2-5.魔法の伝授
「マコ、ちょっといいかしら」
レイコが娘の部屋に入った時、マコは両手を机の上に上向きに乗せ、右掌に光球を、左掌に火球を載せていた。
「レイコちゃん? なぁに。あ」
振り返りもせずに返事をしたマコの左掌の上の火球が光球に変わる。
「……邪魔しちゃったかしら」
「ううん、そんなことない。あたしがまだ未熟なだけだから」
マコは二つの光球を消して答えた。
「何をしていたの?」
「二つの魔法を同時に使えるようにならないかなって。そしたら、できることの幅が広がりそうだし」
「なるほどね。色々なことができれば、この先の生活にも役立つだろうし」
「ま、ね」
レイコの言葉を暗に肯定したものの、マコとしては魔法で色々と試すことが単に楽しいだけに過ぎない。絵本や小説、漫画、アニメなどで散々取り上げられ、架空の世界に登場するそれを使ってみたい、とマコも他の女の子たちのように思って来たのだから。
「それで、何か用?」
「ええ。マコのその魔法なんだけどね、他の人にも教えられないかしら?」
「あたしが?」
「そう」
「えー、嫌だよー」
マコは思い切りしかめ面を作った。
「そんなこと言わずに。その内、マコにみんなから料理の依頼が殺到するかもしれないわよ? その前に魔法を使える人を増やしておいた方がいいと思わない?」
「そんなこと言ったって、あたしだって使い方を試行錯誤している最中なんだもん、上手く教えられないよ」
それは事実ではあったが、マコの本音としては他人と長い時間顔を合わせていたくない、と思っていた。
「けれどね、マコが魔法を完璧にマスターするまでにはそれなりに時間がかかるでしょう? それよりは、他の人も巻き込んで一緒に魔法の研究をした方が、マコも効率良く魔法をマスターできるんじゃない?」
「そうかも知れないけどぉ」
しかしレイコの言うことも間違っていない。大抵の物事は、一人で思い悩むよりも多人数で協力した方が効率良く研究を進められるのだから。
しかし、不特定多数の人々に物事を教えることは、マコには荷が重すぎる。うんうん唸って頭を絞ったマコは、適当なところで妥協することにした。魔法を使える人が増えるのは、異世界と化した(と思う)この世界で生活するのに便利なはずだし。
「じゃあ、最初は五人だけ、えーと、小学校高学年から中学生を対象にあたしとレイコちゃんで面接して選抜する、でいいかな」
歳下を少人数相手にするならなんとかなるだろう、とマコは考えた。
「その理由は?」
「えっと、まず人数だけど、まだ試行錯誤してるところだから、いきなり大人数に教えようとしても無理。少人数に教えて、上手くいきそうだったら人数を増やす。で、年齢だけど、高校生以上は裏山の探索とか広場の整備の労働力として必要なんじゃない? それで中学生以下。でも、魔法を覚えるのにある程度の科学知識があった方がいい気がするんだよね。せめて、小学校低学年の理科は済ませた子の方がいいかなって」
「なるほど。それなりの理由があるのね。マコにしてはしっかり考えているのね」
「『あたしにしては』は余計だよ」
マコは頬を膨らせて見せた。本気で怒ったわけではないが。
レイコは笑顔で受け流してから、真顔に戻った。
「それで、面接って何をするの?」
「一つは、その子の魔力測定。ある程度の魔力がないと教えても意味ないと思うし」
「それもそうね。けれどわたしは? 魔力のあるなしなんて、判らないわよ?」
レイコは首を傾げた。
「うん。レイコちゃんには“人”を見て欲しいんだ。大人しく授業を受けてくれそうな子か、あたしとの約束をきちんと守ってくれる子か」
「なるほどね。でも一目見て子供の性格を見極められるほど、人を見る目に自信はないわよ?」
「いいよ。時間掛けるわけにもいかないんだろうし、レイコちゃんで無理なら他の誰にも無理だと思うから」
「それでいいならやるけれど、後で文句言わないでよ」
「言わないって。あたし、レイコちゃんの人を見る目は信頼してるんだから」
直前に自分が否定したことを娘に肯定されたレイコだったが、悪い気はしない。最愛の娘がそこまで信頼してくれるなら最善を尽くしましょう、とやる気を出す。
「それなら、面接は明日か明後日になると思うわ。魔法の練習の邪魔してごめんなさい。わたしは会議に戻ってくるわね」
レイコは会議を途中で抜け出して来たらしく、慌ただしく戻って行った。
確かにみんなが魔法を使えるようになれば、この不便な暮らしも改善してゆけるだろうが、そこまで慌てる必要はあるのだろうか? そう言えば、今日から裏山の調査に入ったはずだ。調査隊の活動時間は午前中だったから、帰って来た彼らから何か情報がもたらされたのかも知れない。まったく別の理由かも知れないが。
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翌日の午前中、早速魔法の生徒を選抜するための面接が行われた。人数は二十五人。対象年齢の子供たちから有志を募ったのだが、全員が参加していた。
(もっと多いかと思ったけど、年齢を絞ったからこんなものか)
こっそりとそんなことを思いながら、マコとレイコは面接を進めた。家の部屋番号と名前と学年を申告してもらい、前に出してもらった掌にマコが自分の掌を掲げ、レイコが二、三、質問するだけだ。
彼らの魔力を測りながら、マコは疑問に思った。
(思ったよりみんな、魔力が少ない……もしかして、あたしの魔力って規格外?)
