8-2.極めて小さな反乱
マコは、六号棟と七号棟の間に造られた氷室の前に瞬間移動した。階段を下りた氷室の入口では、外扉を開いた二人の男が内扉を叩いて声をあげ、階段の周りでは数人の男女が不安そうに見守っている。
マコは半地下の氷室の内部へと魔力を送り込み、中の様子を探る。
(何やってんだか……)
氷室の内扉は内側から突っかい棒で閉じられ、中では五人の男女が騒いでいた。パーティーでもやっているつもりだろうか。
マコは周囲のあちこちに魔力を張り巡らしてから、見守る人たちの間を通って入口への短い階段を下り、内扉の前の二人に声を掛けた。
「そこをどいてください。あたしが対処します」
内扉を叩いていた二人はその手を止めてマコを振り返った。
「本条さん……申し訳ない、ウチの莫迦息子が……」
どうやら、中に閉じ籠っている餓鬼共──五人ともマコより歳上だったが──の親らしい。怒りを顔に浮かべながらもマコの姿を認めると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「取り敢えず階段の上まで下がって待っててください。あたしに任せて」
二人は顔を見合わせた──高校生の小娘に何とかできるのか、などと考えているのだろうか?──ものの、自分たちではどうにもできない上に、魔法使いマコの毅然とした態度を見て、マコに任せることにしてくれた。
二人が下がったことを振り返らずに確認したマコは、内側の突っかい棒を外すと、内扉を押して中に入った。
魔力で探った通り、中には三人の男のと二人の女、計五人の男女がいた。そのうち三人は、マコにも見覚えがあった。新体制に変わった後の、魔法教室の生徒だ。大学一年の男と女、それに高校三年の男。残りの男女二人は知らない顔だが、おそらく同年代だろう。
五人は、外から持ち込んだらしい茣蓙に座っている。小さいテーブルの上には肉や酒瓶が載っている。
「あんたたち、何してるのっ」
内扉を開けた時からマコに向けられた五対の視線を、マコはぐっとはじき返した。
実のところ、マコは内心ビクビクものだった。数ヶ月前までは、引き籠りとまでは言えないまでも内向的でインドア派のマコが、見るからに不良っぽい歳上の男女と対峙して、怖気付かないわけがない。
しかし、この数ヶ月、魔法教室で生徒たちを相手に気持ちを奮い立たせて教師役を演じることで、また、米軍や自衛隊との交流を経験して、最近では他人と相対することの苦手意識も改善している。それに、自分より遥かに巨大な獣を調伏した、自分の魔法に対する絶対の自信もある。こんなところで不良共の眼光になど、負けてはいられない。
氷室だと言うのに、中はそれほど寒くはない。誰かが魔力を熱に変えて暖めたようだ。今は発熱魔法は使っていない。一度暖めればしばらくは熱も逃げない。
(これじゃ、お肉が傷んじゃうじゃない)
氷室の天井には光の玉が浮かんでいる。魔法を使える三人の内の誰かが発光魔法を使っている。
「何って、見りゃわかるだろ。宴会だよ、宴会」
「宴会って何よぉ。パーティーって言いなさいよねぇ」
女の腰に手を回した男が馬鹿にしたように言い、抱かれたオンナがきゃらきゃらと笑った。
「どっちでもいいだろうがよ。大した違いはねーし」
男はフォークに刺した肉を齧った。魔法で焼いたものだろう。他の奴らもマコの方を向きながらも、思い思いに肉を齧り、酒を煽っている。
マコの心にふつふつと怒りが込み上がり、頭から怖気を弾き飛ばした。
(フミコさんとレイコちゃんが苦労して交渉して勝ち取ったお肉を無駄にしてっ)
「あんたらっ、ここのお肉は冬を越すための大切な備蓄なんだよっ。死ぬ気なのっ」
マコが凄んで見せても、莫迦共はどこ吹く風だ。
「知らねーよ。オレたちはただ食いたい時に食うだけだ」
「そうそう、せっかく魔法を使えるようになったんだから、好きにするよねぇ」
「いっそのこと、魔法で暴れてみんな従わせるか」
「オレらに魔法が加われば天下無敵だもんな」
「いいわねぇ。アタシ、女王様ってやってみたかったんだ」
「莫迦、王はオレだろ。お前は王妃にしてやんよ」
マコは、自分の脳の血管の切れる音を聞いたような気がした。
「魔法で他人に迷惑を掛けるな、他人にされて嫌なことには使うなって教えたでしょーがっ」
「知らねーな。だいたい餓鬼のくせに、偉そーに吠えるなよ。消えろ」
男がマコに向かって手を伸ばし、そこに発生させた火球をマコに向けて打ち出した。しかし、魔力を氷室に展開させたままのマコに隙はない。火球は十センチメートルも飛ばずに冷気によって消え去った。
「はぁ?」
「そんな未熟な腕で天下無敵とか、笑っちゃうわね。それじゃ蚊も殺せないわよ」
それでも、教えていないファイアーボールを打ち出すくらいには、魔法を使いこなしていることになる。マコに比べれば大したことはないのは間違いないが、侮ってはならない、とマコは思った。
「外に出なさいよ。あんたらの鼻っ柱、圧し折ってやるから」
