8-9.逃亡
(ここどこだろう。マンションからどれだけ離れてるんだろう……)
マコは一方向に五百メートルほど伸ばした魔力を回転させ、周囲を探査しながら歩いた。満月の傾き具合からすると、この道は東に向かっているらしい。
(近くにこんなに広い田圃あったかな。そもそもあたし、何時間くらい寝てたんだろう。どっちにしろ、今は歩くしかないよね)
瞬間移動は気力を使う割に、一回で一キロメートル前後しか移動できない。一時的に距離を取るには有効だが、長距離を移動するには向いていない。魔力で探知できる範囲に目的地がない以上、歩くしかない。
追手はまだ探査に引っかからない。探査の網に掛かったら、即刻瞬間移動で距離を取るつもりだ。しかし、装備をすべて奪ったから、早々追いつかれはしないだろう、とも思う。おそらく、近くで服を調達して、ということになるだろうが、灯りが月と星の光しかない状況で、民家を見つけることにも苦労するだろう。苦労して欲しい、とマコは思った。
(それにしても、誰なんだろう? 服の感じ、どっかの軍隊みたいだけど。PMC、民間軍事会社、とかかな。少なくとも、外国人だよね。魔力なかったし。マモルさんの言ってた、どっかの国の諜報員かな。自動車まで持ち込んでるとは思わなかったけど)
探査を続けながら、マコは考える。しかし、答えの出ようはずもない。
(こういうのは、帰ってから自衛隊に頼めばいいかな。タイヤを取ったから、自動車はあのままのはずだし、あれを回収して調べれば、どこの誰かも判るよね)
魔力に何かが反応した。人間ではない。犬……が変化した狼っぽい動物に似ている。十三頭が、マコの前方から、取り囲むようにゆっくりと近付いてくる。
マコは足を止め、探査を止めると全方位約百メートルに魔力を張り巡らせた。
(この辺、狼なんていたのかな。それとも、犬が野生化したのかも。一キロくらいじゃ臭いを辿って来そうだし、襲って来るならここで叩く)
マコは身構えると、魔力に意識を集中した。狼もどきたちは、さらにマコに近付いてくる。それに合わせて、マコも魔力の範囲を狭めてゆく。無駄に魔力を放出している余裕はない。
五メートルほどまで近付いた狼もどきが地面を蹴り、マコに向かって跳躍した。即座に魔力を力に変え、横殴りに殴る。
「キャンッ」
唸り声さえひそめていた狼もどきが初めて声を出した。それを合図にしたように、残る狼もどきが一斉にマコに襲い掛かるっ。
マコは展開した魔力で一頭一頭の位置を確認しながら、魔力で狼もどきたちを殴り続けた。地面に叩きつけられた狼もどきも、立ち上がるとマコへの突進を繰り返しだが、やがて、一頭、また一頭と夜の闇の中に逃げて行き、最後の一頭が魔力の外へと消えると、マコは地面にへたり込んだ。
「はぁ、怖かった……」
しばらくへたれていたが、また立ち上がって歩き出す。周囲は田圃から畑に変わっている。魔力で見た感じは、荒れているようだ。
(もったいない。レイコちゃんやマンションの人たちが見たら、すぐにも手入れしそう……)
さらに歩くと、魔力探査に人工物かが引っかかった。家だ。
(良かった。泊めてもらえるかな)
マコは駆け足で家に向かった。近付くと、何軒かが纏まって建っている。小さな集落のようだ。木造建築も鉄筋コンクリートの家もあるが、農家が多い感じだ。ただ、人の気配がない。眠っているからというのではなく、家々は荒れ果て、中にまで魔力を伸ばしても、人が誰もいない。
(どうしたんだろう……あの時みたいに襲われたのかな。それとも、人数が少なくて保たないから、別の街に引っ越したのかな……)
考えても答えは出ない。マコはそれについて考えることを止めた。
(ちょっと休ませてもらおう。疲れたし、夜の道を歩き続けるのも気が張り詰めちゃうし)
魔力で状態の良さそうな家を選んで、土足で上り込む。
(お邪魔しま~す。土足でごめんなさい)
持って来た荷物を床に置き、畳に座って壁に凭れ掛かり、マコは目を閉じた。
(はあ。みんな心配しているだろうな。それとも、まだ気付いていないかな。……マモルさん、会いたい……マモルさんっ!?)
