3-2.弔い
死体注意。
鬱展開注意。
日曜日。
今やあまり意味のない曜日の区分だが、マコが生徒たちに言ったように生活にメリハリを付けるためにもあえて意識した方がいい。実のところ、マコのこの考えはレイコから言われたことだった。今日は探索組も休日とし、会議も開かないと言っていた。
(この前の日曜日は会議してたはずだけど、それは仕方ないよね)
状況が一変してまだ間もなかったから、のんびりと休んでいる余裕も無かった。今も、一週間前から劇的に事態が改善しているわけではないが、少しずつ、方針は見えて来ている。そろそろ一度、休む必要もあるだろう。
しかし、レイコに休む余裕はなさそうだった。そして、マコもそれに引き込まれることになる。
「マコ、いい?」
「うん、いいよ」
部屋の扉がノックされた後に開かれ、レイコが顔を見せた。マコは、練習していた瞬間移動を止めて、魔力を引っ込めた。他人に教えるつもりは今のところないが、状況によってはこっそり使うつもりだ。
それはともかく。
「どうしたの? 具合悪い?」
部屋に入って来たレイコの顔は、土気色をしていた。マコは慌てて母に寄り添い、背中をさする。
「ありがとう。体調が悪いとかじゃないから、大丈夫。それで、マコ、ちょっと来て手伝って欲しいの」
「いいよ。何?」
「説明は歩きながら……は良くないわね。先に説明するわ。ごめん、座っていい?」
「うん」
やはり普段のレイコではない。部屋に入って来て、よろよろと椅子に座る。
「お水持って来る」
マコは返事を聞かずに台所に行き、コップに水筒の水を注ぎ、ついでに魔法で冷やしてから部屋に戻った。
「はい」
「ありがとう」
冷水を喉に流し込んだレイコの顔色は、多少回復した。それでも、普段よりずっと悪いが。
コップを一気に空にしたレイコは、水滴のついたコップを持ったまま、しばらくそれを見つめていたが、マコが待つほどもなく顔を上げた。
「実はね、今日、このマンションで死んだ人が見つかったのよ」
「えっ??」
思わずマコは声を上げる。まさか、殺人!?
「二十五階の二人暮らしの老夫婦なんだけどね、お隣の方、今は広場に張ったテントで生活しているのだけれど、その人が必要な物を取りに部屋に戻った時、隣に声を掛けたら返事もないし鍵も開いていたから、心配になって扉を開いたら、亡くなっているのを見つけたそうよ」
殺人では無かったようだ。
「そうなんだ……お年寄り二人暮らしだと、エレベーターがないと下まで往復厳しいもんね……」
「ええ。失敗したわ。家族構成は管理人さんに聞けば判るんだから、もっと注意しておくべきだったわ」
「レイコちゃんは悪くないよっ」
マコはベッドがら滑り降り、母の前に膝をついた。
「レイコちゃんは良くやってるよ。わけ判んない状況になったのに、すぐにみんなをまとめて、必要なことも考えて、この状態でも生活できるように色々考えて、みんなを導いて、レイコちゃんがいなかったら今頃もっとカオスになってるよ」
「ありがとう」
レイコは娘の顔を見て、弱々しく笑った。
それからコップを机に置き、自分の頬をぱしんと叩いて気持ちを入れ替えたようだ。
「それで、その方たちは荼毘に付して遺骨だけ保管することにしたの」
「いいの? ご遺族の了解を取らなくて」
「仕方ないのよ。連絡も取れないし、かと言ってそのままにしていたら遺体が腐って虫が湧くし、そうしたら病気も出るかもしれないし」
「……そっか。そうだよね。それで、あたしの手伝うことって?」
非力な引き籠もり気味の女子高校生の自分に何ができるだろう?とマコは顔に疑問符を貼り付けて聞いた。
「さすがにね、二十五階から下まで下ろすのに、そのままだと死臭が酷いから、マコの魔法で遺体を冷やすか凍らすかして欲しいの」
「え」
マコの頭に、一瞬嫌悪の情が浮かんだ。けれど、すぐに意思の力で振り払う。レイコちゃんが頑張っているんだもん、あたしだって。
「うん、解った。すぐ行く?」
「いいの? どうしても嫌だったら、断っても構わないんだけれど」
「いいよ。レイコちゃんも頑張ってるんだもん。あたしだってやるよ。それに、せっかく魔法が役に立つんだもん、やるよ」
「悪いわね」
「気にしない気にしない。じゃ、行こう」
「ええ」
マコは母の後について、問題の部屋へと向かった。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(うっ、うくっ)
その部屋の扉を開いた瞬間、マコは、管理人からもらったマスクの中に、吐きそうになった。何とか堪え、先に入った四人の男性に続いて部屋にそっと入る。
