9-4.海辺の街へ
海辺のコミュニティには昼前に着いた。小さな漁港と少し離れた海水浴場がまとまって、一つのコミュニティになっている。異変当時は月曜日だったものの、九月の初頭と言うことでホテルにはそれなりに客が入っており、半数ほどはそのままこの地に住み着いて、コミュニティの一員となっているそうだ。
残る半数は自分の家を目指して帰途に着いたそうだが、無事に帰りつけたかどうかは不明のままだ。
ここは、一時は結構荒れていたそうよ、とフミコが教えてくれた。それが、家々の窓から見て取れる。所々、ガラスの代わりに板が打ち付けられている。他には暴動の跡が見えないのは、復興の成果なのだろう。
マコたちは、フミコの案内でコミュニティの中心部へと向かい、代表がいると言う浜に出た。
「ここって海水浴場ですよね?」
マコが一面に広がる浜を見て言った。
「元、ね。今は見ての通りの塩田よね」
フミコが答えた。
かつて海水浴場だった浜辺は正方形に溝が掘られ、あちこちで海水を撒いている人が見える。これだけ広ければ、塩を大量に確保できそうだ。……そうマコは思ったが、そう簡単なことではないらしい。
「海水から塩を取り出すのって、実は結構大変なんだって。それに元々ここでは製塩していないからノウハウもなくて、うろ覚えの知識で手探り状態って、この前聞いたよ」
フミコが前回来た時に聞いたという知識を披露した。
「そうなのですよ。まだ始めたばかりで安定して採れるようになるのはいつになるか」
突然後ろから掛けられた声に四人が振り向くと、中年の男性が立っていた。マコは驚いたが、自衛官の二人は気付いていたようで、まったく動じた様子がない。
彼が、このコミュニティの代表だった。互いに挨拶を交わした後、続きとばかりに語り出す。
「ここの産業は元々、観光と漁業だけでした。今の状態では観光客は見込めず漁にも出られないということで製塩を始めたのですが、見様見真似なのでなかなか上手く行きません。図書館で製塩の本を探したり、知っている人を探したりとしているのですが、なかなか見つからなくて」
見た目だけは立派な塩田に見えるが、そう簡単ではないらしいことを彼の口調からマコは理解した。
「それで、かつての産業の一つの漁業について、あたしに協力出来ることがあればと、今日は伺いました」
「はい、聞いています。と言うことは、あなたが?」
「はい、魔法使いです」
この名乗り、結構恥ずかしいな、と思いつつも、これからは魔法使いが当たり前にいる社会になってゆく筈だから、始祖たるマコが恥じらう姿を他人に見せてはいられない。
「この前お持ちした、魔力灯や魔力懐炉もマコちゃんが発明したんですよ」
フミコが何故か誇らしそうに言って、マコはますます恥ずかしくなるが、その気持ちを外に出さないようにぐっと堪えた。
「そうでしたか。てっきり、もっと歳上の方かと思っていました」
「頼りないかも知れませんけど、最善を尽くします。それで、まずは漁船について詳しく教えて欲しいんです。動力系を重点的に」
「解りました。その前に、荷物を宿泊場所へ置いて来てはいかがですか? あちらのホテルの一室を用意しています」
代表が指差したのは、建ち並ぶ旅館やホテルの中でも一際目立つ高層建築だった。
「え……料金払えないんですけど……」
現金は持って来ているものの、それほど多くはない。
「いえ、今はホテルとしては機能していませんから気になさらないでください。どうしても、と言うのであれば、漁船を直す報酬と考えていただければ」
そんなことを言われてしまうと、出来ませんでした、などと言うわけにはいかなくなってしまう。素直に厚意に甘えておけば良かった、と思った時にはもう遅い。最善を尽くすだけでなく、結果、それも良い結果を出さざるをえなくなってしまった。
ホテルでは、代表の名前を出せば案内してくれると言うことで、フミコとシュリがマコとマモルの荷物も持ってホテルに向かい、マコとマモルは代表に先導されて、塩田から戻る形で漁港へと向かった。
漁港でマコは、代表に紹介された漁師から、漁船の仕組みについて大雑把な内容を教えてもらった。
「じゃ、機関室には常に誰かいるわけじゃないんですね?」
「ああ、操舵室ですべての制御が可能だ」
まだ若い──と言っても、三十なるならずなのでマモルよりも歳上だ──漁師は、マコの顔をちらちらと気にしながら言った。しかし、マモルが無言の圧で余計な口は開けない。その攻防?に、当のマコはまったく気付いていなかった。
「機関室に常に人が必要ってなったら、不味いですか?」
「別に不味くはない。何しろ今は動けないからな。動けるなら多少の不便には目を瞑る」
「それって、他の漁師さんの総意と思っていいですか?」
「総意とまで言えるかは判らないが、そう考えている漁師は多いよ」
うーん、とマコは考える。一番いいのは、エンジンに代わる魔道具を作って載せ換えることだが、操作系統も合わせて変更が必要だ。さらには、操作感も変わるだろうから、漁師たちも新しい機関に慣れる必要がある。
「できそうか?」
