8-4.年越しと自衛隊からの報告
年を越す前に“氷室立て籠もり事件”はあったものの、その後はこれと言った問題が発生することもなく、異変以来最初の年末は静かに過ぎていった。
世の中が変わっても寺社は以前の機能を保っているらしく、大晦日には除夜の鐘の音がマンションにも微かに届いた。
その鐘の音を、マコはヨシエと一緒にマンションのベランダで聴いた。
「なんだか去年より良く聞こえる気がするなぁ」
「そう?」
「何となくだけどね。ヨシエちゃんは、去年の大晦日は起きてたの?」
「途中で寝ちゃった」
「そうだよねー。あたしも年が変わるまで起きてたのは小五が最初だったかなぁ? 四年の時も起きてたかなぁ? 忘れちゃった」
「先生、あのクリスマスの灯りはそのまんま?」
眼下には様々な色の光が輝いている。上からは木の葉に遮られて見え難いが、葉の隙間から光が覗いている。
「一月三日の夕方まではあのまま。三日の暗くなる前に外すよ」
「綺麗だからずっとあのままでもいいのに」
「あたしもそう思ったんだけどね。ああいうのは特別な日に普段と違うことをやるから有り難いんだって。だから、お正月が終わったら年末まではお預け」
「ふうん」
隣の部屋の窓が開いてレイコが出て来た。それにヨシエの母と姉も。
「あけましておめでとう。これからまだ大変だと思うけれど、よろしくね」
「おめでとう。もう十二時過ぎたの?」
「ええ。多少ずれていると思うけれど」
ミツヨやその母姉とも新年の挨拶を交わす。
「いつもの御節料理は無理ですけれど、腕によりをかけて用意しますから」
ミツヨの母が言った。
実は、ミツヨの母と姉には、他の人たちには内緒で魔力を知覚させている。二人とも魔法教室の授業を受けていない関係上、他の人に知られるのは不味いので内緒にしているし、できることは魔力操作だけだ。
魔力からエネルギーへの変換ができないと、魔力を感知できても意味はないのだが、マコは、家のフライパンや鍋を魔道具に変えていた。魔力をフライパンや鍋の底に通せば熱に変わる。温度調節は難しいが、少しずつ慣れて来たようだ。何より、温かい料理をヨシエとマコに頼りきりになっていたことに申し訳ない気持ちがあったようで、魔力を操作できるようになってから嬉々として料理に励んでいる。
「キヨミさんは?」
その二人に料理を楽しみにしていることを伝えてから、マコはレイコに聞いた。
「もう寝てる。あの子、デザイン以外に興味ないから、仕事できなくなったら寝ちゃうのよね」
大晦日でも普段と一緒なのかと、マコは苦笑いする。キヨミに魔力を知覚させるのは、やめておいた方がいいな、と思いながら。きっと魔力操作を覚えたら、魔力灯を使って毎日徹夜しそうだ。
「今年はさすがに花火は上がらないですね」
ヨシエの姉が言った。
「お正月って花火上がるの?」
ヨシエが首を傾げた。
「ええ、そうよ。深夜零時、年が変わるのに合わせてね」
「ふうん。また上がるかな」
「上がるようになるといいね」
姉妹はそれぞれ、かつて見た光景と見たかった光景に想いを馳せているようだった。
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一月四日から魔法教室も再開し、自衛官も第二陣、第三陣とやって来た。男女四人ずつなのは、宿泊場所の関係だろう。自衛官の男女比は男性の方が多いから、回を重ねる内に男性のみになるかも知れない。第二陣の女性四人のうち二人は、米軍基地で護衛を務めてくれたシュリとスエノだった。マコが飛竜や海竜を圧倒した現場を目の当たりにしたからか、二人の魔法に対する意欲は他の自衛官より高いようだった。
それはそれとして、魔法教室の生徒たちに魔力を知覚させるためにマコが手を繋ぐ時、数人が怯えるような態度を取っていることにマコは気付いた。そして彼らは、マコが手を離すと心底安心したようにほっとする。今まではそんな時ことはなかったのに。不思議に思いつつも、マコは自分の仕事をこなしていった。
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一月も半ばに入ったある日の午後、自衛官が二人、マンションを訪れた。マコは、ちょうど自衛隊が通って来る道で、道路整備の人たちに混じって魔力灯を樹木に結び付ける作業をしていた。
「あ、四季嶋さん」
二百メートルほどの距離まで彼らが近付いたところでマコがマモルに気付き、魔力をするすると伸ばして絡め取る。極上の快感がマコを包み、抑え切れない笑みが零れる。
整備作業をしていた住民たちも彼らが近付くと作業の手を止めて挨拶をした。
自衛官は挨拶を返しながらも歩みを止めず、しかしマコを認めると彼女の前で立ち止まった。
「マコさん、お久しぶりです。これから本条さんにお会いしたいのですが、おられますか?」
隣のマモルを意識しつつも、マコは自衛官の問いに答えた。
「はい、いると思います。えっと、事前に連絡しておいた方がいい、ですよね?」
首を横に振らないで~、と思いながらマコは聞いた。
「そうですね。可能なら」
