7-2.促成栽培
「うーん、面倒くさい……」
マコは机に向かい、新しいノートに異世界ノートの内容を部分的に書き写していた。今度のノートは『魔法教育指導要綱』。指導要綱などと大層なタイトルにはしているが、要は魔法の教え方を纏めるつもりだ。
今までの授業はマコが自分の裁量だけでやってきたから、指導要綱など必要なく、時々異世界ノートで自分の記憶を確認する程度だった。しかし、レイコから頼まれたこともあり、魔法使いとは言わずともマンションの住民に魔法を使える人を増やすには、マコだけでは手が回らないので教師役を増やさざるを得ない。その時、教師によって教える内容に優劣があってはいけないので、指導の内容をきちんと整理しておく必要がある。
教える魔法は、基本的な魔力操作と各種エネルギー及び炎への変換、それに物体への魔力の蓄積に絞ることにした。取り敢えずそれだけできれば光を灯したり料理をしたりと日々の生活を快適に送るには問題ない。
それ以外の、魔力を身体から離すことや、念話・瞬間移動・魔道具製作などは、必要になり次第、特別講座として開けばいいだろう。
教師役は、第四期までの生徒の中から教え方が上手そうな人をピックアップし、十一人に声をかけて九人から了承の返事を貰った。一人の教師に五人の生徒を付け、一週間で教えるとして、週に四十五人ずつ、魔法を使える人を増やせる計算になる。微々たるものではあるが、少しずつ増やしていくしかない。
以前マコは、自衛官に『早くて十二月二十一日から』と言っていたし、実際そのつもりだったのだが、予定を繰り上げて十四日から始めることにした。ただし、自衛官の受け入れは二十一日以降だ。それ以前では、米軍が食糧を輸送して来るので、両方の対応を同時に行うのは労力が大きい、とレイコが判断した。
指導要綱と言っても、単に教え方を纏めるだけに留まらない。マコは、最初はそのつもりだったのだが、実際に指導要綱として書き出してみると、教え方だけでは足りないことが身に沁みた。学校の教師たちがこれをやっていると思うと(指導要綱──学習指導要領──の作成は文科省だが)、これまで感じたことのなかった彼らへの畏敬の念が湧き起こってくる気分だった。実際には、内容を考えることに脳細胞をフル回転させていたので、そんなものが意識に上がってくる暇はなかったが。
「よし。こんなもんかな。あとはみんなから意見が出たら取り入れていこっと」
数日がかりで仕上げた魔法教育指導要綱をもう一度最初から見直して自分でOKを出してから、ノートを机の端に置いて立ち上がった。そろそろキヨミを散歩に連れ出さないと、暗くなってしまう。
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木の幹に巻き付けるタイプの魔力灯は、暗くなってからレイコや管理部の住人たちが確認し、マンション敷地内の出来るだけ多くの木に巻くことになった。地上一・五メートル辺りのほかに、根元にも。他に、広場の何箇所かに裏山の木を植樹する話も出て、決定された。簡易住宅に住む人たちが夜中にトイレに起きた時、少しでも安全性が上がるように。
そればかりではなく、取り引きのある周辺のコミュニティへの道の端の木にも取り付けることになった。これも、場所によっては植樹が必要になるだろう。
さらには、個人的に欲しい、と言う人も現れた。盆栽や観葉植物を使って室内照明にしたいと言うことらしい。これは、鋼板の帯では使いにくいので、針金の束を魔力灯にすることで対処することにした。それ以降は、木に巻く魔力灯も鋼板から針金に変えられた。
それがひと段落ついた頃、最初の魔法教師育成授業が始まった。全員一号棟の住民なので、場所は一号棟の会議室だ。
魔法教室の時にはいつも着ている、キヨミの仕立ててくれた、どことなく魔法少女っぽい服に身を包んで、マコは普段と少し違う授業を始めた。
「皆さん、ノートと鉛筆は用意してきましたね。これから、あたしが黒板に書くことを、書き写してってください。これが魔法の授業の指導要綱になります。ほんとはコピーした物を配ればいいんだけど、コピー機ないし、あたしが九冊分も書き写したら、手が疲れちゃうし」
何人かから笑いが零れる。
「それと、書き写してるだけじゃ眠くなっちゃうだろうから、ってか、あたしが眠くなっちゃうから、口で説明しながら書いていきます」
また笑いが起こる。
「あと、途中で変なところやこうした方がいいってことがあったら、遠慮せずに指摘してください。何しろ初めてだから、これもみんなの協力でより良くしていきたいと思います」
今度はみんな頷く。
「では、始めます。まずは日程と全体の進め方からね」
マコは黒板に、丹精込めて作り上げた指導要綱の内容を書き写しながら、言葉でも説明する。魔法教師(予定)たちは、真面目にそれを自分のノートに書き取ってゆく。
「魔法の授業は六日間。月曜日から土曜日までを一区切りとします」
初日は、生徒全員を集めてマコから魔力とはどんなものかの説明と、日々の瞑想と魔力操作の練習の大切さ、それに魔法を使う上での心構えを伝える。その上で、生徒たちが魔力を感じられるように、マコがその能力を引き出す。
