2-6.授業開始
まともに動いている時計もほとんど無くなってしまった今、正確に時刻を知ることは困難を極める。本条家ではレイコの腕時計が動いていたから、比較的正確に時刻を知ることができたが、他の家でもそうとは限らない。レイコの腕時計にしろ、電池が切れたらそれまでだ。
そのため、大まかな時刻を共有できるように、マンションの前の広場に大きな日時計が作られていた。
その時計で示される午前九時から、二階の会議室でマコの魔法教室が始まる。マコが余裕を持ったつもりで会議室に下りると、すでに五人全員が揃っていた。皆、魔法に興味津々のようだ。
「えっと、今日から魔法の授業を始めます。今日は最初なんで、自己紹介から。あたしは、本条マコと言います。高校一年の十五歳です。好きなものは魔法で、趣味は魔法の研究、家では魔法で料理をしています。よろしくお願いします」
みんながきらきらした瞳で拍手する。
「先生っ、その服可愛いですっ」
「せ……先生??」
突然呼ばれた自分の呼称に、マコはたじろいだ。
「アタシたちに魔法を教えてくれるんだから、先生ですよねっ」
「そ、そうかも知れないけど、でも、あたしもまだ使えるようになったばっかりで、解らないことも多いし、だから、教えるって言うより、一緒に魔法の使い方を考えよう、的な授業にする予定なんだけど……だから先生って言うより、あたしもみんなとあんまり変わらないって言うか……」
「でも、先生は先生でしょ?」
「じゃなきゃ、師匠?」
「ししょお!?!?!?」
マコは慌てた。
「そうね。師匠って言う呼び方もいいかも」
「先生が師匠なら、アタシたちは弟子?」
「なんか修行してる感じでいいね」
「わーっ、いいいい、先生でいいから、師匠は止めよう、ねっ、ねっ」
マコは両手を大きく振って会話を遮った。たいしたこともできないのに、師匠などと言うご大層な呼び方をされては堪らない。
「ええ、いいと思いますけど」
「そうだよ、カッコイイじゃん」
「駄目駄目駄目、やめて~、許して、せめて先生にしてぇ~」
マコが涙目で懇願したことで、生徒たちからのマコの呼称は『先生』になった。
「えー、それでは改めて」口に手を当ててコホンと軽く咳払いをし、マコは五人を見渡した。「まず、一人ずつ自己紹介をしよう。名前と学年と、そうだなぁ、魔法でやりたいことを言ってみよう。他にも言っときたいことがあったら何でも言っていいよ。じゃ、ミツヨちゃんから」
「はいっ」
五人の中で一番歳上の女の子が立ち上がった。はきはきした元気な女の子だ。マコとは正反対の、スポーツ少女というイメージ。
「常東ミツヨ、中三です。二十階に住んでるから降りて来るのが大変になって困ってます。えーと、魔法が使えるようになったら、空を飛んでみたいです」
「ありがとう」
マコがぱちぱちと手を叩き、他の生徒たちもそれに続く。ミツヨは照れ臭そうに椅子に座った。
「じゃ、次はジロウくん」
「はい」
次の男の子にみんなの注目が集まる時を狙って、マコは開いていた異世界ノートに何やら書き込む。男子が名前を言った時には、鉛筆を置いていたが。
「満叉ジロウです。中二です。えっと、魔法でテレポートしたいです。あ、テレポートって言うと超能力っぽいですね。瞬間移動って言った方がいいのかな」
ジロウはいかにも賢そうな男の子。学級委員長とかやっていそうだ。本当にやっているかは判らないが。
「ありがとう。テレポートでも瞬間移動でも、どっちでもいいと思うよ。あたしが魔法って言ってるのも、使い方が魔法ぽいなぁってだけだからね。初めてのことだから、言ったもの勝ちだよ」
小さくぱちぱちしながら、マコは言った。みんなもぱちぱちしながら、ふんふんと頷いている。
「それじゃ次は、ムクオくんね」
「ああ。方甲斐ムクオ、小六。外は危ないかも知れないってあんまり出してもらえないんで、退屈してる。裏山も行ってみたかったのに、駄目だって言われてよ。だから、ファイアーボールとか使いたいな。それなら、自分で自分の身を守れるだろ?」
悪戯坊主という印象のムクオは、攻撃のできる魔法を使いたいようだ。しかし、親の言い付けをしっかり守って外出を控えているらしく、我儘坊主というわけではなさそうだ。
「ありがとう。そうだね。今はどこに行くにも大人と一緒じゃないと行かせてもらえないもんね」
マコもこのことは、レイコから聞いていた。そればかりではなく、大人も単独行動は控えている。
「でもね、魔法が使えるようになっても無理は駄目よ。使い続けると結構疲れるから。その前に、使えるようにならないといけないけどね」
ムクオは、「ほんと、先生だなぁ」とか言いながら椅子に座った。
「それじゃ次は、イツミちゃんね」
「はいっ」
ポニーテールの可愛い女の子が元気良く立ち上がった。
「神泉イツミです。小五、十一歳です。アタシも学校の友達と会えなくなってつまんない。だから、魔法を覚えたら色々楽しくなるかなって思いました。電話も繋がんなくなっちゃったから、遠くの友達とお話ししたいですっ」
「はい、ありがとう。遠話とかになるのかな。なんか無線も繋がらなくなっちゃったらしいから、そういうのできるといいよね。
じゃ、最後、ヨシエちゃん、どうぞ」
