9-3.海辺の問題
「レーイコちゃん」
マコは、他に人がいない時を見計らって母に声を掛けた。
「何かしら?」
「レイコちゃん、これ。お誕生日、おめでとう」
マコは和かな笑みと共に、小さな紙包みをレイコに差し出した。レイコは目を見開いた。
「ありがとう。そう言えば、今日ってわたしの誕生日だったのね」
「レイコちゃん、忙しかったもんね。その感謝も込めて、ね。大したものじゃないけど」
「マコがくれるものならなんでも嬉しいわよ。ありがとう」
レイコはマコから紙包みを受け取り、開いて中の物を掌に出した。百合の花をあしらった、小さなブローチ。
「ありがとう。これ、もしかしてマコの手作り?」
「うん。大したものは用意できなかったけど」
マコは笑顔で答えた。
廃材となった自動車の鋼板から瞬間移動で切り出し、家の工具箱にあった鉄ヤスリと紙ヤスリを使って形を整え、表面を磨いて、机の中から見つけた安全ピンを裏に付けただけの、簡単なものだ。それでもレイコは、娘の心尽くしを心から喜んだ。
「こんな時に大変だったでしょう。本当にありがとう。それに、ごめんなさい。マコの誕生日を忘れてて」
マコは、ひと月ほど前に十六歳になっていた。
「いいの。こんな時なんだからさ。みんな自分のことで精一杯なのに、レイコちゃんはみんなのことを考えて忙しくしてるんだもん。忘れても仕方ないよ。その代わり、落ち着いたらまとめて祝ってくれればいいから」
「ありがとう。来年は絶対に忘れないから」
レイコはマコから贈られたブローチを胸元に着けた。
「どう?」
「うん、似合ってる、かな。作ったのがプロじゃないから、レイコちゃんに負けちゃってる感じだけど」
「そんなことないわよ。良く出来ているもの。マコにこんな才能があったなんて知らなかったけれど」
「あはは。魔法のおかげかな」
そんな娘を見て、レイコは徐に口を開いた。
「マコにお願いしたいことがあるのだけれど」
「なあに?」
「先日、海辺のコミュニティに何人か交渉に行ってもらったの、知ってるでしょう?」
「うん。塩と魚を譲って貰えないか、聞きに行ったんでしょ?」
「ええ。元々製塩はやってなかった地域なのだけれど、異変からこっち、小規模に始めていたそうなの。まだ手探り状態だそうだけれど、大規模にしていければ、と考えているらしいわ。それでマコの魔道具を見せたら、軌道に乗ったらここを優先してくれるって」
「良かったじゃない」
「ええ。軌道に乗るのがいつになるかが肝ね。それともう一つの魚なんだけれど、これが難しいらしくて」
「あれ? あそこって元々漁港があるんじゃなかったっけ?」
「そうなのだけど、漁船のエンジンが動かせないから、漁に出られないんですって」
「あ、そうか」
漁船の仕組みなどマコは解らないが、電気配線があればその被覆が消えて、壊れているかも知れない。それに、壊れていないとしても燃料が消失しているから動かしようがないだろう。
「手漕ぎの小さい舟で細々と漁を続けているそうだけれど、他に回す分は獲れないそうよ」
「そうだろうねぇ」
「それでマコにお願いっていうのは、そのコミュニティに行って漁船を何とか動くようにして欲しいのよ」
マコはレイコを見た。レイコの瞳は真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。それでも言わずにはいられない。
「冗談でしょ? あたし、漁船なんて造れないよ」
「何もマコに、漁船を新造しろ、なんて言わないわよ」レイコは笑みを零した。「漁船のエンジンを魔法でなんとか出来ないかな、と思って。例えば、エンジンをモーターに置き換えて魔力電池で動かすとか」
「魔力電池じゃそこまでの出力は無理じゃないかなぁ。工作用のちっちゃいモーターならともかく」
「魔力電池は例えよ。何か解決策がないか、マコにも考えて欲しいの。向こうも、魔法以外の方法を考えているようだけれど、手詰まりらしいのよ」
「うーん」
マコは考えた。魔法で何とかするなら、魔道具しかないだろう。直接魔力で船を動かしても構わないが、それでは魔力を大量に消費することになるから、遠くまで行くにはせめてヨシエ程度の魔力は必要になる。
「うーん、上手い方法が見つかるまで、何日か通う必要があるかなぁ。どれくらい離れてるんだっけ?」
「十二~三キロくらい。だから、マコには向こうに泊まってもらうことになると思う」
「え? レイコちゃんは?」
「わたしは行けないわよ。こっちでやることはあるし、行っても役に立たないし」
「なら行かない」
マコは即座に言った。
レイコは溜息を吐いた。
「そう言うと思ったわ。でもね、マコもいつまでもわたしにくっついているわけには行かないでしょう? その気になればすぐに帰れる距離なんだから、そろそろ親離れも経験しないと」
