3-9.弟子の成長、生活環境の成長
マコにできて生徒にできなかった魔法の使い方は、どちらも生徒が自ら解決手段を発見した。
「先生っ、瞬間移動できましたっ」
マコが授業のために会議室に行くと、満面の笑みを浮かべたジロウに迎えられた。
「え? できた? やって見せて」
他の生徒も見守る中、テーブルの上に置かれた消しゴムが、ジロウの右手の前から左手の前に一瞬で移動した。
「おおっ、すげぇっ」
「ジロウくん、やったじゃないっ」
「まだこの距離しかできないから、役に立たないけどね」
褒め称える他の生徒たちに、ジロウは照れ隠しのように頭を掻いた。
「役に立たないってことないよ。ガラスや柵の向こうの物を取れるもの。でもどうやったら出来たの?」
マコの質問に、ジロウは誇らしそうに口を開いた。
「えーっとですね、右手と左手を魔力で繋いだんです。先生と違って転送元と転送先が離れていると無理っぽくて」
テーブルの上に置いた右手と左手は近いが、魔力は右腕から両肩を通して左腕まで、一メートル程は離れているだろう。けれど、テーブルの上で両手を直接魔力で繋げば、距離は二十センチメートル程度になる。
マコは、自分の魔力の届く範囲であればどこまででも瞬間移動が可能だったから、魔力が届けば距離は無関係と思っていた。しかし、実際のところ転送元と先を結ぶ魔力の距離が関係するようだ。
ただ、ヨシエはジロウと同じ要領で瞬間移動をできるようになったが、他の三人はできなかった。距離以外の何か、あるいは個人の資質が関係しているのかもしれない。
その翌々日、会議室に入ったマコの頭に声が響いた。
〈先生、聞こえる?〉
はっとして生徒たちを見回すマコ。その一人と目が合う。
〈今の、ヨシエちゃん?〉
〈うんっ〉
〈どうやったの?〉
〈えーとね〉
「先生、何で黙ってるん?」
普段はまず挨拶をするマコが黙ったままなことを不審に思ったムクオが声を掛けた。
「え? ああ、ごめんね。ヨシエちゃんが、念話できるようになったんだって。今二人でちょっと話してたの」
「ほんとっ」
イツミが詰め寄った。ヨシエはこくりと頷く。
「どうやったのっ」
イツミも念話(遠話)を希望していたからか、喰い付きが凄い。
「はいはい、慌てない。えっと、それじゃ、ヨシエちゃん、念話でイツミちゃんにどうやったか説明して、イツミちゃんがみんなに声で伝えて」
こくりと頷いたヨシエは、イツミをじっと見る。
「え? あ、うん」
驚いたように声を出したイツミはすぐに口を噤み、ヨシエを見つめて無言で会話をしている。はずだ。
しばらくして、イツミがヨシエから目を離し、みんなを振り返った。ヨシエは脱力して椅子の背に凭れている。会話の間、魔力を使うためにずっと意識を集中していて疲れたのだろうが、それにしても疲労の度合いが大きいようにマコには見える。
「えっと、ヨシエちゃんは魔力をたくさん使って濃くしたら、他の人の魔力や物が判るようになったんだって。それで、同じくらい濃くした魔力でアタシの頭を包んだら、話せるようになったって」
「なるほど。二人ともありがとう」
マコは、光や炎に変える時はともかく、魔力で物を触る時には魔力濃度を意識していなかった。普段から濃いのか、それとも感度の違いかもしれない。
その日の授業は、放出した魔力で触れた物を感じ取れるまで濃度を上げる練習に費やすことにした。
生徒たちの様子を触手のように伸ばした魔力で探ると、生徒たちに比べてマコが体表面に纏っている魔力は普段から濃いようだ。そのため、意識することなく魔力で物を感じ取れるらしい。
それに、ヨシエが念話を使う時、マコが普段纏っている魔力よりもずっと濃くしていた。慣れもあるかもしれないが、マコは生徒たちに比べて、魔力に対する感度も高いようだ。
魔力の濃度を上げることで触れた物を感知する、という使い方も、マコを例に出すまでもなく個人差があるらしく、それができた生徒はヨシエの他にはミツヨだけだった。しかし、ヨシエの次に念話を使えるようになったのはジロウで、瞬間移動に引き続き、個人差が如実に現れる結果となった。
(人によって、できることが違うってことだよねぇ。うーん、それなら、あたしにできない魔力を水に変えることも、できる人もいるかもしれない……そうすると、教え方も考えないといけないかなぁ)
生徒たちの成長を見守りつつ、今後増やさざるを得ないだろう生徒たちへの授業方法について悩んでいた。
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同居することになった家族が本条家にやって来た。
数日前にレイコから「同居が決まったわ。二十三階の明坂さんよ。奥さんと、お嬢さんが二人。下のお嬢さんはマコと同じ部屋で暮らしてもらうわね」と言われて、顔をしかめつつも仕方がないと諦め、(明坂さん? どっかで聞いたような……)と考えているマコは、レイコから笑いながら「魔法教室の生徒さんでしょ」と言われて、“明坂”がヨシエの苗字であることに思い至った。
