6-5.帰還計画
「いやーーーーーーーーーーー!!!」
マコの悲鳴は、部屋の外で警備している二人の水兵の耳にも届いた。続いて、人が倒れるような音と重なる悲鳴。
二人は腰の拳銃を抜き、扉の両側に張り付いてから、大きく開ける。中からの攻撃がないことを確認してから、銃を構えて順に部屋に飛び込み、そして室内の様子に戸惑った。
本日ゲストとして乗艦している日本人の少女が一人、部屋の中央の椅子に座り、背凭れに身体を預け、腕をだらりと下げ、頭を仰け反らし、白眼を剥いている。他に六人の男女がいるが、彼らは四方の床に倒れている。椅子に座った少女とは違い、意識は全員あるようだ。
「本条さん」
シュリが起き上がり、椅子に凭れている少女によろよろと駆け寄った。身体を揺り動かしたりはせず、脈を取り、頬を軽く叩いている。しかし、マコに反応はない。
《船医をすぐに。急いで》
シュリに一歩遅れて立ち上がった女性士官が水兵に命じた。彼女に水兵への指揮権はないが、室内の状況を自分でも判断した彼は、武器を納めると敬礼して、すぐに部屋から出て行った。
もう一人の水兵は、ゲストの兵士二人が復帰したことを確認すると、室内のことは士官と兵士二人に任せ、一旦部屋の前の警備に戻った。
「マコちゃん」
フミコがスエノに支えられながらマコに近付いた。表情に恐怖はなく、ただマコを心配している様子が窺える。
「ナニがあったノデすか?」
士官が聞いた。
「解りません。取り敢えず寝かせましょう」
マコの容態を見ていたシュリが首を横に振り、マコを抱き上げた。スエノが下ろした壁際の簡易ベッドにマコを横たえる。
「フミコさん、アナタはオモい当たるコトはありませんか?」
寝かされたマコの横に膝をつき、マコの手を取っているフミコに、米軍士官が聞いた。
「いいえ。でも……」
「でも?」
「マコちゃんがああなったのは、今日の帰宅が難しそうだと判った直後なのと、マコちゃんがお母さんの名前を呼んでいたので……長い時間、お母さんと離れていられないんじゃないかと思います」
「ソウ言えば、ワガ軍への協力デモ、ツネに日帰りにコダワっていましタネ」
フミコは泣きそうな目で士官に頷き、またマコに視線を戻した。
そこへ、水兵が高齢の船医を連れて戻って来た。他に、海軍士官──艦長──も、連れている。
ベッドの横にへばりついているフミコを自衛官が促すと、フミコは振り返って立ち上がり、場所を船医に譲って、マコと、診察を始めた船医を、不安そうに交互に見つめている。
艦長は、ベッドに背を向けて少し離れ、士官と何か話をしている。
船医は、マコの脈を取ったり瞳孔を調べたり心音を聴いたりとしばらく診察してから、はだけた服を元に戻すと、自衛官に二言、三言、質問した。
それから立ち上がると、白衣のポケットから取り出したものをフミコに渡した。何の変哲も無い、ティーバッグ。
《彼女が起きたら、これを飲ませてあげなさい》
《?》
フミコは首を傾げた。船医の言葉が理解できなかったわけではない。彼の英語はとても聴き取りやすかったから。
《ハーブティーだよ。心を落ち着かせる作用がある。身体に異常は見られないから、薬よりはこれの方がいいだろう》
《あ、ありがとうこざいます》
《礼には及ばない。私の私物だから、面倒な報告も不要。では、お大事に》
船医は、聴診器を仕舞った鞄を手に立ち上がり、艦長と士官に診察結果を報告した。シュリもその報告を一緒に聞いた。その間、フミコはスエノに見守られながら、ひたすらマコの回復を祈っていた。
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その後、マコのために、薄い布団と毛布、それに枕が室内に運び込まれた。船医と、寝具を運んで来た水兵が退室して、ゲストと艦長だけが残り、その場で今後の予定について話し合いが持たれた。マコが心配だったものの、スエノに彼女を任せて、フミコも話し合いに参加した。マコが意識を取り戻した時、情報を自分で共有できるようにしておきたい。
互いに自己紹介した後で、まずは現在の状況の整理から始まった。
この巡洋艦と駆逐艦は、海竜との戦闘で推進系を破損し、現在修理中だが、動けるようになるのに、明朝の夜明けまで掛かる見込みだ。おまけに、戦闘中に日本に近付いたため、現在は通信不可能な状況にある。
不幸中の幸いと言うべきか、海竜との遭遇時に救援要請は送信済みのため、早ければ深夜、遅くとも夜明けまでには北東太平洋艦隊の本体と合流できるだろう。電波による通信が出来なくとも、近隣の海域までくれば発光信号による通信も可能なので、長期間漂流する心配はまずない。
ここまでは、マコが意識を失う前に女性士官からも聞いていたことだ。
海竜は、マコの攻撃で死亡したことが確認された。マコは気絶しただけと考えており、海軍もその可能性を捨てきれなかったものの、動かない海竜にいろいろ刺激を与えても反応がないことから、脳震盪を起こしたのではなく脳死に至っていると判断された。