「それなら、あたしもご一緒します。途中まで戻れば、念話でレイコちゃんに連絡取れますから。あ」
勝手に決めては不味いと思い直し、この場を監督している住民に顔を向ける。運良く彼はすぐ側にいて、自衛官とマコの会話も耳に入っていたらしく、マコに向けて微笑んだ。
「ここは足りてるから、案内してやってくれ」
「すみません、抜けちゃって。これは置いて行きますね」
マコは肩に掛けていた針金タイプの魔力灯を地面に下ろした。
「じゃ、行きましょう」
「ええ。ところで、先ほどの針金は何ですか? 木に巻いていたようですが」
歩きながら、自衛官が聞いた。
「魔力灯ですよ」
「魔力灯? 先日、空缶で作って戴いた?」
「はい、仕組みは一緒です。あれを木に巻いておけば、木の魔力を使って光り続けるので、街灯代わりに使ってます」
「ああ、あれが」
顔見知りになるくらいには、この自衛官もマンションをたびたび訪れているが、彼は夜のマンションにいたことはなかった。木に巻くタイプの魔力灯のことは、聞いてはいたようだが、実際に光っているところを見たことがなく、針金を木に巻く行為と魔力灯が結び付かなかったのだろう。
「駐屯地までの道に街灯がつくと有り難いですね」
「問題は生木が必要なところですね。山を越えるとこまでは整備するみたいですけど、その先は後回しになりそうです。近くのコミュニティとの連絡の方が重視されてて」
「それは仕方ないでしょう。駐屯地までは我々で考えます。使うのも我々がほとんどでしょうから」
話をしながら、マコは近付いて来たマンションに向けて魔力を放射する。狩猟の時に使う探査の要領だ。魔力に引っかかった人の感触からレイコを識別すると、今度はレイコ個人に魔力を集める。
〈レイコちゃん、聞こえる?〉
〈マコ? 何かあった?〉
〈自衛隊の人が来てるの。マンションまであと五百メートルくらいかな。レイコちゃんに話しておきたいことがあるって〉
〈解ったわ。会議室に案内して〉
〈うん〉
「レイコちゃん、あ、母ですが、大丈夫みたいです。いつもの会議室でと言ってました」
「念話ですか。通信ができない今、貴重な能力ですね」
「精々一キロくらいが限界ですけど」
「それから、今こちらにお世話になっている自衛官も別の場所に集めて欲しいのです。仕事を中断させて悪いのですが」
「自衛隊の人たちも?」
「はい。彼らにも連絡がありますので。そちらは、四季嶋が対応しますので、着いたら彼を案内してください」
「解りました」
マコは再びマンション方面を探査し、自衛官八人を識別する。八人に同時に、駐屯地から伝令が来たので五分後に男性自衛官の宿泊している住宅に集まるように、と連絡した。
(短いけど、四季嶋さんと二人になれる。お話が終わるまで、待っててもいいかな。迷惑……じゃないよね?)
マンション入口から住宅までの短い道のりでも、二人きりになれることにマコは内心で飛び跳ねるほどに喜んだ。
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自衛官たちへの連絡の場に、マコも同席を許された。いいのかな、と思いつつも、マモルの隣に小さくなって座る。前にはテーブル、その左右には、丸太で作られた長椅子に座る自衛官が四人ずつ。
マモルからの連絡は主に二つだった。
一つは、元日に沖縄が琉球国として独立を宣言したこと。現在、他から事実上隔離された日本ではそれほど重要ともマコは思わなかったが、国防の要を担う──今は日本復興の要ともなっている──自衛隊にとっては重要なことなのだろう。
もう一つは、最近どこかの国の諜報員の日本国内での活動が活発になっているらしい。異変の直後から、日本海沿岸に上陸の痕跡が認めらていることは現地の自衛隊からも伝えられていたが、最近は内陸部から太平洋沿岸にまで活動範囲が広がっているらしい。尤も活動範囲については確認されたわけではなく、推測を多分に含むとのことだが。
「米国……なわけないですよね」
マコは莫迦な質問をした。まあ、幸せに包まれて半ば呆けていたから仕方がない。
「その可能性は低いですね。もちろん、秘密裏にも情報収集は行なっているでしょうが、彼らは隠れて入国する必要はありませんから」
マモルが優しく答えてくれた。
「それで、ここに駐留している間は、周囲に他国の諜報員が存在する可能性にも充分に注意を払い、民間人に危害を加えるようなことはないと思うが、念のためマンション住民の安全にも今まで以上に気を配ること、との本隊からの命令です」
マモルから伝えた命令に自衛官たちも了承し、それで短い伝達は終わった。
「あの、あたしが聞いちゃって良かったんですか?」
住宅から出て帰る道々、マコは聞いた。
「ええ。本条さんにも情報はお伝えしていますし、その娘さんに隠しても仕方がないので。マンション住民へどう伝えるかは本条さんにお任せすることになると思います」
それには口を挟まないことにしよう、とマコは思う。それよりも、今はただ、マモルの魔力に触れている至福の時に身を任せ続けていたかった。




