6-10.海竜討伐報酬
「それじゃ、魔法教室行ってくる」
米軍艦艇から一日遅れて帰って来た日の昼食の後、マコはレイコに言った。
「今日くらい休んでもいいんじゃない? マコも予定がずれ込んで疲れているでしょう?」
「でもさ、昨日あたしがいなくて休みだったから、新しいこと教えないとね。復習ばかりじゃ飽きるから」
「魔法なんていう目新しいことをしているんだから、早々飽きるとも思えないけれど。無理だけはしちゃ駄目よ」
「は~い」
レイコもレイコでやっておくことがあった。明後日には例の米軍士官がやって来る。今日は訪問の約束だけして追い返したから要件はまったく聞いていないが、マコとフミコを危険に晒したことに対する正式な謝罪、それにフミコの言っていた海竜を仕留めたことに対する報酬の話だろう。
その前に、こちらから要求する物品と量を話し合っておかなければならない。自衛隊にはそれほどの要求はできなかったが、米軍が相手であれば本国から空輸も可能だし、大抵のものは用意させられるだろう。過大な要求は禁物だが。
マコと魔法使いたちのお陰で、魔力懐炉は先週の内にマンション全八棟の住民たちに一人複数枚が行き渡り、余剰分を近隣のコミュニティとの取り引きにも使用している。
簡易住宅はまだまだ足りない。十二階以下はそのままマンション内に住み続けることにしているし、それより高い階があるのはレイコたちの住む一号棟と、逆側の八号棟だけなのだが、それでも該当世帯は百近い。三ヶ月、いや、建設を始めてから二ヶ月ではとても建て終わらない。そもそも、土地の広さがそこまでない。足りない分は引き続き他の家庭とマンションの部屋を共有してもらうことになるが、その後どうするかも検討課題だ。
自衛隊への協力の件もある。
住民たちは、冬の間もただ春を待って閉じ籠っているわけには行かなそうだ。
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翌日、四人の自衛官が二頭立ての荷馬車を引いてマンションを訪れた。荷馬車は、軽トラックか何かの荷台部分を改造したもののようだ。荷車は布で覆ってあるが、中は魔力懐炉の材料だろう。
荷馬車を引いている二頭の馬は、馬と言うよりロバと言われた方がしっくりくる体型をしている。角が生えていることも含めて、以前、米軍基地でマコが自衛官から聞いた通りだ。
彼らの訪問を受けたレイコはマコを呼んだ。魔力懐炉として使えるかどうか、まず確認する必要があるし、実際に製作する場合の中核となるのもマコだから、当然だ。
「材料はどれですか?」
「これです」
自衛官が荷馬車を覆っている布を捲ると、二段に重なった十二個の木箱が現れた。その中には、薄い金属の板が沢山入っている。
マコが一枚を手に取った。厚さは〇・六ミリメートル、大きさは十二×十八センチメートルほど。
「これって、何ですか?」
「鉛です」
自衛官はマコの質問に淀みなく答えた。
「あれ? 鉛ってもっと柔らかいんじゃ……」
「硬鉛ってと言って、別の物質を化合して硬くしてあるんですよ。鉛蓄電池から外したものです。ケースが壊れて使えなくなったので」
「そうなんですね」
鋼みたいなものか、とマコは納得する。
マコはさらに数枚の鉛版を取り出して観察した。みんな歪なのは仕方がないだろう。鉛は鉄よりも比重が大きいから、少し薄くする必要がある。半分にすればちょうど良さそうだが、形が完全には揃っていないので、瞬間移動でまとめて加工するのは難しそうだ。かと言って、一枚ずつ加工していたら途轍もない時間がかかってしまう。
「うーん。何枚あります?」
「およそ五千枚です」
一枚を加工するのに十秒として全部で五万秒、約十四時間。気力が続かないだろうから、数日はかかるだろう。
「これでは無理ですか?」
数枚の鉛版を手に考え込んでしまったマコに、自衛官が聞いた。
「無理ではありませんけど、時間がかかりそう……」
そこまで言って、マコは閃いた。
自動車から取った鋼板を使った時には魔力を限界まで注ぎ込んだ。しかし、何もそうする必要はない。限界以上に注ぐことは無理だが、限界未満ならば魔力濃度を薄くしておくことはできる。
「これって、このまま一枚を一つの魔力懐炉にするので構いませんか?」
「はい、それで問題ありません」
「それならすぐできます。すぐって言っても、さんじゅ……いえ、一時間もあれば」
三十分でも充分お釣りが来ると見積もったが、マコは大幅にサバを読んだ。
「そんなに早く出来るんですか?」
「はい。切断の必要がなければ」
「それなら今日中に持ち帰れますね」
「では、その間に中でお話を」
レイコが言い、自衛官二人が頷いて、木箱のうち二箱を持ってレイコと共にマンションに入って行った。駐屯地に残っていた保存食だそうだ。魔力懐炉の対価だろう。