自分の思考に驚いて、マコは目を見開き、身体を起こした。
(前はレイコちゃんだったのに……本当にあたし、マモルさんのこと好きなのかな。会いたい。マモルさんにも、レイコちゃんにも、ほかのみんなにも)
改めて壁に凭れ、目を閉じた。今は眠ろう。マモルのことは、無事に帰ってから考えればいい。
間も無く、マコは眠りに落ちた。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ベランダの窓が開いていたことや、ベランダの手すりに付いていた傷から、賊は窓から侵入し、同じ場所から撤退したと考えられた。マンションの周辺が念入りに調べられた。調査する自衛官に混じってヨシエの姿もあった。身体から魔力を伸ばし、広範囲を光で照らしている。レイコも、ヨシエや自衛官の邪魔をしないように見守っているが、娘の危機に見守ることしかできない自分に歯噛みする思いだった。
普段、裏山へ入る時に使うことのない繁みに、人の通った痕跡が見つかった。その頃には自衛隊駐屯地からの応援も到着し、裏山の中、人の通った痕跡を辿って捜索は続いた。冬眠していない野生動物もいるが、朝を待ってはいられないとばかりに、自衛官たちは捜索に打ち込んだ。
「何ですって?」
基地から来た自衛官からの連絡に、レイコは眉根を寄せた。米軍基地へも捜索の依頼に向かったというその報告は、米軍に借りを作りたくないレイコにとって、聞きたくないものだった。しかし、自分のちっぽけなプライドなど、娘の無事には代えられない。
「解りました。ありがとうございます」
「米軍基地までは距離があるので、到着は明方近くになるでしょうが、連絡がつけば空からも捜索できます」
「そうですね。とにかく今は、捜索に全力を挙げてください」
「もちろんです」
夜明け前、裏山を抜けた一キロメートルほど先に、僅かに自動車の轍が見つかった。
「マコさんは、裏山を抜けた後、西方面へ車で連れ去られたようです。自分はこれより、間も無く到着する米軍ヘリに同乗し、空から捜索します」
レイコに敬礼して報告した自衛官は、マモルだった。
「よろしくお願いします。どうか、マコを見つけてください」
疲労の色を見せるレイコの言葉を受け、もう一度びしっと敬礼して、マモルはヘリコプターが到着する小学校へと、基地から乗って来た自転車に跨り、全力で去って行った。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
はっとマコは意識を取り戻した。ガラスの割れた窓の外が明るくなりかけている。時間的にも眠りの質的にも充分とは言えなかったが、のんびりしてはいられない。
魔力を目一杯伸ばして周囲を探査する。誰もいない。
一旦魔力を引っ込めて、家の中を魔力で念入りに調べる。
(缶詰でも残ってないかな。逃げるにも、お腹に何か入れておいた方がいいし)
しかし、食べられそうなものは何も残っていなかった。
(仕方ない。いつまでもここにいるわけにもいかないし、行こう)
マコは荷物を手に持って、数時間を過ごした家を後にした。
朝靄の中、魔力で探査をしながら歩いてゆく。探査は、魔力を常に動かしているので小さいものは見つけ難い。一軒一軒丹念に魔力で探索するのも時間のロスになる。逃亡中のマコにとって、それは容認できないことだった。
少し歩くと、集落をぬけた。また畑が広がっている。しかし、向かう先には家が見える。魔力の届く限界を超えているので夜ならば近付くまで見えなかっただろう。あそこには人がいるだろうか、と思いながら、マコは歩いた。
探査している魔力には小動物が引っかかるが、昨夜の狼もどきと違い、襲ってくることはなかった。
集落を離れておよそ三十分、見えていた次の集落にマコは足を踏み入れた。魔力探査に人を感じる。ここはコミュニティとして機能しているようだ。外に人の姿がないのは、まだ朝が明けたばかりだからだろう。と思ったら、少し先の家から女性が出てきた。
「すみませーん」
マコは声を上げて、その人物に駆け寄った。
「お、おはよう、ござます」
一晩の逃亡生活で、マコは思いの外、体力を使っていたらしい。僅か数メートル走っただけで息を切らしてしまった。
