2-7.獲物とキヨミと魔力感知
裏山探索の三日目は、これまでにない成果を得られた。動物を一頭、仕留めて持ち帰ることに成功したのだ。茶色い毛のそいつは兎に似ているが、レイコの知っている兎よりも一回り大きく、それに比べて耳はやや短く、羊のような二本の角を生やしていた。探索隊にまっすぐ突っ込んで来たその動物を、逃げるのは間に合わないと判断して、持っていった金属バットでぶん殴ったそうだ。警官は、今日は同行できなかった。彼らも、このマンションの人間とばかり付き合うわけにもいかない。
「やっぱり食べるんですか?」
首の動脈を切って広場の片隅に吊るされたそいつを見ながら、男性の一人がレイコに聞いた。
「これからのことを考えれば、食べてみるしかないと思いますよ。果物ばかりじゃ栄養が偏りますし」
動物以外には、この三日間で何種類かの果物を採取していた。採取した場所は、裏山の地図に書き込んである。正確性には欠けるが、ないよりずっとマシだろう。
昨日までに採取したそれらの果物もレイコは齧ってみたが、腹を壊すこともなく、食用になりそうだった。今日は、新しい果物は無いので試食はこの、兎モドキだ。
「こんなもんですかね。狩ってすぐに抜いていないから、少し血が残っていると思いますが」
調理師をしている住民が、吊るされた兎モドキを下ろしながら言った。
「取り敢えず味は置いて、食用になるかどうかだけでも判ればいいから」
「まあ、やりますけどね。しかし、今までに兎の解体なんてやった試しがないんだけどな」
調理師の男は呟きながらも、広場に作られた調理台に兎モドキを載せ、包丁を構える。
「それと、竃に火を入れておいてください。フライパンも温めて」
すぐに住民が調理台の近くに作られた竃に薪をくべ、マッチで火をつけた古新聞を入れ、薪に火を移す。
調理師はその間に手際良く兎モドキの皮を剥き、身に包丁を入れて解体してゆく。火の通りが悪いと不味いので、小さく薄めに切り刻んでゆく。
「用意できました。温度が足りないかもしれませんが」
「まあ、初めての動物だし、適当にやりましょう」
熱くなったフライパンに数切れの肉片が入れられる。肉の焼ける音が鳴る。油を用意できなかったので、焦げ付かないように調理師は菜箸でこまめに肉をひっくり返している。
調理師の指示で薪が追加投入され、芳ばしい香りが漂ってくる。
「こんなものでいいでしょう」
調理師が、用意していた皿に焼けた肉を置く。
「念入りに焼いたので、寄生虫の心配は多分ないと思いますが」
「大丈夫でしょう。それより肉そのものが食べられるかどうかですね。それでは一口」
レイコは箸で肉を切り、欠片を口に入れた。昨日までの果物は有志を募ったものの、誰も手を上げなかったので、今日はその手間を省いた。
「……美味しいですね。歯触りは豚っぽいですが、味は牛に似ている感じ」
「それなら私も一口」
「俺にも回してくれ」
肉の焼ける香りにみんなも我慢の限界だったのだろう。皿が回され、何人かの口に入ってゆく。
味付けもせず、ただ焼いただけなのに、肉汁が滴るその肉はかなりの美味だった。
「この兎モドキはイケますね。積極的に狩っていきたいところですが、問題はこの角ですね。確か、人間に向かって来たんですよね?」
レイコが、こいつを仕留めたと言う男に目を向けると、彼は頷いた。
「ええ。動きが単純だったので上手く仕留められましたが、角で突かれたら危ないかも知れません」
その男の隣で彼の息子が、焼けたばかりの肉をはふはふと食べている。
「出来るだけ安全に狩れる方法を考える必要がありますね。それに、他の動物についても危険性の確認が必要ですし、それに広場にいる鳥も一度は食べられるか確認は必要でしょうし」
レイコは考えながら言った。
「銃の入手は難しいですし……弓矢でも作りますか?」
近くにいた女性が提案した。
「それより罠がいいかも知れませんが……今日の会議でその辺りを考えましょう」
「そうですね」
その場は、切り分けた兎モドキの肉と採ってきた果物を分けて、解散となった。生活が安定するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
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「キヨミさん、お夕飯だよ。今日は少ないけど焼いたお肉もあるよ」
マコがキヨミを呼びに行くと、いつもの通り服のデザイン帳に色鉛筆を走らせていた。
「うん、わかった。すぐ行く」
最近のキヨミは、一人暮らしをしていた頃と違って夜更かしをしない。明かりがないのでできないだけだが。そのため、朝も日の出と共に起床し、サイクルだけを見れば健康的な生活を送っている。引き籠っているので、その意味ではとても健康的とは言い難いが。
食事は、近所の農家から分けてもらった野菜と、裏山から採れた果物、そして少量の兎モドキの肉だ。レイコは、最初に食べたのだからいらない、と断ったのだが、親切にもみんなが融通してくれた。レイコがマンションの住民たちを纏め、行動の指針を決めているからだけでなく、率先して“毒味役”も買って出ているので、そのお礼が込められているのかも知れない。あまり断るのも逆に悪いと、レイコは有難く受け取って来た。
