6-1.洋上の実験
「あれが目的地の巡洋艦ですか?」
窓から見える洋上に二隻の艦影を認めたマコは、いつものように同行しているシュリに聞いた。
「ええ、そうね。大きい方がこれから降りる巡洋艦で、隣の少し小さいのが護衛の駆逐艦ね」
周りには、他の船影はまったく見えない。二隻だけが、広大な太平洋に浮かんでいる。ヨシエなら、この光景に目を輝かせることだろう。ヘリコプターですら、授業を休んで見に来たくらいなのだから。
けれど、マコもフミコも、乗り物にそこまで興味はない。へー、あれなんだー、程度の感覚で、近付いて行く艦を眺めている。
ヘリコプターには、女性自衛官二人と米軍女性下士官二人のほかに、いつもの女性士官一人と男性兵士二人、それにマッドな博士と女性助手が同乗していて、普段よりも少し多い。それでも、座席にはまだ余裕があったが。
博士が一緒に搭乗すると聞いて、マコは(うげぇ、移動中も質問責めになるのかなぁ)とうんざりしていたが、予想に反して静かにしていた。何もしていなかったわけではなく、持ち込んでいたノートパソコンとにらめっこをしていた。静かにしていてくれるなら、マコにとっては何をしてくれていても良かった。
窓から見える艦影が大きくなるにつれて、マコも、おおっ、と気持ちが高揚してくる。何しろ、ヘリコプターなど比べ物にならないほどに大きい。このヘリコプターが巡洋艦の後部甲板に着艦できるのだからそれなりに大きいことは予想していたのだが、実際に近付いてみると──まだまだ距離はあるのだが──予想以上の巨体にマコは感動し、ヨシエの気持ちが少し解った気分だった。
着艦したヘリコプターから降りると、その威容にさらに呑まれた。見上げるほど高い艦橋が前に聳えている。マコもフミコも、ほへぇと人類の叡智の一端を見上げた。
「さぁ、中に入りましょう。あっちの人も待っているし」
シュリに促されて、マコとフミコは後部甲板の前方にある格納庫の端に向かって歩き出した。そこに開かれた扉からは、中に入ろうとしている博士が振り返り、手を振ってマコたちを促していた。
さっさとやることをこなして、早く帰るに越したことはない。マコはフミコと一緒に艦内への扉に向かって歩いて行った。
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艦内では、この巡洋艦に勤務しているのだろう米水兵が案内してくれた。その最中にも注意事項をいくつか伝えられる。
艦内は迷路のようになっているので案内なしに歩き回らないこと。
周りのものに不用意に触れないこと。
足元に充分注意を払うこと。
口笛を吹かないこと。
「口笛禁止って何でですか?」
訳の分からないルールにマコは首を傾げた。禁止されずとも、マコは口笛を吹けなかったが。自衛官は注意事項を説明してくれている水兵に話を聞いて、通訳してくれた。
「嵐の時の風の音と重なるから、ですって。そう言えば、海上自衛隊にも同じルールがあったわね」
「そうなんですね。お姉さんたちはどこの自衛隊なんですか?」
ひと月ほどの付き合いになるというのに、今まで聞いたことがなかった。
「私たちは陸上自衛隊よ」
「そうだったんですね。戦車に乗ったりしてたんですか?」
「いいえ。誰でも乗るわけじゃないのよ」
陸上自衛隊と言えば戦車、と思い込んでいたマコは、へぇ、と思った。考えてみれば、かつて見た災害支援に出動する自衛隊の映像に戦車は映ったことはないのだから、知っていて当然なのだが。いったいどこで、陸上自衛隊=戦車の等式がマコに刷り込まれたのだか。
《こちらです》
案内の水兵に導かれて入った部屋は、割合広かった。二つの丸い窓の一つから護衛の駆逐艦が見える。部屋の中央には大きなテーブルと椅子が四つ。入口横にも小さいテーブルがある。壁際には折り畳み式のベッドがあった。
案内してくれた水兵は敬礼してから退出した。ヘリコプターで一緒に来た士官と二人の兵士は別の場所に行ったらしい。この部屋に着く前に別れていた。
《それじゃ始めようか。そこに掛けて》
マッドに違いないサイエンティストに促され、マコはテーブルの片側の椅子を引いて腰掛けた。
「粕河さんはベッドに掛けててくれるかしら」
自衛官が言うと、フミコは壁際に行ったものの、ベッドを下ろせずに慌てた。それほど難しくないのだが。
すぐに米軍下士官の一人が寄って、下ろしてくれた。
「あ、Thank you」