イツミに代わって、大人しそうな女の子が立ち上がった。
「あの、……あか……エです……」
「聞こえねーよ。もっと大きい声で言えって」
蚊の鳴くような声に、ムクオが文句を言う。ヨシエはその声にびくっと震えて下を向いてしまう。
「ムクオくん、そんなこと言わないの。大きい声で喋るのが苦手な子だっているんだから。ムクオくん、文字の小さい本を半日読み続けなさいって言ったら、読める?」
「う、読めない……」
「そうでしょ。できないことを無理にさせちゃ駄目。誰だってそう言うものはあるんだから」
マコはヨシエの傍に歩み寄り、しゃがんで目線を合わせた。
「でも、苦手なことをいつまでも苦手にしておくのも駄目。少しずつ慣れないと。今日はあたしに自己紹介して。みんなにはあたしから言ってあげるから」
ヨシエは小さな声でぼそぼそと話した。マコはもちろん、名前も年齢も知っているが、この子が自分で話すことが必要だと思った。
マコも昔は、この子のように他人と話すことが苦手だった。いや、今でも苦手だからこそ、学校以外はほとんど引き籠っていた。実のところ、今も指導者っぽくしようと頑張っているが、胃の痛みを気付かれないよう隠すことで一杯一杯だ。
そんなマコだから、他人の前で大きな声を上げるハードルの高さは身を以て知っている。ハードルを無理に上げる必要はない。最初は低くていいのだ。
「この子は、明坂ヨシエちゃん。九歳の小学四年生。魔法でテレパシーを使えるようになりたいって。みんな、よろしくね」
ヨシエの囁いた言葉をマコが代弁し、手を打ち合わせる。他の子たちも拍手した。
「それじゃ、自己紹介も終わったことだし、授業を始めます」
マコの魔法教室が始まった。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
「まず最初に、みんなが希望した魔法、えっと、空を飛ぶ、瞬間移動、ファイアーボール、遠くの人とお話に、テレパシーね。遠くと話すのとテレパシーは似ているかな」
マコは異世界ノートに書き留めたみんなの希望する魔法に目を走らせながら話し始めた。
「でも、こう言うことを使えるようになるかどうかは、まだ判りません」
えーっと四人の声が重なる。ヨシエも口だけ小さく開いている。
「はい、静かに。最初に言ったでしょ。みんなで一緒に使い方を考えていくって。あたしも今は大したことできないから、みんなも頑張れば、すぐにあたしにできないことをできるようになるかもよ」
そう言いつつ、マコは空中浮遊とファイアーボールは今でもできそうな気がした。効果は小さいだろうが。
「それから、魔法を使えるようになっても、無闇に人に向けて使わないこと。怪我させちゃうかもしれないから」
「はーい」
「じゃ、まずは魔力の説明からね。みんなノートと鉛筆持って来てるね。判らないことは途中でも聞いていいよ」
マコは黒板に人の絵を描いた。一筆書きの、下手なピクトグラムのような簡単なものだ。その人形を囲むように別の色のチョークで一回り大きい人形を描く。
「魔力とは、人間の身体を取り囲むようにある何かです」
「先生、『何か』じゃ判りません」
ジロウが手を上げて発言した。
「そうなんだけど、今までになかったものだから、魔力としか言いようがなくて。精神エネルギーとかオーラとか、そんな感じのものかな。アニメなんかであるような奴」
納得はできないらしいが、一応みんな頷く。
「これはみんなの身体にももちろんあります。個人差があって、だいたいの人は二ミリ未満だけど、みんなは二ミリから四ミリくらいあるんだよ」
へー、と言いながら、自分の手を見たり腕を捲ったりする生徒たち。
「先生、何にも見えない」
イツミが言った。
「そうね。あたしにも目には見えないんだよね。でも、あるのは判る。みんなにはまず、自分の魔力を感じ取れるようになってもらいます。それができないことには何も始まらないし」
「どうやるんですか?」
ミツヨが聞いた。その目は期待に輝いている。
「えーとね、まず、自分が落ち着ける態勢をとって、それから身体の周りを魔力が循環しているようにイメージします」
マコは黒板の絵の周りに矢印を書き込んだ。
「ちなみにあたしは毎朝、ベッドの上で三十分くらいやっています。あたしの場合はこう、胡座をかいて……」
椅子に座って手本を見せようとしたマコだが、今日はズボンではなくスカートだったので思い止まった。
「今はスカートなので胡座はかけないけど、こうして膝の上に手を置いて、目を閉じて、魔力を循環させるイメージを浮かべてます。取り敢えずみんな、椅子に座ったままやってみて。椅子に座ってるから脚は自由にならないけど、手は楽なように。自分の一番楽な姿勢を試してみて」
これで魔力を感知できるようになるのかは、マコにも解らない。しかし、マコは毎日、瞑想と魔力操作の訓練を積み上げることで、他人の魔力を十分の一ミリメートルの精度で感知できるようになったのだから、試してみて損はない、と考えた。魔力を感じ取れない今の五人に魔力操作は無理だから、まずは瞑想からだ。
これで魔力を感じられるようになるかな、なるといいな、できなかったら何か考えないといけないな、と思いながら、マコは五人の生徒を見守った。