2-8.知覚
魔法教室二日目。前日と同じ時間に五人の生徒たちは集まった。
「みんな、朝の瞑想はやった?」
生徒たちは目を見交わした。口を開いたのはムツオだ。
「やってみたけどよぉ、全然わかんねー」
他の子も頷く。魔力をその身に纏ってから十日ほどの間、まったく感じることがなかったのに、それを意識させるのは難しい。何しろ五感ではまったく感じられないのだから。
「あたしも昨夜、いろいろ考えたんだけど、他の人には判らないのにあたしにだけ判るのは、やっぱり魔力量の差なのかな、って思ったの」
「先生」
ミツヨがおずおずと手を上げた。
「はい、なあに?」
「ワタシたちの魔力は二ミリから四ミリって昨日言ってましたけど、先生の魔力ってどれくらいなんですか?」
「あたしは二十一ミリくらい」
「えっっ。じゃ、アタシたちの、えっと、五倍以上!?」
イツミが大声を上げた。他の子たちも目を丸くしている。
「単純計算で、そうなるね。で、それがあたしと他の人との違いかなぁって思ったの」
「でもそれじゃ、ボクたちが魔法を使うのって無理なんじゃありません?」
ジロウが疑問を呈した。
「あたしの推論が正しければ、そうね。でもそれも判んないからね」
「頼りない先生だなぁ」
ムクオの言葉に、失笑が漏れる。マコも笑った。
「うん、そうだよ。魔法が使えるって言ったって、使えるようになってまだ一週間かそこらしか経ってないだもん、素人もいいとこだよ。だから、一緒に使い方を考えようって言ったでしょ?」
「けれど、魔力があることが判らないんじゃ、使い方を考えるも何も無いんじゃありませんか?」
ジロウが言った。
「そう、それが問題なのよ。とにかくみんなに、魔力を感知してもらわないとね。それで、昨夜いろいろ考えて、瞑想とは別の方法を思いつきました。今日はそれを試してみようと思います」
「はい」
四人が声を揃えて返事した。ヨシエは頷いただけだ。それでも、瞳には期待の籠った光が輝いている。
「まあこれも、あたしの思い付きだから、上手くいくか判らないんだけどね。それじゃ、ミツヨちゃん、前に出てきてくれる?」
「はい」
生徒の中で最年長のミツヨが立ち上がり、マコの隣に来た。二人は他の生徒から良く見えるように、向かい合って立った。
「ミツヨちゃん、両手を前に出してみて」
「はい」
素直に出された手を両方とも、マコは軽く握った。
「そのまま楽にしててね」
ミツヨは目を閉じて一度深呼吸し、それからゆっくりした呼吸を続けた。
マコは、意識を集中し、右手に魔力を集めてゆく。これくらいなら、今や手足を動かすのとほとんど同じ感覚で魔力操作をできるようになった。ミツヨの左掌へと流し込むイメージで、集めた魔力を操ってゆく。掌から手首、肘、肩を通して右腕へと。ゆっくり、ゆっくり。
(ん?)
左肩から右肩へと魔力を流している時に、マコは違和感を感じた。取り敢えずはそのまま、体表面を通した魔力を左手から引き込み、繋いだ手を通してマコとミツヨの身体に魔力を循環させる。
「……何か感じない?」
「……何も感じません。すみません……」
「いや、謝る必要ないから。もう少し続けるよ」
「はい」
側から見たら、女の子が二人で手を取り合っているだけだ。危ない儀式に見えなくもないその行為を、マコは続けた。部屋に、生徒以外の人がいないのは幸いだった。
マコが感じた違和感は、ミツヨの体内から来ていた。左肩から右肩へと魔力を流す時、マコの魔力の一部がミツヨの体内を通ってしまった。その時にマコは、確かに強い魔力を感じた。
(もしかしたら、魔力は体表面に纏うものでなくて、体内にあるのかも。体内に収まりきれない分が、外に漏れ出しているだけで)
それなら、体表面に魔力の流れを作るよりは体内の魔力を掻き混ぜた方が、当人にとっても感知しやすいかも知れない。そう思いついたマコは、魔力を掌からミツヨの体内へと流し込んでゆく。
「……え?」
ミツヨが小さな驚きの声を上げた。
「何か感じる?」
「は、はい。えっと、掌から何か入ってくるみたいな……」
「今は無理に言葉にしなくていいよ。そのまま感じてて」
「はい」
体表面を這わすのに比べ、人体の中を通すとやや抵抗を受けた。抵抗が少ないように魔力を細くして体内を通してゆく。目を閉じたミツヨの顔には、微かな驚きと戸惑いの混じった表情が浮かんでいた。
右手から出した魔力を左手まで繋げ、最初に体表面を通していた魔力を引っ込める。ミツヨの体内を導線に見立てて、循環させる。細い魔力の線を徐々に太くしながら。
最初に感じた“抵抗”は、抵抗と言うよりマコが魔力に受けた違和感だったようだ。今までマコは、魔力で他人の魔力に触れることはあっても、他人の魔力で包み込まれるようなことはなかった。四方八方を他人の魔力に囲まれて、精神的──魔力的──な圧力を感じたらしい。
ただ、圧力を感じると言うことは、自分の大量の魔力をミツヨの体内に流すのは不味いような気がする。本能的にそう思ったマコは、流す魔力を太くしつつも、直径が一ミリメートルになったところで循環させるだけにした。
「どうかな?」
