3-4.計画の繰り上げ
その日の住民会議で、いつものように管理人の開始の挨拶の後を丸投げされたレイコは、計画の一部繰り上げを提案した。
「昨日、高齢のご夫婦がお亡くなりになったことは、皆さんご存知のことと思います」
そう切り出したレイコはここで一旦言葉を切り、短い黙祷を捧げ、それから目を開いた。
「今のままでは、同じようなことがまた起きるでしょう。いえ、それが起きないように手を打って来たのですが、それでもお亡くなりになった方がいると言うことは、今のままでは対策が不充分と言わざるを得ません。この件については、本当に申し訳もございません」
レイコは深々と頭を下げた。
「いや、本条さんは、それに他の運営の人たちも、良くやってくれてるよ。あんたらが積極的に動いてくれなきゃ、今頃何人が飢えてたか」
会議に参加している一人が言った。それに同意の声もちらほらと上がる。
「ありがとうございます。そう言って戴けると、少しは気持ちも軽くなります。しかし、人が亡くなってしまったのは事実です。そのため、これからの計画を繰り上げようと思います。具体的には、以前にもお話しした広場への簡易住居の建設と、十二階以下の居宅の共同使用を早めると言うことです」
参加者の一人が手を上げ、レイコが促すのを待たずに立ち上がって発言を始めた。簡易住宅の建設計画を担っている大工だ。
「しかし、それほど前倒しはできませんよ。先日、何本か木を切って乾燥させてますがね、自然乾燥では普通は半年以上は必要ですし、ホームセンターから使えそうな木材を買い取っても来ましたが充分とは言えませんし。
それに人材の問題もあります。このマンションで大工は俺一人だそうだし、募って戴いた人材もいますが素人ですから、すぐに家を建てるってわけにもいきませんし」
「そうですか……最初のうちは、後で建て替えることを前提として、というのも無理ですか?」
「そうですね……いや、難しいと思いますよ。充分に乾燥させないと虫が湧きますから、住むのに支障も出るでしょうし」
「そうですか……一先ず、木材の確保はお願いします。なるべく早く建設できるように」
レイコの依頼に、大工は頷いた。
「では先ずは、十二階以下での同居の推進ですね。それから、すでに進めていますが、可能な方は広場でのテント生活の継続もお願いします。ただし、簡易住宅の建設予定地へのテントの設置は禁止、設置した場合は近い将来、強制退去して戴く場合もある、とします。
次に食料の調達ですが、今後農家からの供給が難しくなることを考えて、採集と狩猟を強化します。当初の予定したように広場の一部に畑を作れれば良かったのですが……」
「それは難しそうです」
運営側としても活動している、近くの農地を家庭菜園として借りている住人がレイコの後を続けた。
「もともと農地として使われていたわけではないので、そもそも土が悪いんですよ。踏み固められてもいますし。農地にするなら数年単位での改良が必要でしょう。肥料も少ないですし。むしろ、裏山を少し切り崩した方が早いかも知れません。土質を調べていないのでなんとも言えませんが」
「今は裏山の幸に期待するしかありませんね」
その他にも、これまでの方針の微調整や、新しく試すことを決めてゆく。世界が変わって二週間が経ったが、課題はまだまだ多い。
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「マコ、ちょっといいかしら」
「なあに」
相変わらず魔法の練習に余念のないマコの部屋に、レイコがやって来た。レイコはマコのベッドに座り込むと、用件を話す前に溜息を吐いた。
「レイコちゃん大丈夫? 疲れてるみたいだけど」
「ええ、大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。慣れないことをしているから」
社長として従業員を纏めていたとは言え、地域の纏め、いわば行政の分野では、また違った能力を必要とするのだろう。マコは椅子から下りてベッドに乗り、レイコの後ろに座って肩を揉んだ。
「結構凝ってるね」
「ありがとう。はぁ、気持ちいい」
「いつでも揉んであげるから、遠慮しないでよ」
そう言いつつ、今までレイコちゃんの肩を揉むことなんてなかったのにな、とマコは思った。自分で主導しているとは言え、慣れない仕事に余程疲労が溜まっているのだろう。
「それで、なんか用事?」
「はぁ、ええ、マコにお願いがあるんだけれど。可能なら、だけれど」
「何?」
「魔法で木を切り倒すって、できるかしら?」
「はい?」
マコの頭に疑問符が踊った。魔力で形作ったわけではなく、脳内に。
「木を切る……うーん、多分、できる、かな?」
魔力を木に当てて力に変換すれば、斧で切りつけたのと同じ効果を及ぼせるとマコは想像した。
「それなら、裏山で住宅用の木を切る手伝いをして欲しいんだけれど」
「ええっ?」
「嫌?」
マコは即答せずに考えた。嫌かどうかと聞かれれば、もちろん嫌だ。何しろ引き籠もりだし。しかも行くのはマコ一人というわけにはいかないだろう。そもそもマコには、どんな木が建材に適しているのか判らないし。
でも、とマコは母の肩を揉みながら考える。レイコちゃんはこんなに頑張っているのだから、あたしも力を貸さないと駄目だよね。今はみんな、協力しないといけない時だし。
「うん、解った。行く」
