6-0.帰れない日本人
異変の影響は、世界中に及んでいた。何しろ、一億八千万の市場が一夜にして消滅したのだ。
異変が起きた時、欧米の国々は昼過ぎから夕方の時間帯だった。日曜日で株式市場は開いていなかったため経済に影響が出るのは遅れたものの、翌日の取り引き開始と共に大荒れとなった。
情報だけは一足早く、異変の発生とほぼ同時に全世界に行き渡り大騒ぎとなった。何しろ、突然一切の通信が途絶えたのだ。現地が深夜だったとはいえ、オンラインのチャットやゲーム、ビデオ通話などで、外部との通信はそれまで一時も途絶えることはなかったのだから、騒ぎにならないわけがない。
各国の日本大使館には問い合わせが殺到したものの、大使館も持っている情報は民間人と大して変わらなかった。入国管理局には滞在期間の延長を求める日本人が殺到した。
日本と取り引きのある企業や、日本に本社のある企業が、いくつか潰れた。失業者が増え、世界経済は冷え込んだ。
行き場を失った日本人や韓国人は事実上の難民となったが、概ね滞在していた国で受け入れられたことは、彼らにとって不幸中の幸いだったかも知れない。肩身の狭い思いをすることにはなったとしても。
異変から時が過ぎても、情報は入って来なかった。米国、中国、それにロシアの各国は軍を使って調査しているものの、ほとんど情報は漏れて来ない。異変の起きた地域との通信ができないこと、異変の内側では通信を含めたインフラがほぼ壊滅していることくらいだ。他の国も水面下で調査しているだろうが、表に出ない活動で得られた結果が民間人に下りてくることはない。
無理に帰国しようとしても、空便も船便もすべて欠航していてはどうしようもない。
難民となった彼らは、母国の状態に不安を抱きつつも、慣れない外国での暮らしを続けるしかなかった。
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「本当にどうなっちまったんだろうな。もう三ヶ月も経つのに、目新しい情報の一つも出てこないなんて」
パリのレストランで愚痴る日本人。
「お前はいいよな。こっちで嫁さんもらって、国籍もこっちに移して、今更心配もないだろうけど」
「莫迦言え。俺にだって日本に両親もいれば妹夫婦だっているんだ。どうなってるか、気が気じゃないよ」
相手の男は少し怒ったように言った。その態度で、愚痴男も少し落ち着いたようだ。
「悪りい。お前のお陰で住むとこも見つかって仕事も何とかなってんのに」
「いいって。俺とお前の仲だろ。でも、本当にどうなってんだろうな」
「まったく。はぁ、四日の出張の予定がこんなことになるなんて、思いもしなかったよ」
「お前、奥さん臨月だっつってたよな」
「ああ。もう予定日は過ぎてんだよな。まだ二ヶ月あると思ってたのに、こんなことになるなんて。無事に産まれたかな。男の子かな。女の子かな。はぁ、早く帰りてーよ」
「早く帰れるといいな」
慰める男も、気持ちは同じだった。異変の少し前、妹が二人目の子供を身籠ったと連絡をもらったばかりだったから。
「そういや、新しい情報が一個あったな」
「何かあったか?」
「あくまでも噂レベルだが、通信障害の範囲が広がっているって話」
「ああ、そんな話あったな。でも、日本に帰れないのは同じだろ。もっと役に立つ情報はないのかよ」
「確かに役には立たないがね、この噂が万一にも事実だとしたら、ますます帰国は遠くなるぞ」
「何でだよ」
「日本で起きた異変が広がってるとしたら、いつか地球全体がこの異変で包まれるかも知れん。そうしたら、帰国どころか今の生活も危ぶまれるぞ」
「しかし、噂でしかないってことは、広がっているとしても微々たるもんだろ。地球が呑まれる前に問題が解決すると思いたいね」
「そりゃまあ、俺も同じ気持ちだけどな」