「先生、これからよろしくお願いします」
本条家に来た三人が玄関で揃って挨拶した後、家族と離れてマコの部屋に案内されたヨシエは、普段よりずっと大きな声で改めてマコに挨拶した。
「うん、よろしくね。えっと、机一つしかないからテーブルだけど、大丈夫かな? あと、ベッドあたしと一緒だけど」
ヨシエはこくりと頷く。
「始めはいろいろと大変だろうけど、少しずつ改善していこう。あと、お母さんとお姉さんのお布団、まだ持って来てないんだよね。先に持って来た方がいいだろうから、ちょっと行ってくるよ。自分の荷物片付けておいて」
ヨシエが頷いたのを確認して、昨日までに片付けた、元々物置として使っていた部屋に向かった。
ヨシエの母と歳の離れた姉は、扉を開け放したまま荷物を整理していた。マコが声を掛けると、手を止めて改めて挨拶した。それを済ませてから、マコは用件を切り出す。
「お布団とかベッドとか、大きな物があれば先に持って来た方がいいと思うので、運びに来たんですけど」
「ありがとうございます。でも、大変なので後で男の人に頼んで運んで貰おうと思うので」
ヨシエの母が言った。なお、異変が起きた時にはヨシエの父は遠方へ出張中だったため、連絡も取れないらしい。他にもそういう家族は多くいるだろう。
「あ、あたしが魔法で移動させますから、どの部屋にあるかだけ教えて貰えれば」
「でも、大変じゃありませんか? 重いですし」
「大丈夫ですよ。それに、持ち上げるなら兎も角、瞬間移動なら重さはあまり関係ないですし」
遠慮する二人を説得して、明坂家から移動させる物を聞くと、魔力を二十三階へと伸ばした。十三階の機械室を挟んで上下の階で部屋のレイアウトが異なるため、持ち込む荷物を探すのに苦労するかと思ったが、明坂家は綺麗に整頓されていたので、指示された寝具はすぐに見つかった。
「じゃ、移動させます。あ、もう少し下がってください。ベッドの足がここまでくるので」
次の瞬間には、明坂母娘の前に今まで使っていた寝具が現れた。
「……ヨシエから聞いていましたが、マコさんは凄いですね。こんなに大きな物を一瞬で……」
「いや、あたしは最初の内に魔法に気付いたから、単に練習量の差ですよ。それだけじゃないかも知れないけど、兎に角それが大きいです。ヨシエちゃんも、その内できるようになりますって」
その後も、食事をマコが魔法で作るところを見てまた感心され、ヨシエは瞳を輝かせた。今は火を使おうと思ったら、七輪でも無い限り、広場に作られた共同の竃を使わなければならないのだから。
それもその内、改善されて行くはずだ。広場に簡易住宅を建てる予定だし、そうなれば家に竃も作れるだろう。魔法を使える者が増えれば竃すら不要になるかも知れない。それはこれからの住民たちの頑張り次第だ。
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広場の隅から、家が建てられ始めた。丸太小屋、ログハウスだ。当初は日本家屋を建てる予定だったそうだが、丸太を柱に加工する手間を省くために方針を変更したらしい。
予定より早くから建築が始まったのは、マコが木材の乾燥に協力したためだ。乾燥のために積まれている丸太を丸々魔力で包み込み、温度を上げて乾燥させる。燃えださないように温度を控えめにしたので二週間も掛かったが、乾燥した木材は大工と住民の有志たちの手で住宅へと姿を変えていった。
広場の片隅には畑が作られ、何種類かの芋が栽培されている。土地が痩せていても育ちやすいと言うことで選ばれたものの、芋自体が変化しているため今後の成長を見守らないと何とも言えない。それでも、何ごとも試さなければ食事情は悪くなるばかりだ。まずはやってみよう、と言うことで始められた。
近くを流れる川から用水路が掘られ、広場を突っ切るその水路に沿って公共のトイレが作られてた。今まではマンション内の水洗トイレで用を足し、タンクに水を手作業で入れていたので、外で住んでいる住民たちはかなり喜んでいた。
さらに、小学生たちへの教育も実施された。教師はマンションに居住する本職の教師に頼んだが、それだけでは足りず、高校生・大学生から有志を募っている。義務教育である中学生への授業も検討されたが、指導者の不足で実現には至っていない。今後の課題だ。
これらの生活環境の改善は、レイコの主導の下、管理メンバーに名乗りを上げた人々が中心になり、マコの住む棟だけでなく、他の七棟も一緒になって進められている。以前の生活を回復するには至らないが、新しい生活が徐々に形になってきている。
マコは、魔法の伝授と伐倒や狩猟の手伝いを続けている。小学生教育が始まったため、魔法教室の時間を午後に変更し、新しい生徒たちを選び、魔法を教えている。尤も、教師役がマコしかいないため、なかなか捗が行かないが、少しずつ魔法使い人口も増えている。
以前の便利な暮らしには比ぶべくもないものの、新しい日常に人々が慣れて来た頃、それは起きた。