「いいよ。あたしはずっとレイコちゃんべったりで」
「そう言うわけにもいかないでしょう」
以前であれば、携帯電話で連絡さえつけばマコが取り乱すことはなかったのだが、今やその携帯電話を使えない。有線通信網も件のコミュニティまでは届いていないし、マコの念話も一キロメートル程度が限界だ。
しかし、これからのことを考えると、マコにはそろそろ親離れが必要だとレイコは考えていた。
「四季嶋さんが一緒でも、駄目かしら?」
「……マモルさんも?」
娘の頬が僅かに染まったことを、レイコは見逃さなかった。レイコはもちろん、娘の気持ちに気付いている。と言うか、誰よりも早く気付いた。
最初に違和感を感じたのは、魔法を習得するために自衛官がここを訪れた初日の昼食時、何となく浮かれているような娘の様子だった。二日、三日と経つにつれ、それが恋心であることにいち早く気付き、さらにクリスマスイブにマモルと一緒にいるところを垣間見て、以来娘の恋路を見守っている。
自分がいなくても、マモルがいればマコは彼を頼りに自分を保てる、それにマモルもそれに応えてくれる、とレイコは考えた。
「……考えてみる……けど、その間、魔法教室の方が止まっちゃうのはいいの?」
「行くことが決まったら考えればいいけれど、そうね、今はずらしている開始日を前みたいに月曜日とかに合わせて、マコが週に一度帰ってくれればいいんじゃない?」
「そんなにかかるかな。一週間あっちに行ってて思い付かなかったら、諦めた方がいいと思うけど」
「向こうもそれで困っているようだし、わたしたちも新鮮なお魚を欲しいから、諦めて欲しくはないのだけれど」
「んー、まぁ、行くかどうかも含めて考えてみる」
「一週間くらいで決めてくれる? 急ぎはしないけれど、いつまでも伸ばしても仕方ないから」
「うん」
一人になってから、マコは考えた。
船を動かすための魔道具。やっぱり、魔力蓄積型がいいだろう。そして、エンジンと載せ換えるなら、仕組みも変えない方がいいのかも知れない。それとも、ごっそりと変えてしまうか。
魔力をエネルギーに変える方法も問題だ。蓄積型魔力灯は時間とともに徐々に暗くなる。しかし、船の動力ともなれば、出力がどんどん落ちてゆくような機関というわけにはいかないだろう。
(難しいなぁ。他にもいろいろと問題が出てくるだろうし。時間かかりそうだなぁ)
その間、レイコと音信不通になってしまう。それはマコにとって許容できない条件だった。……今までは。
(レイコちゃんがいなくても、マモルさんがいてくれたら大丈夫かな? 誘拐されて逃げた時、レイコちゃんより先にマモルさんが頭に浮かんだのには驚いたな。マモルさん……マモルさんがいたら、大丈夫……なのかな?)
少なくとも、マモルの魔力に触れていれば落ち着いていられそうだとマコは思った。仕事を受けてもいいかも知れない。何より、新しい魔道具に挑戦してみたくなっていた。
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結局、マコは漁船の動力となる魔道具製作の仕事を引き受けることにした。海辺のコミュニティへ同行するのはマモルの他、マモルと同じくマコの警護の任に就いているシュリ、それにフミコも一緒だった。彼女は浜辺のコミュニティへの交渉に赴いた一団の一人だったため、道案内を務めていた。それに、マコが米軍の実験に協力した時にも同行していたこともあり、自分から名乗り出た。
「案内って言っても、迷うほどの道でもないんですけどね」
そう言いつつも、フミコはマコと並んで道を歩いた。二人の前をマモル、後ろをシュリが固めている。そこまで警戒する必要もないんじゃないかな、とマコは思ったものの、一度誘拐されている手前、口を挟まなかった。
途中、いつくかのコミュニティや、廃墟──と言うほどには崩れていないが──となった集落をいくつか通った。大きな街中を通ることはなかった。小休止した時にマコがそのことについてフミコに尋ねると、「自衛隊の人から避けるように言われたの」と言う答えだった。
「都会になるほど、暴徒が多いと言う報告が上がっているんです」
マモルとシュリが説明してくれた。
「生産に向いていないからでしょうか、残った資源の奪い合いが起きやすいらしいのです。この近辺ではそれほど大きな騒乱は確認されていませんが、危険は避けるに越したことはありませんので」
謂わば街中は危険地帯になっているわけだ。そういう地域への対処も今後は問題になってくるだろうことは、想像に難くない。
またレイコちゃんの悩み事が増えるなぁ、あたしももっと協力しなくちゃ、とマコは思った。そのために、今はまず、新しい魔道具の開発だ。




