2-10.魔力増大
キヨミとの散歩中に思いついた『最初から魔法を使える生物の存在の可能性』を、夕食時にレイコに伝えると、「どうして元の動物から変化したのでない、新種の生き物がいるなんて思ったわけ?」と聞いてきた。
「石油製品が消えたでしょ? あれって原油ってか油田から消えたんだと思うんだよね。油田が消えたかどうかは置くとして、消えたものがあるなら新しく生まれたものもあるんじゃないかなって」
「それで、変化種でない新種の生物が現れた? ……少し前なら笑い飛ばすところだけれど、今は何があっても不思議じゃないものね。でも、それで何か変わるの?」
「あまり変わんないけど、レイコちゃんの言う“新種”の生物は、最初から魔法を使うかもって。“変化種”は、使えたとしてもあたしみたいに試行錯誤の上でだろうけど」
「なるほどね」
レイコは少し考えてから言葉を続けた。
「それでマコは、新しい問題と言うか懸念があるのかしら?」
「ううん、動物が魔法を使う可能性は言ってるから、あまり変わらないと思う。新種がいることも可能性だけだし」
「そうね。わたしもそう思う。情報の共有だけはしておこうかしらね。注意する程度は変わらないけれど」
「それがいいと思う」
曖昧な情報ばかりが増えている。場合によっては曖昧な情報は切り捨てた方がいいこともあるが、変化種ではない新種の生物については、知っていても構わない類の情報だろう。
「そう言えばさ、今後の方針についてオーナーとは話してるの? 今まで全然、話に出てないけど」
今の状況で土地や建物の所有権に拘ることの意味があるとも思えないが、ここは賃貸マンションで、調理場を作ったりテントを張ったりしている広場も含めて、建前上はオーナーの持ち物だ。さらに言えば、探索を行い果物の採取や獣の捕獲をしている裏山も、同じオーナーの所有になっている。緊急時とはいえ、断っておいた方がいいだろう。
「それがね、仕事でちょうど遠方に出掛けていたらしくて、連絡が取れないのよ。一応、奥さんには、こんな対策を取っています、裏山で採集もしています、って伝えてはあるけれど」
「そっか。連絡つかないんじゃ、どうしようもないね」
「あのオーナーなら、許可してくれるとは思うけれどね」
『あのオーナー』と言われても、マコには判らなかった。何しろ面識がない。レイコが言うならそうなのだろう、と納得する。魔法の生徒を選ぶときの性格判断でもそうだったように、マコはレイコの人物鑑定眼を全面的に信頼しているから。
雑談を交えながらの夕食を済ませた後は、マコが熱くしたタオルで一日の汗を拭い取る。
「お風呂に入りたいわね」
「お風呂を使うほどの水を持ってくるの、大変だもんね。量的にも、浴槽一杯の水をお湯にするのは、魔法でもちょっと大変かも」
「いいのよ。言ってみただけだから。でもその内必要よね。広場に大浴場を作れないかしら」
「銭湯だね」
それができれば入りたいな、とマコは思った。下まで降りるのは面倒だし、人数的に考えても毎日使うのは無理だろうが、数日に一度は熱いお湯に全身浸かりたい。他人と一緒の入浴には抵抗があるものの、大量の湯に浸かってさっぱりするという誘惑には抗いようがない。
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陽が沈んだ後、マコはベッドに脚を組んで座って瞑想していた。
(魔力の本体は体表面じゃなくて体内に持っている。外の魔力を感じられるなら、中の魔力だって感じられるはず)
昼間、生徒たちの身体に魔力を通して感じたことを、自分の身体で確かめようとしていた。
まず、体表面の魔力を意識する。それから、意識の範囲を皮膚の内側へと狭めてゆく。魔力はあった。マコの体内にも。
(うわぁ、凄い。なんだか濃度が全然違う。外のは本当に、『中に貯められない分が漏れてる』感じだなぁ)
だとすると、とマコは考えを進める。
(皮膚の外の魔力の厚みは、身体の外に魔力を留めておく力、かな。意識を集中して拡散しないようにすれば、全体の厚みを二センチより厚くできることは前に試したし)
体内の魔力を循環させてみる。ごく自然に動かすことができた。しかし。
(ぐえぇ、気持ち悪い……)
体内の魔力を意識すると、自分の内臓の様子を隅々まで感じることができた。筋肉が収縮し、血管の中を血液が流れ、消化器の中で食べたものが融けてゆく。
(瞑想で、身体の中の魔力を感じてみよう、なんて言わなくて良かったな)
最年少のヨシエなど、これを見たら吐いてしまうのではなかろうか。尤も、マコが言わなくても自分で“視”てしまう可能性は否定できないが。
(こんなことなら、『取り敢えず体内の魔力は無視しよう』くらい言っておけば良かった)