「どういたしまシテ」
にっこりと笑って彼女は博士の斜め後ろに戻った。
実験の準備はマコたちが来る前に済ませていたようだ。テーブルの上には一辺八十センチメートルほどの直方体の透明な容器が置かれていて、中には何やら機械が入っている。
椅子にはマコの他に博士と助手、それに自衛官の一人が座り、もう一人の自衛官と二人の下士官はテーブルの周りに立っている。
博士の前にはノートパソコン、助手の前にはノートパソコンの他に容器の中にあるのと同じような機械が置かれている。機械とノートパソコンはケーブルで繋がれ、余ったケーブルがテーブルの上にとぐろを巻き、いかにも、これから実験します、という感じだ。
《それじゃまず、テストだ》
助手が頷いてノートパソコンを操作すると、容器の中の機械のLEDが点灯した。
《よし。それじゃ、箱を魔力で満たしてくれるかな》
博士の言葉は椅子に腰掛けた自衛官が翻訳してくれた。
「はい」
マコは手を前に出し、掌を容器の僅か手前で止めて魔力を容器の中へと流し込んだ。フミコ以外には気付かれていないが、念話用にフミコにも魔力を伸ばしている。
「はい、入れました」
球形であれば楽なのだが、方形に整形するのはそこそこの集中力を必要とする。それでも、今のマコにとっては大したことはないが。
博士が指で合図すると、助手がまたキーボードを操作し、容器の中の機械が光を発した。
《ふむ、通信できてるね。魔力は無関係か?》
独り言のような博士の言葉も翻訳してもらい、そこでやっと、機械の機能を理解した。要は容器の中と外で通信をして、外の機械から電波が届いた時に中の機械のLEDが点灯するのだろう。
《今度はそのまま、箱の魔力を濃くしてくれるかな》
LEDが点灯した。そのまま魔力を追加で注ぎ込み、濃度を高めてゆく。
最初の二倍ほどの濃度で魔力の注入を止める。
「どうですか?」
LEDは点灯したままなので、見れば解るのだが。
《ふーむ、変わらないな。これで限界かい?》
「もう少しは行けますけど、微々たるものですよ」
マコはサバを読んだ。
実際のところ、容器の中の魔力濃度はマコ体内の魔力濃度の数パーセントにしか過ぎない。皮膚という防壁がないからか、体外に放出した魔力を集めておく時の濃度は体内の半分程度だが、今の容器内の濃度よりはずっと濃くできる。
《そうか。それじゃ、箱の中の魔力を一気に何かに変換してくれないか?》
「えっと、米国に帰った人たちは魔法を使えないから、関係ないんじゃ?」
マコは首を傾げた。
《無意識の内に使っている可能性もあるからね》
そう言われて、さて、とマコは考える。炎や熱に変換したら、何しろこの濃度だ、何でできているかは知らないが容器が溶けてしまう可能性がある。中の受信機も無事では済まないだろう。
かと言って冷気に変えたら、冷やされた容器内の空気が収縮して、やはり容器が壊れるだろう。
電気に変えても受信機を壊しそうだし、力に変えても同じく破壊をもたらしそうだ。
ここはやはり、光への変換が無難だろう、とマコは結論付ける。しかし、この濃度の魔力を光に変えたら、失明するかもしれない。
「じゃ、光に変えます。ただ、このままだと多分みんな失明しちゃうと思うので、サングラスか何かを人数分お願いします」
《そうだね。よろしく》
博士の意を受けて、助手が部屋の隅にあったもう一つのテーブルに行き、上に置いてある箱の中から八個の保護眼鏡を取り出し、部屋のみんなに配った。予め用意してあったらしい。他にも色々と用意してあるのだろう。
マコは一旦魔力を引っ込めて、助手から受け取った、頭の後ろでベルトで止めるタイプの眼鏡を、しっかりと掛けた。
(対閃光防御、ヨシッ)
念話のために魔力の繋がっているフミコが吹き出しそうになるのを無視して、マコは再び容器の中に、先程と同じ濃度の魔力を注ぎ込む。
「それじゃ、やりますよ」
濃い色のレンズに阻まれて表情は良く判らないものの、博士は嬉しそうな顔をしている気がする。
《うん、やってくれ》
OKの返事を翻訳してもらって(これくらいは翻訳の必要はなかったが)、マコは容器の中の魔力を一気に光に変えた。濃いレンズ越しにも判るほどの光が容器の中に迸る。
一瞬で光が消えたことを確認して、マコは保護眼鏡を外した。容器の中では変わらず受信機のLEDが光を放っている。
《ふうむ、これでも駄目か。次は何が考えられるかな》
博士は顎に手を当てて考えた。




