事中の仏頂面でありながら、僅かに色付いた頬が普段よりも緩んでいることが。
好きな相手も自分のことを好いてくれている、それがこんなに幸せなものだとは、マコがこの歳になって初めて知ったことだ。未だ互いに告白もしていない間柄でありながら、マンションのほとんどの住民が、二人を恋人同士と認識している。
本人たちは恋人と公言したことはないが、一週間ずっと付き添われ、同じ部屋で床に就いていたせいか、マコにとってマモルは常に傍にいるのが当たり前の存在になっていた。マモルも同じ想いであることを、マコは疑いもしなかった。そして幸いなことに、それは正しかった。
鬱蒼と生い繁る森を抜けたところで、マモルが立ち止まった。
「そろそろ休憩にしましょうか」
「うん。確か行く時も、この森に入る前で休みましたよね」
マコが笑顔で答えた。
「では、同じ場所で休憩にしましょう。確か、あの辺りでしたよね」
マモルが指差す百メートルほど先の、大きな石がベンチのようになっている場所へ向かって四人は歩いた。
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「マモルさんも澁皮さんも、もう少し警戒を緩めてもいいんじゃありません?」
冷やした水を飲みながらマコが言ったのは、一見ゆったりと寛いでいるように見える自衛官たちが、周囲に神経を張り詰めていることが感じ取れたからだ。シュリの方は良く判らないものの、この一週間、常にマモルに魔力を絡めていたから、彼の様子は良く解るようになった。ホテルの部屋にいる時はやや弛緩している筋肉が、外に出ている時はほとんど常に緊張している。
弛緩や緊張とは少し違うかも知れない。何かあった時、一瞬後に行動に移せる状態か、それとも一秒後になってしまうのか。その程度の僅かな違い。
マモルのそれに気付いたマコは、シュリの様子も気にするようになったが、彼女の方は良く判らない。常に魔力を伸ばしているわけではないからかも知れないが、いつも、マモルよりも自然体に見える。警戒している時はもちろん、寛いでいる時でも一瞬で行動に移せそうだ。マモルと変わらない年齢に見えるが、より多くの経験を積んでいるのかも知れない。
「いいえ、いつまたマコさんを狙う莫迦者が現れないとも限りません。警戒は怠れません」
マモルは真面目に、しかしマコを優しく見て言った。
「だからって、いつも気を張り詰めていては駄目よ。寛いでいてもすぐに臨戦態勢に移れないとね」
シュリが笑顔で言った。
「でも結局、あの犯人て誰だったんですか? 米軍が調べていると言っていましたけれど、もう二ヶ月以上経つのに、判らないんでしょうか?」
フミコがどちらにともなく聞いた。
マモルとシュリは目を見交わし、それからシュリが口を開いた。
「あまり詳しくは話せないけれど、某国の工作員だそうよ。装備からどこの国かも判っているけれど、それは秘密」
「……予想の範囲内のことですね。電気自動車をこっそり持ち込むくらいだからどこかの国が関係してそうと思っていましたし」
「ごめんなさい。でも、知ることで却って危険になることもあるから」
「知っていれば、警戒することもできると思うんですけど」
「特定の国が危険と思い込み兼ねないからね。別の国に対する警戒が薄れても困るから」
フミコとシュリの会話を聞きながら、なるほど、と思う。矢がどこから飛んで来るか解っていれば防ぐことはできるかも知れないが、別の矢を見逃すかも知れない。どこかの国が関与しているだろうことは簡単に予想できるが、それ以上のことは民間人が知っても対処のしようがない。敵の規模や装備が判ったところで怯えるくらいしかできることはないのだから。それなら、何も知らない方がマシというものだ。
「でも、どうしてあたしを狙ったんですかね? やっぱり、魔法使いだから?」
マコは首を傾げた。マモルは、その仕草に目を細めながら口を開いた。
「おそらくそうでしょう。異変後の日本の様子を確認しようと諜報員を送り込んでいるのは、一国や二国ではないでしょう。調査の手がこの辺りまで伸びていれば、マンションの街灯にも気付かない訳はありません。それに興味を持てば、持たないことはないでしょうが、魔法使いまではすぐですから」
「うーん、そうですよねぇ。米軍だって、見せた以上の魔法をあたしが使えることは、多分知っているだろうし」
それも、これまでに予想していた範疇内だ。具体的に米軍がどの程度マコの力を把握しているかまでは判らないが。
「それなので、いくら警戒しても、し過ぎるということはありません。二度とあんなことがないよう、マコさんは自分が守ります」
マモルの言葉に、マコは頬を染めた。マモルからは、自衛官としての任務だけではなく、個人的にもマコを守ろうと言う意気込みが感じられたから。
「それなら余計に気を張り詰め過ぎないように。気を張り詰めっ放しじゃ、いつか限界が来るし、人の多い場所でそうしてたら余計に注目を浴びることになるから」
「はい、解っています」
シュリの言葉に、マモルは真摯に頷いた。
「それじゃ、そろそろ出発しましょう。二人とも、お昼はマンションで摂りたいでしょうし」
「はい」
四人は再び歩き出した。一週間振りの我が家に向けて。




