5-8.自衛隊の訪問
自衛隊の一隊がマンションを訪れたと連絡が入った時、レイコは管理部の人々や集めた有志と共に、会議室の隅でマコの作った魔力懐炉を、各棟に配布するために別けているところだった。数はまだ充分とはいかないものの、寒さはそれなりに厳しくなっているので、できたものから配布した方がいい。
マコの作った魔力懐炉は、ほぼ完璧に同じ大きさに揃っていた。“ほぼ”と言うのは、入っていた四個の木箱ごとに、大きさの微妙な違いがあったからだ。一度に切り出すのは同じ大きさの方がやり易かったため、まとめて切り出した約千枚の鋼片はサイズが揃っていたが、別に切り出したものを比べると微妙な大きさの違いがある。魔力を〇・一ミリメートルの単位で操れるマコなら、きっちり揃えることも可能だっただろうが、そこまで気にしていなかった。ただし、厚みは〇・四ミリメートルに揃っている。懐炉の温度に関わってくるため、それだけは意識して揃えていた。
それよりも今は自衛隊だ。軍手を脱いだレイコは、彼らを会議室に案内するように言って、管理部の二人とマンションの管理人と共に、会議室の前のテーブルを動かして、臨時の打ち合わせに備えた。他の住民たちには魔力懐炉の仕分けを任せている。
できれば娘にも同席してもらいたいレイコだったが、マコは今、魔法教室の授業を行なっているので邪魔はできない。今日から別棟の住人を教えているので、教室もここではなく、別棟の部屋を借りている。
待つほどもなく、四人の自衛隊員が住民に案内されて会議室に入って来た。レイコたちも立ち上がって彼らを迎え、自己紹介を終えてから向かい合って席に着く。
「本日は、お聞きしているかと思うのですが、こちらで冬を越すための対策をしていると聞いて、その具体的な方法をご教示戴きたいと思い、お伺いした次第です」
自衛官の一人が、前置きもなく直截聞いた。初対面ながら、余計な駆け引きは不要な相手と判断したのだろう。レイコも、無駄に時間を費やすつもりはなかった。
「行なっているのは薪ストーブや暖炉を、作っている住居に備えることと、薪の確保です。これらは、恐らく他の集団も同じでしょう。わたしたち独自の取り組みとしては、魔力懐炉の生産があります」
「魔力回路?」
自衛官が首を傾げた。レイコが隣の管理部員に合図すると、彼女は仕分け作業をしている会議室の隅に行き、厚手の軍手をはめて魔力懐炉を何個か持って来ると、自衛官たちに一つずつ渡した。
「これは?」
「持ってみてください。重ねると、素手では熱くなることもありますが、一枚なら大丈夫です」
自衛官の四人が魔力懐炉を手に取った。
「暖かい、ですね。魔力“回路”ではなく、魔力“懐炉”ですか」
「はい。これを、出来上がったものからマンションの住民に一人当たり何個ずつか、配る予定です」
「“魔力”懐炉と仰いましたが、魔力を使えない人でも使えるのですか?」
別の自衛官が聞いた。
「ええ。魔力は誰にでもある、正確には、この異変が起きた時に異変の中にいた人には、誰にでもある、ということはご存知ですね?」
レイコの質問に、自衛官たちは頷いた。米軍基地に派遣されているシュリとスエノからの報告に含まれていたのだろう。
「詳しい原理はわたしにも解らないのですが、魔力を持ってさえいれば、これを使うことはできるそうです」
「どれくらいの時間、暖かいのですか?」
また別の自衛官が聞いた。
「使う人の魔力が続く限りいくらでも、だそうです。ただ、魔力の少ない人は温度が低かったり、魔力が尽きてしまう可能性もあるそうです。尽きたとしても、これを持っていなければ回復するそうですから、継続して使えない人でも断続的に使うことは可能です」
少しの時間、自衛官たちは互いに相談しあい、改めてレイコたちに向き直った。
「ご説明ありがとうございます。ところで折り入って相談なのですが……」
自衛官の言葉にレイコは、これからが本題だぞ、と気持ちを引き締める。
「……この、魔力懐炉を譲って戴けないでしょうか。もちろん、ただでとは言いません。我々の所有物に必要な物があれば提供しますし、我々にできることであれば協力は惜しみません。いかがでしょうか」
レイコは顎に手を当てて考えるようにしながらゆっくりと言った。
「そうですね……現在のところ、この魔力懐炉を作れる者が、一人しかいません。また、一日に作れる数も限られています」
実際、マコは約四千個を作ってみた結果、それが一日に作れる限界だと感じており、レイコに伝えていた。いや、“限界”と言うならこの倍、八千個は作れそうだが、気力を使い果たしてしまいそうだ、とマコは言っていた。彼女が、米軍基地で飛竜と対峙した後のようになってしまったら、マコが受け持っている仕事に支障が出てしまう。何より、マコの健康が心配になる。
「それに、材料も少ないので、他に回せる分まで作れるかどうか」
「材料は、何が必要なのですか?」
「鉄、鋼、ステンレスなど、鉄や、鉄を含む合金です。鉄でなくても、比重の大きい金属なら使えるそうです」