「ごめんね、無理言っちゃって」
「ううん、レイコちゃんに比べれば大したことないよ。あ、行くなら明後日以降でもいいかな。あと、魔法教えてる子たちも連れて行きたいんだけど」
「え……それは、どうして?」
レイコは一瞬、否定しかけたようだが、それをやめて理由を聞いた。
「うんと、明後日からって言うのは、木を切るのに使う魔法を明日教えるつもりなんだよね。それと、連れて行きたいのは、魔法を実際に使うところを見せたくて」
「なるほどね……」
レイコは少し考えてから答えた。
「いいわ、一緒に行く人にはわたしから伝える。けれど、怪我させないようにしてね? もちろん、マコも怪我しないように」
「うん、それは充分気を付ける」
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翌日の魔法の授業までには、生徒たちはみんな光球をある程度は維持することができるようになっていた。ムクオとイツミは五秒程度の短時間だが、今後も練習を積んでいけば時間も伸ばせるだろう。他の三人はみんな三十秒以上、発光を維持している。特にヨシエは一分間も光の玉を浮かべて見せた。
「おお、みんな成長が早いね。これなら次のもすぐにマスターできそうだね」
マコは笑顔で言った。
「次は何を教えてくれるんですか?」
ジロウが言った。
「次はねぇ、念動力かな」
「念動力?ですか?」
ミツヨが聞く。
「うん、そう。えーと」
マコは黒板に横線を引き、その上に鉛筆を描いた。
「はい、これがテーブルで、載ってるのが鉛筆ね」
「先生、鉛筆に見えませんっ」
ムクオが茶々を入れる。
「細かいことは言わないの。図工の授業じゃないんだから、あたしの絵が下手なことには突っ込まない」
みんな笑った。
「で、指を近付けて、魔力を出します。出した魔力を鉛筆の下に薄く敷いて」
指先を描き、別の色のチョークで魔力を示し、指先から伸ばして鉛筆の下に敷き詰める。
「この魔力を上向きの運動エネルギーに変換します」
「先生、運動エネルギーって?」
イツミが質問した。
「うーんと、習うのは中学でだっけ。運動エネルギーって言うのは、物が動く時にその物が持つエネルギー。解るかな?」
しかし、マコの雑な説明では理解できなかったようで、小学生組三人は首を傾げている。
「えーと、どう説明すればいいかな。ミツヨちゃんとジロウくんは解るよね?」
「はい。物理の授業で習ったので。でも……」
「説明しろってなると、うーん」
ミツヨは自信なさそうにジロウに視線を送り、ジロウは腕を組んで唸った。
理解することと、それを他人に教え伝えることは別の能力だ。ミツヨもジロウも中学の授業の内容として理解はしたのだろうが、他人に教えるほどには修めていない、と言うことだろう。問題は、マコも精々その程度の理解しかない、と言うことだ。
「どう言えばいいかな。ちょっと待ってね。うーん……うん、そうだ。ムクオくん、ちょっとこっち来てくれる? そのへんに立って」
「うん」
マコは消しゴムを持った。
「これを今からムクオくんに向けて投げるよ。あんまり強くしないから、胸に当たってから受けて」
「うん」
マコが消しゴムを下手投げで軽く放る。マコの手を離れたそれは、緩い放物線を描いてムクオの胸に当たり、落ちるそれをムクオが腹の前で受け止めた。
「今の、ムクオくん、消しゴムが当たって、痛くはないけどぶつかった感触はあるでしょ」
「そりゃ、あるよ」
「じゃあ、あたしがもっと強く思い切り投げたらどうかな?」
マコは受け取った消しゴムを上手投げで思い切り投げ……る真似をした。
「わっ、あ、真似かよ。驚かすなよなぁ」
「ごめんごめん。でも今の、あたしが本当に投げて当たったら、さっきより痛いのは解るよね?」
「ああ」
「なんで思い切り投げた方が痛いかって言うと、消しゴムのスピードが速いからね。それはつまり、遅い消しゴムより速い消しゴムの方が、運動エネルギーが大きいからなわけよ」
「ふうん。つまり、動いてるものは、運動エネルギーを持ってる、ってこと?」
座ってこの様子を見ていたイツミが言った。
「そうそう、そう言うこと。解った?」
「うーん、まぁ、速い方が痛くなるってのは解った」
「それが解ってればいいよ。で、魔法の場合は魔力を直接運動エネルギーに変換する感じ」
「でも先生」
ジロウが手を上げた。
「はい」
「魔力って実体がありませんよね? なら、動かしてもエネルギーは発生しないんじゃ」
運動エネルギーは質量にも依存する。質量がなければいくら速く動いても運動エネルギーはゼロだ。
「えーと、魔力を動かすんじゃなくて、魔力を運動エネルギーに変えるのよ。運動するのは例えば鉛筆とかね」
「???」
ジロウは簡単には納得できないようだ。ミツヨも。対してムクオ、イツミ、ヨシエの三人は、理解したかどうかは判らないものの、早くやってみたい、という目をしている。
「とにかくやってみよう。まずはあたしが見せるね」
マコがテーブルに置いた鉛筆に指を近付け、浮かせて見せる。
「おお」
歓声と拍手。
「これは、魔力を上向きの運動エネルギーに変えてるの。重力があるから鉛筆は普通落ちるけど、重力と魔力の運動エネルギーが釣り合っているから、浮いているわけね。
これを、みんなやってみて。魔力を込めすぎて鉛筆を吹っ飛ばさないようにね」
五人の生徒たちは頷いて、それぞれテーブルに置いた鉛筆と対峙した。