16-4.まだ魔力のない人のために
マコの故郷での魔法教室は、今までより人数をさらに増やして三十人とした割に、スムーズに進んだ。初日は三十人を超える人数が集まったが、マコと一緒に保育園に通っていた友達と、マコの再従姉妹の一人が人の整理を買って出てくれて、あまり混乱もなく初日の三十人を選定し、溢れた人々の翌日の予約も管理してくれた。
マコは、彼女たちの手助けに感謝しつつ、どんなふうに人を捌いているか異世界ノートにメモしておいた。記録しておけば、ほかのコミュニティで魔法教室を開く時の参考になるし、彼女たちがいない場合を想定することで懸念点も洗い出せる。手伝ってくれる人がいたことでも、ここで最初にやってみたことは正解だった。
魔法教室の授業料は、基本的に食料を譲ってもらった。これは日本を回る旅を行なった場合も同様にするつもりだ。いくら自動車があると言っても、無限に積めるわけではないし、傷んでしまうこともある。できるだけ現地調達することが望ましいし、授業料として仕入れられるなら一番楽だ。
もちろん、受付を買って出てくれた二人には、その労働を対価として魔法を教えた。
希望者には、フライパンや鍋などを魔道具に改造した。魔力の濃度を調節しつつ熱に変える、というのはそれなりに練習を必要とする。しかし、魔力の濃度調整だけならそこまで苦労はしないため、すぐにも調理に使いたい人は魔道具を求めたので、それに応えた形だ。
人々の中には、午前中に魔力を知覚して、その日の内に普通の調理器具で魔法による調理を行える者もいたが、全体の三割程度だ。その分、魔道具を求める人も多かった。
他に、魔力懐炉や魔力灯、蓄積型魔力灯も作った。材料は、使えなくなった自動車や家電品の金属部分だ。特に魔力懐炉は、これからの冬に備えてこっそりと多目に作り、祖父に預けておいた。これで、寒さによる人死が出ることは避けられると思いたいマコだった。
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マコが帰郷して数日後の午前中、久し振りに米軍女性士官がマンションを訪れた。
「マコさんニおネガいしたいことがあルノですが」
レイコと会見した女性士官はそう言った。
「今、マコは留守にしています。用件がありましたら、わたしが聞いておきますが」
相手から、無理を通そうという雰囲気を感じなかったレイコは、穏やかに応じた。
「できまシタラ、直接オ話シしたいのデスが。もちろン、本条さんも同セキしてもらって構いマセン」
「ですが……いつ戻るか判りませんよ? この先一週間の内には帰って来ると思いますが」
「え?」
女性士官は驚いた表情を浮かべた。
実際のところ、マコは毎日、午後に三時間ほど帰って来て特別魔法教室を開いている。しかし、故郷での魔法教室を終えて、本当の意味で帰って来るのは、五日から七日は先になるとレイコは思っていた。
女性士官の表情から、レイコは相手が『マコは長期不在ではない』と考えていることが判った。おそらく、住民の中に諜報員が紛れ込んでいるのだろう。
しかし、マコの帰郷については全員が知っているわけではないし、数日前に自動車で出掛けたところを見ていても毎日数時間は滞在しているから、すぐに戻って来たと諜報員は勘違いしたのだろう。それも間違いではない。連続滞在はしていなくても、毎日確かに戻って来ているのだから。
「取り敢えず、マコに何を依頼したいのかだけでもお聞かせいただければ、帰って来た時にすぐに伝えておきますが」
「そウデスね……」
少し考えた女性士官は、すぐに続けた。
「ワかりました。それでお願いシマす。マコさんへの依頼でスガ、その前に……」
この時に初めて、レイコは、異変について解っている少ないことが、異変の外の一般市民に公開されたことを知った。思い切ったことをしたな、と思ったが、異変の中に住んでいるレイコたちには、あまり関係はない。
「すみません、それは三度目の異変が観測されたことがきっかけですか?」
途中、女性士官の言葉の合間を縫って、レイコは聞いた。
「ソレはご存知でシタカ」
「はい。琉球国からの情報を自衛隊経由でですので、三週間から一ヶ月程度のタイムラグはありますが」
「なるほド。はイ、その通りデす。それで、マコさんへのおネガいなのですが……」
