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1-8.新生活に向けて

 マンションの二階の会議室に集まったのは、六十三人。複数人で参加している世帯もあるので、全部で五十世帯ほど。これでも多い方だろう。エレベーターを使えない今、上層階から下りてくるのは大変だから。

 これ以上は待っていても仕方がないと判断したレイコは、隣の管理人に頷き掛けた。管理人も頷き返すと、立ち上がって声を張り上げる。

「えー、皆さん、今日お集まり戴いたのは、昨日から起きている謎現象にこれからどう対応するか、と言うことを話し合うためです。えー、そのー、私はこう言うことに向いていないので、以降はファッションメーカーの社長を務められている本条さんに引き継ぎます」

 レイコは(え? いきなり? 管理人さんが主導してわたしは補佐って言ったのに)と思ったがそんなことはおくびにも出さずに立ち上がった。


「ご紹介に与りました、八〇二号室の本条です。昨日から世界が一変したことは、皆様ご存知の通りです。これが一過性のものか恒久的なものか、どの範囲まで同じ状況なのか、まったく判りませんし、今のところ、この現象の外からの支援も期待できません。であれば、できる限り早く、最悪の事態を想定して対策を打つべきと考えます。この方針に関して、ご意見は?」

 レイコは言葉を切り、会場を見渡した。レイコの声は透き通っていて良く通り、マイクを使わなくとも聞き逃した者はいないだろう。


 住民たちは互いに顔を見合わせるばかりであったが、中の一人が手を上げた。レイコは即座に応じた。

「はい、そこの方、どうぞ。部屋番号と名前とご意見をお願いします」

 手を上げた男は立ち上がって息を吸い込んだ。

「二〇四号室の赤彫(あかほり)だ。まず確認したいんだが、なんであんたが仕切ってんだ?」

 横柄な態度にもレイコは動じることはなかった。

「先程管理人さんからお話のあった通り、わたしは社長職を拝命しており、人を纏める能力に長けていると自負しております。そのため、管理人さんから今日の進行を承りました」

「あんたより相応しい人もいるだろ?」

「はい、わたしは自分の能力が一番だとは思っていません。より能力のある方がいれば、その方に引き継ぎ、お任せします。赤彫さん、わたしの代わりにここに立って戴けますか?」

「いや、俺はそんなのは……」

 赤彫氏が口籠る。

「では、他にわたしに代わってくれる方は?」

 室内は静まり返っている。

「では、取り敢えずはわたしがこのまま続けさせて戴きます。他に質問は?」


 おずおずと言う感じで一本の手が上がった。

「はい、どうぞ」

「は…、……ち…うの、…ずま……します」

「すみません、声が聞こえないのでわたしがそちらへ伺いますね」

 レイコはすたすたとその女性の前まで歩いて行き、耳を傾けた。

「はい、判りました。四〇一号室の阿須間(あすま)さん、このまま元の状況に戻るのを待った方がいいのではないか、と言う疑問ですね。他にも、同じ疑問を抱えている方は多くいると思います」

 レイコは周りを見渡しながら続けた。

「まだ二日目のことですし、その考えも当然でしょう。しかし、電気とガスに加え、すでにマンションの水道も止まっていることはご存知の通りです。それに、食料の備蓄もせいぜい数日分ではないでしょうか。非常食を備蓄している方も多いと思いますが、それでも一週間が限度でしょう。それまでに以前の状態に戻ればいいですが、もし戻らなかったら? 戻るのが一ヶ月先だったら? 皆さんの家庭の備蓄で、それまで生き延びられますか? わたしは無理です。何しろ料理下手なものですから、家にあるのは冷凍食品とインスタント食品ばかりで。いざとなればそれを調理せずに食べるしかありませんが」


 みんな声も出さずに考え込んでいる。自分たちの家の食糧事情に思いを巡らせているのだろうか。全員が今の言葉を充分に咀嚼したであろう時を見計らって、レイコは続けた。

「今回のことは単なる災害ではありません。本当に永遠にこのまま元の状況に戻らないかも知れないんです。それくらい、異常なことが起きています。

 であれば、それを元に先のことを考えて、今から対策を立て、新しい生活基盤を早急に作る必要があります。そうした結果、例えば明後日に突然元に戻っても、『無駄なことをしたなぁ』と笑い話にするだけで済む話です。ですが、何もせずにこの状況がひと月と言わず半月も続けば、わたしたちの生存すら危ぶまれます。

 今から対策すれば、賭けるのは自分の羞恥心だけ、何もせずに現状回復を待つならベットするのは自分の命、わたしたちが取るべきは、どちらの道でしょう?」


 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


 半ば脅しめいてはいたものの、全員の意思はレイコの思惑の通りに一致した。『死ぬほど恥ずかしい』と言う言葉はあっても、実際には恥と命を天秤に掛けたらどちらに傾くかは決まっている。

 まず、水は管理人により防災用の井戸が使えるようになったことをみんなに伝える。何しろ、人間は生きているだけで二リットル前後の水を毎日必要とする。何を置いても、これだけは確保する必要があったので、本格的に話し合いを始める前に最初に伝えた。

