4-4.到着
小学校の校庭に描かれた大きな円の中央に、ヘリコプターは着陸した。先日ほどの埃は立ち上らない。到着の前に、マコが校庭のかなり広範囲に渡って地上付近の空気を冷やし、大気中の水蒸気を凝結させて地面を湿らせておいた。ヘリコプターが遠くに見えた時、(埃が舞うのは嫌だな)と思った一瞬で湿らせたので、ヘリコプターに気を取られていた人々はいつ散水されたのかも判らなかっただろう。地面が濡れたことにすら気付かない人もいたかも知れない。
ヘリコプターからまず降りたのは小銃を持った二人の男性兵士。先日と同じように開いた扉の左右に直立不動の姿勢で控える。そういう規則なんだろうな、とマコは思った。
続いて降りたのは先日の会談で主に対応していた日本語の話せる女性軍人。さらにその後ろから、女性軍人が二人、校庭に降り立った。
(あれ?)
マコは首を傾げた。最後に降りて来た二人の軍服は、最初の兵士や女性軍人とは意匠が違っている。それに、顔立ちがどう見ても日本人だ。
「本日カラ、ヨロシクお願いしマス」
女性軍人が、まずレイコに手を差し出した。
「娘をよろしくお願いします。あの、そちらの方々は自衛隊の方ですか?」
レイコが、マコも気になっていたことを聞いてくれた。
「ハイ。基地にイル間、日本人がタイオウした方がヨイかと思い、協力をヨウセイしました」
「ご配慮戴き、ありがとうございます」
レイコは礼を言って、澁皮シュリと矢樹原スエノと名乗った二人の自衛官とも挨拶を交わした。
続いてマコ、フミコ、フミコの両親が握手する。
「直ぐにも出発しタイノですが、準ビはヨロシイですか?」
米女性軍人が言った。
「はい、あたしは大丈夫です」
「気を付けてね」
マコが頷くと、レイコが娘の肩に手を置いて頷いた。
フミコも両親と別れの挨拶をしている。別れると言っても、今日の夕方には帰って来るのだからそこまで心配しなくても、とマコは思うが、米軍基地という未知の世界に娘が行くことを心配しているのだろう。
「先生、頑張って来てね」
レイコと一緒に見送りに来ていたヨシエが無邪気に微笑んだ。本来なら小学生はこの時間、教育を受けているのだが、普段大人しいヨシエにしては珍しく、どうしても見送りたい、と我儘を言った。何故だろう?と思ったマコが聞いたところ、前日のベッドの中で『ヘリコプターを近くで見たい』と何とも可愛らしいと言うか女の子らしくないと言うか、そんなことを小さな声で告白されたのだった。見かけによらず、こういうものが好きらしい。
マコは膝を屈めてヨシエの耳に口を寄せ、「良かったね、ヘリコプター見られて」と囁くと、恥ずかしそうに俯いた。着ている服の可愛らしさも相まって、地上に降りた天使のように愛らしい。
ヨシエが今着ている服は、以前から持っている彼女の小さくなった服を、キヨミが仕立て直したものだ。この服を母親や姉に内緒で本条家に持ち込んでいたヨシエは、余程この服を気に入っているらしく、これを見つけた母に「もう着られないんだから元の家に置いて来なさい」と言われても嫌だと駄々を捏ね、見かねたマコがキヨミに頼んで、今のヨシエの体形に合わせて仕立て直して貰ったのだった。
デザインが多少変わったものの、仕上がりにヨシエも満足して、最近はよくこの服を着ている。娘の喜ぶ様子にその母親もキヨミに礼を言ったが、後に彼女が有名なファッションブランド《Pure Beauty》のデザイナーだと知ると、目を白黒させて、キヨミに代金を支払おうとした。しかし、最初はぽかんとしたキヨミは、事態を理解すると「元の服を直しただけなんだから気にしないで」と笑って言っていた。
恥ずかしそうに俯くヨシエの服を見ながらその時のことを思い出している内に、米軍人たちは痺れを切らしたらしく、彼女は再度マコとフミコを促した。宿泊するのならまだしも、日帰りなのだから出発時間をそれほど遅らせたくないのだろう。
マコとフミコは、見送りの人たちに出発の挨拶をして、ヘリコプターに乗り込んだ。
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「うわぁ、結構高いねぇ」
「ほんと。一キロメートルくらい?」
フミコが感嘆の声を上げ、マコも自分たちの住む街を見下ろす。
「高度はだいたい、四百メートルよ」
自衛官のシュリが教えてくれた。鯖を読みすぎたマコは恥ずかしくなったが、知らないのだから仕方がないと開き直ることにした。
「見かけほどは高くないんですね」
「人は慣れない景色を前にすると、割合簡単に距離感がなくなるからね」
そんなものかな、とマコは思う。確かに、山に向かう自動車に乗っていると、すぐ目の前に見えてなかなか辿り着けない、という経験はマコにもあった。
「でもちょっと怖いな。この高さから落ちたら確実に死んじゃうよね」
フミコが心持ち不安そうに呟いた。
「大丈夫。そうそう落ちる事なんてないし、もし万一のことがあってもフミコさんのことはあたしが守りますから」