「おはようさん。あんた、見かけん顔だけど、他所から来たんかい?」
小母さん──という見た目だった──は、マコを上から下まで睨め回すように見て言った。
「はい、はあ、その、行きたいところがあるんですけど、方向が合っているのか知りたくて」
マコはマンションの名前を告げた。
「聞いたことないねえ。住所は?」
マンションの名前を知らないと言うことは、かなり離れていそうだ。不安を感じつつも、マコは住所を伝えた。
「はあ、それだと三、四十キロはあるねぇ」
「え、そんな遠いですか……」
歩けない距離ではないが、それも食糧があれば、だ。
「あんたあっちから来たね。なら、方角は合ってるけど、歩きじゃきついよ」
「そうですね……」
しかし、歩くしかない。いつ追手が追いついてくるか判らない。そう考えたマコの頭に、ふと光明が灯った。
「あの、この辺りに自衛隊の基地か駐屯地はありませんか?」
自衛隊は、過去とはやや違う形でありながらも機能し、基地間で連絡も取っていると言っていた。それならば、どこかの基地、あるいは駐屯地に辿り着ければ、マモルのいる駐屯地にも連絡が付くかも知れない。
「それなら、南の方にあるけど、あんた、自衛隊の関係者? そんな格好してるし」
そこでマコは自分の姿に気付いた。誘拐犯から奪った軍服っぽい服。真っ黒で、自衛隊服とはまったく違うが。
「はい、そんなところです」
本当のことを話すと長くなる。勘違いしてくれるならそれでいい、とマコは頷いた。
「ちょっと待ってなさい」
胡散臭そうにマコを見たものの、小母さんは家に戻らず、どこかへ去って行った。
待っていろと言われても、出来れば早く追手との距離を取りたい。じりじりと待っていると、小母さんがよたよたと戻って来た。両手に一斗缶を持っている。そう言えば、家から出た時からずっと持っていた。きっと、水を汲んで来たのだろう。
マコは荷物を地面に置くと、小母さんに駆け寄った。
「一つ持ちます」
「そうかい? 悪いね」
一つずつ一斗缶を持って、二人は家に入った。
「ちょっと待ってなさい。……あんたっ、地図持って来とくれっ」
駐屯地の場所を地図で教えてくれるようだ。一旦外に出たマコは、外に置いた荷物を持って玄関に戻った。
少しすると、小母さんの消えた奥から小父さんが出てきた。
「自衛隊に行きたいってのはあんたかい」
ちょっと怖い感じの男性だ。しかし、マコは物怖じすることはなかった。異変の前の彼女では考えられない。
「はい、そうです」
「ふうん。……ほれ、今いる場所がここで、自衛隊はここだ」
見たところ、南南西に五キロメートルほど離れている。場所さえ判れば、瞬間移動を繰り返してでも行けそうだ。
「ありがとうございます。あの、紙と鉛筆ありますか? 写させて欲しいんですけど」
「いいよ、持っていきなさい。もう使わんから」
「いいんですか? ありがとうございます」
そこへ小母さんが戻って来た。
「あんた、これ飲みなさい。顔色悪いよ」
コップを差し出された。それを見たマコは、喉の渇きを覚えた。考えてみると、何も口にせずにずっと歩いていた。
「ありがとうございます」
マコは、ありがたく水を頂戴した。
何かお礼をしないと、とマコは思う。しかし、ナイフやペンライトでいいのだろうか? そのつもりで持って来たのだが、万一、奴らに見つかったら不味い気がする。少し考えて、マコは小母さんに言った。
「あの、お礼をしたいので、さっきの一斗缶、持って来て戴けます?」
「一斗缶を? はぁ、まあいいけど」
小母さんの持って来た一斗缶の持ち手をマコは魔道具に変える。あまり魔力を込め過ぎないように注意して。
「はい、持ってみてください。あ、指一本で。気を付けてください」
「はぁ? はあ」
小母さんが一斗缶に指を掛ける。
「ありゃま。軽くなってるよ。あんた、なんかしたんかい?」
「ちょっとしたおまじないです。水を入れた時は、全部の指を使ってください。水汲みが少しは楽になると思います」
「そうだねえ。ありがとさん」
「いえ、こちらこそ、地図とお水、ありがとうございます」
マコは二人にお礼を言って、家を出た。




