6-9.報告と方針
マコとレイコが落ち着くのを待って、同乗して来た米軍女性士官が遅れたことを謝罪し、事情説明のためにマンションへの訪問を申し出たが、レイコは子供たちを休ませたいからと、日を改めさせた。米軍士官に対して冷たく対応するレイコに、フミコの両親は気が気ではなかったが、以前に一度見た時よりもさらに冷たいレイコの放出する冷気に、自分たちまで凍りつきそうで何も言えなかった。
レイコの胸でひとしきり泣いて落ち着いたマコは、「恥ずかしいところ見せちゃったな」と粕河親娘を前に頬を赤らめた。フミコはその様子を見て、もう大丈夫ね、と胸を撫で下ろした。
マンションへの道すがら、マコとフミコは交代で親たちに軍艦でのことを説明した。
「通信障害の原因が魔力の残滓なら、回復は絶望的ね」
実験の結果を聞きながら、レイコは言った。
「うん。動物も植物も魔力を持ってるから、それを無くそうと思ったら日本から人間も含めてすべての生物を根絶やしにしないといけないし。それじゃ本末転倒だから」
「そうね。けれど、早い段階から通信できなくなったのはなんでかしら? 米軍の話からすると、帰国した人たちの周りで通信障害が出たのはそれなりに時間が経ってからでしょう? けれど、異変の直後から日本上空でも通信不可能だったようだし」
「あ、それは魔力の残滓ってレイコちゃんが言った奴が、一緒にこっちの世界に来たからだと思うよ」
「こっちの世界に来た?」
レイコは首を傾げた。フミコとその両親も疑問符を顔に浮かべている。
「あれ? 言ったことなかったっけ? ……なかったかな?」
「何を?」
「えっと、あたし、この異変は異世界がこっちの世界に転移して来たことが原因と思うんだ。仮説にもならない、妄想に近いけど」
「なんだかファンタジー小説みたいね」
フミコがくすりと笑った。
「荒唐無稽だとはあたしも思うけど、でもそれで説明できるんですよ。だってこれ」
マコは手を広げて、周りを示した。
「生えている木、草、飛んでいる鳥、走っている動物、みんな、今までに知らなかったものに変わっているじゃないですか。人間も、姿形こそ変わらないけど、魔法を使えるようになってますし。それにあれ」
マコが空を指差した。ちょうど、飛竜が頭上を通り過ぎて行った。
「あんな生物がいるってだけでも、充分に異世界ですよ」
「しかしそれで」フミコの父が疑問を口にした。「モノが一夜にして壊れた理由はどう説明付けられますか?」
厳格そうな成人男性に言われてマコは少し萎縮した。やっぱりこの人の雰囲気は苦手だ。いい人なのだけれど。
しかし、そんな気持ちはおくびにも出さずに、マコは質問に答えた。
「壊れたと言うか、プラスチックやゴム製品がなくなりましたよね。恐らくなんですけど、転移して来た元の異世界には油田がないんだと思います。そもそも存在しなかったから、油田由来の製品が消えたんだと。動植物は異世界に対応する存在があったから、それと入れ替わっただけで」
「それじゃ今、世界中の油田が無くなったと言うことですか?」
今度はフミコの母が聞いた。
「いえ、これも想像ですけど、無くなったのは異世界の転移して来た範囲内に限ると思います。日本が油田のない異世界に置き換わったから石油製品は無くなったけど、日本の外は元の世界のままだから、中東なんかの油田はそのまま残ってるはずです」
「異変の外に原油が残っていることは、米軍の飛行機やヘリコプターが飛んでいることでも明らかですし」
レイコがマコの言葉を補足した。
「でも、マコの妄想が正しかったとして、元に戻す方法は判らないのよね」
「そうなの。異世界が転移して来た理由も方法も判らないし、判ったとして、同じことを再現したら、さらに異世界が転移して来て異世界濃度が上がりそうだし」
自分で言葉にしておきながら(異世界濃度って何!?)と脳内で突っ込んだマコだったが、レイコたちは特に指摘しなかった。突然告げられた『異世界が転移して来た』という事実、いや仮説を、それぞれで消化するのに忙しいのかも知れない。
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マンションに帰り着いた後、残る話を伝えるために、粕河一家の住む簡易住宅にマコとレイコはお邪魔した。
「マコちゃんがいなかったら、わたし絶対帰って来られなかったよ。それどころか、軍艦も二隻とも沈んでたはず」
フミコが、マコの海竜を倒した功績を過大に言うものだから、フミコの両親のマコに対する感謝は過剰なほどだった。
「いいえ、むしろあたしが付き添いに選んだからフミコさんを危険に晒してしまうことになって、本当にすみません」
マコは小さくなって頭を下げることしかできない。
「いや、最終的について行くことを決めたのはフミコ自身なのだから、マコさんがそれを気に病む必要はありません」
「そうですよ。フミコを助けていただいて、本当にありがとう」
「いえ、ほんと、あたしは自分を守っただけで」
