7-7.自衛隊との交渉
「普段の魔法を使っていない状態、魔力操作もしていない状態で、魔力は大きく三種類に分けられるんだけど、解るかな?」
マコはヨシエに質問した。
「三つ……身体の中の魔力と、身体の外、肌の周りの魔力と……」
ヨシエは首を捻ったものの、なかなか出てこない。
「解らない?」
「うん……」
ヨシエは肩を落とした。
「そんなにがっかりすることないよ。これから覚えていけば良いんだから」
マコは笑みを見せながら、異世界ノートを開いて人の輪郭線を描いてゆく。
「ヨシエちゃんの言ったように、まず、身体の中に魔力があるね」
輪郭の内側を斜線で埋める。
「それから、皮膚の表面」
今度は、輪郭の外側に逆向きの斜線を描いてゆく。
「ここまではいいね」
ヨシエが頷くのを待ってから、マコは今度は鉛筆を持ち替え、人の輪郭のすぐ外側に太い輪郭を描いてゆく。
「もう一種類、皮膚のすぐ外って言うか、皮膚と重なって、魔力の膜があるの。多分だけど、この魔力の膜がある程度は魔力を体内に押し込めるように働いているんだと思う。体表面の魔力に比べて体内の魔力は濃度が濃いでしょ? それは、魔力の膜の外だから貯められなくて、どんどん拡散しているってことだと思う」
ヨシエがうんうんと頷く。
「この三種類の魔力の内、鍵になるのはこの膜になっている薄い魔力。まずこの魔力に意識を集中して、その外側の魔力を力に変えるように命令するの。魔道具を作るのと違って、『命令を与える』んじゃなくて、『命令する』ところがポイントね。解るかな?」
「うーん、なんとなく」
「やってみる?」
ヨシエはこくりと頷くと、甲を上にして手を前に出した。その上に水滴が現れる。その後しばらく水滴を睨みつけているが、変化は起きない。マコは教え子の様子をじっと見守った。
「駄目。できません」
「うーん、難しいかなあ。うーん、そうだなあ、それじゃ、身体の内側から、魔力の膜を軽く弾くイメージを浮かべてみて」
「?」
ヨシエが首を傾げたので、マコはどうしたものかと考え、ふと閃いて衣装箪笥からハンカチを一枚取り出した。左手の親指と人差し指で開いた輪を作り、その上にハンカチを被せる。
「このハンカチが、皮膚に重なっている魔力の膜ね。これを内側からこう……」
右手をハンカチの下に入れ、人差し指で親指を弾く。ハンカチがぱっと跳ね上がる。
「……やって、膜の外側のものを弾き出す感じ。どうかな」
「やってみます」
残ったままの水滴と、ヨシエは再び対峙する。およそ二十秒後、水滴がぽんっと跳ねた。
「あ、できた」
「そうそう、その感じ。今のところの皮膚とか魔力とか、変な感じになってない?」
「? なんともないです」
「良かった。ちょっとそのままね」
マコはハンカチを、ヨシエの手に掛けた。ふわりと被さったハンカチは、そのまま小さな手を隠した。
「うん、大丈夫だね。間違って命令を『与え』ちゃってると、常に外向きの力がかかることになっちゃうからね」
「あ、そうか。そうですね」
「命令が残っちゃうと、そこが魔道具になっちゃうからね。気をつけないとね」
ヨシエはこくりと頷いた。
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翌日、自衛隊から男女の自衛官二人がマンションを訪れた。対応するのは、レイコと管理人と管理部から二人、それにマコだ。女性自衛官は、米軍基地でマコとフミコについてくれた自衛官の一人、シュリだった。
この日の話題は多岐に渡った。
最初に、次の魔力懐炉の提供の件だ。二日後に、二度目の魔力懐炉の材料を馬車で持ってくる手筈になった。数は前回の三~四倍になる見込み。マコもこの一週間は時間に余裕があるので問題ない。
「多くても大丈夫なの?」
「うん。切断の必要がなければ大丈夫」
気遣うレイコにマコは頷いた。
「その際の支払いなのですが……」
男性自衛官が魔力懐炉の対価について言及しようとするのを、レイコが手を上げて止めた。
「それについては他の話も終わった後に、纏めてお願いできますか?」
「はい。それでも構いません。では、次のお願いなのですが、かねてよりお伝えしていた魔法の伝授についてはどうでしょうか? 早ければ来週から可能ということでしたが」
「それについては、娘からお話します。マコ、お願い」
レイコに言われたマコは頷いてから、説明を始めた。
「えっと、予定通り来週から受け入れ可能です。月曜日から土曜日の六日間でひと通り教えるプログラムです。五日間が授業で一日は予備日。一回のプログラムで五人を受け入れます。一日の授業は一時間から二時間くらいです。それで、その間の皆さんの居住なんですけど」
そこでマコはレイコを見た。レイコはマコから話を引き継いだ。
「毎日の往復は大変だと思いますので、簡易住宅に宿泊していただければと考えています。一棟か二棟しか用意できませんが」
「一週間拘束ですか。五人ずつ。うーん、人数を増やすか、期間を縮めるかできませんか?」
