8-0.独立宣言
年が改まったその日になされた宣言は、世界に驚きでもって受け止められた。しかしある意味、その宣言はいつ発せられてもおかしくはなかった。
琉球国独立宣言。
日本列島及び朝鮮半島が異変に包まれてより、沖縄県と奄美地方は混乱を極めた。最初は日本本土との通信途絶が“異変”によるものだとは思われなかったため、通信事業者だけが奔走することになったが、通信が途絶えてから十分と経たない内に、成田空港に到着予定の旅客機が奄美空港に緊急着陸を求めたことから、様相は一変する。
旅客機の機長と副機長の証言から何らかの“異変”が発生したことが明らかになり、奄美から連絡を受けた沖縄県知事は、すぐさま自衛隊に日本本土の強行偵察を要請した。それにより旅客機からの報告が事実であることが判明し、急遽対策本部が設置されることになる。
同時に、中国からの領空侵犯が増え、自衛隊はその対応に追われ本土への偵察も無理にはできなくなった。知事は自衛隊とも諮って米軍にも協力を要請し、以降は共同で事に対応することになる。
南西諸島近海を航行中の、日本へ向かっていたタンカーやその他の船舶には急遽警告を出し、奄美大島を始め西南諸島の島々に連絡して連携を取る。
異変から一週間が経過し、日本列島の偵察を行なっていた米軍からの情報も併せて、これが一時的なものでなく恒常的なものであると、少なくともそう考えて行動すべきであると判断した沖縄県知事は、秘密裏に米国や他の一部の国々と連絡を取り、南西諸島の主な自治体の長とも話し合って、事を進めた。
そして、異変から約四ヶ月後、年の変わり目を契機に世界に向けて琉球国の独立を宣言したのである。
君主は日本国天皇。
首相は取り敢えず沖縄県知事が兼務し、任期の開けるのと同時に知事とは別に改めて選出する。
自治体として沖縄県、奄美県の二つの県を設置、内政はそれぞれの地方自治に任せる。
沖縄と奄美に駐留している自衛隊を、琉球国自衛隊として再編、国の防衛を担う。
同時に、台湾を正式に中華民国として認め、米国とも協力し、中国の東シナ海への進出を牽制するため、口之島から台湾本島までの島々を東シナ海防衛ラインとした。
君主を日本国天皇としたのは、琉球国が、機能を停止した日本国の暫定政府だと見せる事で少しでも他国の了承を得られるようにと考えたことと、海外に取り残された日本人に、天皇を君主とする国家が残っていることをアピールして、心の安寧を図るためだった。
そして日本国の名前を使わなかったのは、日本政府がこの異変をなんとか乗り切ろうと悪戦苦闘している──成果はほとんど上がっていなくとも──ことを米軍から聞きつけ、日本政府が二重に存在してしまうことを避ける目的があった。
それが功を奏したのかどうか、琉球国の独立は比較的穏やかに世界に受け入れられた。頑として認めない国家もあったが。
尤も、日本と韓国という極東の巨大なマーケットを失った事による痛手から抜け切れていない各国にとって、南西諸島が独立しようと気にしてはいられない状況にあったから、受け入れられただけかもしれないが。
そして、琉球国の独立も各国の思惑も、極東地域を襲った異変に比べれば、些細な事に過ぎなかった。




