9-5.開発開始
正直な話、マモルは自分が大切に思う少女と二人きりで同じ部屋に寝て、理性を保つ自信がなかった。高校時代、生まれて初めてできた恋人の部屋に誘われ、二人きりの時間を過ごしていた時に、我慢できずに襲い掛かってしまったのは、思い出したくもない黒歴史だ。本当に思い出したくないのは襲い掛かったことではなく、興奮と同時に緊張もしていた彼が、挿入直前に萎えてしまったことに投げかけられた『……粗チン』の一言だった。
実際のところ、マモルの逸物は粗末なことはなく、逆に日本人の平均を遥かに超える立派なモノだったから、そんな言葉を鵜呑みにすることなく二度目、三度目を迎えれば無事に結合できただろう。
しかし、愛し合っていると思った女の心無い言葉は、マモルの下だけでなく気持ちも萎えさせた。
その後もしばらく付き合ったものの、関係は徐々にぎこちなくなり、二度目を迎えることなく自然消滅し、以来、二十六歳の今に至るまで女性と付き合ったことはない。
高校卒業後、防衛大学へと進学し、そのまま自衛隊に入隊して、肉体的にはもちろん精神面も鍛えて来た今のマモルなら、女性と同衾したくらいで理性を手放すことはないだろう。しかしそれでも、かつて理性を失った上に、手痛いしっぺ返しを喰らった心的外傷は、マモルの心に陰を落としていた。
行き摩りの女であれば、今では早々発情したりはしないし、何かの間違いでそういう関係になって暴言を浴びせられても大した衝撃はないだろう。
しかし相手が、好ましい女性として認識しているマコともなれば話は別だ。理性を保つ自信はあるつもりだ。しかし万一、その箍が外れてしまったら? その上さらに、失敗してしまったら? そうなったら彼は、マコの笑顔を永遠に失ってしまうかも知れない。
「マモルさん、お休みなさい」
薄暗い光の照らす中で、隣のベッドに横たわる愛らしい少女が笑みを零す。
「お休みなさい。ごゆっくり、お休みください」
「マモルさんも、ね」
マコが、点けていた魔法の光を消した。部屋に暗闇が落ちる。それでもマモルには、マコの様子がはっきりと判った。マコの魔力に触れられて、最初の内は喩えようのない心地良さだけがあったが、何度も繰り返される内にマコがどこにいるか、何となく感じられるようになって来た。マコは今も魔力をマモルに伸ばしている。手を繋いだ時に体内へと注がれた魔力もそのままで、マモルは心地良さに包まれたまま目を閉じた。
暗闇の中、マコだけが感じられる。心安らぐ感触に包まれている内に、マモルの不安は徐々に消えて行った。
やがて、マコの微かな寝息が聞こえて来た。それでも、マコの魔力はマモルを包んだまま離れなかった。
マモルも、幸せな心持ちのまま、いつしか眠りの世界に入って行った。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
マコが目覚めた時、マモルは隣のベッドに座ってマコを見ていた。
「おはようございます。何をしているんですか?」
「おはようございます。マコさんを見ています」
マコの頬がぽっと染まる。
「恥ずかしいです」
「俺と同衾したいとまで言った女性が何を言いますか」
揶揄うような台詞だが、マモルの言葉には慈愛しか籠められていない。
こんなに心休まる目覚めはいつ以来だろう、もしかすると、初めてかも知れない、とマコは思った。
「マモルさん、きちんと寝たんですよね?」
マコは掛布団をはいで上体を起こして言った。
「はい。今までで一番寝覚めのいい朝でした。危険を感じて夜中に目覚めるようなこともありませんでしたし」
「良かった。あたしも気持ち良く寝られたし、気持ち良く起きられました。マモルさんのお陰です」
「いえ、俺の方こそ、マコさんが魔力で包んでくれていたお陰です。ありがとうございます」
「お互い様ですね。それじゃ、支度して居間に行きましょう。って、マモルさんは支度済んでますね。急いで支度します」
「ゆっくりでいいですよ。自分は先に行っていますので」
マモルは、やや頬を赤くして寝室から出て行った。
それにしても、とマコは思った。
(眠っている間もずっと魔力を伸ばしていたみたい。今もマモルさんの身体の中にまで魔力が伸びているし。一度抜けちゃうと、直接触れる必要があるもんね。無意識のまま魔力を操作してる、ってことかなぁ)
それができるなら、マコの魔法研究の一つの、常に周囲を警戒することも可能になる。いつか隣のコミュニティを襲った魔法使いもおそらくやっていたことでもあるし、不可能ではないだろう。
(まだ実用的とは言えないけどね)
今、無意識にできるのは、マモルに魔力を纏わせるだけだ。
(でも、それだけでもいい気がする……いつもこんなに気持ちいいなら……って駄目よね、それじゃ。向上心ってものがなくなっちゃうもの。そんなんじゃ、マモルさんに愛想をつかされちゃう。今はまず、漁船の問題ね)