雰囲気がちょっとおっかないので苦手にしている夫婦に頭を下げられて、マコはあたふたした。今回のことは特に、無理を言ってでも同行を断るべきだったのではないか、と。
しかし、フミコがいなかったら恐らく、無様に取り乱したマコを宥められる人間がいなかったわけで、その意味では付き添ってもらったフミコには感謝してもしきれない。
「それなら、お互い様と言うことで、この話はこれまでにしましょう」
笑顔で言ったフミコの父の言葉で、不毛なお礼合戦は幕を閉じた。
「それで、海竜の肉か、代わりの食肉を米軍から分けてもらえそうです」
対海竜戦についてマコが伝えた後、マコが眠って以降のことをフミコが話した。
「海竜の肉? そんな得体の知れない生物の肉を食べて大丈夫かしら?」
フミコの母が懸念を示したが、それにはフミコが首を横に振った。
「裏山で獲れる動物だって得体の知れたもんじゃないじゃない。お母さんも食べてるでしょ。海竜も一緒だよ」
「それはそうかも知れないけれど」
「それに、米軍が提供してくれるとしたら、代わりの食糧になると思いますよ」
レイコが言った。
「それは何故です?」
「米軍にとって海竜は、貴重な未知の生物のサンプルですからね。可能ならすべて自分たちで独占したいと思うでしょう」
「言われてみると、そうですね」
「けれどそう言うことなら、別のものも要求してもいいかしら……」
「別のものというと……?」
考え込むレイコにフミコの父が聞いた。
「まず、塩や胡椒のような香辛料の類ですね。それに野菜もあった方がいいですし。あとは何か……」
「自動車や発電機なども要求していいのでは」
「それも考えなくもないのですが、二つの理由からやめた方がいいかと」
「その理由は?」
「一つは、異変、マコの言うところの異世界転移が、もう一度起こらないとは言い切れないことです。せっかく入手しても、また使えなくなってしまっては元の木阿弥ですし」
それを懸念して、マンション間に引こうとしている通信線も米軍から提供してもらわないことにしたのだ。ほかのことも同様に考えるべきだろう。
「なるほど」
「もう一つは、維持管理できないためです。自動車自体はともかくとして、燃料はいつまでも供給してもらうわけにはいかないでしょうから」
「確かに。マコさんの海竜討伐の報酬とするなら、燃料を提供してもらうたびに定期的に海竜を倒さなければならなくなりますね」
「はい。ですので今回は、冬を越すのに取り敢えず必要なものに限った方が良いかと。ただ、ここだけでは決められないので、至急で管理部の会議を招集しましょう。それと、明日からは一旦住宅の建設を止めるか縮小して、氷室を増やすことにして」
「それも必要でしょうね」
マコとフミコが海上でのことを一通り話し終えると、レイコは立ち上がった。
「では、忙しくなりそうなので、今日はこれでお暇します」
他の四人も立ち上がり、マコとフミコはもう一度互いに礼を述べ合ってから、マコとレイコは粕河家を後にした。
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「……米軍へ呼び掛けたの、失敗だったかしら」
マンションの自宅に戻る道すがら、レイコがポツリと言った言葉にマコは首を傾げた。
「どうしたの? いきなり」
「うん? うん、今回マコとフミコちゃんが危険な目に会ったでしょう? わたしがあの時、米軍と連絡を取れないか、って言わなければ、マコをそんな目に合わせることもなかったのにって……」
悩むレイコの背中を、マコは叩いた。思い切り。
「痛っ。何するのっ!?」
「レイコちゃん、そんな昔のことで気に病むの、レイコちゃんらしくないよ。あたしもフミコさんも無事に帰って来たんだから、気に病む必要なんかないよ」
「そうは言っても、マコに何かあったらと思うと、どうしたらいいのか判らなくなっちゃって……」
マコはわざとらしく溜息を吐いた。
「レイコちゃん、先のことなんて判らないんだから、いつだってその時に最善と思えることをすればいいんだよ。って言うか、そうするしかないって、レイコちゃんがいつも言ってることじゃん」
「それはそうだけど」
「米軍にコンタクトを取ったのだって、あの時は外の状況も知っておきたかったし、それに一番いいのが米軍を利用することだったんでしょ? ならいいじゃない。あたしだって昨日、魔法で海竜をなんとかするのが一番だと思ったから、それをやって今レイコちゃんの元にいるわけだし。そのお陰でお肉も大量に手に入りそうだし。いつもその場で最善を尽くす。それだけでしょ?」
いつにない娘の長広舌に、レイコはマコを見つめた。それからその頭をくしゃくしゃっと撫でる。
「何すんの」
「マコも立派になったな、と思ってね」
「何よ~、それ」
「なんでもない。そうよね。昔のことをうじうじ考えるなんてわたしらしくないわね」
「そうそう。レイコちゃんはいつだって前を向いてなくちゃ。あたしのお手本なんだから」
「……ありがとう、マコ。わたしの娘に産まれてくれて」
「レイコちゃんこそ、あたしを産んでくれてありがとう」
二人は自分たちの住む家へと、階段を上がって行った。