「はい……身体の内側を、何かが流れている感じがします。左手から入って、腕を通って、右手から出ているような」
「うん、その流れているのがあたしの魔力だね。それで、その流れを感じているのがミツヨちゃんの魔力。そのまま、自分の手の甲を意識してみて。皮膚の表面から、三ミリメートルくらい離れたところまで」
ミツヨは言われた通りに手の甲に意識を集中させる。
「あ、皮膚の上に何かあります。これが、魔力?」
「うん、そう。その感覚を忘れないで。それじゃ、流している魔力を止めるよ」
右手からの魔力の注入を止め、左手で回収してゆく。魔力をマコの身体から切り離すと、数秒のうちに雲散霧消してしまうのだから、ミツヨの体内に残したままでも切り離しておけば消えるかも知れない。しかし、何かしらの悪影響があるかも知れない。その危険性を少しでも減らすため、マコはミツヨの体内に入れた自分の魔力をすべて回収した。
「それじゃミツヨちゃんは椅子に座って。次はジロウくんね」
ミツヨに代わり、ジロウがマコの前に立った。
「はい、じゃ、両手を出して」
差し出された中学生男子の掌に、マコは自分の手を重ねた。
「……美人のお姉さんに手を握ってもらうって、緊張しますね」
「び、びじんっ!?!?!?」
マコの頭が一気に沸騰した。顔が真っ赤だ。魔法を使わなくてもお湯を沸かせるかも知れない。マコを茹で蛸にさせた当人は、頬がやや朱に染まっている程度。
生まれてこの方、マコは他人から容姿を褒められたことはなかった。いや、皆無ではないが、それはレイコや祖父母やキヨミなど、マコに近しい人たちばかりで、身内贔屓が多分に混じっているものとして話半分に受け取っていた。
その上、他人との接触を避けるマコは、男子との直接接触の経験がほとんどない。今、ジロウに触れたのも(これは授業、魔力を教えるための手段だから、仕方がないこと)と脳内で呪文を唱えながらのことで、冷静さを保つので一杯一杯だった。
そこへ投下されたジロウの爆弾で、マコの脳味噌スープは超加熱されてしまったのだ。
「先生、顔真っ赤。可愛い」
思わず手を強く握ってしまい、男の子の手を掴んだままわたわたと振り回すマコを、イツミがにやにやと揶揄った。小学生女子に揶揄われて、マコはますます茹で上がった。水風呂に飛び込んだら瞬時に沸騰させてしまうかも知れない。
「ジロウって結構スケベなのな」
ムクオはジロウを苛める。
「歳上に向かって呼び捨てはないだろ」
ジロウはマコに比べるとずっと平静だ。内心は判らないが。
「それより先生、早くボクにもお願いします。小学生組も待ってますし」
「え、そ、そうね、今は魔法の授業中だものね」
爆弾を投下した当人の言葉で頭を冷やすマコ。
落ち着け~、落ち着け~。ひっ、ひっ、ふう。ひっ、ひっ、ふう。
「そ、それじゃ、やるわよ。目を閉じて、落ち着いて、瞑想しているときみたいに」
目を閉じる必要はないのだが、見つめ合っていたら意識してしまって魔力の操作を失敗しそうだ。ミツヨは自然と目を閉じていたが、この子は目を開けていそうな気もするし。
ミツヨの時とは違い、最初から体内に魔力を通してゆく。右手からゆっくりと伸ばした魔力を左手まで繋げて、一旦止めてみる。
「ど、どうかな。何か、感じる?」
「……いえ、何も」
「そのまま、き、気を、落ち着けてて、ね」
落ち着くべきなのはマコの方だったのだが。
マコは、ジロウに通した魔力を動かし始めた。ジロウの身体を通して循環させるように。少しずつ魔力の量を増やし、速度を上げてゆく。
「あっ」
「判る?」
「はい、判ります。先生がボクの身体の中を流れてく。それにこれ、身体を覆ってるのが、ボクの魔力?」
「うん、そう。あたしは今は、ジロウくんの身体の中に魔力を流しているだけだから、ジロウくんが皮膚に纏っているのは君の魔力だよ」
「……これが魔力……」
最初に奇襲を受けたものの、ジロウも無事、魔力を感知できるようになり、マコは胸を撫で下ろした。
続けて、ムクオ、イツミ、ヨシエにも同じことを繰り返し、全員が魔力を感知できるようになった。特にヨシエには衝撃だったようだ。
「ひゃんっ」
マコがほんの少しの魔力を流し込んだ途端に、今までに聞いたことのない大きな声を上げたヨシエは、文字通り飛び跳ねた。マコの方が驚いて、魔力をヨシエの身体から回収したほどに。
「ヨシエちゃん、大丈夫?」
マコは慌てた。自分のせいで可愛い女の子に怪我をさせたかと思って。ヨシエはほんの数秒、放心していたが、すぐにマコに焦点を合わせた。
「だいじょーぶ、ちょっと、驚いただけ」
先ほどの叫び声が嘘のように、普段の小さな声でヨシエは言った。
「続けて大丈夫? やめとく?」
「ううん、やる」
少し心配だったものの、ヨシエの様子は落ち着いていたので、マコは他の四人と同じように、ヨシエの体内にも魔力を循環させた。
「ふわぁ、先生の魔力、あったかくてきもちいい」
幸せそうに、ヨシエは微笑んだ。天使のような笑みだ。
「自分の魔力も判る?」
「うん、わかる」
ヨシエも魔力を感知できるようになったところで、一旦瞑想の時間を挟んだ。魔力を感じられるようになったばかりの五人が、それをより良く知覚できるように。