身支度を終えたマコは、マモルの影を追うように隣の居間へと移動した。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
海辺のコミュニティに来て二日目、フミコは洗濯や食糧の調達を行い、マコは船の動力の検討に没頭した。シュリはフミコを護衛しつつ彼女を手伝い、マモルはマコの傍で護衛に専従した。
(エンジンの動きは回転運動。運動エネルギーは直線的な動きだから……あ、別に常にベクトルを変えればいいのか。……あれ? 違うな。ベクトルを変えると言うことは魔力を力に変える場所が変わると言うことで、そのためには魔道具と言うか魔力も位置を変えないといけないから全体が回転することに……それなら軸を魔道具にする? それだと魔力を蓄積できないかな? 軸の周りの金属に蓄積してそれを力に変え……たら、軸じゃなくてその周りが回っちゃうよ。魔法の力だから、外側を固定すれば軸が動くってわけでもないと思うし。うーん)
取り敢えず、持ってきた荷物の中から鋼板を出した。他にも、銅線の被覆材に使った樹液も持ってきている。
鋼板から、瞬間移動で薄板を二枚切り出して、丸めて重ねる。手で回すと、内側の円筒が回る。ふと、マコの頭に過ぎるものがあった。
「マモルさん、エンジンとかモーターって、軸のところに潤滑剤かなんか、塗ってますよね」
「潤滑剤ですか。普通は塗ってあるはずです。動きを滑らかにしたり、部品が擦れ合って摩耗することを防いだり、発熱を抑えたりする目的がありますね」
「ですよね。うーん、潤滑剤の原材料って原油なんですかね?」
「どうでしょう? 石油製品っぽくはありますが、詳しくはないので……」
マモルは申し訳なさそうに言った。
「じゃ、あとで潤滑剤があるかどうかも聞いてきましょう。倉庫かドックに行けば、消えてなければ整備用に残ってるかも」
「すぐに行きますか?」
「ううん、もうちょっと色々、考えてから」
マコは、重ねた円筒に魔力を込めて魔道具を試作する。
外側の円筒を魔道具に変える。与えた魔力は『隣接する魔力を円筒に沿った運動エネルギーに変える』とした。魔道具となった円筒を持って、内側の円筒に魔力を注ぎ込む。内側の円筒が回転した。
「マコさん、もうできたんですか?」
マモルが、周囲への警戒を怠らずに聞いた。ホテルの一室でそれほど危険があるとは思えないが。
「ううん、まだです。試作の試作の試作くらい。魔力の供給を止めると、ほら」
途端に回転を止める円筒。
「これじゃ使い物にならないからなんとかしなくちゃいけないんですけど、どうすればいいかはこれからです」
それでは行きましょう、とマコはホテルを出た。行先はもちろん、昨日案内して貰った、簡易ドックに併設された倉庫だ。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
「エンジンの軸って、結構太いんですね」
前日、代表から紹介された技師に、マコは言った。
「まあなぁ、エンジン自体がでかいから、個々の部品もでかくなるのは当然だわな」
壮年の技師は、頬を掻きながら答えた。
「ここで一番太い軸ってどれくらいですか? あと、一番細い軸を貰って行きたいんですけど」
「ん? 太いのは半径二百ミリメートルだな。細いのはそいつかな。半径七十ミリメートルってとこだ。昨日、好きに使っていいって言った奴だな。必要なら解体してやろうか?」
「いいえ、大丈夫です」
マコは魔力をエンジンに伸ばすと、瞬間移動で軸を三十センチメートルほど切り取って手に移動させた。
「重っ」
落ちかけ手を、マモルがさっと支える。
「ありがとう」
マコはにっこりと微笑み、マモルは笑顔だけで応えた。
「凄いな。聞いてはいたが、それが魔法かな?」
技師は、マコとマモルの微笑ましい行動よりも、瞬間移動の方に気を取られたようだ。
「はい、そうです」
「それを使えば、どんな加工も自由自在ってな感じだな」
「そうでもないんですよ。今みたいに、壊すのは簡単なんですけど、直すのはできないんです。だから、今回の件も魔法だけじゃどうにもならなくて、後で加工を手伝ってもらうと思います」
「おうよ。いくらでも協力してやる。何しろ、こっちが頼んでいることだからなぁ」
技師は、わははと笑った。気持ちのいい男のようだ。この技師なら、多少の無理なお願いも簡単に蹴ることなく、なんとかしてくれそうだ、とマコは感じた。
潤滑剤も消失していないことを確認し、小さな瓶に少し分けて貰って、マコとマモルはホテルへと帰った。
「できそうですか?」
帰る道々、マモルはマコに聞いた。
「うーん、手応えはある、と思うんですけど、まだ決め手に欠けるって感じで。もうちょっと色々考えて、試してみます」
「そうですか。頑張ってください」
「はいっ」
今のマコには、マモルの応援が最大の糧だった。