「靴はそのままで」
マコが靴を脱ごうとしたところ、男性の一人が言ってくれた。マコは頷いて、土足のまま部屋に入って行く。
(これが死臭……う~~、吐きそう……)
それでも我慢できているのは、この家の窓が全部解放されていて臭いが籠もっていないからだろう。これで締め切られていたら、堪え切れないに違いない。
男性たちの後について居間に入ると、この家の住人らしい二つの遺体が、それぞれ毛布の上に横たえられていた。身体が不自然に曲がっているのは、発見時にすでに死後硬直が始まっていたからだろう。顔はタオルで隠されている。単に死者を悼んでのことか、それとも見るに耐えない状態なのかは判らない。知りたいとも思わない。
とにかく早く済ませようと、マコは死者に手を合わせてから、後ろについて来たレイコを振り返り、彼女が頷くのを確認してから改めて遺体と向き合った。
手を合わせたまま、床に近い足先から伸ばした魔力で二つの遺体を包み込み、負の熱エネルギーへと変えてゆく。平たく言えば、冷やしてゆく。魔力で状態を確認しつつ、充分冷えたと思えるところで、魔法を終えた。
再びレイコを振り返る。
「終わったの?」
こくりと頷くマコ。
「早かったのね」
自分では随分と長い時間魔法を使っていた気がしたが、マコが遺体を冷やすのに掛かった時間は三十秒弱だった。初めて間近に“死”を目の当たりにして、マコの時間感覚が麻痺していたようだ。
「お願いします」
レイコが男性たちに促すと、頷いた彼らは冷やされた遺体を毛布に包み、横に置いてあった担架に乗せた。レイコとマコが先に部屋から出て、後から担架を持った男性たちが出てくる。遺体を先に行かせてから、レイコが扉を閉め、二人で担架についてゆく。
八階を通る時、レイコはマコに「家に戻っていてもいいのよ」と言ったが、マコは首を横に振った。担架が階段を降り始めてからずっと、遺体を魔力で包んで継続して冷やしつつ、滑り落ちないように支えてもいたから、途中で放り出すわけにもいかない。
遺体は、マンションの裏へと運ばれた。裏山に入る道を避けたところに二つの穴が掘られ、大量の薪が入れられている。その穴に一体ずつ、毛布ごと遺体が入れられた。魔力でのサポートをやめたマコがほっと息を吐くと、周囲に何人もの人が集まっていることに気が付いた。同じマンションの住民が土に還るところを送るために集まったのだろう。
管理人が古新聞に火を点け、二つの穴へと投げ込んだ。しばらく燻っていた炎は、やがて薪に燃え移った。
火の燃え広がり方が遅い。九月にしては寒いからだろうか。いや、ずっと冷やしていたからだろう。これでは薪が足りなくなるかも知れない。そう思ったマコは、レイコの隣で手を合わせながら、魔力を伸ばして毛布に包まれた遺体を包んだ。魔力を熱に変えて遺体を焼く。同時に、まだ燃えていない薪に火を点ける。他の人に気付かれないように、不自然に見えないように、ゆっくりと。
一時間ほどで、薪は燃え尽きた。遺体も毛布ごと燃え落ち、穴には人骨が残っている。薪だけで燃やしたにしては短い時間で済んだが、怪しんだ人はいないようだ。魔法の行使をやめてほっと息を吐いたマコは、ふらついた。一時間以上も連続して魔法を使っていて、集中力が限界に近かったようだ。レイコが娘の身体を支える。
「大丈夫?」
「え? あ、うん、えへへ、ずっと立ってたから疲れちゃった。大丈夫だよ」
「そう? 今日はお疲れ様。もう、部屋に帰って休んでていいわよ。午後の水汲みも、今日はわたしがやっておくから」
「うん。ありがと。じゃ、戻ってるね」
マコはレイコから離れ、マンションへと戻った。
(はぁ、あの感じだと、レイコちゃんは気付いてるなぁ。魔法は使えないのに、あたしより勘がいいんだから。魔法と勘は関係ないもんね。まあいっか。知られて困ることはやってないし)
マコは、他人に派手に魔法を見せる気はない。少なくとも、今は。これまでに見せているのは、小さな光と炎を出せることくらいだ。光の方は子供たちにせがまれて、装飾に使える程度のことも披露しているが、炎はマッチの代わりになる程度のことしか公開していない。遺体の冷却を見たのもレイコを除けば四人だけだし、彼らも具体的に何をしたかは判らないだろう。多分。
(他の人に見せるのは、自慢できるくらいに上達してからじゃないと恥かくよね)
それに、みんなから魔法に頼られて練習時間が減っても困るし、とマコは階段をとぼとぼと登りながら思った。