一般公開された情報には、異変に巻き込まれた人は魔法が使えるようになることも含まれている。そこでマコには、どのようにすれば魔法を使えるようになるか、米国本土を巡ってレクチャーして欲しい、と言うのが依頼の内容だった。
「それはおそらく無理、と言うより無意味です」
レイコは言った。
「デスが、ここの人タチはミナサん、魔法を使エマスよネ? それを教えテイタだければ、とオモウのですが……」
「実のところ、自力で魔法を使えるようになったのは、ここでもマコ一人だけなんです。それなりに魔力量の多い人でも、マコからやり方を聞いても自力で魔法を使えるようにはなりませんでした」
第一期の魔法教室は、マコが魔力量の多い子供たちを選んだにもかかわらず、誰も自分では魔力を感じ取ることもできなかった、とレイコも聞いている。
「魔力を持っているわたしたちですら、そうなのですから、魔力もない人たちにいつ起こるかも判らない異変に備えて魔法の使い方を教えても、意味があるとは思えません」
「ソレデハ、本条さんタチはどのように魔法をシュウトくしたのデスか?」
「マコが無理矢理魔力を知覚させる方法を考えついて、一人一人目覚めさせていったんですよ」
「ソレは、イヘンに遭う前デハ無理ですカ?」
「無理でしょうね。異変に巻き込まれていない人には、魔力がないそうですから」
女性士官はうーんと悩んだ。
異変の情報を開示したと言うことは、それに備えた準備はしているだろう、とレイコは考えた。例えば、石油製品を別原料の製品に代えるとか。それだけでは不安があり、魔法も備えとして用意しておきたいのだろう。
「ソレデは、魔法のツカイ方、マリョクの感じカタデしょうか、その方法をレポートにまとメテいただク、トイウのはどうでショウ?」
ふと思い付いたように、女性士官は言った。
「そうですね……上手く言葉にできるか判りませんが、それなら可能だと思います」
マコは魔法教室の指導要綱を作っている。それには『魔力を知覚する方法』はないが、書けなくはないだろう。
「それなラ、ソレでお願いします。一週カン、イイエ、十日後にもう一度ウカガイますのデ、デキテいればソノ時に」
「解りました。対価もいただけますね?」
こういう所で妥協しないレイコに、女性士官は微笑んだ。
「もちろん、ソノつもりです」
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その日の午後、特別魔法教室の終わった後で、レイコはマコに米軍から依頼された内容を伝えた。
「魔力を知覚する方法ねぇ。実のところ、あたしにも良く解らないんだよね。あたしの場合、最初から何となく感じてたし。まあ、考えてみるよ。米国に限らず、自衛隊にお願いして日本にも配ってもらえば、あたしが訪れる前に魔法を使える人も出てくるかも知れないし」
「それはいいけれど、それをどうやって大量に作るの? マコが手書きする?」
「あ」
それを書いたとして、米国の人々へはインターネットで公開するのだろう。印刷物を配布するかも知れない。文明の利器を使えば、方法はいくらでもある。
しかし、今の日本ではそうもいかない。複写すら、人手で行わなければならない。
うーんと唸ったマコは、対策を思い付いた。
「そうだ、これの対価に日本語版を大量コピーしてもらえばいいんじゃない? きっと、コピー機とかプリンターとかも持ち込んでるよ。なかったとしても、本土で印刷してもらえばいいし」
「それは考えていなかったわね。解ったわ、それで交渉してみましょう」
「どうせなら紙はいいのを使って欲しいよね。それからきちんと製本もしてもらって。カラー印刷は……無理かな。原稿をカラーにするのはちょっとなぁ……」
「随分と大きく出るわね」
レイコが娘の成長を喜ぶようにくすくすと笑った。
「今まで魔法を教えるのに色々考えて纏めてきたことの集大成だからね。これまでの苦労を考えればそれくらいやって貰わなくちゃ割に合わないよ。でも、ページ数が増えると輸送が大変だし、文字を小さくすると目の弱い人が読めないし、コンパクトに上手くまとめないといけないよね」
「考え過ぎて他のことを疎かにしないようにね」
「うん、解ってるよ。時間の合間を見つけて纏めておくよ。十日後ね。なら余裕あるかな。あ、色鉛筆持ってくよ」
「はいはい、ご自由に」
拳を握って力を込める娘を、レイコは(結婚しても大して変わらないわね)と微笑ましく見つめた。