毎日瞑想を続けているためか、それとも魔力の操作の練習をしているためか、理由は判らないもののマコの魔力感知力の精度は上がっている。今では、自分の魔力を翳せば人の身体を包む魔力の厚みを十分の一ミリメートル単位で認識することができる。その厚みをミリメートル単位で魔力量として数値化すると、マコ自身は21.3、レイコは1.1、キヨミは0.9、タマは0.4だった。
そして、今集まっている子供たちの魔力量も、そのほとんどが1.0~2.0の間に収まっている。一番多い子でも、5.0を超えてはいない。
最近は五メートルほどまで伸ばせるようになった魔力を使って、子供について来た大人たちの魔力もこっそりと測った。知られることはないのでこそこそする必要は無かったのだが。
結果、大人たちを含めても、魔力量は最小で0.2、最大で4.7だった。マコを除いて。たった数十人で結論付けるのは早計ではあるものの、マコの魔力量は並外れて多いらしい。
(魔法を使える理由が魔力の量なら……教えても誰も使えるようにならないかも。でも、魔力を操作するのに魔力を使っている感じはしないんだよなぁ)
ともかく、まずはやってみるしかない。部屋に戻ったマコは、母による性格判定と、自分で行なった魔力判定の結果、それに、管理人から借りてきた資料を合わせて、五人の生徒を選び出した。今日の午後の会議で住民に通知され、明日から早速授業の開始だ。
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「マコちゃん、この服、もらってくれるかな。今日から魔法を教えるって聞いたから、大急ぎで仕上げたの」
朝、瞑想中のマコの部屋にやって来たのは、レイコではなく先日から居候しているキヨミだった。手には畳んだ布──彼女の言葉から判断すると服だろう──を持っている。
「キヨミさん、おはようございます。服、ですか?」
マコは閉じていた目を開いて脚を崩し、ベッドから降りてキヨミを部屋に招き入れた。
「うん。こっち来る前、魔法見せてもらったでしょ? それでインスピレーション沸いちゃって、魔法使いマコちゃん用に縫ってみたの。着てくれるかな?」
「本当ですか? ありがとうございます。でも、材料とか道具とかはどうしたんですか?」
「道具は裁縫道具を持って来てもらったじゃない。材料はねぇ、レイコのお古を仕立て直したの。だから、残念ながら最高傑作とは言い難いけど、それでも今仕立てられる最高の服よ」
「え。キヨミさんの手縫いですか? いいんですか? もらっちゃって」
キヨミは今や、いや、異世界が転移してくる前の時点で、流行の最先端を行くファッションデザイナーの一人だ。本人がこの性格のため、人前に出ることはほとんどないが、それでもファッションリーダーの一人には違いない。
そのキヨミの手縫いの一点物の服と言ったら、どれだけの値が付くのだろう。オークションにかけたらキヨミブランドを推す金持ちが天文学的な値をつけかねない。そんな高価なものをこんな簡単にもらってしまっていいのだろうか。
「いいのよぉ。マコちゃんに合わせて作ったんだから、マコちゃんに着て欲しいの。マコちゃんが着て、それで完成なんだから」
「あ、ありがとうございます……」
マコはおっかなびっくり受け取った。
「ね、着て見せて。完成したところ、見たいの」
両手を胸の前で合わせて子供のように無垢な瞳を向けられたら、マコには断ることなどできようはずもない。
マコはパジャマを脱ぎ、下着を身につけて、レイコのお古かつキヨミの最新作である服に袖を通した。
「ふわぁ、マコちゃん可愛い。思った通りの仕上がり……」
キヨミは自分の仕立てた服を着たマコの姿に見惚れ、満足する仕事をできたことに、にっこりと微笑んだ。
元は、レイコの桃色のシンプルなワンピース。シンプルと言っても今をときめくファッションメーカーの社長の持ち物だから、質素ながらも洒落たデザインになっている。布地も高級品だ。マコの記憶が正しければ、まだ起業したばかりの頃にキヨミが仕立てた服だったはずだ。
それが、見事に生まれ変わっている。ワンピースなのはそのままに、スカートのプリーツを上手く利用して裾がぎざきざに見えるように工夫され、フィッシュテールとまでは言えないものの、やや後ろが長くなっている。上はレースで可愛らしく模様を入れ、襟は広く取られて鎖骨が覗く。ゆったりとした袖は手首で絞られ、大きなボタンがアクセントを加えている。最後にレースのショールを肩から掛けて、襟首から覗く肌を隠す。
ごく普通のお洒落な服、という印象だが、どことなく魔法少女を想起させるデザインだ。
「素敵……キヨミさん、ありがとうございますっ」
「いいのいいの。レイコのお古なんだから、お礼はレイコに言ってあげて」
「はい。これから普段はあまり着れないかも知れないけど、魔法教室の時はこれ着て授業しますっ」
「喜んでもらえたみたいで良かった。他にもアイデアあるから、材料があったらまた着てね」
「はいっ。是非にもっ」
知らない子供たち相手に授業を前にしてマコは気が重かったが、キヨミとレイコの心尽くしの服のおかげでモチベーションが上がった。キヨミはともかくとして、レイコはもしかすると、それを狙っていたのかも知れない。
本文中、「キヨミブランド」と言う名称が出てきますが、これは俗称で、正式名称は別にあります。今後、正式名称を出せるかなぁ。