「うーん、難しいけど、考えてみます」
どちらにしろ、まずは漁船を動かす推進機関を魔道具として作らないことには始まらない。操作系の仕組みや漁師の習熟訓練は後で考えればいいことだ。
マコは、漁師に礼を言って漁船を下りると、桟橋で待っていた代表に質問した。
「あの、使っていい金属の塊とかあります? 新しい機関を作るのに使いたいんですけど。それと、最初に試しで改造していい船があると嬉しいです」
「金属の塊、ですか。一応、向こうの倉庫に古いエンジンなどはありますが」
代表は、漁港の一角に建っている建物を指差した。
「簡易的なドックがあって、そのために色々とあります。使っていい物をこの後にでもお教えします」
「ありがとうございます」
「それと、船ですが……」
「それなら、こいつを使ってくれ」
マコに漁船の説明をしてくれた漁師が船の甲板から言った。
「いいのかい?」
「どうせ動かないんだ。だったら実験台だろうと何だろうと、使ってもらった方がいい」
代表の問に、漁師は淀みなく答えた。
「ありがとうございます。最善を尽くします」
マコがにこりと頬を綻ばせて頭を下げると、漁師は視線を逸らした。
「あ、ああ、期待してる」
「それでは、倉庫の中の説明を」
「はい、お願いします」
マコは、マモルと共に代表の後について漁船から離れた。残された漁師は船の上からマコを見ていた。
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ホテルの部屋は、中央の居間の両側に寝室が一つずつある立派なものだった。マコは目を丸くした。こんなに広い部屋だとは思っていなかった。異変の前にも、こんな部屋に泊まったことはない。
「これって、スイートルーム?」
「スイートルームって言ったら最上階じゃない? ここ、四階よ?」
マコの上げた歓声に、フミコが笑った。
「それで、問題は部屋割りなのだけれど」
高校生二人のやり取りを笑顔で見ていたシュリが言った。
「部屋割り?」
「ええ。私たち、女性三人に男性一人でしょ? 寝室は二つだけれど、ベットが二つずつだから」
「それなら自分は、居間のソファーで休みます」
マモルが言った。
「えっ!?」
思わず、マコは自分でも驚くほどの大きな声を出した。みんなの視線が集中して、マコの頬が赤くなる。
「マコさん、何か?」
マモルが至って真面目に聞いた。
「え、あ、その、うー、えーと、マモルさんと、同じ部屋で、寝たいな、なんて……」
ますますマコの頬が赤くなる。俯いたマモルの頬も染まっている。それを、フミコは微笑んで、シュリはにやにやと、見つめている。
「それじゃ、私はフミコちゃんとだけれど、フミコちゃんはそれでいい?」
さっきから一人称に『自分』を使っていない辺り、シュリは“公”でなく“私”で話している。
「はい、構いません」
フミコもシュリに同意した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。自分は男ですよっ。マコさんっ、うら若い乙女が男と褥を同じくする意味、解っているんですかっ」
マモルは慌てふためいた。そんなマモルを、外野の二人はにこにこ、にやにやと見つめ、マコは潤んだ瞳で見上げた。
「マモルさんなら、酷いことしないって信じられるし、それにベッドは別だし……何なら一緒のベッドでもいいし……」
マコは、マモルに恋心を抱いているのみならず、彼の魔力に触れているだけで放心してしまうほどに心地良い。最近はしょっちゅう二人でいる時間を作っているので我を忘れるようなことはないが、快楽にも似たあの感覚は、他の何物にも代え難い。実のところ、この日も朝からずっと、マコはマモルを魔力で包んだままだ。
マモルの心地良い魔力に包まれたまま眠りに就いたら、どんなに癒されることだろう。それを思うと、マコはマモルと一緒に眠らずにはいられない気持ちになっていた。そのためには、眠っている時に彼には近くにいて欲しい。眠っていると伸ばしている魔力が引っ込んでしまうが、その時間を少しでも延ばせるように。
「そ、それはいけませんっ」
しかし、真っ赤になったマモルは激しく両手を振った。
「じ、自分はマコさんを守る任を負っています。それなのに、マコさんを傷付けるような真似はできませんっ」
「そんなマモルさんだから、あたしも安心して一緒にいられるの。だから、同じ部屋で、寝て欲しいなぁ」
マコは上目遣いでマモルを見た。マモルも、マコを守るのは任務だからと言うだけではなく、この中学生並に小柄な女子高校生に恋心を抱いてしまったからに他ならない。
その少女に、切ない表情でお願いされたら、男として断り切れるはずがない。
「わ、解りました。夜もご一緒します。しかし、ベッドは別ですよ。そこは譲れません」
恋する美少女と同衾したりしたら、それこそ自分の牡を抑え切れるか判ったものではない。
「うん。ありがとう、マモルさん」
マコは極上の笑みをマモルに向けた。マモルは、自分だけに向かられた愛しい笑顔に、壊れそうになる理性を必死で保つのだった。