自衛官は手帳にメモしながら頷いた。
「それでしたら、こちらで手配できるかも知れません」
「それに、魔力懐炉の製作と引き換えに、提供戴きたいものもあります」
「何でしょうか」
「まず、保存の効く食糧。わたしたちでも食糧の生産や採取で確保しようとしてはいますが、冬の間、保つか判りません。それに各種調味料。こちらはまったく目処が立っていませんので。せめて塩だけでもなんとかなればと考えているのですが」
自衛官は手帳にメモしたレイコの言葉を睨みつけるようにしながら、考えている。
「実は現在、自衛隊の基地や駐屯地は、保存糧食のほとんどを周辺の町や村に供出している状況で、倉庫はほとんど空の状態です。多少の備蓄はありますが……」
「でしょうね」レイコもそれは予想していた。「不足分は、現金でも構いません」
「現金、ですか。日本円で?」
「はい」
「しかし、ほとんど使われていないのでは」
首を傾げる自衛官に、レイコは持論を説明した。通貨は政府が保証していなくとも、やり取りする人間の間で合意があれば有効であること、今、日本人の間で一番合意形成を取りやすい通貨は円であること、であれば、電子通貨が無意味になった以上、現金(円)による交易が最も効率的であること。
「それには、円がまだ有効であることを日本全国に広めなければなりません。それも、自衛隊にお願いしたいと考えています。わたしたちでは、周辺のコミュニティに細々と広めることしか出来ませんから」
「つまり、我々に現金での支払いと共に、日本円での貨幣経済を支えて欲しい、と」
「はい、そうです。加えて」
「まだあるんですか」
レイコの言葉を遮って自衛官が声を上げたが、レイコは気にせずに続けた。
「加えて、通信網の回復も進めて戴きたいのです」
「通信網の回復ですか。しかし、電波が通じませんがどうやって」
「もちろん、有線で。今、ここのマンション群を通信ケーブルで繋ぐ計画を立てています。周辺のコミュニティにも広げる予定ですが、これもやはり、わたしたちでは限界が見えています。自衛隊は、恐らく今の日本で最もフットワークの軽い、かつ全国的な組織でしょう。通貨の使用を広めると同時に、通信網も繋いで欲しいのです」
自衛官は腕を組んで唸った。しかし、それほど掛からずに頭を上げた。
「解りました。ここで即答はできませんが、駐屯地に持ち帰って上役に諮ります。が、恐らく良い返事をお伝えできるでしょう」
「ありがとうございます。それでは、詳細を詰めさせてください」
以後、魔力懐炉一枚の製作に対する対価をどれだけにするか、いつから自衛隊に提供する分の製作に入れるか、などを話し合った。
実のところ、自衛隊でも通信網の構築は検討が始められていた。レイコの提案により後戻りができなくなっただけなので、その分魔力懐炉の“対価”が自衛隊にとって減額されたようなものだ。
レイコにしても、自衛隊がそのように動いているだろうことは予想していた。それでも対価の一つとして通信網の回復を入れたのは、予想が外れていた場合に自衛隊の尻を叩くためだった。それに、目的が何であろうと、自衛隊が動けば治安も改善されるだろう、という目論見もあった。
何をするにしても、民間人だけでやるには手に余る。と言うより、手に負えない。せっかく向こうから来てくれたのだから、魔力懐炉を出汁にして、対価の名目の元に出来るだけ働いてもらおう、とレイコは考えたのだった。
そのためには、マコに魔力懐炉を大量生産してもらわなければならず、娘に対する申し訳のなさも感じるレイコだった。
(もっと効率良く魔法使いを増やせるとマコの負担も減るのだけれど。でも、その増員もマコ頼りなのよね。難しいわね)
何食わぬ顔で自衛官と交渉を進めているものの、レイコの悩みも尽きなかった。
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ひとまず交渉を纏めた自衛官が帰る時、レイコにもう一つの依頼をしてきた。
「そうだ。もう一つお願いしたいのですが」
「何でしょう?」
「ええとですね、自衛官の何人かに、魔力の使い方を教えて戴くわけにはいかないでしょうか?」
マコは今、魔法使いとしてマンションの住民たちから色々な期待を受けている。マンション内に魔法を広めるだけでも大変だ。即座に断ろうとして、しかし、とレイコは考えた。
(自衛官が自分たちで魔力懐炉を作れるようになれば、マコへの負担も減るわね……)
今のところ、魔道具を作れる魔法使いはマコだけだ。自衛官が魔力の使い方を覚えたとして、魔道具を作れるようになるかは判らない。けれど、一考の余地はある。
「そうですね、魔法を教えられる者が一人しかいないので、即答はできませんが、相談しておきます。次にいらっしゃる時には返事ができると思います」
「いい返事を期待しています」
自衛官は最後にそう言って、帰途に着いた。
彼らを見送るレイコには、まだまだ考えなければならないことが一杯だった。