高々四百メートルだ。外に放り出されても、まず二人の身体を魔力で覆って上向きの力に変えて時間を稼ぎ、地上まで魔力を伸ばして瞬間移動すればいい。他人も一緒に瞬間移動するには相手の身体に直接触れる必要があるから、ヘリコプターに乗っている全員を助けるのは無理だが、フミコだけなら問題ない。軍人と自衛官は、戦闘のプロであると同時に生き残ることにかけてもプロなのだろうから、何かあっても自分たちで対処してもらうべきだろう。マコが守るのは、ここではフミコだけでいい。
「頼もしいボディーガードね」
スエノが目元を緩めて言った。
「マコちゃんは今のところ、世界最強の魔法使いですから」
フミコが自慢そうに言った。
「最強って言っても、他に魔法使いがいないからですけどね」
マコは照れたように頭を掻いた。
そんな二人の微笑ましい様子を、女性自衛官たちは優しく見守っていた。
しかし、マコはただ漫然と座っているわけではなかった。座席に座ったまま魔力を周囲に伸ばし、米軍人たちと自衛官に触れる。
自衛官のシュリとスエノは身体に魔力を纏っており、その厚みは二ミリメートルほど。当然、接触していない今は体内へと魔力を侵入させることはできない。
しかし、女性軍人(士官かな?とマコは思った)と銃を持った二人の兵士、それにヘリコプターの操縦士二人の体表には、魔力の欠片も存在しなかった。そのまま、体内にも魔力を入れてゆける。体内にも、魔力はまったく感じられない。
(と言うことは)マコは考えた。(ここにいる五人の米軍の人たちは、異世界が転移して来た時には日本にいなかったんだ。それで、魔力は元々人間が持っていたわけじゃなくて、転移して来た異世界の住人、だけじゃない、生物特有のものということ。だから、日本にいた自衛官の二人は魔力を持っていて、米軍の人たちは持っていない。異世界転移の影響で今まで感じなかった魔力を感じられるようになっただけなら、軍人さんたちにも魔力があるはずだもんね)
くぅ、っとマコのお腹が鳴った。慌てて左右を見るが、聞き咎めた者はいないようだ。マコは胸を撫で下ろす。
(検査するからって、昨夜から食べてないんだもんね。はぁ、ごはん食べたい)
腹の虫を押え込む気持ちで、マコは目的地への到着を待った。
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数十キロメートルの距離を、ヘリコプターは十五分足らずの時間で飛び切った。ヘリコプターが地上に下り切る前に、近くの建物から数人の人々が出て来て着陸を待っていた。
扉が開くと、例によって二人の兵士が飛び降りて扉の左右に展開し、その後に降りた女性士官とシュリに続いて、マコとフミコも米軍基地に初めて降り立った。
マコは、巨大な城のような建造物が建ち並ぶ景色を想像していたが、並んだ建物は二階建か精々三階建の高さしかない。後ろを振り返ると広大な敷地に何十機もの航空機が並んでいる。建物の方はともかく、滑走路の広さと整列した航空機の威容に、マコは息を呑んだ。
《どちらの娘が魔法使いだね?》
誰かが英語で話す声が聞こえて、マコは前方に向き直った。目の前の白衣を羽織った男性が言ったらしい。何と言ったのだろう? “うぃざーど”と言う単語が聞こえなような、聞こえなかったような。
「ちょっと聞き取り難いけど、『魔法使いは誰だ』って」
フミコが耳打ちしてくれた。それなら、と挙手しようとしたが、その前に女性士官がマコの横に立って答えた。
《この娘が魔法の遣い手です》
《おおっ、君がっ。早速魔法を使って見せてくれたまえ》
早口で喋られて、何を言っているのか解らない。元々英語はからっきしのマコだが、部分的に単語を拾うことすらできない。解ったのは、どうやらこの、髪の白くなり始めた、黙っていればそこそこハンサムな男性が、マッドサイエンティストらしい、と言うことだけだった。
《博士、そう言うことは部屋に落ち着いてからにしてください》
《堅いこと言いなさんな。魔法だよ、魔法。この世界の科学では今までにあり得なかった現象っ。見るだけでも早く見たいじゃないかっ》
落ち着いた様子の女性士官と興奮するマッドサイエンティストの温度差が凄いなぁ、などとマコは思った。
「本条さん、この方が魔法を見せて欲しいのですって」
スエノが笑いを圧し殺しながら通訳してくれた。女性士官の言葉は兎も角、立て板に水の如く喋り続けるマッドサイエンティストの言葉はフミコにも聞き取れないらしく、呆気に取られている。
「魔法ですね。解りました」
マコは掌を出し、魔力を棒状に伸ばすと、少し考えてから光に変えた。斜めに倒した光の棒を、くるくると回す。最初に米軍機にコンタクトを取った時の魔法の再現だ。規模は棒と針以上に違うが。
《おおっ、素晴らしいっ。君、これ、どうやって光らせているんだね?》
詰め寄られたマコは思わず後退った。集中が途切れて光が消える。
《博士、後は施設に入ってからで》「それデハ、マコさん、フミコさん、ご案内シます」
女性士官に促されて、一同は一番近くの建物に入って行った。降ろした人々が離れるのを待っていたように、彼らの後ろでヘリコプターは再び上空へと昇っていった。