6-7.不安な夜
「きゃーーーーーーーーーーーーーーっ」
眠りをつんざく悲鳴に、フミコは飛び起きた。反射的に隣の簡易ベッドを見ると、起き上がっているマコが視界に入った。
「マコちゃんっ」
フミコはすぐにマコに駆け寄る。不寝番をしていたスエノと、フミコと同じようにベッドから飛び起きたシュリも。
ばんっと扉が開かれる。廊下で警備をしていた水兵が今の悲鳴を警戒したのだろう。シュリは向きを変えて、彼らの対応を引き受けた。
マコはベッドの上に身を起こし、膝を曲げ、両手で頭を抱えて震えている。そこに、二体の飛竜を抑え、海竜を倒した勇者の面影は微塵もない。
フミコは、マコの隣に屈み込むと、その頭を優しく抱き締めた。
「マコちゃん、大丈夫、わたしがいるから、大丈夫、大丈夫だよ」
フミコは、幼い子供をあやすように、マコの頭を軽く撫でた。フミコの腕の中で、マコは(レイコちゃん……レイコちゃん……)と呟きながら、震えるばかりだった。
「マコちゃん、お夕飯食べてないし、何か食べよう。ね?」
お腹が膨れれば少しは落ち着くかも知れない、と考えたフミコが言った。しかし、マコは首を振った。
「……い、いらない……お腹、減ってない……」
「駄目よ。明日にはレイコさんの所に帰るんだから。マコちゃんが元気なかったら、悲しむよ。だからちゃんと食べないと」
「……レイコちゃんのとこに、帰れる……?」
「もちろん。わたしだって帰るもの。一緒に帰ろう」
フミコは優しく言った。
「うん。帰れる、よね」
「そうよ。だから、ご飯を食べよう」
「……うん」
しかし、今のマコの状態ではそれほど多くは食べられないだろう。フミコは、一食分だけ残しておいてもらった夕食のトレイをスエノに頼んで持って来てもらい、スープの入ったカップを手に取った。ちょっと考えてから、魔力をスープに満たして熱に変え、温めてからマコに渡す。
「はい、マコちゃん、どうぞ」
「ありがとう……ございます」
マコはカップを受け取って、口をつけた。
「美味しい。ありがとう」
この艦のスープは、日本の米軍基地で出たスープほどには美味しく感じなかったフミコだったが──味が悪いわけではなく、味付けがより米国人向けになっているっぽい──、マコが美味しそうに飲んでくれたことで実際の味には関係なく安堵した。
「パンもあるよ。食べる?」
「ううん、今は、いい」
「そう? それじゃ、寝よ。朝になれば帰る準備もできてるはずだから」
「うん」
横になるマコに、フミコは毛布を掛け、マコが寝入るまで見守っていた。スエノはすぐに簡易ベッドに入り、不寝番を交代したシュリはフミコとマコを守る位置に立っていた。
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深夜、何かの気配を感じてフミコは身体を起こした。取り敢えず隣の簡易ベッドを見る。マコは眠っていた。ややうなされているようだが。マコの様子が気になって、眠りが浅くなっているのかも知れない。
マコでなければ、どうして自分は目を覚ましたのだろうと部屋を見回すと、扉が開いてシュリが誰かと話をしているようだった。
彼女が扉を閉めるのを待って、フミコはベッドから降りた。
「起こしてしまいましたか。すみません」
「いいえ。何かありました?」
「そうですね。折角なので、話しておきます。座って待っていてください」
シュリは睡眠中のスエノを起こしに行った。自分が起きたのに眠りこけているってことは寝ぼすけさん?とフミコは失礼なことを思ったが、同僚の手が軽く肩に触れただけで素早く起き上がった。即座に起きられると同時に、危険が迫っていない時には眠り続けられるものらしい。自衛官ってすごい、とフミコは思った。
先の連絡は、北東太平洋艦隊の本隊と合流できたことと、今後の大雑把な予定とのこと。
本隊と合流したことで資材の補給もでき、また修理に携わる工兵の交代もできたことから、修理の速度も上がったそうだ。現在修理中の巡洋艦と駆逐艦は夜を徹して推進機関を修復し、航行可能になり次第、夜明けを待たずに通信可能海域に向けて移動する予定らしい。外部と通信することもできない状況からは、米軍としては可能な限り速やかに抜け出したいようだ。
(潜水艦は自軍からすらも隠れて何ヶ月も活動すると聞いたことがあるけど、洋上艦艇は別なのかな?)