マコは顎をくいっと上げて煽った。
「はぁ? 何でてめぇの言うこと聞く必要あんだよ。やんならここでやってやんよ」
男は立ち上がった。他の四人も立ち上がる。
「オレたちは出る気はないぜ。帰るんならさっさと帰りな。じゃなきゃ、どうなっても知らねーぜ」
マコはそれを鼻で笑った。氷室の中から肉が消える。酒瓶も。
「は? 今何やったっ」
今の魔法教室では瞬間移動を教えていないし、使える人数も限られているから、そのような魔力の使い方を知らなかったのだろう男は叫んだ。
「教えるわけないでしょ。さっさと来なさいよ。来ないんなら、この氷室を埋めてあんたらが飢えるのを待つだけだから」
マコは五人に背を向けた。背後から二つの火球が迫るものの、マコに当たることなく搔き消える。マコは氷室を後にした。
外では、大人たちが不安そうに待っていた。
「どうでした?」
外扉も内扉も開けたままだったが、階段の上からでは中の様子を窺えなかったのだろう。
「大丈夫です。後から五人も出てきます。えっと、まだ終わってないので、皆さんちょっと離れて場所を空けてください。そうだなあ、みんな、十メートルくらい離れててください」
納得したようではなかったものの、大人たちは離れてくれた。逆にマコに近付く三人の大人の姿がある。レイコと自衛官二人だ。帰る間際に騒ぎを聞きつけたので、一旦帰隊を延ばしたようだ。一人欠けているのは、荷馬車の番をしているのだろう。人々の間に、ミツヨやヨシエ、それに話を聞きつけたのか、フミコの姿も見える。
「マコ、どうなったの? 大丈夫?」
「大丈夫。もうちょっとかかるから、レイコちゃんも下がってて」
「……判ったわ。危ないことはしないでよ?」
「うん。安心して」
「よろしければ、力をお貸ししますが」
交渉役で来ていた自衛官が言った。隣でマモルも心配そうにマコを見つめている。
「大丈夫です。ただのマンション内のいざこざですから、そんなことまで自衛隊の方が対応してたら大変ですよ。これはマンションの自治内で解決すべき問題です。任せてください」
答えてから、心配そうに見ているマモルにも、大丈夫、と小さく頷く。
三人がマコから離れ、マコが氷室を振り返ると、ようやく莫迦者たちが出て来た。時間がかかったのは、対策でも相談していたのだろうか。
「随分と遅いお出ましじゃない。春まで閉じ籠ってるのかと思ったわよ」
彼らの顔を見ると、圧し殺していた怒りがふつふつとぶり返し、マコの口調は自然と変わった。
「はっ、主役は遅れて来るんだよ。ギャラリーもいるし、ここでてめぇを叩きのめせば、オレたちの天下だ」
「完璧な作戦じゃない。不可能である点に目を瞑れば」
「言ってろっ」
前に突き出した男の両手から、氷室の中で出したよりも大きな火球が二発、マコに向かって飛んでくる。しかし、ここと両隣の計三ヶ所の氷室に展開していた魔力を回収してこの場に集めたマコに、多少大きくしたファイアーボールなど、豆鉄砲にもならない。マコに届く前に、それは消え去った。
だが、火球は牽制だった。マコの視界の死角から近付いた別の男が、炎を纏った拳を振り上げる。しかし、目に映っていなくても、自分の魔力で満ちたこの空間に、マコの死角は存在しない。
(拳の表面を冷気で覆って、その外側の魔力を炎をに変えてるのね。意外と器用じゃない)
「痛てっ」
ファイアーナックルがマコに届く前に、拳を振り下ろそうとした男は見えない壁にぶつかって弾き飛ばされた。
「くっそっ」
女の魔法使いがマコに駆け寄り、三メートルほど離れたところで両手を上げる。マコの周囲の温度が上がる。
(この人が氷室の温度を上げたのかな)
「その程度? 魔法っていうのはこう使うのよ」
マコは女による発熱を冷気で相殺しつつ、女の全身を炎で包む。
「ぎゃあああああああああああっ」
女は飛び上がり、地面に転がった。炎が消えた女の服には、焦げ跡一つない。
(炎を身体から離してたんだから、慌てる必要ないのに)
注意力が足りないよ、とマコは思う。
「くそっ」
再び飛んで来た火球を、今度は冷気と共に力にも変えた魔力で防ぐ。石が地面に転がった。
「そんな小細工が通用すると思ってんの? そっちも、見逃すわけないでしょ?」
「痛つっ」
じりじりと離れていた魔法の使えない男が走り出そうとした瞬間、見えない壁にぶつかってひっくり返った。
「逃げようとしても無駄だよ。結界を張ったから」
にやりとマコは笑う。
“結界”というのは、実はマコのはったりだ。単に逃げようと──誰かを人質にでも取ろうとしたのかも知れないが──した男の前に展開していた魔力を、力に変えただけだ。しかし、これでもう、逃げられるとは思わないだろう。
「これで終わり?」
男二人と女一人は地面に転がり、魔法の使えない女は仲間たちが倒れる様を目の当たりにして、へなへなとへたり込んでいる。
その中で、ファイアーボールの遣い手の男だけは、まだマコに対する戦意を失っていないようだった。