しかし、今更仕方がない。今は自分にできること、生徒たちに教えられることを確認するしかない。
気持ち悪さを我慢しつつ、体内の魔力に意識を集中する。
(うん、上手くやれば魔力だけを感じられるね。じゃないと困るよね。お医者さんでもないと、こんなの見せられ続けたらゲロ吐いちゃう……)
その上で、この魔力を利用できるかを試すことにする。魔力は、基本的に実体のないエネルギーに変換することで何らかの効果をもたらす。炎にも変えられることを考えると、単にエネルギーに変えているのではない、或いはエネルギーに変える以外の利用方法があるのかもしれないが、細かいことは置いておくことにした。
と言うことは、体内でエネルギーに変換したところで使い道がない──今後使い道が見つかるかもしれないが──ので、体外に出さなければならない。
それは、そう難しくないだろうとマコは考えた。何しろ、何もしていなくても体外に漏れ出しているのだ。それほどの労力を使うことなく可能なはずだ。
それでも注意しつつ、膝に載せた右手に意識を集中し、内側の魔力を外にゆっくりと引き出す。
(わっ)
ほんの少し体外に出しただけのつもりなのに、マコの掌の上に直径五十センチメートルほどの魔力球が出来上がった。
(すごっ、あたしの中の魔力、どれだけ高密度なの)
これほど沢山の魔力を捨ててしまうのは勿体ない、とマコはそれを体内に戻す。最初は上手く戻せなかったものの、魔力球をピンポン球ほどのサイズに無理矢理圧縮することで、なんとか回収することができた。捨ててしまっても、おそらく朝までには回復しただろうが。
(うーん、全身から魔力を出して体外の魔力の厚みを増やす、とかもできるかな)
まず、全身の魔力を体表面に引き留める。これだけで、普段は二センチメートルほどのマコの魔力の厚みは、三センチメートルほどになった。
(ここで全身から魔力を均等に放出……難しいな……それなら……)
マコは、体表面の魔力を抑え込みつつ、身体の中心に意識を集中した。内側から外側へと、魔力を押し出すイメージを意識する。
魔力がぼわっと広がった。
「ひゃわあああああっ」
思わず叫び声を上げたマコは、一瞬の後にはっと気付き、慌てて拡散してゆく魔力を引き戻す。しかし、ほとんどの魔力は虚空に消えてしまった。勿体ない。
足音が近付いてきて、部屋の扉が勢い良く開いた。
「マコっ、大丈夫っ!? 何があったの!?」
暗闇の中、部屋に駆け込んで来たレイコは、マコの気配だけを頼りにベッドまでやって来た。
「あ、レイコちゃん、心配させてごめんなさい。魔法の練習してたら、ちょっとびっくりしちゃって」
マコは頭の上に伸ばした魔力を光に変えて言った。その光に目を細めつつ、レイコはマコの肩に手を置き、ぱたぱたと腕や身体を触って娘の無事を確かめた。
「大丈夫だって」
「でも、悲鳴が尋常じゃなかったわよ」
「本当、驚いただけだから。身体はなんともないよ。本当にごめんなさい」
「本当に、何も、ないのね?」
言葉を区切りながらレイコは言った。
「うん、ほんと」
「良かった。あまり遅くなる前に寝るのよ」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
レイコは娘の頭を軽く撫でてから、自分の部屋に戻って行った。マコは頭の上の光を消した。
「はあ、びっくりした。レイコちゃんには悪いことしちゃったな。でも、今のあれ、凄かった」
マコが全身から押し出した魔力は、身体の外に出ると一気に膨れ上がり、半径五~六メートルほどの球を作った。その時、マコにはその球内のすべてを認識できた。自分の部屋の中はもちろん、隣の部屋のレイコとキヨミの様子や、マンションの上下の室内の様子まで。広がった魔力の届く範囲を同時に認識していた感じだ。
(つまり、体内の魔力を意識して内臓が見えたのと同じで、外に出ている魔力に包まれているものが全部見えた、ってことよね)
つまりは千里眼のようなものだ。魔力を身体から離せる距離しか見えないから“千里”とはいかないものの、便利な使い方だ。しかも、魔力の広がった全体を同時に把握できる上、エネルギーへの変換もないから回収すれば魔力消費もない。今のマコは五・五メートルほどしか魔力を伸ばせないが、今後の訓練次第で距離を伸ばせるだろう。
(まずは魔力をもっと遠くまで伸ばせるようにならないとね。そのためには、体表面の魔力だけでなく、体内から搾り出した魔力も使えるようにならないと。あとは、体外に出した魔力の回収、そのための体外での魔力の圧縮、あーん、練習することがいっぱいだよぉ)
しかし、マコの顔には笑みが浮かんでいる。ベッドから降りたマコは、再び魔力で光を灯して、異世界ノートに今後の練習メニューを追加していった。
マコの使える魔法:
発火
発光
発熱
冷却
念動力
遠視(new)