4-7.緊急事態?
レイコは、マコから齎された『魔法を使う動物が存在するらしい』という情報について良く良く吟味し、一先ず公表を避けることにした。
「けれど、定期的に注意は促すようにはするわ。ずっと遭遇しないままだと、その危険性を忘れるだろうし。それにしても」
中途半端に言葉を切ったレイコは、マコの顔をしみじみと見ると、溜息を吐いた。
「何よぉ」
マコは母の態度に軽く頬を膨らませた。
「何ってことはないけれどね、あんたも大概、怖いもの知らずよね」
「そうかな」
「そうよ。まったく、米軍相手に喧嘩吹っ掛けているようなものじゃないの」
「え? そう?」
「そりゃそうでしょ。機材を壊したり、機密事項を盗み聞きしたり。バレたら即刻牢屋行きよ」
「大丈夫。あっちが『ない』って断言したものしか壊してないし、機密だってあたしたちの目の前で話してたし、口止めもされてないし」
「それでもよ。まあね、向こうも迂闊と言えば迂闊だけれど、軍隊なんていざとなったら何するか解ったもんじゃないからね。いくらマコが魔法を使えても、数で攻めて来られたり、例えば誰かを人質に取られたりしたら、どうにもならないわよ」
「……はい。今後気を付けます」
マコは膨らませていた頬を萎めて、素直に頷いた。
「本当にね。マコ一人ならまだしも、粕河さんのお嬢さんも一緒なのだから」
「うん。そうだよね……」
レイコに言われて、マコは自分の渡っている橋が思っていたよりも脆いものであることを初めて自覚した。
(それでも、今のところは大丈夫、だよね? 監視カメラのことは何も言って来ないし、直されてもいないし)
火吹き大トカゲの話も、『レイコちゃんに相談するまでは内緒』とフミコに言ってはいたが、深く考えてのことではなかった。今後はもっと良く考えて行動しよう、フミコさんとも改めて口裏を合わせておかないと、と今更ながらに思うマコだった。
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魔法教室は、第一期の授業経過を元に、一期を二週間として授業計画を立てている。しかし、米軍基地への訪問が入ることで、第四期の授業は三週間に計画を変更した。生徒たちにとっては、第三期までは週一日の休日が週三日に増えたことになる。そのことが良い方向に働いているのか、第四期の生徒たちはそれまでの生徒たちよりも上達が早いように見えた。休日が多い分、習ったことを反芻する時間を多く取れていることがいいのかも知れない。米軍基地への訪問が終わった後も、魔法教室は週休三日にした方がいいかも知れない、と最近マコは考えている。
三回目に米軍基地に降り立った時、基地の様子が今までとどこか違っていた。遠くに見える倉庫──格納庫?──の前が慌ただしい気がする。
「何かあるんですか?」
マコは付き添っている自衛官のシュリに聞いた。
「そのようね。私たちもここでは他所様だから、すべての行動計画を知らされているわけではないけれど」
「そうなんですか」
「ええ。でも、あなたたちには関係しない計画ね。関係するなら知らせてくるはずだから」
それもそうか、とマコは気持ちを切り替えて、いつもの建物にフミコと二人の自衛官と共に入った。
三日目の今日は、これまでの身体検査の結果と魔法使用時の収集データの確認から始まった。最初から博士も立ち会っている。
「身体検査の結果、本条さんの身体は一般の人々と何ら変わらないことが確認できました」
今日は、スエノが翻訳を担当してくれている。解説してくれているのは、医師の書いたのだろう報告書だ。ごく当たり前の女子高校生なのだから、一般の人と変わらないのは当然だろう、とマコは思う。
「魔力を使うための特別な器官が発生しているなどと言うこともなかったそうよ」
そう言うことなら、わからないでもない。考えてみれば、動植物があれだけ変わっているのだから、人間も“人間に似た別の生物”に変化していたとしても不思議ではない。
しかしこれで、異世界の人間とこの世界の人間はまったく同じ存在だと言うことになる。……魔力以外は。そして、それを検知する方法を、人類は、少なくとも米軍は、持っていない。
《それからこれが、キミが魔法を使った時のデータなんだがね》
次に、マッドサイエンティストが口を開いた。
《センサーは、空間に何の変化も捉えていないね。もちろん、光を出した時には光度計は反応しているし、火を出した時には周辺の温度は上がっている》
ノートパソコンに映したグラフを示しながら、博士は言った。マコはスエノの訳してくれる言葉を聞いて頷く。
《しかしねぇ、炎ってのは何かが燃焼することで発生するものなんだ。ところが、何が燃焼しているのかまったくわからない。検知できないんだ。部屋の中の空気を調べても、常態で燃焼するような元素は見つかっていないし、炎が現れる前に大気組成が変わったという事実もない。