鉛版の箱も、残った自衛官が荷馬車から下ろそうとしたが、マコは断った。すぐに乗せ直すのだから、わざわざ下ろす必要もない。作業するのに、荷馬車の上でも土の上でも変わらないし。
一人の自衛官が荷馬車からロバっぽい馬を外し、マコから水場を聞いて世話をしに行った。もう一人は、荷馬車の番なのだろう、近くに直立不動の姿勢で立番を務めている。
その横で、マコは鉛版の一枚を使い、魔力懐炉として使えるか、その場合の魔力濃度をどれくらいにすればいいか、試行錯誤を始めた。
鉛版は、予想通り鋼版よりも高い濃度で魔力を注ぎ込むことができた。そのまま魔力懐炉にすると、これも予想通りで熱くなり過ぎる。注ぎ込む魔力の濃度を変えながら試行を何度も繰り返し、十分ほどを掛けて〇・六ミリメートル厚の鉛版を魔力懐炉にするための適切な魔力濃度を割り出した。
一時間を待たずにすべての鉛版を纏めて魔力懐炉にしたマコは、何個かを手に取って温まっていることを確認すると、立番の自衛官にその旨を伝えてから、レイコたちのいる、マンションの会議室に顔を出した。
「失礼します。魔力懐炉の作成、終わりました」
自衛官の二人は目を見張った。
「早いですね。まだ二十五分しか経っていませんよ」
「あはは、最初の調整が思いのほか上手くいったものですから」
予め告げていた時間の半分にも満たない時間で終わったことを、マコは笑って誤魔化した。
「それよりマコ、ちょうどいいからあなたも座って」
レイコが言った。マンション側はレイコだけでなく、管理人と管理部の二人もいる。
「なあに?」
空いている椅子に腰を下ろしながら聞きつつも、多分あのことかな、と見当を付ける。
「自衛隊の方への魔法の使い方を教える件なのだけれど、いつから出来る? その前にそもそも教えられる?」
やっぱりそれか、と思いつつもマコはレイコたちマンション側の住民と自衛官を等分に見ながら答える。
「今はまだプログラムを検討中なので確実なことは言えませんが、早ければ、えっと」マコは壁のカレンダーを見た。「十二月二十一日から、遅くても年明け早々には始められると思います」
「人数は?」
「うーん、なるべくならマンションの人たちを優先したいので、外からの人は週当たり五人くらいを考えてます」
「そうですか。ちょっと少ないですが、無理も言えません。解りました。いつから始めるかは、また後日相談させてください」
マコが魔法教室の態勢変更についてレイコ以外を相手に口にしたのはこれが初めてだ。詳しい内容についてはレイコにも言っていないどころか、マコ自身が決めていないが。
(これで後に引けなくなっちゃったな。必要なことだからいつかはやるんだけど)
マコは頭の中で、今後の予定を組み立てていた。後でノートに書いておかないと。
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自衛隊との魔力懐炉の一回目の取り引きを行なった翌日、今度は米軍が訪れた。会議の場所は、ヘリコプターの降りる小学校の教室の一室を借りることにした。借りると言っても、無断で、ではあるが。
場所をマンションにしなかったのはレイコの判断だ。前日から追加分の氷室の建設を始めているが、米軍からの食糧支援を当てにしているかのような、その建設の様子を見せたくなかったという理由がある。
今日は、米軍側に自衛官はいない。マコの協力が先日で終わっているため、この件に関する自衛隊との協力も切れたのかも知れない。
米軍の要旨は、予想通り、いや、予想するまでもなく、マコとフミコを危険に晒したことに対する謝罪と、マコの海竜退治協力への御礼の言葉、それに対する対価として融通する物品の調整だった。
米軍は、海竜討伐に対するマコの協力分として、牛肉四十トンの提供を提案した。しかしレイコは、肉ばかりでは栄養が偏るのでそればかり増えても仕方がない、として、キャベツを二十トンに食塩・砂糖・胡椒を二トンずつの上乗せを要求。そこまでは流石に出せないと米軍側は食い下がる。
会議には、マンションの各棟から一人ずつ代表者が出席していたが、米軍相手に一歩も引かないどころか強気に出る、ばかりでなく冷たくあしらうレイコの態度に恐怖した。
結局、米軍からは、米・牛肉・豚肉・キャベツを八トンずつ、それに食塩・砂糖・胡椒を八百キログラムずつ、もぎ取ることができた。ヘリコプターでは一度に運べないため、数回に分けて輸送することになる。その日程や時間も詳細に決められて、話し合いは終わった。
「本条さんって、あんなにおっかない人だったのか……」
米軍ヘリコプターが去ってマンションへと帰る道すがら、誰かがぽそりと口にした言葉は、会議に出席していた人々の総意だっただろう。
その呟きは風に乗って前を歩いているレイコの耳にも届いていたが、彼女は知らない振りをしていた。
次回の第七章から、毎日投稿します。更新時刻はこれまで通り07:40~08:00頃。
第七章プロローグとなる7-0は明日の投稿予定です。