「ふわぁ、何このお肉。豚牛?」
キヨミの言葉にマコは思わず噴き出しそうになる。レイコは笑った。
「姿は兎みたいな動物だけどね。角が生えているのよ」
「角? 一角獣みたいの? 角兎?」
噴き出すのをなんとか堪えたマコはレイコに聞いた。
「多分、マコの想像しているのとは違うかしらね。一本角でなくて、二本生えているのよ。それも、羊みたいにくるんってした奴」
マコは頭にその姿を思い浮かべた。マコが想像したのは、地球産の白い兎に丸まった角のついた動物だ。現物を見ていないのだから、仕方がない。
「ふうん。兎か山羊でも変化したのかな? あれ? 山羊って裏山にいたっけ?」
「いなかったと思うけれど、でも捕まえた人の話を聞くと、行動が兎と言うより猪っぽいのよね。人に向かって真っ直ぐに突っ込んで来たそうだし」
「ふうん。猪が角兎か。規則が解んないね」
「元が猪って言うのも確実じゃないし、そもそもルールなんてあるのかしら?」
「それも判んないけどね」
話題はどうしても世界のことになる。話すのはレイコとマコばかりで、キヨミはあまり話さない。そもそも彼女にとっては、変化した世界のことより服のデザインの方が重要だった。
そんなキヨミに、レイコは話しかけた。
「キヨミもたまには外に出ないと駄目よ。健康に悪いから」
「いいよぉ。面倒だし、ちゃんとベランダでお日様にも当たってるし」
「だーめ。その内、歩けなくなっちゃうわよ」
「でもぉ」
「外の変わった世界を見れば、キヨミさん、新しいインスピレーション湧くかも知れませんよ」
マコは、母とは別の切り口でキヨミに外出を薦めた。レイコは、グッジョブ、と娘にウィンクした。
「そんなことあるかなぁ」
「あたしの魔法をちょっと見ただけで色んなデザイン作ってるんですもん、初めて見る景色を見たらもっと色々思い付きますって」
彼女のアパートからここまでの道中で、台車に乗って眠そうにしていたキヨミの姿を思い出しながら、マコは言った。
「うーん、そうかぁ。そうかも知れないなぁ。じゃ、外にも出て見ようかなぁ」
「そうしましょう。明日、午前は魔法の授業があるから、午後に一緒に行きましょう」
「うーん、解ったよ」
仕方なさそうに、キヨミは頷いた。
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陽の沈んだ後の暗い部屋の中で魔力の操作を練習しながら、マコは今日の第一回目の魔法の授業について考えていた。
三十分ほどを瞑想の時間に当てたものの、五人の誰一人として魔力を感じた子はいなかった。このまま毎日瞑想を続けていても、魔力を感じるようになれなければ、単に時間の無駄になってしまう。しかし、マコにしても自然と解っただけで、具体的にどうすれば感じるようになるのかが判らない。
(うーん、教師がいない、教え方も判らないって言うのは辛いなぁ。ヒントが何もない……)
魔力の存在を感知したマコと感知していない他の人々、違いは何かと考えても、何もない。知覚したのはマコだけなのだから、マコに他の人と違った何かがあると思うのだが、それが何かは判らない。いや、一つだけ、マコには心当たりがあった。
(やっぱり、魔力量、かなぁ……)
マコには、他の人と比べると桁違いの魔力がある。魔力の量が、自分で魔力を感知できることに関係しているのかもしれない。
(それだと、何とかしてみんなの魔力量を増やさないといけないんだけど……)
魔力の増やし方が判らない。魔力が増やせるものなのかどうかも判らない。
(そもそもあたし、どうやって魔力を感じているんだっけ?)
魔力で作った疑問符を、大きくしたり小さくしたり分裂させたりしながらマコは考える。
(初めは、なんとなくだったよね。それから、レイコちゃんの手に自分の手をかざした時にレイコちゃんの魔力を感じた。今じゃ、伸ばした魔力で人に触れると判る。ってことは、あたしは魔力で魔力を感じている。つまり、魔力を感知するには魔力を感じられるようになればいい。……って当たり前じゃんっ)
肘から生やした魔力をぐーの形にして、ぽかぽかと頭を殴るマコ。痛みはない。魔力は物質を透過してしまうから。
(あたしの魔力をみんなに流し込んでみようかな。でもそういうのって、漫画なんかだと容量を越えて破裂しちゃうのが定番よね。魔力は身体の外側に溜まっている感じだから大丈夫かな。でも不安よね。身体は破裂しなくても、魔力が飛んでっちゃうかも知れないし。後から補充されるはずだけれど、その機能ごと吹っ飛んじゃうかも知れないし。だったら……)
それで上手くいく保証は何もない。けれど、何もしないよりはましだ。
マコは、思いついたことを翌日の授業で試してみることに決め、魔力を少し光に変えて異世界ノートに書き込んでから、ベッドに寝転んだ。
(明日はキヨミさんとお散歩も行くんだっけ。キヨミさん、あたし以上に引き籠りだし、体力もないからなぁ。上手く魔法でサポートできないかな)
それも試してみることにして、忘れないように、と思いながらマコは眠りに就いた。睡魔はすぐにやってきた。