他人に魔力を感知させることは、マコにしかできない。そのため、この初日の授業だけはマコが行う必要があった。
ところが、ここから待ったがかかった。
「先生、それでは時間が掛かりすぎませんか? 一人に魔力を感知させるのに五分……は掛からないですかね、三分として、一時間に二十人。四十五人もいたら後の人は二時間以上も待つことになりますよ」
「うん。初日のこれは問題なんですよね。でも、魔力を感知できるようにする前に、注意や心構えは話した方がいいし」
マコは頷き、うーんと考える。それを見て、指摘した教師候補が、笑いながら提案した。
「そこは俺たちに任せて戴いて構いませんよ。五人の魔力感知能力を引き出すだけなら十五分から二十分程度ですよね。だから、俺たちがそれぞれ、受け持つ五人に魔力の説明をする。二十分ずつ時間をずらして。それなら、流れ作業で出来ますから待つとしても最大十五分程度、それほど待たせることにはならないでしょう」
「それいいですね。採用します。えっと、それじゃ初日のここを変えればいいかな……」
意見を即採用し、黒板に書いた初日のタイムスケジュールを書き換える。そんな風にして、マコは魔法を指導要綱を教師候補たちに伝えていく。
日程は、初日の魔力検知の後は四日間の講義。さらに一日、予備日を設けている。狩猟などの実技の時間は設けられていないが、最初は先達の魔法使いと同行することで覚えてもらう。
「教えるのはエネルギーへの変換だけでいいんですか?」
「はい、そうです」
「理由を教えてくださいますか?」
すでに検討していたことなので、マコは考えることなく答えを口にする。
「まず一つは、できるだけ早くみんなに魔法を覚えて欲しいこと。魔法を使えれば、火種がなくても温かい料理も作れるし、暗いところも照らせるし、とにかくこれからこの世界で生きていくには魔法がかなり重要だと思いますから、なるべく早くみんなに浸透させたいわけです。なので、教えることを絞って短期育成します。
それから、今言ったように、とりあえずエネルギー変換ができるだけで、他の魔法は覚えなくても、生活はかなり楽になります。
それと、エネルギー変換以外の魔法は覚えるのに結構個人差があるので、一律で教えるよりは、基本を覚えてもらった後で特別授業にした方がいいかなって思いました。特別授業の予定はまだ何もないけど」
「なるほど……解りました」
「先生! そこのところ、必要ですか?」
「ん? そこって?」
余計なものは出来るだけ削ったはずだけれど、とマコは黒板に書いたものを見直して、首を傾げた。
「それです。『危うく大火傷を負うところだった』って先生の体験談、いります?」
「あ、これね。魔法に限らないけど、危険が伴うってことを伝えるのには実例が一番いいと思います。本当に一番いいのは体験することなんだけど、火傷させるわけにもいきませんし。それで、単に『危険です。注意しましょう』じゃなくて、実例として、あたしの失敗談を盛り込みました。まあ、幸い怪我はしなかったけど、下手したら大火傷してたのは事実だし」
「それで入ってるんですね。なるほど、解りました」
「あ、ついでなんで言っておくと、この後も要所要所で同じような注意事項や心構えを挟んであります。魔法の使い方自体はみんな興味を持ってくれると思うので、一度説明すれば後で写したノートを見返すと思うんだけど、注意なんかは読み飛ばされることが多いから。何度も繰り返すことで生徒たちに刷り込ませます」
「あら? それはもしかして私たちの時も?」
教師候補の一人が顎に指を当てて首を傾げた。
「あ、バレました?」
マコが軽く舌を出して、笑いを誘う。
「そう言うわけで、生徒の気を引きそうにない、けれど大切なことは、繰り返し教えるようにしてください。では続けますね」
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二回に分けて指導要綱の説明を行い、魔法教師九人の促成栽培を終えた。教室は、八棟あるマンションの各棟の一部屋を使わせてもらう。八号棟は二部屋だ。これで、九人の教師が別々に教える準備は整った。
自衛官への教育は、最初は四十五人の中に含めるつもりだったが、彼らを受け入れることで住民たちへの魔法の浸透を遅れされさせない方がいい、と言うことで、マコが教育に当たることにした。
(問題は、魔法を感知させることのできるのがあたしだけってことよね。自衛隊はいいとして、他のコミュニティの人たちにも、ってなったらどうすればいいかな)
マンション周辺は、レイコを中心とした住民たちの尽力で、新しい生活基盤が固まりつつある。そして今、マコにより魔法が浸透し始めた。けれど、その先は?
通信線は、それぞれのコミュニティでも作っていけるだろう。けれど、魔法を広めるには、今のところマコが直接他人の魔力感知能力を引き出すしかない。それでは、思うように広まらないだろう。
(ま、いいや。その時に考えれば。今考えても解決方法は思いつかないし)
今は、できることに専念しよう、と思うマコだった。