変わっていないと言えば光った時も同じだ。光を発するようなものは何もないのに、何故か空間に光が現れている。
何も存在しないにも関わらず、炎も光も現れているということは、そこに現代の科学では検出できない何かが確実にあるということで、それを解明することで人類の科学は更なる……》
《博士、すみません、落ち着いて》
途中から機関銃のように止まらなくなったマッド博士の勢いにマコは目を白黒させ、翻訳をしていたスエノも付いて行けなくなったらしく、訳が追い付かなくなっていた。それに気付いた女性下士官の一人が苦笑しながら博士を遮ってくれた。
《ん? あ、ああ、すまん。興奮してしまった。何しろ大発見なもんだから》
こほんと咳払いをして、一先ずは落ち着いたようだ。
《それからこれだ》
博士がキーボードを叩くと、表示されているグラフが変わった。人の頭部の線画も表示されている。
《あー、ノートPCが一台だけというのは不便極まりないな。でだ。これが、キミが魔力を操作した時の脳波だ。身体を動かすと脳の特定の部分が反応する。いや、実際は逆だが、今は五体と脳の特定部位が結び付いていることが解っていればいい。それでだね、キミが右手に魔力を出すと、脳の右手を司る部分が反応するんだ。この時、腕の筋肉には反応がない。つまり、キミは右手を動かす感覚で魔力を操作していることになる》
マコには、魔力を操作する時に身体を動かしているという感覚はないが、そういうことらしい。
マコは、魔力を操作する時、体表面に意識を集中している。大体の魔法は、体表面の魔力を使うだけで事足りる。それで足りない場合には体内の魔力を外に出して使う。
実験での魔法の使用では、体表面の魔力を使っただけだ。その時に脳が手を動かすのと同じ反応を示したと言うのなら、体内の魔力を操作した時にはどこが反応するのだろう。
しかし、魔法を使う時に脳のどこを使っているか、などは自分にとってはどうでもいいことだ、とマコは考え直す。手を動かす時に脳のどこを使っているか、など知らないのだから。マッドサイエンティストには必要な情報かも知れないが。
《そこでだね、午後からはまた魔法を使った時の脳波を測らせて欲しい》
「え゛……またあの服を着るんですか……」
一日目に着た、身体にフィットするあの服をもう一度着るのは避けたいマコだった。
「大丈夫、今度は脳波だけだそうよ」
マコの様子に何を考えているのか解ったのだろう。スエノが笑いながら博士の言葉を翻訳してくれた。その言葉に、マコは胸を撫で下ろした。その様子がよほど可笑しかったのだろう、フミコが隣でくすくすと笑った。
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いつもの六人で昼食を摂った後、マコがフミコと共に案内された部屋には、テーブルの上に直方体のガラスケースが何個か置かれている。
「まずは脳波を測るための電極を付けさせてもらいます」
シュリの言葉に、マコはまたかと思いつつも、脳波測定することは聞いていたので何も言わずに頷いただけで、白衣を着た女性に電極をつけられるままになっていた。
しかし、装着したそれらはすぐに外されることになる。
実験を始めようとした時、部屋の扉が慌ただしくノックされた。女性下士官の一人が立ち上がって扉を開けると、その場で二言三言言葉を交わし、足早に戻って来た。
《博士、緊急事態です。すみませんが今日の実験は延期します》「マコさん、すみまセン。緊急事態が発生しまシタ。自衛隊の方と一旦部屋にお戻りくだサイ」
英語と日本語で早口で言うと、白衣の女性に電極を外すよう指示し、自衛官二人にも何か伝えている。マッドサイエンティストが苦言を呈したようだが、もう一人の下士官が有無を言わさず椅子から立ち上がらせて引き摺って行った。
マコも電極を外されると、フミコと一緒に自衛官二人に連れられて、基地に来た時に最初に入る待機用の部屋へと戻った。
「いつでも外に出られるようにしておいて」
部屋の入口で、シュリが言った。
「あの、何があったんですか?」
「詳細は不明だけれど、危険生物が基地内に入ったらしいわ。場合によっては移動するから、荷物を纏めておいて」
マコの質問にそれだけ答えると、自衛官二人は慌ただしく部屋を出て、扉を閉めた。
荷物と言っても二人とも布製のポーチだけだ。元は肩から掛けるしかできなかったものを、キヨミに頼んでウェストポーチとしても使えるようにしてもらっている。
ポーチを腰に巻いた二人がソファーに浅く座って静かにしていると、外から音が聞こえて来る。銃声だろうか。二人が不安を抱きつつも待っていると、ノックの後、返事を待たずに扉が開かれた。
「二人とも、すぐに来て。移動するわ」
マコとフミコは、シュリとスエノに前後を挟まれて、どこからともなく聞こえて来る銃声を耳にしつつ、廊下を歩いて行った。