 それからは、みんなにも意見を出し合ってもらい、今後の方針を決めてゆく。


「やはり支援要請はすべきじゃないか? 無線機を作って連絡を取るとか」

「ああ、それは駄目」

「何故です?」

「オレ、アマチュア無線やってて、無線機は全部使えなくなったんだけど、なんとか一台使えるようにしたんだよ。でも、何も入らない。雑音、ってかホワイトノイズだけ。なんか、電波が阻害されてるっぽい」

「それじゃ、助けを求めるなら直接この現象の外まで行く必要があるのね」

「期待するだけ無駄じゃないか? 世界中がこうなっているかもしれないし」

「あ、それはない」

「なんで?」

「見た人もいると思うけど、今日の昼前、ジェット機が飛んでたから。あれは米海軍の機体だったから、少なくとも米空母が展開している日本近海は元のままじゃないかな。日本の米軍基地は判らないけど」

「飛んでたのはそれだけ? 自衛隊は?」

「俺は見てない。これだけのことが起きればいくらなんでも自衛隊にしろ報道関係にしろ、ヘリコくらい飛ばすだろうから、何の接触もないってことは、日本のかなりの範囲がこうなってると思うな」

「まだ気付いてないだけじゃない?」

「それはないと思うわよ。だって一切の連絡がないのよ? 行政だって気付いているはず。そういう所に勤めてる人だっているだろうし」

「それなのに何のアクションも無いと言うことは、ここの様子を確認に来られないほど、この現象が広範囲に渡っていることになります」

「そうだよな。関東地方全域、下手すると日本全土、もっと広いかも」


 レイコは会話に積極的には参加せず、聞こえてくる会話の内容から重要と思われる言葉を選んで、書記を務めてくれている住民に黒板に書いてもらう。元々この部屋にはホワイトボードがあったが、マーカーの外側が消えて使えなくなっていたため、管理人が倉庫を探して引っ張り出してくれた黒板だ。良くこんなものがあったわね、とレイコは思ったが、他に使えるものも無いのでありがたく使わせてもらうことにした。

 黒板に書き留めてもらいつつ、別の住民にノートにも書いてもらっている。黒板に書いたものを機械的に複製する術がないのだから、必要だろう。


 しばらくして、レイコは手を叩いた。会話が止み、視線がレイコに集中する。

「今までの会話で、現状がどうなっているかの情報共有は、概ねできたかと思います。他にもあるかと思いますが時間も限られていますので、今後どうしていくか、何をしていくか、を話し合いたいと思います。まず、わたしの方で案を考えているので、それを見てください」

 あらかじめ用意しておいたチラシを配る。時間が無かったので大したことは書いていない。午前中に管理人とレイコが相談してリスト化し、協力してくれる住民にも頼んで複写しておいた。


・必要な品は、近くの店舗から購入する(ただし品揃えは期待薄)。

・通貨は日本円を使用。

・近隣の農家に連絡を取り、野菜を継続して分けてもらうよう交渉する。

・マンション前の広場を、テントを張れるように空ける。

・広場の一部を畑にする。

・マンション周辺と裏山の調査。主に食用になる動物や植物を調べる。

・マンションの他の棟にもこの方針を共有する。


「まずこれだけ考えています。今後の状況の変化によって変更は必要でしょうけれど。はい、どうぞ」

 上げられた手に、レイコは即座に対応する。

「あ、あの、この日本円を使用って、お金を使う意味あるでしょうか? そもそも流通が止まっていますし、無償で助け合うべきでは」

 立ち上がった女性が質問した。

「確かにそうですが、それは場合によっては一方的になり兼ねません。例えば、スーパーから商品を譲ってもらって、こちらから何を提供できますか? お金でなくとも代価を払えれば構いませんが、貰うばかりで何も無いでは、物乞いと変わりません。非常時なのは相手も同じですから、あくまでも対等に付き合うべきと考えます」

「あ、はい、そうです、ね。わかりました」

 女性はそれ以上は反論せずに椅子に座った。


「もちろん、相手と合意が取れれば、例えば物々交換でも何でも構いませんよ。はい、どうぞ」

 手を上げた男性を促す。

「ええっと、一つ追加したいんのですが、望みは薄いですが、やっぱり外への救援要請はすべきと思います」

「可能なら、わたしもそうしたいですが……通信も交通も満足にできないのに、方法がありますか?」

 レイコは首を傾げた。

「本当に細い糸ですがね、どこか広い所に、SOSとか書いておいたら伝わりませんかね。黒板にも書かれている米軍機、偵察とすれば一度きりと言うことはないでしょう」

「なるほど」


 その提案には一考の価値がある。効果があるかどうかも怪しい提案ではあるものの、労力は大してかからないし、反応してくれれば儲け物である。

「そうですね、やってみましょう。場所は、小中学校の校庭を考えましょう。運動公園のグラウンドも良いかも知れません。関係者と連絡が取れればいいですが、駄目でも周辺の人とも相談して検討しましょう」


 さらに話し合いは続けられ、今後の行動指針は概ね決まった。そうは言っても、状況次第でどんどん変えていく必要があるだろう。

(これを捨てることになるのが一番なのだけれど)

 会議の終了した部屋の中で、レイコはそう思った。

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