フミコは思ったが、聞いても意味がないので口に出すことはなかった。
マコの仕留めた海竜は、米軍が回収することにしたらしい。何しろ、今まで地球上に存在しなかった、未知の生物の遺骸だ。せっかく苦労して手に入れたそれを、研究対象として米国が放っておくわけがない。
本国に持ち帰るか日本で研究するかは、通信が回復してから指示を仰ぐようだ。普通なら指示を受けるまでもなく本国に持ち帰りそうだが、日本から帰国した国民の周りで通信障害が広がっていることを気にしているのだろう。
修理の話はともかく、海竜の死骸の扱いをわたしが聞いていいのかな?とフミコは思ったが、隠しようがないことと判断しているのだろう。それとも、今や日本から出ることのできない日本人に知られたところで問題ない、と考えているのかも知れない。
海竜については、
「とどめを刺したのが本条さんだから、所有権の何割かはあなたたちが主張できると思うけれど、どうする?」
とシュリに聞かれた。
「いえ、使いようがないですし、マコちゃんも要らないって言うと思います。あ、でも……お肉は少しでも貰えると嬉しいかも。でも、食べられるかな?」
悩むフミコに、シュリは首を傾げた。
「それ、貰っていったとして、腐らないかしら」
「あ、それは大丈夫だと思います。氷室を作ってますから」
それは、マンションの住人の一人の提案で、裏山で獲った獲物の肉を保管するために作られたものだった。地面に穴を掘って丸太で壁を作り天井を付けた、半地下のログハウスという趣の建造物だ。屋根と天井の間に置いたバケツに水を入れて魔法で凍らせ、低温に抑えている。
水を凍らせるための魔法はマコではなく、ほかの魔法使いたちが行なった。それくらいなら、わざわざマコの強力無比な魔力を使うまでもない。
しかしその氷室には、その広さに比してほんの少しの肉しか蓄えられていない。罠を増やしてはいるものの、マンション八棟で二~三千人の住民がいるのだ。罠猟でそこそこの獲物を捕らえても、すぐにはけてしまう。
全長二十メートル超の海竜の肉の一部でも持ち帰れたら、冬を越すのがかなり楽になりそうだ。
「それなら一応、食肉用に分けて貰えるか聞いてみましょう」
「あ、いいですよ、ただの思い付きですから」
「いいえ。せっかくだから、ダメ元で要求してみましょう。駄目なら、代わりに牛肉や別の肉を要求してみてもいいし」
「あ、牛肉貰えるならいいですね」
フミコの言葉に、自衛官の二人も笑みを零す。
そんなわけで、マコのお陰で貴重な新生物のサンプルを入手できたことを盾に、食肉を要求することで話がまとまった。
日本への帰還は、日の出の前に二艦の応急修理が終わって艦隊が移動を始めていたら、異変内の海域を脱出してから、ボートで航空母艦に移乗して用意されているヘリコプターに搭乗する。
修理に手間取って夜明けまでに移動が始まっていなければ、日の出とともに航空母艦へ向かう。
「それでいいと思いますけど……それまでに別の海竜の襲撃とかあったら……」
それも不安の種ではあった。フミコの眠りが浅かったのは、その不安を消し去れなかったためかも知れない。
「昨日遭遇したばかりで、すぐに別の個体に襲われる可能性は低いけれど、その場合でも今度は十隻以上の艦艇が集まっているから、本条さんの魔法がなくても対応できるでしょう」
それで一応、フミコは納得することにしたが、不安が払拭されたわけではなかった。しかし、食い下がったところで結論が変わるわけでもない。
「それでは、粕河さんはもう一休みしてください。まだ夜明けまでは時間がありますから」
「はい、解りました」
まだ眠れるかな、と思いつつも、他にやるべきこともないので、フミコはマコの様子を見てから、もう一度簡易ベッドに潜り込んだ。
睡魔はすぐにやって来た。眠りは浅かったが。