「それは難しいです」
自衛官の質問にマコは答えた。
「何しろ教師がその方面の専門教育を受けていませんから、大人数相手に授業は無理ですし、内容の方も授業自体は一、二時間ですが復習も必要です。なのでこれがぎりぎりです」
「それに」レイコが言葉を継ぎ足した。「先程後にさせてもらった対価の件なのですが、魔法教室のために滞在する間、自衛官の方々には仕事をお願いしたいのです」
「仕事、ですか」
「はい。次の魔力懐炉と魔法教室に対する支払いとして、ですね」
「なるほど……では、人数と期間は取り敢えず了承しました」
「ありがとうございます」
次に自衛隊側からの報告。
提供した魔力懐炉は、主に北海道や東北地方の自衛隊へと移送され、そこから近隣のコミュニティへ配布されている。それ以外にも、高地などの寒冷地にも送りたいところだが、数が限られているのでそうもいかない。
少しでも数を稼ぐため、近隣の自衛隊駐屯地や魔力懐炉を届けた自衛隊基地、それに周辺のコミュニティからも鉛版を集めている。前回の数倍の量になるのはそれが理由らしい。
通信網の整備はなかなか捗が行かないらしい。そもそも、絶縁されたケーブルが異変により無くなってしまったため、その調達に手間取っているようだ。
「それでしたら、こちらで有効な手段を見つけたので、後ほど提供します」
「本当ですか? それはありがたい。九州や中国地方ではケーブルを調達できているようなのですが、こちらに回すほど数がないらしくて」
その言葉を、レイコは聞き咎めた。
「九州も異変の範囲に入っているのでは? 米軍からそう聞いていますが」
レイコの言葉に、自衛官は頷いた。
「はい、そうなのですが、奄美や沖縄の部隊から、多少の資材の融通があるそうです。元々数が少ないのでそう多くはなく、こちらに回すまでの量はないとのことですが」
「そうですか。異変の影響を免れたわけではないのですね。それなら、ケーブルを提供して貰えない状況は、返って良かったかも知れません」
レイコの言葉に、自衛官は首を傾げた。
「その理由は?」
「異変がもう一度起きないと言い切れないからです。万一、再度の異変が発生したら、持ち込んだ石油製品は再び消失するでしょうから」
「……確かに、その通りですね。警告はしておきましょう。尤も、それを承知で使うかも知れませんが」
「それは考え方の違いですね。この先、二度と異変が起きない可能性もあるのですから」
そもそも異変の原因も判らないのだから、次があるかどうかも判らない。それに対して、次に備えるか、有史以来初めてのことなのだから次は無いと楽観視するか、どちらが正解とは言えない。
「それから、魔法についてなのですが」
通信網の話が一段落してから、魔法についてシュリが尋ねた。
「現在のところ、本条さん、マコさんの他に魔法を使えるようになった人の報告はありません。こちらでも、自分で魔法に目覚めたのはマコさんだけなんですよね?」
米軍基地で話した時に伝えているが、確認だろう。
「はい、そうです」
「推測でいいのですけれど、その理由はどうしてだと思いますか?」
そう聞かれてもマコもそれを聞きたいくらいだ。しかし、魔法使いの第一人者として何も考えずに『判りません』と答えるのも情け無いので、うーん、と考える。自分が魔法を使えるようになったきっかけは、なんだったかな……
「多分なんですけど」マコは考え考え話し始めた。「魔法を使うには、まず、魔力を感知できるようにならなければなりません。自力で魔力を感知するには、それなりの魔力が必要なんだと思います。このマンションの中で、今までに百人くらいかな、魔力量を見てきましたけど、その中で一番多い人でもあたしの十分の一あるかないかでした。
それに加えて、その感じたものが、魔力だ、魔法を使うのに必要なものだ、と気付く必要があります。魔法って、意識して魔力を操作しないと使えませんから。
それで、あたし以外に自力で魔法使いになる人が何でいないかって言うと、今ので判ると思いますけど、一つには魔力量の問題です。このマンションで自力で魔力を感じられる人がいないことから考えて、自力で魔力感知に必要な魔力を持っているのは、一万人に一人とか十万人に一人とかの割合だと思います。仮に十万人に一人とすると、日本全国でざっと千数百人か、もっと少ないかも。
それで、そういう人たちにしても、『肌に何か違和感がある』くらいしか感じられないと思うから、それで魔法を使えるようになる、なんて普通は考えないんじゃないかな。そのまま生活していれば、違和感にも慣れてしまうと思いますし」
いつになく長々と話したマコは、テーブルに用意されていたお茶を、冷めていたので少し温めて、飲んだ。茶葉がなくなったら、ただのお湯を出すのかな、などと思いながら。
「なるほど。それなら、マコさんはどうして魔法を使えると、いえ、その『肌の違和感』が魔力だと気付いたのかしら?」
続いて発せられた質問に、マコはまた考えた。