これで、復活した海竜に襲われるという心配はなくなった。ほかの海竜が襲って来る確率はゼロではないので、もちろん哨戒は厳に行なっている。
《しかし、最後にどう仕留めたのか。観測班の報告では、サーペントが何かに衝突したようだ、と言うことだったが》
《あ、それは多分》
魔力を運動エネルギーに変換できることは、米軍に伝えている。実験の間ずっと付き添っていたフミコはそのことを知っている。しかし、続けて話す前に、フミコは女性士官を見た。海竜が襲って来た時の様子から、この艦の人々にすべてを話しているわけではなさそうなことを思い出して。
士官が頷くのを確認してから、フミコは言葉を続けた。
《多分、海竜の進行方向に、魔法で壁を作ったんだと思います。壁と言っても物理的なものでは無いのですが、海竜に向けて力を入れた、と言うか》
《ほう? その壁みたいなものにサーペントは突っ込んだ、と》
《観測結果が一致しているなら、間違いないと思います》
《それについては》士官が口を挟んだ。《博士の見解も後でまとめて提出します》
《うむ。よろしく頼む》
ここにいないマッド博士は、どうやら戦闘データの解析でも行なっているようだ。助手と二人の下士官も一緒なのだろう。
次に、ゲストの帰還について話し合われた。
本隊と合流後、本隊の艦艇にボートで移乗し、艦載ヘリで日本に帰る。帰還は、明日の日の出から一時間後。万々が一、それまでに合流できなかった場合や、天候の急変があった場合には、出発時刻が見直される。ただ、天候は安定しており、その心配はないだろう、とのことだった。
《それより、彼女は大丈夫なのだろうか? 全員を壁に叩きつけたそうだが》
《多分ですけど、大丈夫だと思います》
フミコは言葉を選ぼうとして、やめた。日本語ならともかく、言葉を選んで話せるほどには、英語に習熟していない。
《絶望に囚われて、瞬間的に意思に反して暴れたようなものだと思いますから。落ち着かせれば、あんなことにはなりません》
《船医も、PTSDだろう、強い刺激を与えないように、と言っていたが》
艦長は考えた。
《彼女、母親から長期間離れることを恐れているみたいなんです。だから、帰宅の目処がついたことが解れば、落ち着いてくれると思います》
フミコにしろ、マコと知り合って一ヶ月半ほどだ。同じマンションに住んでいると言っても、通っていた高校は違うし、マコがマンションに住むようになったのも中学になってからだから、一緒に集団登校することもなかった。
それでもフミコは、きっぱりと断言した。内心に渦巻く不安を表に出さないように。不安を見せてマコを拘束されたりしては、マコにもレイコにも顔向けできない。今度はわたしがマコちゃんを守らなくちゃ。
《その言葉を信じましょう。しかし、そうなると、彼女を本国に連れ帰るのは無理か……》
《え?》
艦長の不穏な発言をフミコは聞き咎めた。
《艦長》
《あ、いや、すまん、忘れてくれ》
士官の言葉で失言に気付いたのだろう、艦長は慌てて言った。
しかし、フミコにはだいたいの予想はついた。
マコは何しろ、かつて駆逐艦一隻を撃沈し、今も巡洋艦と駆逐艦を一隻ずつ中破させた未知の巨大生物を、事実上たった一人で退治したのだ。米軍の援護はあったものの、それがなくとも結果は変わらなかっただろうし、逆にマコが手を貸さなければ二艦とも沈没していた可能性が大きい。
そんな巨大な“戦力”を目の当たりにして、それを手元に置きたがらない軍人はいないだろう。
それを諦めたのに、あまり残念そうに見えないのは何故だろう?とフミコは考え、すぐに一つ、いや、複数の理由を思い付く。
今回の実験の目的だった、通信障害の原因の究明。日本から米国本土に帰国した民間人の周囲で起きている通信障害は、彼らの持つ魔力が原因であると、今回証明されたようなものだ。その現象を理由に在日米人の帰国すら滞っているのに、一人で大規模な通信障害を起こせそうなほどの魔力を持つマコを、そうそう日本から連れ出せるわけがない。
それに、マコは現在住んでいるマンションから離れないだろう。母親もいるし周辺の状況からして、そもそも離れることが難しい。居場所ははっきりしているし、それなら軍による監視もやりやすい。
所在を把握できていて必要なら協力もしてもらえる、その関係を保てるなら、手の内になくとも問題ない、と判断しているのだろう。
主要な話はそれくらいで、後は帰還までの細かい話で話し合いを終えて、艦長は退室した。フミコは、自衛官二人と共にマコと同じ部屋で休むことになり──万一、マコの魔法が再び暴発した場合を危惧し、米軍人たちには別室が用意された──、部屋に持って来てもらった夕食を摂った後、フミコはマコの隣の簡易ベッドで眠りに就いた。自衛官は交代で睡眠を取り、寝ずの番をするようだった。
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深い眠りの中で、マコは古い記憶を見ていた。




